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>現在すでに人々は、社会不全⇒人(ひと)収束を伴いつつ、外向収束から認識収束へと向かっている。この認識欠乏が顕在化するのは、もはや時間の問題である。それが顕在化すれば、人々が求める『新しい認識』は、人々の最先端の統合価値となり、従ってまた最強の活力源となる。
このように、社会不全を解消する為に、新しい認識を勉強する必要は理解されやすい。しかし、これで社会は統合されると勘違いする場合が多い。だが現実には、
>『認識』は各人の日常的な最先端価値(=統合価値=評価指標)であり、また基礎的に社会を統合する機能をも果たしているが、それ自体は社会を統合する最先端機能たり得ない。社会を統合する最先端機能は別に要る。
>人々の認識欠乏に応える認識競争の圧力こそ、まぎれもなく新たな同類闘争の圧力である。この認識闘争の圧力が最末端をも貫く圧力にまで成長すれば、それに応える『認識闘争の場』は人類の最先端機能となり、全てをその下に収束させた社会統合機能となる。
つまり、私権闘争・掠奪闘争を止揚した次代の人類の最先端機能とは、最先端の認識闘争=評価競争の場となる『認識形成の場』そのものに他ならない。
という『認識闘争の場』と、そこで絶えず繰り広げられる認識闘争=評価闘争という日常的圧力形成が不可欠になる。しかしながら、この位相に辿り着くには少々ハードルがあるようだ。
なぜか?これまでの社会は、一部の支配者により統合されてきたという事実に気づいていないこと。そして、その支配下で、社会の統合とは関係の無いところで、どうでも良い主張をするのが今までの民主主義だったからである。
だから、誤った民主主義という観念にドップリ浸かっていると、社会を統合するにはどうしたらいいか?発想すら出てこない。そこには、期待圧力を正面から受け止め、当事者とし闘争することが必要であるという感覚も生まれてこない。
このような理由で、認識を吸収するだけでは不十分で、認識闘争の場での日常的な圧力形成が必要という認識が理解されにくかったのだと思う。
本当の民主主義への転換は、『認識闘争の場』の形成から始まるのだ。
本田真吾
このように、社会不全を解消する為に、新しい認識を勉強する必要は理解されやすい。しかし、これで社会は統合されると勘違いする場合が多い。だが現実には、
>『認識』は各人の日常的な最先端価値(=統合価値=評価指標)であり、また基礎的に社会を統合する機能をも果たしているが、それ自体は社会を統合する最先端機能たり得ない。社会を統合する最先端機能は別に要る。
>人々の認識欠乏に応える認識競争の圧力こそ、まぎれもなく新たな同類闘争の圧力である。この認識闘争の圧力が最末端をも貫く圧力にまで成長すれば、それに応える『認識闘争の場』は人類の最先端機能となり、全てをその下に収束させた社会統合機能となる。
つまり、私権闘争・掠奪闘争を止揚した次代の人類の最先端機能とは、最先端の認識闘争=評価競争の場となる『認識形成の場』そのものに他ならない。
という『認識闘争の場』と、そこで絶えず繰り広げられる認識闘争=評価闘争という日常的圧力形成が不可欠になる。しかしながら、この位相に辿り着くには少々ハードルがあるようだ。
なぜか?これまでの社会は、一部の支配者により統合されてきたという事実に気づいていないこと。そして、その支配下で、社会の統合とは関係の無いところで、どうでも良い主張をするのが今までの民主主義だったからである。
だから、誤った民主主義という観念にドップリ浸かっていると、社会を統合するにはどうしたらいいか?発想すら出てこない。そこには、期待圧力を正面から受け止め、当事者とし闘争することが必要であるという感覚も生まれてこない。
このような理由で、認識を吸収するだけでは不十分で、認識闘争の場での日常的な圧力形成が必要という認識が理解されにくかったのだと思う。
本当の民主主義への転換は、『認識闘争の場』の形成から始まるのだ。
本田真吾
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>『認識』は、それが当り前のものと成れば成るほど、絶対的な共認圧力と成って末端まで貫通した統合機能を獲得する。
