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>従って、報道機関が主張する「国民の知る権利に応える為の報道」というのは、報道機関が勝手にそのように詐称しているだけであって、その主張自体がすでに根本的な捏造である。
たしかに、私たちは報道機関に社会について知る権利を託した覚えはない。かつ、仮に託すとしても、その相手(マスコミ)が全国民から、知る権利を託すに足る認識力を持ち合わせているかの審判を受けているとはよもや思えない。
「新聞に書かれていることというのは、記者が集め、なおかつ記者のフィルターを通過したごく限られた情報だけなのである。つまり、それを読んでいる人は、永遠に記者のレベルを超えられないことになる。これはTVも同様だ」(『ビジネス力の磨き方』大前研一著 PHP新書 2007年 P129)
ちなみに氏は10年前に新聞購読を一切とりやめ、ニュースはもっぱらネットからの情報収集によるとのことです(世界的にも最先端の経営、国家論の情報提供を生業とする氏においても、ネットからはマスコミよりもはるかに質の高い情報が集まると言い切っている)。
では、そのマスコミ自身の実力はどうなのか。社会における最先端の情報を収集し、それを構造的に認識して、実践方針に活かしているのか?考えるまでもなく事実はその真逆である。
つまり、彼らが「国民に対して情報開示せよ」「近代的経営を導入せよ」「企業の社会的責任を自覚せよ」と叩きまくっている一般企業は、厳しい市場の自由競争にさらされ、日夜、経営努力を余儀なくされているのに対して、マスコミは既得権益の上に乗っかり、いまだに戦前の体制に依存しているもっとも旧体質(序列原理のまま)の私権企業である。
しかも、その既得権益に支えられたビジネスモデルは明らかに崩壊の危機に瀕しているにもかかわらず、現場も経営陣にもそのことを捨象して何等、手を打てないでいる。それほど経営能力を欠いた「死に体企業」が発信する社会に対する認識や価値判断にいったい何の意味があるというのか。
一般企業に、はるかに及ばないおそまつな経営陣、そして一般国民があきれるような非常識な人材をのさばらしている現場(低劣なゴシップ主義を平然と続けられるのがその証明)。
ほんとうにマスコミが社会から必要とされなくなる日は近いのだと思う。
○参考投稿
「日本の新聞業界は“言論の自由”という錦の御旗のもとに戦時下の言論統制時代の経営形態、つまり“1940年体制”を温存している唯一の業界である 」猛獣王S
>《日本の新聞業界は“言論の自由”という錦の御旗のもとに戦時下の言論統制時代の経営形態、つまり“1940年体制”を温存している唯一の業界であり、それがコーポレート・ガバナンスと無縁の存在にしている最大の原因なのだ。まず“普通の会社”になることがすべての出発点であり、それを避け続ければ、ジャーナリズムとしての新聞業界の信頼回復もないであろう。》
「 新聞ビジネスはすでに破綻している~新聞業界の構造~」近藤氏
」
>再販制度自体が、戦前の統制経済の残滓であり、それに依存した経営体質自体が、現在の自由化の波の中ではもはや通用しないビジネスモデルであることの証左となっていると指摘する。
>そしてその最大の理由が、新聞の強大なメディア支配力ゆえに、他のメディアで新聞のこの構造的問題が明らかにされることがないからだ。
>新聞・テレビとは、いまや、支配階級の広報部であり、マスメディア全体が、支配階級=政治の言論統制を受けざるを得ない構造となっている。また、再販制度により、自由競争の市場に乗り出さない過保護空間・密室空間での情報であることを私たちは、あまたの片隅においておかなければならない。
「日本のテレビ業界が震撼する事態!?」ぴんから体操
>テレビ広告の脅威はネットだけではない。「CM飛ばし」のできるHDDの普及はテレビのデジタル化とともに伸びている。野村総合研究所が昨年春行った調査では視聴者のCMスキップ率は64.3%にのぼり、損害額は年間540億円になると試算した。
>今まではテレビが第一のメディアとして圧倒的に君臨してきたが、今後のスポンサーの動向次第ではインターネットが第一のメディアとなる日もそう遠くないのかもしれない。
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たしかに、私たちは報道機関に社会について知る権利を託した覚えはない。かつ、仮に託すとしても、その相手(マスコミ)が全国民から、知る権利を託すに足る認識力を持ち合わせているかの審判を受けているとはよもや思えない。
