×
[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
社会は人々の共認で形成
↓
共認内容は人類の命運を左右
↓ ↓
新たな共認内容が必要<==旧観念では統合不可能(滅亡)
↓ ↓
共認形成の場を構築 <==旧観念に基づく運動は
する事が真の社会活動 社会閉塞の原因
↓↓
最も豊な真の実践活動
①まつり場に入って皆の投稿に親しむ
②知人に参加を勧める
③自分も発信する
>認識形成こそ、社会形成の生命部であり、それだけに最も困難な活動である。しかし、本気で社会を変えようと思うのなら、まず心ある人々から率先して、認識形成の真っ只中に身を置くべきであろう。もちろん、(その様な不全発の社会派ではなく)可能性発の実現派なら、時代の可能性に導かれて何のてらいもなく新しい『まつり場』に加わってくれるだろう。
野田雄二
↓
共認内容は人類の命運を左右
↓ ↓
新たな共認内容が必要<==旧観念では統合不可能(滅亡)
↓ ↓
共認形成の場を構築 <==旧観念に基づく運動は
する事が真の社会活動 社会閉塞の原因
↓↓
最も豊な真の実践活動
①まつり場に入って皆の投稿に親しむ
②知人に参加を勧める
③自分も発信する
>認識形成こそ、社会形成の生命部であり、それだけに最も困難な活動である。しかし、本気で社会を変えようと思うのなら、まず心ある人々から率先して、認識形成の真っ只中に身を置くべきであろう。もちろん、(その様な不全発の社会派ではなく)可能性発の実現派なら、時代の可能性に導かれて何のてらいもなく新しい『まつり場』に加わってくれるだろう。
野田雄二
PR
>この『必要か否か』という判断機能は、存在(本能・共認・観念)を貫く、極めて基底的な地平にある判断機能である。あるいは、全ての生物に備わっている不可欠の生存機能であると云っても良い
留まる事を知らない不祥事への追求や「もったいない」などの社会現象など続々と人々の判断の土俵へと上げられていっているが、顕在化している側面は「必要」というよりはまず「不必要」の判断のように思う。
今までは、私権の強制圧力下で、あらゆるものは「必要か否かの判断」の土俵を免れていた。これは言い換えれば判断軸があったとすれば「自分(の私権)にとって必要か否か」の思考しか許されなかった状況。
私権観念は崩壊しつつあるが、「自分」にとってではなく、「社会」「みんな」にとって必要か否かを判断しようとすれば、それは観念でしか捉えられない。
であれば、私権観念と照らし合わせれば「不要」の判断はできやすいが、それに変わる新しい観念がなければ「必要だ!」という判断ができない。
このもどかしさは、判断軸=収束先をめぐり、根底には安心基盤の探索や規範の再生期待を持ちながら、答えがないので目先の秩序に収束といった現象をも生んでいるように思う。これも本来の真っ当な判断軸が登場しつつあるからだ。
>認識形成の場(統合サイト)』こそ、次代の人類の最先端機能(つまりは新たな社会統合機構の中核)となる
その意味でも、必要か否かの判断の土俵を固定化させる=演場となる場の必要がまず一里塚だ。
かなめんた
留まる事を知らない不祥事への追求や「もったいない」などの社会現象など続々と人々の判断の土俵へと上げられていっているが、顕在化している側面は「必要」というよりはまず「不必要」の判断のように思う。
今までは、私権の強制圧力下で、あらゆるものは「必要か否かの判断」の土俵を免れていた。これは言い換えれば判断軸があったとすれば「自分(の私権)にとって必要か否か」の思考しか許されなかった状況。
私権観念は崩壊しつつあるが、「自分」にとってではなく、「社会」「みんな」にとって必要か否かを判断しようとすれば、それは観念でしか捉えられない。
であれば、私権観念と照らし合わせれば「不要」の判断はできやすいが、それに変わる新しい観念がなければ「必要だ!」という判断ができない。
このもどかしさは、判断軸=収束先をめぐり、根底には安心基盤の探索や規範の再生期待を持ちながら、答えがないので目先の秩序に収束といった現象をも生んでいるように思う。これも本来の真っ当な判断軸が登場しつつあるからだ。
>認識形成の場(統合サイト)』こそ、次代の人類の最先端機能(つまりは新たな社会統合機構の中核)となる
その意味でも、必要か否かの判断の土俵を固定化させる=演場となる場の必要がまず一里塚だ。
かなめんた
>人類的課題に対する期待と応望を主活力源にして創造活動を営み、評価収束による創造競争(=新たな同類闘争)によって圧力=活力を高め、その同類闘争を同じ評価収束⇒評価共認によって統合する社会、これは原始人には夢想だにできなかった社会である。
上記の文章を何度も読み返してみて、これまでのあらゆる技術や学問が
人類は同類圧力を主活力源としつつも、「生存圧力を克服するために進歩・発展してきた」ということにあらためて気がついた。
生存圧力の克服に繋がる技術の開発や理論の検証については、多くの科学者が取り組み、国家などもそのバックアップをしてきた。これは核開発などに代表されるエネルギー関連の技術革新がいい例だが飛躍的な進歩を遂げてきたいっていい。
一方、未だに解明されていない脳や心の働き、自然現象も多い。これらは生存圧力の克服に直接貢献しない分野の問題のため、これまで一向に解明が進まなかった領域といっていい。
>ただ人類は、動物的な生存圧力の場を超えて、超動物的な同類圧力=共認圧力の場へ移行する段階を迎えただけである。それは、共認動物が到達するべくして到達した必然的世界であり、実は滅亡の危機に瀕した今こそ、動物的限界を引きづっていた前史が終わり、真の人類史が始まる、その起点となる時なのである。
共認機能に加え、観念機能を獲得した人類が「生存圧力」を克服できるのは当たり前、むしろ人類の真価が問われるのは生存圧力を克服したこれから!
