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認識仲間欠乏

認識仲間欠乏に収束する。

これまでの単なる解脱(遊びや娯楽)を目的とした集まりや、人のカリスマ性に収束し、そのブランドで自己充足していたのとは大分違う。
認識を結集軸とした認識仲間の外向収束力(仲間欠乏)に惹かれ、自らがそこに収束し、自らがまた収束力を作る。
答えがはっきりと見えていない状況でさえも、認識を紡ぎだしていく前進感自体に収束する構造はまさに、

>生きとし生けるものは、全て外圧(外部世界)に対する適応態として存在している。例えば本能も、その様な外圧適応態として形成され、積み重ねられてきたものである。

ではないだろうか。
集っては飽き、消え・・・また集って、の薄っぺらい充足欠乏ではない、おかれた社会状況の中で答え見つけ適応していこうとする、そんな欠乏を強く感じる収束矢印です。


二力
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それでも人は、「なわばり争い」「私権獲得競争」「自己防衛(からの自己正当化・他者否定)」といった古い動物的生存圧力故の所作と収束先の定まらない「仲間収束」「目先収束」を日々繰り返している。

今、決定的に欠けているのは、滅亡の危機という人類的課題を捉える視点と人や社会を「何とかせねば」という強い必要意識だと思う。

人類的課題を統合的に捉え、認識仲間の期待応望から強い必要意識を生起させる試みがるいネットなのだと思う。

匿名希望
「認識形成サイト2 単なる共鳴伝播と参加・協働の違い」(28314)より


<私権時代の認識形成>                       
           ┌────────────┐  与えられた認識を
      支配観念→│作者 → 観客読者│= 受け入れるだけの
       ∧   └────────────┘  傍観者(消費者)
       ∥        ↑          ::
       ∥        │          ::
私権不全=⇒私権収束===⇒私権原理         ::
  │          (序列・市場)       ::
  │                        ::
  │                        ::
  ↓                        ::
私権衰弱=⇒共認収束===⇒共認原理         ::
  │  (本源収束)     │          ::
  │             ↓          ∨
  ↓         ┌────────────┐  自ら認識形成に
社会不全=⇒外向収束⇒│外向仲間⇒認識仲間│=  参加する
           │    による協働│  当事者(供給者)
           └────────────┘
                ∥
              認識形成サイト

<共認時代の認識形成>




※私権時代(図解上段)は、目先の私権不全を背景に、“上から下”(序列)あるいは“生産者から消費者”(市場)への一方的なベクトルをもった私権原理が作動。同時に、古代宗教や近代思想などの支配観念によって洗脳(⇒思考停止)されてしまっている。
その結果、人々は、ただ与えられた認識を受け入れるだけの傍観者(消費者)として存在せざるを得ない。

※貧困の消滅から私権が衰弱すると、私権統合原理の崩壊から社会不全(収束不全)が生起し、外向収束⇒認識収束の潮流が形成されるが、同時に再生される共認原理と相まって、誰もが単なる傍観者から脱し、自ら認識を形成・供給する当事者となる可能性が開かれる。

※それを顕在化させ、認識仲間を結集、協働させる場が「認識形成サイト」である。


越見源
露店で、実現論をよく売っている店主さんがいる。

その人は「社会は人々の共認によって形成されているから、新しい共認内容を作ってゆくことが社会を変える」という構造をきちんと伝えている。

だから、共認内容の誤りこそが現在の閉塞を生み出していることも、共認内容が変わらないままでは社会は変わらないことも、新しい共認内容を作る必然性も、相手に伝わる。

「認識形成の場の必要」という結論だけを述べても、「いいことやってるんですね」「面白そうですね」という傍観者的賛同にとどまってしまう。
それは、共認内容を形成することこそが社会形成の生命部だということが、全く伝わらないからだ。

西知子
>社会は、人々の共認によって形成されている。

学校でも会社でもどんな場でもそう。社会は人々の共認で形成されている。
あんな事はしてもいい。こんな事はしてはいけない。
そうやって決めた事が制度や体制となって社会はできている。

だから制度に違和感を覚えた時は意識が変わってきているという事。
皆が同じように感じているなら、それに沿った新制度を作る必要があるし、皆が感じている分、すぐに制度は変わる。

では皆が感じているはずなのに制度はすぐに変わらないのは何でだろう?

まずは感じている事が言葉に出来ないという事が挙げられる。違和感はあるのだけどそれをはっきりと伝えられない。皆に伝わらない分、共認形成が出来ず制度を変える必要性も伝えられない。そんな人間の深い部分から出る意識を言葉にするのが人類の形成過程を突き詰めていった実現論。

でもそれを言葉に出来たとしても、伝える場が無かったりする。
そうやって頭の中で悶悶とするだけだとやっぱり制度は変わらない。
だからなんで屋という場で社会制度を変える必要を伝えている。
そこは誰でも参加出来る場。そうやって皆が共認出来れば社会は変わるのだ。

むはひふ 
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