「新聞に書かれていることというのは、記者が集め、なおかつ記者のフィルターを通過したごく限られた情報だけなのである。つまり、それを読んでいる人は、永遠に記者のレベルを超えられないことになる。これはTVも同様だ」(『ビジネス力の磨き方』大前研一著 PHP新書 2007年 P129)
ちなみに氏は10年前に新聞購読を一切とりやめ、ニュースはもっぱらネットからの情報収集によるとのことです(世界的にも最先端の経営、国家論の情報提供を生業とする氏においても、ネットからはマスコミよりもはるかに質の高い情報が集まると言い切っている)。
では、そのマスコミ自身の実力はどうなのか。社会における最先端の情報を収集し、それを構造的に認識して、実践方針に活かしているのか?考えるまでもなく事実はその真逆である。
つまり、彼らが「国民に対して情報開示せよ」「近代的経営を導入せよ」「企業の社会的責任を自覚せよ」と叩きまくっている一般企業は、厳しい市場の自由競争にさらされ、日夜、経営努力を余儀なくされているのに対して、マスコミは既得権益の上に乗っかり、いまだに戦前の体制に依存しているもっとも旧体質(序列原理のまま)の私権企業である。
しかも、その既得権益に支えられたビジネスモデルは明らかに崩壊の危機に瀕しているにもかかわらず、現場も経営陣にもそのことを捨象して何等、手を打てないでいる。それほど経営能力を欠いた「死に体企業」が発信する社会に対する認識や価値判断にいったい何の意味があるというのか。
一般企業に、はるかに及ばないおそまつな経営陣、そして一般国民があきれるような非常識な人材をのさばらしている現場(低劣なゴシップ主義を平然と続けられるのがその証明)。
ほんとうにマスコミが社会から必要とされなくなる日は近いのだと思う。
○参考投稿
「日本の新聞業界は“言論の自由”という錦の御旗のもとに戦時下の言論統制時代の経営形態、つまり“1940年体制”を温存している唯一の業界である 」猛獣王S
>《日本の新聞業界は“言論の自由”という錦の御旗のもとに戦時下の言論統制時代の経営形態、つまり“1940年体制”を温存している唯一の業界であり、それがコーポレート・ガバナンスと無縁の存在にしている最大の原因なのだ。まず“普通の会社”になることがすべての出発点であり、それを避け続ければ、ジャーナリズムとしての新聞業界の信頼回復もないであろう。》
「 新聞ビジネスはすでに破綻している~新聞業界の構造~」近藤氏
」
>再販制度自体が、戦前の統制経済の残滓であり、それに依存した経営体質自体が、現在の自由化の波の中ではもはや通用しないビジネスモデルであることの証左となっていると指摘する。
>そしてその最大の理由が、新聞の強大なメディア支配力ゆえに、他のメディアで新聞のこの構造的問題が明らかにされることがないからだ。
>新聞・テレビとは、いまや、支配階級の広報部であり、マスメディア全体が、支配階級=政治の言論統制を受けざるを得ない構造となっている。また、再販制度により、自由競争の市場に乗り出さない過保護空間・密室空間での情報であることを私たちは、あまたの片隅においておかなければならない。
「日本のテレビ業界が震撼する事態!?」ぴんから体操
>テレビ広告の脅威はネットだけではない。「CM飛ばし」のできるHDDの普及はテレビのデジタル化とともに伸びている。野村総合研究所が昨年春行った調査では視聴者のCMスキップ率は64.3%にのぼり、損害額は年間540億円になると試算した。
>今まではテレビが第一のメディアとして圧倒的に君臨してきたが、今後のスポンサーの動向次第ではインターネットが第一のメディアとなる日もそう遠くないのかもしれない。
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●外圧適応態として人類は、
潜在思念に導かれ現実を直視(現実を対象化)⇒可能性探索⇒状況認識に導かれた実現回路を形成⇒新たな意識を形成~新たな外圧(問題)⇒潜在思念に導かれ・・・
これが人類普遍の、実現回路塗り重ね構造である。
●同様に社会は、
外圧(種々の社会問題)⇒現実肯定=現実を対象化⇒上記、実現回路に導かれ⇒新しい認識、具体的な言葉(概念)を紡ぎ出す⇒人々の共認内容が変わっていく⇒規範や制度が変る⇒社会が変る
これが、現実肯定の実現思考=新パラダイムの構造である。
●一方、旧観念パラダイムは、
外圧(種々の社会問題)→現実否定→「社会変革」と言う抽象的な言葉に収束=解決出来ない問題を一括り=お題目のみ撒き散らす→抽象的ゆえ共認内容が変らない→社会(現実)は変らない。
投稿文をこのように整理すると、新旧のパラダイム構造が理解できた。(⇒は可能性収束、→は因果関係や結果を示す)