しかし、普通の言葉がそうである様に、当り前になるほどその圧力は意識されなくなり、従って活力源としての機能が弱くなってゆく。逆に、新しい認識は、(最先端の外圧に対応する)最強の活力源となるが、末端にまで共認されない限り、万人の統合機能たり得ない。>
上記の『認識』を法律と読み変えると、現在進行中のコンプライアンス(法令順守)の危険性が浮き彫りになります。
・制定された法律は末端まで知らないのが常態であること。
↓
統合機能たりえていないことを露呈しています。
・一旦施行された法律は固定化されるので、最先端の外圧に対応仕切れないこと。
↓
特にいま、憲法議論がその典型であり、賛否いずれにしても議論の中身がなく、一部の特権階級の中だけで行なわれようとしています。大衆はいつまでも傍観者にさせられているから、統合しようという意志までも奪われたままとなります。これで活力がでるとは到底思えません。
だからこそ、
>人類の最先端機能は、最末端まで貫く同類闘争の圧力を大前提にしており、それなしには成立しない。>
>私権闘争・掠奪闘争を止揚した次代の人類の最先端機能とは、最先端の認識闘争=評価競争の場となる『認識形成の場』そのものに他ならない。>
というふたつの事実構造に照らせば、時々刻々と変化する外圧に対応した法制度を自分達で確立していくことが求められます。そこで制定された法律も、新陳代謝が常に行なわれることとなります。
コンプライアンスは、とりあえずの秩序収束でありますが、大局的にはこの新しい流れを遮断してしまいます。
鈴木康夫
しかし、普通の言葉がそうである様に、当り前になるほどその圧力は意識されなくなり、従って活力源としての機能が弱くなってゆく。逆に、新しい認識は、(最先端の外圧に対応する)最強の活力源となるが、末端にまで共認されない限り、万人の統合機能たり得ない。>
上記の『認識』を法律と読み変えると、現在進行中のコンプライアンス(法令順守)の危険性が浮き彫りになります。
・制定された法律は末端まで知らないのが常態であること。
↓
統合機能たりえていないことを露呈しています。
・一旦施行された法律は固定化されるので、最先端の外圧に対応仕切れないこと。
↓
特にいま、憲法議論がその典型であり、賛否いずれにしても議論の中身がなく、一部の特権階級の中だけで行なわれようとしています。大衆はいつまでも傍観者にさせられているから、統合しようという意志までも奪われたままとなります。これで活力がでるとは到底思えません。
だからこそ、
>人類の最先端機能は、最末端まで貫く同類闘争の圧力を大前提にしており、それなしには成立しない。>
>私権闘争・掠奪闘争を止揚した次代の人類の最先端機能とは、最先端の認識闘争=評価競争の場となる『認識形成の場』そのものに他ならない。>
というふたつの事実構造に照らせば、時々刻々と変化する外圧に対応した法制度を自分達で確立していくことが求められます。そこで制定された法律も、新陳代謝が常に行なわれることとなります。
コンプライアンスは、とりあえずの秩序収束でありますが、大局的にはこの新しい流れを遮断してしまいます。
鈴木康夫
先日、ネットサロンに初参加された方の感想で、興味深い一言がありました。
曰く、仕事と直結した所でこういう場があって「羨ましい」とのこと。
羨ましい!?
一昔前、例えばバブルの頃であれば、休みが多くて高収入!というのが「羨ましい」環境だったはず。
私的な娯楽・遊興にどれだけ金と時間をつっこめるかに羨望の眼差しが集まり、仕事の後や休日に勉強するなど愚の骨頂、という空気だったと思います。
ところが今は、そんな遊興には魅力を感じない。
むしろ社会構造や事実認識、あるいは多くの人の話に触れて気付きを得るような場こそ潜在的に求められているようです。
こうした場が無いからまだ顕在化していないけれど、ネットサロンの様な認識形成の場は、衰退した娯楽や遊興に変わって今最も求められている場(活動)なのだ、と思いました。
山田孝治
曰く、仕事と直結した所でこういう場があって「羨ましい」とのこと。
羨ましい!?
