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>今回も記者が都合の良いコメントだけを専門家から引き出して掲載している疑いが濃厚だが、・・・・

マスコミは、専門家のコメントや意見を、水戸黄門の印籠のように使っているが、それって、おかしくないだろうか?

失礼かもしれないが、現実の社会で責任があるわけでもなく、一定の切り刻まれた分野の研究を行っている専門家に、現実の問いに対して生きた答えができるとは思えない。

現実の圧力や危機感→なんで?、どうしたらいい?という思考の対極にあるのが、大学という空間に閉じこもった学者であり、マスコミという、批判するばかりで、どこからも批判されることのない権力者である。

このように、半ば現実の圧力から遊離した大学の専門家。その言葉を、マスコミが大量の情報量で流し、さも権威あるかのように、さも答えであるかのように、人々の頭上に注ぐ。

一方的に“権威ある”情報をあびせられる人々には、言い返す手段もなければ、質問もできない。しかし実態は、現実に対してなんの答えもだせないのであり、もっぱら権威と情報量で押し付けているのが実態といえるだろう。


 
井上宏
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最近のマスコミのていたらくぶりは、ひたむきに働く企業や総理大臣をもわなにかけ、その反応を書き立てるといった低品質である。

もののない時代と違い、現代日本社会の普通の企業ならば低品質=倒産である。もちろんここで言う品質には広い意味での生産者の品位をも含むものである。

作れば売れた時代は簡単に言えば質より量であった。生産や消費の結果として環境が破壊され、生活が変容しても、許容される時代も過去にはあったかもしれない。

しかし、70年以降の日本では、品質の向上ばかりでなく、原料、生産、流通、販売に至るまで、生産側の良識が求められ、そればかりか消費者側の物の扱い、ゴミの処理方法、など消費者側の良識が求められるようにさえなった。

あえて後回しにしたが、良識からはずれた、低品質、低品位、かつ相変わらず量産の業界がただ一つだけ現存している。

それは、広告=マスコミである。

他の業界は、品位の時代、良識の時代、心の時代、共認の時代に適応できない企業はずいぶん淘汰されてしまった。

それは言い換えれば、それらの淘汰されるべき業界というのは必要な物やサービスを提供されているから、人々の評価にさらされるのであって先端部といえる。

しかし、広告=マスコミはそのような時代環境において、淘汰圧力のかかりにくい、社会の構成要素として中身でない、存在だからこそ、いかに低品質であろうとも放置されてきたに過ぎない。

決して必要だから幅を利かせられているのではなく、不必要だから放置されてきた市場の派生物に過ぎないのである。

しかし、ここ数年、この放置が社会の共認の公害として、情報伝播装置としてのマスコミが、淘汰されるものと生き残るものとに分岐する時代がやってくるのを予感させる重大事件が多発している。

マスコミ業界が全体として生き残る唯一の方法は、淘汰されるべき捏造組に断を下し、質(事実)を極めた組による共認圧力をかけて行くことによって、社会の実質の中で役割を発掘するべく努力をすることであろう。

佐藤英幸
>そして、この秩序収束⇒規範(制度)共認の圧力こそが、サル・人類の恒常的な存在の場を形成している。(中略)従って、規範(制度)共認の圧力=場こそが、権力をも包摂して終う、より包摂的な場(圧力の場)なのである。(実現論4_6_04)

根本的に言えば、現代のマスコミは、もはやその存在理由を失っていると言っても過言ではないだろう。

かつて(特に戦後)のマスコミの存在理由は、権力の暴走をペンの力で抑制するというところにあった。実際、多くのマスコミ人が、その正義感に燃え、権力と対峙して闘うことに仕事の意味を見出していたに違いない。

しかし、時代は変わった。序列原理が崩壊し、かつての政治権力は統合力を失ってしまった。今、人々が政治や社会に求めるもの(⇒マスコミに期待するもの)は、権力支配をどうにかしたいということよりは、これからの社会をどうするのか?の答え(⇒少なくともその切り口)である。従って、単に権力を叩くだけでは、もうマスコミの存在理由はない。

ところが、時代が変わっているにも関わらず、マスコミは変わらない。変わらないまま、人々の共認(世論)圧力形成の要の位置に居続けている。上記の実現論の認識で言えば、「規範(制度)共認の圧力=場」の中心に居ると言ってもいいだろう。その共認形成力は議会や官僚等よりはるかに強力である。マスコミは、今やかつての政治権力に代わる第一権力である。

その第一権力が、旧いパラダイムに乗っかったまま、旧い権力を叩き続けることしか知らないとすれば、社会の統合力が衰弱してゆくのも必然である。

そればかりではない。今のマスコミは権力叩きではネタがなくなってきたせいか、多くのマスコミが、ゴシップやスキャンダル等を売り物にするしかないという路線に堕落している。社会秩序の根本にある規範共認をも踏みにじり、捏造や歪曲をするに至っては、社会閉塞の元凶であると断じて間違いない。

旧臭い観念に凝り固まり、社会規範を破壊してゆくしか能のないマスコミは、社会から退場してもらうしかない。

雪竹恭一
るいネットは学生の頃から、ずっと読んだり投稿したりしている。
るいネットに参加するのは日常になった。

けど、このままでは『市場原理の観客読者』にとどまってしまっているということに、この投稿を読んで気付いてしまった(@o@;)

>この潜在的なネットワークを顕在化させるには、認識革命の必要に気付いた認識仲間たちの自覚的なネットワーク作りが必要になる。

認識仲間を増やすにはどうしたらいい??
るいネットをもっと見てもらえるようにするにはどうしたらいい?
どうしたら供給者になれる??
どうしたら供給者を増やせる??

ここを追求してはじめて『協働読者』になれる。
ここができなければ、共認形成の場は作っていけない、ひろがらない。

>共認形成の場を作ってゆく活動こそ、真の社会活動
である。


宮崎未帆 
最近、私の周りを見ていても、発信欠乏って高まってきているなぁ~っと実感。それも、単なる身近な人におしゃべりするだけじゃなくって、もっとたくさんの人に伝えたい☆って感覚。

でも、それってどこから来るんだろう??って考えてみた。

>みんな可能性があるから、集まってくるし活性化=答えを出していこうとしている。(「答えが見つかりそう!」その可能性がみんなを集結させる!101590)

っと、これを読んで何かわかった気がした。

発信したところで、何の反応もないところであれば、もう次から発信しないって思う。(例えば、お母さんに相談して、「好きにしなさい」って言われたり、友達に相談して、「人それぞれだから、しょうがないんじゃない」とかっていわれたら、次回その人に相談する確率は低い。。。)

反応がたとえあったとしても、単なる批判や誹謗中傷なんかだったら、もう二度と発信しないと思う。

そうではなくて、るいネットには「何かここにはありそう☆」と思わせるものがある。そう思うから発信したくなる。

収束不全の今、答え欠乏が年々高まっているのを感じる。その答え欠乏⇒発信へと昇華するのは、可能性を感じさせる『場』があって初めて成立するんだと思いました。


久保田彰子
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