よく「人類の叡智」という言葉を聞くが、例えば「このまま放っておけば人類は滅亡する、しかし人は馬鹿じゃない、叡智を集めて何とかしてきたのも人類である」と・・・の様な使い方だ。
「人類の叡智」とは具体的な言葉(概念)に置き換えるなら「実現回路の塗り重ね構造」に他ならない。私たちは皆、外圧=今社会で起こっている様々な問題を解決する能力を持っているのである、がそれが実現できないのは、マスコミに代表される統合者たちによって撒き散らされる、語感はよいが、お題目に過ぎない言葉群(旧観念群)によって、叡智の結集(共認)が流産し続けている事に因るのである。
宮本昇
潜在思念に導かれ現実を直視(現実を対象化)⇒可能性探索⇒状況認識に導かれた実現回路を形成⇒新たな意識を形成~新たな外圧(問題)⇒潜在思念に導かれ・・・
これが人類普遍の、実現回路塗り重ね構造である。
●同様に社会は、
外圧(種々の社会問題)⇒現実肯定=現実を対象化⇒上記、実現回路に導かれ⇒新しい認識、具体的な言葉(概念)を紡ぎ出す⇒人々の共認内容が変わっていく⇒規範や制度が変る⇒社会が変る
これが、現実肯定の実現思考=新パラダイムの構造である。
●一方、旧観念パラダイムは、
外圧(種々の社会問題)→現実否定→「社会変革」と言う抽象的な言葉に収束=解決出来ない問題を一括り=お題目のみ撒き散らす→抽象的ゆえ共認内容が変らない→社会(現実)は変らない。
投稿文をこのように整理すると、新旧のパラダイム構造が理解できた。(⇒は可能性収束、→は因果関係や結果を示す)
よく「人類の叡智」という言葉を聞くが、例えば「このまま放っておけば人類は滅亡する、しかし人は馬鹿じゃない、叡智を集めて何とかしてきたのも人類である」と・・・の様な使い方だ。
「人類の叡智」とは具体的な言葉(概念)に置き換えるなら「実現回路の塗り重ね構造」に他ならない。私たちは皆、外圧=今社会で起こっている様々な問題を解決する能力を持っているのである、がそれが実現できないのは、マスコミに代表される統合者たちによって撒き散らされる、語感はよいが、お題目に過ぎない言葉群(旧観念群)によって、叡智の結集(共認)が流産し続けている事に因るのである。
宮本昇
豊かさ追求に転換して、本質は私権拡大の共認闘争へと移行したにもかかわらず、武力闘争の残影を引きずってデモ・行進といった古いスタイルの運動になってしまう。
さらに、貧困が消滅すると、豊かさ追求(貧困からの脱出)を正当化した近代思想(自由・個人・人権)と、それに導かれた要求運動というパラダイム全体が終焉する。
---------------------------------------------------------------
実はすでに
~ここから共認社会!~~~~~~~~~~~~~
(日本では)'50 '70
略奪闘争⇒武力社会⇒市場拡大=豊かさ追求⇒貧困消滅⇒新しい社会
(飢え) ∥ ∥ | ∥
∧ ∨ ∨ ∨ ∨
| 仁とか忠とか⇒福祉とか人権とか→思想の終焉⇒新しい観念
| ∥ ∥ | ∥
| ∨ ∨ ∨ ∨
└---武力闘争===>要求運動-→社会運動の終焉⇒認識闘争
(デモ・行進)
西知子
さらに、貧困が消滅すると、豊かさ追求(貧困からの脱出)を正当化した近代思想(自由・個人・人権)と、それに導かれた要求運動というパラダイム全体が終焉する。
---------------------------------------------------------------
実はすでに
~ここから共認社会!~~~~~~~~~~~~~
(日本では)'50 '70
略奪闘争⇒武力社会⇒市場拡大=豊かさ追求⇒貧困消滅⇒新しい社会
(飢え) ∥ ∥ | ∥
∧ ∨ ∨ ∨ ∨
| 仁とか忠とか⇒福祉とか人権とか→思想の終焉⇒新しい観念
| ∥ ∥ | ∥
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└---武力闘争===>要求運動-→社会運動の終焉⇒認識闘争
(デモ・行進)
西知子
ここ1~2年くらいで、ネットにおける事実追究の潮流は格段に加速していると感じる。
一方で、それぞれの得意分野or興味・関心のある範囲に追究先が限定され、挙句の果てにある対象(アメリカや小泉など)のみを批判する状況に、多くのブログが陥っていることに漠然と懸念を感じていた。(そういう人も多いのではないか、と思う)
そんな矢先に、先日のなんで屋劇場でこんなことを聞いた。
『まっとうな共認形成を推し進めて行くためには、
場と実現の論理が必要』
ネットがこれだけ普及したので、「場」のほうは整ったと言える。
では、「実現の論理」とは何なのか?
