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>☆従って、今求められているのは、支配観念から脱却して現実を対象化する、健全な思考回路を取り戻すことである。
①一方では、私権追求から脱却した本源回路発の潜在思念と状況認識によって、可能性収束=行動すること。=非観念過程。
②他方では、支配観念から脱却した本源回路発の潜在思念と事実追求によって、人類の原基構造を解明すること。=統合理論。
現在の若者を初め、私権追求からの脱却という部分はかなり進み、本源回路発の潜在思念も顕在化の一歩手前まで来ていると思う。しかしながら、今だ、支配観念から脱却できず、事実が捻じ曲げられ、状況を読みあやまる。
志ある若者が、やりがいや社会に目を向けつつも、向かう先がマスコミやNPO等というのは、まさに支配観念によって状況(可能性先)を読み誤り、①のみに偏向した結果であるといえるだろう。
健全な思考回路は、事実追求と状況認識による非観念過程と統合理論が両輪で動くことが不可欠である。今、①は徐々に顕在化し始めているので、②の統合理論の構築と共認が急務であり、それさえ出来れば、一気に両輪が回り、現実の対象化⇒社会統合が進んでいくと思われる。
橋田和弘
①一方では、私権追求から脱却した本源回路発の潜在思念と状況認識によって、可能性収束=行動すること。=非観念過程。
②他方では、支配観念から脱却した本源回路発の潜在思念と事実追求によって、人類の原基構造を解明すること。=統合理論。
現在の若者を初め、私権追求からの脱却という部分はかなり進み、本源回路発の潜在思念も顕在化の一歩手前まで来ていると思う。しかしながら、今だ、支配観念から脱却できず、事実が捻じ曲げられ、状況を読みあやまる。
志ある若者が、やりがいや社会に目を向けつつも、向かう先がマスコミやNPO等というのは、まさに支配観念によって状況(可能性先)を読み誤り、①のみに偏向した結果であるといえるだろう。
健全な思考回路は、事実追求と状況認識による非観念過程と統合理論が両輪で動くことが不可欠である。今、①は徐々に顕在化し始めているので、②の統合理論の構築と共認が急務であり、それさえ出来れば、一気に両輪が回り、現実の対象化⇒社会統合が進んでいくと思われる。
橋田和弘
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・嘘・捏造だらけの粗悪な商品
・質の悪い社員
・おそまつな経営陣
・旧い業界体質
これだけそろっていれば、その業界の行く末ははっきりしている。放っておいても滅びるだろう。
それなのに、マスコミは第一権力として共認形成の場を牛耳っている、そこが問題。ネットの発達で力を失ってきたとは言え、一度に一方的に大量の情報をばら撒けるという武器を使って、事実を見えなくしている。
つまり、マスコミ自身の自浄能力なんかににまかせていてはダメ。外からの圧力をかけ続けなければ、マスコミという業界どころか日本全体が滅亡まっしぐら。
それが、単にある業界が衰退するのとは違う。真っ向から闘う必要がある。
みに とまと
・質の悪い社員
・おそまつな経営陣
・旧い業界体質
これだけそろっていれば、その業界の行く末ははっきりしている。放っておいても滅びるだろう。
それなのに、マスコミは第一権力として共認形成の場を牛耳っている、そこが問題。ネットの発達で力を失ってきたとは言え、一度に一方的に大量の情報をばら撒けるという武器を使って、事実を見えなくしている。
つまり、マスコミ自身の自浄能力なんかににまかせていてはダメ。外からの圧力をかけ続けなければ、マスコミという業界どころか日本全体が滅亡まっしぐら。
それが、単にある業界が衰退するのとは違う。真っ向から闘う必要がある。
みに とまと
中高生から「学校がつまらない」という声をしばしば聞く。
数年前なら「勉強がおもしろくない」「友達関係がうまくいかない」という内容が多かった。
そんな子達は活力も今ひとつ出ていない様子だった。
