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しかし歴史は、特に近世以降、次のように展開される。

 貨幣が評価指標として共認されることによって、交換関係はいっそう増殖発展する。そして貨幣は万人にとっての価値となる。つまり最高価値として君臨した。
その結果、貨幣の多寡が、封建制における身分序列に代わって、評価ヒエラルキーと序列ヒエラルキーの指標となる。つまり最も先鋭化された社会的な同類闘争の(私権闘争を含む)評価指標に転ずる

 このようにして社会的な最高価値となり、評価指標になった貨幣は、私権闘争を含む全ての同類闘争=評価闘争の目的物となり、貨幣の獲得に向けて万人の闘争活力を引き出し、全集団と個人を貫いて社会的な活力を先鋭化させていく。
 この段階では私権の大きささえお金で表現される。つまり貨幣は私権を超えたより先端の存在と化す。


以上のような現象を近代のある哲学者は貨幣の「物神化」(フェティシズム)と呼んだ。「物神化」とはそのもの自体が持っている価値を越えて、あるものが崇拝の対象となることを示し、そのことによって近代人を皮肉った言葉である。
 実際近代人は拝金教を信仰してきたというのは一面の事実である。

 しかし実は貨幣という数値化された価値観念はもっと大きな意味を持っていたと見ることが出来る。

 前の投稿で(「貨幣の問題を巡って① 5517)記した様に、社会は顔の見える信認関係では統合できない。信認関係は集団の共認原理=仲間原理を延長した友好関係であるが、実際それだけで他集団と対応しようとした採集部族は滅亡した。

 それ以来今日に至るも、人類の最大の課題は集団と同類闘争を越えた社会をいかにして統合するのかにある。この、同類闘争を活力源としつつ、社会を統合することは、目に見える範囲でしか形成できない本源的な共認だけでは不可能であって、それを越えた観念共認が不可欠である。

北村浩司


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