今後は、同類圧力や人類的課題に対する期待・応望の実現に関連するような分野の学問や技術が進歩・発展していくことになる。
るいネットはそれら「未明領域の解明」に関するヒントが詰まったサイトであることを実感した。
バスケットマン
上記の文章を何度も読み返してみて、これまでのあらゆる技術や学問が
人類は同類圧力を主活力源としつつも、「生存圧力を克服するために進歩・発展してきた」ということにあらためて気がついた。
生存圧力の克服に繋がる技術の開発や理論の検証については、多くの科学者が取り組み、国家などもそのバックアップをしてきた。これは核開発などに代表されるエネルギー関連の技術革新がいい例だが飛躍的な進歩を遂げてきたいっていい。
一方、未だに解明されていない脳や心の働き、自然現象も多い。これらは生存圧力の克服に直接貢献しない分野の問題のため、これまで一向に解明が進まなかった領域といっていい。
>ただ人類は、動物的な生存圧力の場を超えて、超動物的な同類圧力=共認圧力の場へ移行する段階を迎えただけである。それは、共認動物が到達するべくして到達した必然的世界であり、実は滅亡の危機に瀕した今こそ、動物的限界を引きづっていた前史が終わり、真の人類史が始まる、その起点となる時なのである。
共認機能に加え、観念機能を獲得した人類が「生存圧力」を克服できるのは当たり前、むしろ人類の真価が問われるのは生存圧力を克服したこれから!
今後は、同類圧力や人類的課題に対する期待・応望の実現に関連するような分野の学問や技術が進歩・発展していくことになる。
るいネットはそれら「未明領域の解明」に関するヒントが詰まったサイトであることを実感した。
バスケットマン
>同類闘争の圧力こそ、人類の永遠の圧力源=活力源だと云えるだろう。
かつては万人が「私権」を共認する事によって社会は統合されていました。しかし、豊かさが実現された現在、「私権」は社会を統合する力を失っています。
私権に変わる活力源を求めて、「自分」や「個性」に向かおうとする人も多くいますが、その殆どが迷走状態です。
しかし、同類圧力こそが最大の活力源であるなら、集団を超えて同類圧力を感じられる仕組みを構築する事、そしてその場に参加する事がもっとも活力の出る活動と成り得るのではないでしょうか。
インターネットには、その可能性が有ると感じますし、それこそが、集団を超えたこれからの社会統合の姿なのだと思います。
山田孝治
かつては万人が「私権」を共認する事によって社会は統合されていました。しかし、豊かさが実現された現在、「私権」は社会を統合する力を失っています。
私権に変わる活力源を求めて、「自分」や「個性」に向かおうとする人も多くいますが、その殆どが迷走状態です。
しかし、同類圧力こそが最大の活力源であるなら、集団を超えて同類圧力を感じられる仕組みを構築する事、そしてその場に参加する事がもっとも活力の出る活動と成り得るのではないでしょうか。
インターネットには、その可能性が有ると感じますし、それこそが、集団を超えたこれからの社会統合の姿なのだと思います。
山田孝治
■るいネットや実現論に記されている”認識”や”言葉”は事実・現実を普遍的に表現しているのだが、現実の課題(=仕事や生活)に生かせていないように思う。
●例えば
・どんな事であっても「なんで?」「どうしたらいい?」と聞かれたら、
絶対にこれに応えたいと言う想いが湧く(=応望収束)。
・打合せやミーティングで課題が出たら、「答えを出したい」「答えを出
して欲しい」と思う(=潜在的な期待応望活力)し、何らかの良さそうな
「答え」や「方針」が出たらみんなこれに賛同し活力が沸く(=可能性
収束)。
・以下の認識も普遍的なモノだが、日常的に常に感じている事でもある。
>『認識』は各人の日常的な最先端価値(=統合価値=評価指標)であり、また基礎的に社会を統合する機能をも果たしているが、それ自体は社会を統合する最先端機能たり得ない。