一昔前、例えばバブルの頃であれば、休みが多くて高収入!というのが「羨ましい」環境だったはず。
私的な娯楽・遊興にどれだけ金と時間をつっこめるかに羨望の眼差しが集まり、仕事の後や休日に勉強するなど愚の骨頂、という空気だったと思います。
ところが今は、そんな遊興には魅力を感じない。
むしろ社会構造や事実認識、あるいは多くの人の話に触れて気付きを得るような場こそ潜在的に求められているようです。
こうした場が無いからまだ顕在化していないけれど、ネットサロンの様な認識形成の場は、衰退した娯楽や遊興に変わって今最も求められている場(活動)なのだ、と思いました。
山田孝治
>さらには、そういう外側の整備だけでなく、国民の意識、規範というものを高めていく必要がある。情報を鵜呑みにせず、様々な意見、考えを聞いて見て確かめるという意識。匿名性を利用して人を傷つけないという規範。インターネットを利用する犯罪から人々を守る体制や法の整備も大切となってくる。<より
02年の大統領選以来、韓国ではインターネットが主要な言論ツールとして利用され様々なサイトが隆盛する一方で、有名人の自殺が相次ぐなど、誹謗中傷や名誉毀損が大きな問題ともなっていた。しかし、ついに(制限的)本人確認制度がスタートするようです。
---------(以下引用)--------------------
こうした趨勢の中で生まれたのが,「制限的インターネット本人確認制度」(通称:インターネット実名制)だ。これは韓国・情報通信部(日本の総務省に相当)が国会に提出し,昨年12月に可決された「情報通信網の利用促進,及び情報保護などに関する法律」改正案の一部として実現された。今年7月に施行される予定だ。(中略)
制限的インターネット本人確認制度では,1日当たり10万人以上の訪問者があるポータル・サイトや新聞などのニュース・サイトに対して,ユーザー(あるいは読者)がサイトにコメントなどを書き込む際に,何らかの形で本人確認を義務付ける。その具体的な方法までは明示していないが,最も現実的と考えられているのは,韓国の国民全員に与えられた13桁の住民登録番号を使う方法だ。
サイト側では,ある人がユーザー登録する時にこの番号と氏名を入力させ,政府が管理する住民登録データベースと照合することで本人確認を行う。ただし,ユーザーがサイトにコメントを書き込むときには,実名ではなくハンドル・ネームを使える。つまり表向きは匿名性と同じだが,サイト管理者は必要とあればユーザー登録時に割り振ったIDから,書き込みをした本人にたどり着ける。
この新制度に「制限的」という注記が付くのは,「1日に10万人以上の訪問者があること」,すなわち,ある程度の影響力があるサイトに限定したためだ。(中略)
この条件に該当するのは,今のところ20社近くのポータル・サイトと10社程度のニュース・サイトだ。同制度が求める本人確認手段の導入を怠ったサイト運営企業には,最大で3000万ウォン(376万円)の罰金が課せられる。
--------------(引用ここまで)------------------------
山田真寛
02年の大統領選以来、韓国ではインターネットが主要な言論ツールとして利用され様々なサイトが隆盛する一方で、有名人の自殺が相次ぐなど、誹謗中傷や名誉毀損が大きな問題ともなっていた。しかし、ついに(制限的)本人確認制度がスタートするようです。
---------(以下引用)--------------------
こうした趨勢の中で生まれたのが,「制限的インターネット本人確認制度」(通称:インターネット実名制)だ。これは韓国・情報通信部(日本の総務省に相当)が国会に提出し,昨年12月に可決された「情報通信網の利用促進,及び情報保護などに関する法律」改正案の一部として実現された。今年7月に施行される予定だ。(中略)
制限的インターネット本人確認制度では,1日当たり10万人以上の訪問者があるポータル・サイトや新聞などのニュース・サイトに対して,ユーザー(あるいは読者)がサイトにコメントなどを書き込む際に,何らかの形で本人確認を義務付ける。その具体的な方法までは明示していないが,最も現実的と考えられているのは,韓国の国民全員に与えられた13桁の住民登録番号を使う方法だ。
サイト側では,ある人がユーザー登録する時にこの番号と氏名を入力させ,政府が管理する住民登録データベースと照合することで本人確認を行う。ただし,ユーザーがサイトにコメントを書き込むときには,実名ではなくハンドル・ネームを使える。つまり表向きは匿名性と同じだが,サイト管理者は必要とあればユーザー登録時に割り振ったIDから,書き込みをした本人にたどり着ける。
この新制度に「制限的」という注記が付くのは,「1日に10万人以上の訪問者があること」,すなわち,ある程度の影響力があるサイトに限定したためだ。(中略)
この条件に該当するのは,今のところ20社近くのポータル・サイトと10社程度のニュース・サイトだ。同制度が求める本人確認手段の導入を怠ったサイト運営企業には,最大で3000万ウォン(376万円)の罰金が課せられる。
