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>市場社会では、お金こそが評価指標(=最先端価値)で、それが圧力源=活力源ともなっているのに対して、国家や国家によって与えられた身分は人々の評価指標でも活力源でもない。
>国家機関の実体は上記の統合階級であり、その意味では、身分制は決して全面解体された訳ではなく、最後の身分は温存され続けている。
人々の評価指標でも活力源でもない統合階級は、日常生活においては無視される、または関係のないものとして位置づけられる。
それ故に、人々からの評価圧力を受けることもなく、表向きは世論に迎合しながらも、自身の保身の為に序列を維持し続けている。
そして、そんな統合階級の裏に隠れて、傍観者という衣をまとったマスコミが共認支配を行なっている。
社会統合という地平が、国家や国家によって与えられた身分を持つ統合階級でなければ出来ないものだという認識や、仕方なく認める共認がある以上、この状況は変わらない。
一部の政治家を、マスコミが祭り上げた人物に挿げ替えるか、投票によって社会が変わるといった共認操作が、マスコミによって行なわれるだけである。
社会統合の地平は万人に開かれたものであり、今あるものにすがるのではなく、必要なものを作り出すという認識の転換こそが、全ての変革の原動力になる。
>社会を統合し直すために最も重要なのは、人々の共認内容=認識を変革し、新たな共認内容を形成してゆくことである。
永峰正規
>国家機関の実体は上記の統合階級であり、その意味では、身分制は決して全面解体された訳ではなく、最後の身分は温存され続けている。
人々の評価指標でも活力源でもない統合階級は、日常生活においては無視される、または関係のないものとして位置づけられる。
それ故に、人々からの評価圧力を受けることもなく、表向きは世論に迎合しながらも、自身の保身の為に序列を維持し続けている。
そして、そんな統合階級の裏に隠れて、傍観者という衣をまとったマスコミが共認支配を行なっている。
社会統合という地平が、国家や国家によって与えられた身分を持つ統合階級でなければ出来ないものだという認識や、仕方なく認める共認がある以上、この状況は変わらない。
一部の政治家を、マスコミが祭り上げた人物に挿げ替えるか、投票によって社会が変わるといった共認操作が、マスコミによって行なわれるだけである。
社会統合の地平は万人に開かれたものであり、今あるものにすがるのではなく、必要なものを作り出すという認識の転換こそが、全ての変革の原動力になる。
>社会を統合し直すために最も重要なのは、人々の共認内容=認識を変革し、新たな共認内容を形成してゆくことである。
永峰正規
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>この認識闘争=評価競争という形の新しい同類闘争は、人々の評価共認によって収束・統合される。つまり、全ての『場(サイト)』は、人々の評価共認が形成する評価ヒエラルキーの下に組み込まれ、淘汰されてゆく。
そして、その評価ヒエラルキーの頂点に立つ『場(サイト)』の下に大多数の人々が収束してゆくことによって、そのサイトは『統合サイト』へと脱皮してゆく。
現在ネット上にはたくさんのブログが存在する。多くのブログの管理人はランキングに参加し上位を目指している。単純に、ランキング上位のブログは羨望も含めた評価を得ている。当然内容と連動しているのだが、みんなの評価は単純な数値になることでより明確な運営活力になる。これを評価指標というのだろう。
これは、今までのネットワーク(≒自由に発信できる、自然発生的で無秩序な繋がり)が新しい創造をなすという考えかたは、過渡期の捉え方に過ぎないのではないか?という問題提起でもある。
たしかに、既存のメディアを超えて、事実や認識を発信できるという側面は評価されるが、それを自由に発信できるという観念で捉たとたんに胡散臭いものになる。
それよりむしろ、みんなに役立つ地平(=みんなに評価される地平)に行き着くには、評価闘争とそれを顕在化させる評価指標が必要不可欠であるということを示していると見たほうが、より統合サイトの実現可能性は高まる。
本田真吾
そして、その評価ヒエラルキーの頂点に立つ『場(サイト)』の下に大多数の人々が収束してゆくことによって、そのサイトは『統合サイト』へと脱皮してゆく。