しかし、最近は少し違う。
もっと社会のことを知りたいのに、学校ではそれが充たされないがゆえの「学校がつまらない」が増えてきている。
なんで屋に来ても、
「戦争がなくならないのはなんで?」
「高齢化が進むのに福祉へのお金が削減されるのはなんで?」
「乳幼児が虐待されるのはなんで?」
「国の借金が800兆円もあるけどどうするの?」
こんな疑問をスッと聞いてくる。
決して彼らは知識が豊富なわけでも、難しい言葉を知っているわけでもない。
しかし、今まで考えたことのない問題であること、知らない言葉が出てくることがたいした障壁とはならない。
むしろ必要ならば、考えたい、知りたいという姿勢なのだ。
話し終えると「学校でもこういうことを考えたいよね」と活き活きしている。
彼らと接していると、「学校がつまらない」の中身は、学校という枠組が“自分”に合わないからではなく、“社会”に合わないからに転換し始めているのがわかる。
また、つまらないに留まらず、社会でどんなことが起こっているのか、どんな仕組みになっているのかを探索しだしている。
中学生、高校生にして既に“社会人”が増えてきている。
自分達で社会を創っていく時代、そして社会を対象化しない学校(集団)は淘汰される時代は、すでに始まっているのだと感じさせられた。
西村秀彦
数年前なら「勉強がおもしろくない」「友達関係がうまくいかない」という内容が多かった。
そんな子達は活力も今ひとつ出ていない様子だった。
しかし、最近は少し違う。
もっと社会のことを知りたいのに、学校ではそれが充たされないがゆえの「学校がつまらない」が増えてきている。
なんで屋に来ても、
「戦争がなくならないのはなんで?」
「高齢化が進むのに福祉へのお金が削減されるのはなんで?」
「乳幼児が虐待されるのはなんで?」
「国の借金が800兆円もあるけどどうするの?」
こんな疑問をスッと聞いてくる。
決して彼らは知識が豊富なわけでも、難しい言葉を知っているわけでもない。
しかし、今まで考えたことのない問題であること、知らない言葉が出てくることがたいした障壁とはならない。
むしろ必要ならば、考えたい、知りたいという姿勢なのだ。
話し終えると「学校でもこういうことを考えたいよね」と活き活きしている。
彼らと接していると、「学校がつまらない」の中身は、学校という枠組が“自分”に合わないからではなく、“社会”に合わないからに転換し始めているのがわかる。
また、つまらないに留まらず、社会でどんなことが起こっているのか、どんな仕組みになっているのかを探索しだしている。
中学生、高校生にして既に“社会人”が増えてきている。
自分達で社会を創っていく時代、そして社会を対象化しない学校(集団)は淘汰される時代は、すでに始まっているのだと感じさせられた。
西村秀彦
従来の会議と言うと、すぐに答えを聞きたがる、すぐに答えを言いたがる、その答えもどこかの記事や読んだ本や経験則ばかりで、使えない知識のやり取りがほとんどでした。
それでも経験則は現象や成功例の記憶なので別の人の悩みの答えになることが偶然あることもありますから従来の会議の生命線もそこにあるといって良いのでしょう。
共認形成の場のすごさは無意識を意識に変える、忘れたことを思い出す(感謝と謝罪)、偶然を必然に変える、個別性を普遍性に変える、だから人と人との関係が意味を持ってくるようになり、傍観者→当事者に再生されることによって、責任と自信を両立した会話ができるようになるところです。
大切で貴重な経験則が消費、交換されるだけの従来の会議ではなくて、参加者の手で進化する認識を作ることができる。だれでもそれを学べば順接でもって認識の進化を追共認できる、あるいはいきなり最先端から溯上して認識を深めることができる。
共認形成の場は人類の、相談→観念機能の強化を歴史に刻印しながら歩める揺ぎ無き一体感があると実感しています。
佐藤英幸
それでも経験則は現象や成功例の記憶なので別の人の悩みの答えになることが偶然あることもありますから従来の会議の生命線もそこにあるといって良いのでしょう。