--------------(引用ここまで)------------------------
山田真寛
どんな事件が起きても精神科医が責められない理由は、精神医学そのものの専門性(素人には分からない世界)にあると思います。ブログ「精神科医の犯罪を問う」の記事『精神科医は人を救えるのか?』がこれを言い当てていると思いますので転載します。
--------------------------------
今日のタイトルは、一般の人々にとって奇妙に思えるかもしれません。なぜならば、そんなことに疑問を感じる機会すらないからです。「精神医学は、立派な医学の一分野だし、自分には難しくてわからないけど、専門家の人々が研究して進歩しているのでしょう?」という態度が通常だと思います。
さて、この「専門家」という言葉が曲者ですね。専門家という言葉の安心感からか、専門家でない人々は、その分野の責任を専門家に丸投げしてしまい、「自分には関係ない」あるいは「自分には良く分からない」、という態度を取ってしまいます。専門家も、訳のわからない(実際には専門家ですら分かっていない)専門用語を飾り立て、素人がその論議に入ってこれないような風潮を生み出しています。何か、精神医学を専攻していない人々がこれについて論議しようものなら、専門家から「素人風情で」と文句を言われそうな気がしてしまいます。
そんな理由で、メンタルヘルスの分野は、精神医学の専門家によって独占されてきたのでした。政府も、国民も、彼らが「専門家」であると疑わず、巨額の予算を投資してきたのでした。
~中略~
精神医学がどれだけ人々の心の問題を解決してくれたのでしょうか?精神病患者はどんどん増えつづけています。不登校問題、自殺問題、発達障害問題、犯罪防止問題・・・。精神医学が手を出してきた問題は、ことごとく失敗しています。つまり、悪化しています。それに対する専門家の意見は決まってこのようなものです。「精神科医など、専門家を養成する必要がある」「予算が足りない」「施設や体制が整備されていない」
専門家がそのように主張するに任せて、政府は精神医学による精神保健に巨額の投資をしてきました。ところが、人々の精神保健は悪化する一方です。金を要求しては物事をさらに悪化させ、その解決のためにさらに金を要求する・・・。皆さんは、このような専門家に投資をしたいのでしょうか?
人々はいつまでも専門家に騙し続けられるほど無能ではありません。そろそろ、精神医学が人を助けないことに気付いてきています。
--------------------------------
そもそも「知らない」「関心が無い」と専門家任せとしていたことが、専門家に対して全く無圧力だったということでしかない。これを改めて認識し、事実の追求によって圧力を形成していかなければならないと思う。
ソーナンス
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今日のタイトルは、一般の人々にとって奇妙に思えるかもしれません。なぜならば、そんなことに疑問を感じる機会すらないからです。「精神医学は、立派な医学の一分野だし、自分には難しくてわからないけど、専門家の人々が研究して進歩しているのでしょう?」という態度が通常だと思います。
さて、この「専門家」という言葉が曲者ですね。専門家という言葉の安心感からか、専門家でない人々は、その分野の責任を専門家に丸投げしてしまい、「自分には関係ない」あるいは「自分には良く分からない」、という態度を取ってしまいます。専門家も、訳のわからない(実際には専門家ですら分かっていない)専門用語を飾り立て、素人がその論議に入ってこれないような風潮を生み出しています。何か、精神医学を専攻していない人々がこれについて論議しようものなら、専門家から「素人風情で」と文句を言われそうな気がしてしまいます。
そんな理由で、メンタルヘルスの分野は、精神医学の専門家によって独占されてきたのでした。政府も、国民も、彼らが「専門家」であると疑わず、巨額の予算を投資してきたのでした。
~中略~
精神医学がどれだけ人々の心の問題を解決してくれたのでしょうか?精神病患者はどんどん増えつづけています。不登校問題、自殺問題、発達障害問題、犯罪防止問題・・・。精神医学が手を出してきた問題は、ことごとく失敗しています。つまり、悪化しています。それに対する専門家の意見は決まってこのようなものです。「精神科医など、専門家を養成する必要がある」「予算が足りない」「施設や体制が整備されていない」
専門家がそのように主張するに任せて、政府は精神医学による精神保健に巨額の投資をしてきました。ところが、人々の精神保健は悪化する一方です。金を要求しては物事をさらに悪化させ、その解決のためにさらに金を要求する・・・。皆さんは、このような専門家に投資をしたいのでしょうか?
人々はいつまでも専門家に騙し続けられるほど無能ではありません。そろそろ、精神医学が人を助けないことに気付いてきています。
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