現在ネット上にはたくさんのブログが存在する。多くのブログの管理人はランキングに参加し上位を目指している。単純に、ランキング上位のブログは羨望も含めた評価を得ている。当然内容と連動しているのだが、みんなの評価は単純な数値になることでより明確な運営活力になる。これを評価指標というのだろう。
これは、今までのネットワーク(≒自由に発信できる、自然発生的で無秩序な繋がり)が新しい創造をなすという考えかたは、過渡期の捉え方に過ぎないのではないか?という問題提起でもある。
たしかに、既存のメディアを超えて、事実や認識を発信できるという側面は評価されるが、それを自由に発信できるという観念で捉たとたんに胡散臭いものになる。
それよりむしろ、みんなに役立つ地平(=みんなに評価される地平)に行き着くには、評価闘争とそれを顕在化させる評価指標が必要不可欠であるということを示していると見たほうが、より統合サイトの実現可能性は高まる。
本田真吾
>この認識闘争=評価競争という形の新しい同類闘争は、人々の評価共認によって収束・統合される。つまり、全ての『場(サイト)』は、人々の評価共認が形成する評価ヒエラルキーの下に組み込まれ、淘汰されてゆく。そして、その評価ヒエラルキーの頂点に立つ『場(サイト)』の下に大多数の人々が収束してゆくことによって、そのサイトは『統合サイト』へと脱皮してゆく。
理工系を中心とした真っ当な追求思考の学者による研究内容を有効に使えるのであれば、実は強力な存在なのだと感じました。
まず、皆の評価ヒエラルキーに基づく事実を大局的にまとめてみます。
①事実を真っ当に追求している学者の研究内容や調査データは役に立つものも多いが、彼らには発信力がない。
②統合階級に位置する人たちは、有用な①の情報のなかで己の都合のいい論理だけを選別して社会に流している。または捻じ曲げている。
③だから、結果として全く社会の役に立たない。
では、どうすればよいのでしょうか。
その答えが、評価ヒエラルキーの頂点に立つ『統合サイト』へと収束していく(統合サイトの下にこれらを組み込む)ことではないでしょうか。
これにより、①の有効な情報を用い、②を淘汰することで社会を的確な方向に修正・統合していくことができます。それぞれの(専門、統合などの)領域で優れた能力(人材)を駆使することが出来、社会問題解決に直結するのだと思います。
つまり、評価を統合階級からみんなに移行することが『統合サイト』実現の鍵であるということです。
熊澤敬輔
理工系を中心とした真っ当な追求思考の学者による研究内容を有効に使えるのであれば、実は強力な存在なのだと感じました。
まず、皆の評価ヒエラルキーに基づく事実を大局的にまとめてみます。
①事実を真っ当に追求している学者の研究内容や調査データは役に立つものも多いが、彼らには発信力がない。
②統合階級に位置する人たちは、有用な①の情報のなかで己の都合のいい論理だけを選別して社会に流している。または捻じ曲げている。
③だから、結果として全く社会の役に立たない。
では、どうすればよいのでしょうか。
その答えが、評価ヒエラルキーの頂点に立つ『統合サイト』へと収束していく(統合サイトの下にこれらを組み込む)ことではないでしょうか。
これにより、①の有効な情報を用い、②を淘汰することで社会を的確な方向に修正・統合していくことができます。それぞれの(専門、統合などの)領域で優れた能力(人材)を駆使することが出来、社会問題解決に直結するのだと思います。
つまり、評価を統合階級からみんなに移行することが『統合サイト』実現の鍵であるということです。
熊澤敬輔
現在の社会状況が、行き詰っていることは多くの人が感じている。
なんで屋露店でも、国の借金、所得格差、幼児虐待、短絡的な殺人、自殺、イジメ等の問題に関心を持つ人は多い。
関心だけでなく知識が豊富な人もいるが、そんな人たちはお題として扱って一緒に考えることに壁があることが多い。
その際に共通して聞こえるのは、「自分ひとりでやってもどうにもならない」「自分が生きているうちは変わらない」「自分にはあまり関係ない」といった声。
社会で起きているの問題に関心があるのに、“社会”をどうしていくかについては無関心という感じ。
これは、“個人(が第一)”という支配観念に絡めとられている状態と言うこともできるのではないだろうか。
> ☆従って、今求められているのは、支配観念から脱却して現実を対象化する、健全な思考回路を取り戻すことである。
●一方では、私権追求から脱却した本源回路発の潜在思念と状況認識によって、可能性収束=行動すること。=非観念過程。