再びなんで屋劇場で聞いた話。
・現状は、断片的事実とその解釈に留まっている。
・次は、その背後構造:なんでそうなっているのか?まで掘り下げていくことが重要。
・そして、得られた認識を繋ぎ、構造化・体系化してゆく。
・そうすると社会の成り立ち・輪郭が鮮明化し、ではどうするかに意識が移行できる。
※これが実現の論理。端的に言うと構造論。
なるほど、これなら現在バラバラ感のある追究ベクトルを統合できそうだ。
さらに、「実現の論理」の雛形たる「実現論」はすでにある。
>周りの人に、投稿を呼びかけて欲しい。新しい社会は、皆が社会統合サイトに投稿することによって、簡単に実現するのだと云うことを、人々に訴えて欲しい。
そのためにも、いかに「実現の論理」を体得し、発信できる媒体になれるかどうかが鍵。
大森義也
一方で、それぞれの得意分野or興味・関心のある範囲に追究先が限定され、挙句の果てにある対象(アメリカや小泉など)のみを批判する状況に、多くのブログが陥っていることに漠然と懸念を感じていた。(そういう人も多いのではないか、と思う)
そんな矢先に、先日のなんで屋劇場でこんなことを聞いた。
『まっとうな共認形成を推し進めて行くためには、
場と実現の論理が必要』
ネットがこれだけ普及したので、「場」のほうは整ったと言える。
では、「実現の論理」とは何なのか?
再びなんで屋劇場で聞いた話。
・現状は、断片的事実とその解釈に留まっている。
・次は、その背後構造:なんでそうなっているのか?まで掘り下げていくことが重要。
・そして、得られた認識を繋ぎ、構造化・体系化してゆく。
・そうすると社会の成り立ち・輪郭が鮮明化し、ではどうするかに意識が移行できる。
※これが実現の論理。端的に言うと構造論。
なるほど、これなら現在バラバラ感のある追究ベクトルを統合できそうだ。
さらに、「実現の論理」の雛形たる「実現論」はすでにある。
>周りの人に、投稿を呼びかけて欲しい。新しい社会は、皆が社会統合サイトに投稿することによって、簡単に実現するのだと云うことを、人々に訴えて欲しい。
そのためにも、いかに「実現の論理」を体得し、発信できる媒体になれるかどうかが鍵。
大森義也
現代日本人は、老若男女問わず「何も考えていないつもり」≒己は“無思想”もしくは“中立”だと思ってるみたいだ。
ところが、これが(私も含めて)はなはだ怪しい。
たしかに新興宗教やカルトには嵌っている人は少数派だろうし、ヨーロッパやアメリカにおけるキリスト教や、アラブにおけるイスラム教などのように主流宗教があるわけじゃない。
しかし、それまで何も考えてこなかったが故に、近代以降の日本人は自覚している以上に『近代思想(中心は個人主義)』に洗脳されきっている可能性が高い。
潜在思念上には精霊信仰の思考回路が生きているとは言え、顕在観念=言葉を使って考えようとしたとたん、過去の遺物と化した『近代思想』しかないという状況は、「観念でしか外圧→課題が捉えられない現代」かなりヤバイんじゃなかろうか?
“無思想”だから「自分の主張などない」ふりをして、社会や全体のことを考えていないだけで、自分(が楽するためor得するため)の目先のことはちゃっかり考えてたりする。
実はこうして“思考停止”して目先の自己中・傍観者でいることを正当化しているのが個人主義、とりわけ「ひとそれぞれ」という観念。
社会や全体の問題について考えることを周りに押し付けて、自分は難しいことや厄介なことを考えないで済むことだけを“考える”のは『究極のエゴイスト』じゃないか!?
収束不全が顕在化=みんな不全となった今『考えない奴はヒトデナシ』という共認圧力が形成されるのも時間の問題だろう。
なんでやねん
ところが、これが(私も含めて)はなはだ怪しい。
たしかに新興宗教やカルトには嵌っている人は少数派だろうし、ヨーロッパやアメリカにおけるキリスト教や、アラブにおけるイスラム教などのように主流宗教があるわけじゃない。
しかし、それまで何も考えてこなかったが故に、近代以降の日本人は自覚している以上に『近代思想(中心は個人主義)』に洗脳されきっている可能性が高い。
潜在思念上には精霊信仰の思考回路が生きているとは言え、顕在観念=言葉を使って考えようとしたとたん、過去の遺物と化した『近代思想』しかないという状況は、「観念でしか外圧→課題が捉えられない現代」かなりヤバイんじゃなかろうか?
“無思想”だから「自分の主張などない」ふりをして、社会や全体のことを考えていないだけで、自分(が楽するためor得するため)の目先のことはちゃっかり考えてたりする。
実はこうして“思考停止”して目先の自己中・傍観者でいることを正当化しているのが個人主義、とりわけ「ひとそれぞれ」という観念。
社会や全体の問題について考えることを周りに押し付けて、自分は難しいことや厄介なことを考えないで済むことだけを“考える”のは『究極のエゴイスト』じゃないか!?
収束不全が顕在化=みんな不全となった今『考えない奴はヒトデナシ』という共認圧力が形成されるのも時間の問題だろう。
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