共認形成の場のすごさは無意識を意識に変える、忘れたことを思い出す(感謝と謝罪)、偶然を必然に変える、個別性を普遍性に変える、だから人と人との関係が意味を持ってくるようになり、傍観者→当事者に再生されることによって、責任と自信を両立した会話ができるようになるところです。
大切で貴重な経験則が消費、交換されるだけの従来の会議ではなくて、参加者の手で進化する認識を作ることができる。だれでもそれを学べば順接でもって認識の進化を追共認できる、あるいはいきなり最先端から溯上して認識を深めることができる。
共認形成の場は人類の、相談→観念機能の強化を歴史に刻印しながら歩める揺ぎ無き一体感があると実感しています。
佐藤英幸
マスコミが現在最も無圧力の組織であることはるいネットでも相当数の投稿が集まり分かってきました。現在のマスコミの2大看板である新聞・テレビに関してどれだけ無圧力状態なのかを示す投稿を挙げておきます。
・新聞…押し紙、再販制度、特殊指定撤廃阻止の政治工作
・テレビ…電波利権、法的拘束がほぼ皆無
そして新聞・テレビだけではなく全てのマスコミの存在基盤(=横暴を保証するもの)となっているのが「報道の自由」「知る権利」という法的な保証のようです。しかし、そもそもこの両者とも国家に対しての権利として認められているもので、それを企業や個人に対してのもの、にまで拡張したのはマスコミの拡大解釈でしかないようです。
「法的に無圧力で横暴が許される→捏造・報道被害など必要な情報は隠し時代の閉塞感の元凶」という構造が見られます。現状では放送法についての議論は来年度の国会で行うのが有力とのことですが早急にマスコミへの法的圧力をかけなければなりません。しかし、圧力をかけるだけでは報道の質は根本的には変わらないでしょう。本当に私たちにとって必要な情報は彼らのスポンサーにとって「不都合な真実」であり、時代への「答え」を提示する構造認識に他ならないからです。もはやマスコミにこの両者を求めてもムダ、というのが私たちの実感であり、事実なのでしょう。
これ以上マスコミの横暴を許さないための法規制と、マスコミに代わる共認形成の場、そしてその中身(=真実とそれを構造化する認識)が求められるもの。真実を発信する場はブログなどにもありますが、それを構造化する認識はるいネットにあります。よりるいネットを素人が集まる場、素人が認識の供給者たる場にせねばならないと改めて思いました。
新里勝一郎
・新聞…押し紙、再販制度、特殊指定撤廃阻止の政治工作
・テレビ…電波利権、法的拘束がほぼ皆無
そして新聞・テレビだけではなく全てのマスコミの存在基盤(=横暴を保証するもの)となっているのが「報道の自由」「知る権利」という法的な保証のようです。しかし、そもそもこの両者とも国家に対しての権利として認められているもので、それを企業や個人に対してのもの、にまで拡張したのはマスコミの拡大解釈でしかないようです。
「法的に無圧力で横暴が許される→捏造・報道被害など必要な情報は隠し時代の閉塞感の元凶」という構造が見られます。現状では放送法についての議論は来年度の国会で行うのが有力とのことですが早急にマスコミへの法的圧力をかけなければなりません。しかし、圧力をかけるだけでは報道の質は根本的には変わらないでしょう。本当に私たちにとって必要な情報は彼らのスポンサーにとって「不都合な真実」であり、時代への「答え」を提示する構造認識に他ならないからです。もはやマスコミにこの両者を求めてもムダ、というのが私たちの実感であり、事実なのでしょう。
これ以上マスコミの横暴を許さないための法規制と、マスコミに代わる共認形成の場、そしてその中身(=真実とそれを構造化する認識)が求められるもの。真実を発信する場はブログなどにもありますが、それを構造化する認識はるいネットにあります。よりるいネットを素人が集まる場、素人が認識の供給者たる場にせねばならないと改めて思いました。
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