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>まつり場に入って皆の投稿に親しむこと(ロムし続けること)、そして新しい認識に得るところがあれば知人にも参加を勧め、できれば自分も発信することであり、それこそが最も豊かな唯一の実践活動である。<

毎日「るいネット」でみんなの投稿に親しむことは、「ニュースを見ること」「新聞・雑誌を読むこと」「ネットで情報を得ること」と何ら変わらない。

しかし、ロムし続けるということが続かないのは、なぜか?「ニュースを読む」のと何が違うのか?

それは、自分が必要とする情報しか興味がないという自己中的探索方法が原因と思う。得られた情報も、自分の物として消費し、新しい認識に触れても「そういう考え方もある!」と消費されて終いになっているからだと思う。

そうではなくて「みんなどうなの?」と人々の意識を知りたい!どうすればいい?という生産者の意識で投稿を読むことが、ロムし続ける上で決定的に大切となる。

「るいネット」に紹介されているいろんな投稿やブログ・サイトの投稿などから得られる気付きの一つ一つを社会の一員として考えその必要性に気付けば、次は自らも発信して一緒に認識形成の場を造っていくことが社会の当事者として求められていることと思うのは時間の問題である。

是永恒久 
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>ただ、互いに顔の見えない社会空間では、体感共認に代わる観念共認が不可欠になり、従って体感評価に代わる評価指標(身分やお金という観念)が最先端機能となり、この評価指標が人々を収束させ、秩序と体制を形成する役割を担うように成っただけである。従って、いかに時代が変わり、中身が変わっても、『評価指標の共認』という収束=統合機能の絶対的な必要性は、不変である。

現実は人々によって認識されて(=評価共認を勝ち抜いて)、新たな現実となる。つまり現実の変革には、新たな可能性が現存する評価指標(=お金)を獲得していくことが不可欠である。既存の社会運動(ボランティア、NPO等)が、現実を何ひとつ変えられない原因もここにある。

だからこそ認識形成の場(=新たな可能性)が有料であることは必然であり、また必要なものにお金は支払われること=必要か否かの共認闘争を打ち出している理由でもある。


三浦弘之
>マスコミの問題点提示は大概受け入れられる。ただ、「マスコミに代わる共認形成の場」に対して、反応が鈍いのは“自分”に累が及ぶかどうかが判断軸になっているところか。志ある人材を惹きつけるには、共認形成の場を自分達でつくることの可能性をもっと提示して行く方が有効であるように思う。

どうして「自分さえ良ければいい」という発想になるのか?

>そこでは、素人は与えられた番組や芸能人に対する受動的な評価主体としてしか、存在していない。(もちろん、何がしかの繋がり充足や癒し充足や発散充足を得ているが、それら全ては与えられたものでしかない。)

幼い頃からテレビ漬け(+ゲーム漬け)になっていることで、「楽しいこと(充足)は、与えられるもの」という感覚が染みついているのかも。

そこには、自分達で充足を作り出す(作り出せる)、という発想が無い。だから、「自分さえ良ければいい」という逃避思考→傍観者にしかならないのでは?

充足は自分達で生み出せるものなんだ、ということに気づきさえすれば、いろんな突破口が見えてくる(社会的なテーマに対してだけじゃなく、仕事でも、男女関係でも、何でも)。

だとしたら、その可能性(自分達で充足を作り出せる場)を提示することが、いま求められているのではないだろうか。

 
矢ヶ崎裕
>マスコミが一方通行(統合階級の染脳機関)という形であれ、バラバラに分解された解脱個体を収束させた全く新しい社会的な共認形成の場(正しくは共認支配の場)を作り上げた事は、注目すべきである。

 マスコミが、現在の共認支配の場を作り上げることに成功した要因は、かつて、農村や村落での共同体で得られた共認充足が都会出てきてバラバラに分解され、共認欠乏で不安になった大衆に、マスコミが巧みにつけこんだといえる。

>テレビ(マスコミ)を信用していると言う人はいない。程度の差はあれゴマカシの中身にも気づいており、マスコミの問題点提示は大概受け入れられる。ただ、「マスコミに代わる共認形成の場」に対して、反応が鈍いのは“自分”に累が及ぶかどうかが判断軸になっているところか。

 まだ、自分に影響なければどーでもいいという個人主義観念は残っているが、マスコミの問題点やゴマカシてることは気づいていて、発信したいという意識は確実に高まっている。

 それは、新たな共認欠乏が生起しているということである。マスコミに代わる新しい共認形成の場を構築するには、大衆の期待に確実に応え、そしてその場作りがテレビよりも楽しい(充足できる)と思わせれるか?

 発信せずにはいられないと思わせればマスコミに勝てる!!


志水誠
>人類の最先端機能は、最末端まで貫く同類闘争の圧力を大前提にしており、それなしには成立しない。

家庭でも職場でも地域でも、各人置かれた状況下で課題があり期待・応望が活力源として働いている。

課題には身近なものから集団課題、社会の課題といった段階があるが、具体的には千差万別であっても根本は人類の課題に繋がっているはずである。

一方、『認識』は各人の日常的な最先端価値であり、新認識を使いこなすことで、目の前の現実の課題を突破できる有用性を感じることが出来て初めて、認識欠乏が生起する。

最末端まで期待・応望の活力を得る為に、日常的に新認識を使ってより質の高い答えを追及してゆくようになれば、万人から最先端の『認識闘争の場』に新認識の創造期待が集まり、その『認識闘争の場』」は社会統合機能に昇華してゆくようになるだろう。

ちわわ 
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