>私権闘争・掠奪闘争を止揚した次代の人類の最先端機能とは、最先端の認識闘争=評価競争の場となる『認識形成の場』そのものに他ならない。
(「超国家・超市場論14 外向収束⇒認識収束に応える『認識形成の場』」)
例えば、仕事のやり方がわからない時、突破口(=認識)が出されたら誰
もが活力が沸く。そしてチームでこれが貫徹されれば(=共認されれ
ば)、その仕事は上手くいく(=統合される。)。
しかし、そのやり方が浸透してしまえば、上手くいって当り前であって
活力源ではなくなる(=最先端機能たり得ない)。
そして、仕事(=課題)の状況は変化し、更なる進化や深化を求められ
る。だから、常に”状況は?””なんで?””どうしたらいい?”を考
えられる「会議」や「ミーティング」そして「社内ネット」や「るいネ
ット」のような”場”が必要になる(=みんなの期待が収束する”場”
そのものが最先端機能となる)。
●「実現論の形成過程」にあるようにこれらの”認識”や”言葉”は”現実をどうする?”という課題の中で生まれたのだから当然だと思うが、今この瞬間に自分自身はもちろん、みんなの頭の中で生きている。
今この瞬間に生きて、実在する”認識”や”言葉”を文字通り”生かせるかどうか?”が、次代の突破口を開けるかどうか?可能性を示せるかどうか?と言う事だと思う。
丸一浩
●例えば
・どんな事であっても「なんで?」「どうしたらいい?」と聞かれたら、
絶対にこれに応えたいと言う想いが湧く(=応望収束)。
・打合せやミーティングで課題が出たら、「答えを出したい」「答えを出
して欲しい」と思う(=潜在的な期待応望活力)し、何らかの良さそうな
「答え」や「方針」が出たらみんなこれに賛同し活力が沸く(=可能性
収束)。
・以下の認識も普遍的なモノだが、日常的に常に感じている事でもある。
>『認識』は各人の日常的な最先端価値(=統合価値=評価指標)であり、また基礎的に社会を統合する機能をも果たしているが、それ自体は社会を統合する最先端機能たり得ない。
>私権闘争・掠奪闘争を止揚した次代の人類の最先端機能とは、最先端の認識闘争=評価競争の場となる『認識形成の場』そのものに他ならない。
(「超国家・超市場論14 外向収束⇒認識収束に応える『認識形成の場』」)
例えば、仕事のやり方がわからない時、突破口(=認識)が出されたら誰
もが活力が沸く。そしてチームでこれが貫徹されれば(=共認されれ
ば)、その仕事は上手くいく(=統合される。)。
しかし、そのやり方が浸透してしまえば、上手くいって当り前であって
活力源ではなくなる(=最先端機能たり得ない)。
そして、仕事(=課題)の状況は変化し、更なる進化や深化を求められ
る。だから、常に”状況は?””なんで?””どうしたらいい?”を考
えられる「会議」や「ミーティング」そして「社内ネット」や「るいネ
ット」のような”場”が必要になる(=みんなの期待が収束する”場”
そのものが最先端機能となる)。
●「実現論の形成過程」にあるようにこれらの”認識”や”言葉”は”現実をどうする?”という課題の中で生まれたのだから当然だと思うが、今この瞬間に自分自身はもちろん、みんなの頭の中で生きている。
今この瞬間に生きて、実在する”認識”や”言葉”を文字通り”生かせるかどうか?”が、次代の突破口を開けるかどうか?可能性を示せるかどうか?と言う事だと思う。
丸一浩
カウンター
カレンダー
最新記事
(01/24)
(01/24)
(12/11)
(12/10)
(12/08)
最新コメント
[04/03 神崎]
[11/18 埼玉新聞読者]
[11/18 所沢市の債務残高は1000億円]
[11/12 所沢市の債務残高は1000億円]
[11/12 所沢市の債務残高は1000億円]
ブログ内検索
最古記事
(09/02)
(09/11)
(09/12)
(09/13)
(09/14)
P R