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斎藤さんは国家=悪、あるいは国家=必要悪という一種の先入観を持っておられるのではないでしょうか?

少なくとも現在の国家でさえ社会統合=秩序化の機能を持っていることは明らかです。そして秩序化の要は、無統制な、個人や集団による私権闘争・同類闘争の制御あるいはルール化に基づく活性化にあります。そのあり様=統合様式の問題性はさておき、国家が現在持っているその側面にも客観的および肯定的に注目すべきではないでしょうか?

提起されている問題は社会統合と国家の関係と言うことになるかと思います。
それも、未来社会及びそれに至る過程と、少なくとも2段階でそれを論ずる必要があります。
まずその場合、斎藤さんが「集団間のネットワーク」という一言ですまされていた、その中味を具体的に考えていく必要があるでしょう。
つまり言葉を代えれば、社会を統合するということの具体的中味を考えてみようということになります。
この役割を果す機関(仕組みでも良い)を国家と呼ぶかどうかは別にして、取りあえずおおまかに最低限の必要事項と思われるものをあげてみます。



①集団を超えた共認や制度の形成(機能)
②科学認識や社会認識に対する評価と蓄積(機能)
③集団を超えた物流あるいはそれに伴う生産の調整(機能)
④道路や鉄道などの社会的なインフラ整備(機能)

これらがおそらく最低限、果される必要のある機能ということになるでしょう。

 統合を一言で定義すれば、活性化と秩序化と言うことになります。しかも集団とは自己収束的な側面を常に孕む(内向きな)存在です。自己閉鎖したままで、全く社会とは関わり無く存在する選択をとる場合も、常に存在します。
(無統制なバラバラの個人の持つ問題性=現在の社会統合の問題性はもっと大きいと私は考えますが、論点が拡散するのでこの場では敢えて触れません。別の場で論じます。)
そして社会統合を論ずる事は、そのような性質を孕む集団をどの様に制御するか?あるいはどの様に前向きに同類闘争(創造競争)の場に引き出すか?そしてその力の源はどこにあるのか(どの様にしてその力を社会的に作り出すのか)?という問題となるでしょう。

これらの力と機能が各集団の「自然な」(言葉を代えれば各集団にとっての都合の良い)交流だけで自然に形成されていくのでしょうか 。共産主義の事例を持出されていましたが、同じく過去の事例に基づいて語れば、無政府主義的自由主義は秩序の崩壊を生みその結果、最悪の官僚主義を生むとも言えます。

いずれにせよ、(権力によらない)社会統合は人類が始めて遭遇する課題です。
「○○であるべき」「本来は○○である」的な発想は一旦は廃棄して、まずは過去の権力支配時代社会統合の仕組み、市場時代の社会統合の仕組み、そこから導き出される、社会統合への必要条件、更には、今現在見られる新しい可能性の基盤などを冷静に抽出していく必要があるのではないでしょうか。

北村浩司
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