●他方では、支配観念から脱却した本源回路発の潜在思念と事実追求によって、人類の原基構造を解明すること。=統合理論。 <(岡田淳三郎さん:7246)
“自分”にとって必要か、という視点で見ていると、いつまでたっても現実を対象化することはできない。
“社会”にとって必要かという視点を持つこと(=“個人が第一”という支配観念から脱却すること)ではじめて、「現実を対象化する、健全な思考」を取り戻せるのだろう。
西村秀彦
なんで屋露店でも、国の借金、所得格差、幼児虐待、短絡的な殺人、自殺、イジメ等の問題に関心を持つ人は多い。
関心だけでなく知識が豊富な人もいるが、そんな人たちはお題として扱って一緒に考えることに壁があることが多い。
その際に共通して聞こえるのは、「自分ひとりでやってもどうにもならない」「自分が生きているうちは変わらない」「自分にはあまり関係ない」といった声。
社会で起きているの問題に関心があるのに、“社会”をどうしていくかについては無関心という感じ。
これは、“個人(が第一)”という支配観念に絡めとられている状態と言うこともできるのではないだろうか。
> ☆従って、今求められているのは、支配観念から脱却して現実を対象化する、健全な思考回路を取り戻すことである。
●一方では、私権追求から脱却した本源回路発の潜在思念と状況認識によって、可能性収束=行動すること。=非観念過程。
●他方では、支配観念から脱却した本源回路発の潜在思念と事実追求によって、人類の原基構造を解明すること。=統合理論。 <(岡田淳三郎さん:7246)
“自分”にとって必要か、という視点で見ていると、いつまでたっても現実を対象化することはできない。
“社会”にとって必要かという視点を持つこと(=“個人が第一”という支配観念から脱却すること)ではじめて、「現実を対象化する、健全な思考」を取り戻せるのだろう。
西村秀彦
●問題提起、情報収集、事実認識系
→借金800兆・マスコミ支配・日本の未来板。私が特に関心を持っているのが、「アメリカ→官邸→マスコミ支配」、「マスコミによる共認支配の怖さ」、「アメリカ:闇の支配勢力と略奪戦争」です。それはどうしてか?と言うと…
「戦争にしろ日米関係にしろ、世界経済・国際情勢にしろ、その起源は有史以来極めて入念に行われてきた観念の支配と、それを確実な根拠とする自己正当化による行動が根本的な原因になっている可能性がとても強いと思うから」
この、「有史以来極めて入念に行われてきた観念の支配」と「それを確実とする自己正当化」の関係が、権力支配や武力による略奪・殺戮、教育から家族、社会の在り方に至るまで、これまでの有史以来の人類史そのものなのだと思います。という事は、今までの人類としての在り方そのものが歪んでいる?!…
これまでは、社会問題やそれに伴う危機感というものに対し、反対を叫ぶ事、耳に心地良いコトバ(自由ビョードウ愛権利)を盾に自分の主義主張を押し通していれば、世の中が、社会が変わると思っていました。マスコミをはじめ、指導者や統合階級の人も一般人も、殆ど多くの人々がそうだと思う。
これは、何の解決にもならないどころか、問題を悪化させる一方の逆効果でしかないことがわかってきました…だからこそ、そこで初めて
「じゃ、どーする?」という視点に立てたのだと思います。
…で、その答えを求める意味で、「みんなはどうしてるのかな?」と
いう情報を得る為に覘く投稿板が
●戦略決定、行動方針系
「共認形成の場を作っていく活動こそ、真の社会活動」
「何で新理論(構造認識)が必要なの?」
「実現論って、何?」
「るいネットをどう変える?」
「なんで屋あれこれ」
「どうしたら現実に役立つ認識を得られるの?」
「共認運動をどう実現していくか?」
…等です。あと、「出口を塞いでいるのは、頭の中に巣食う固定観念」もお気に入りの投稿板です。(最近、人と接していて感情的になった時、この言葉が思い浮かびます。)この二つに大別された投稿板の読み方は、双方を行ったり来たりのスイッチバック方式となっていて、その交流によって実現回路や共認回路が太くなるのではないか?
と思います。そして、言うまでもなく
「自らも参加・発信・みんなに期待」…ですね♪
Silentservice
→借金800兆・マスコミ支配・日本の未来板。私が特に関心を持っているのが、「アメリカ→官邸→マスコミ支配」、「マスコミによる共認支配の怖さ」、「アメリカ:闇の支配勢力と略奪戦争」です。それはどうしてか?と言うと…
「戦争にしろ日米関係にしろ、世界経済・国際情勢にしろ、その起源は有史以来極めて入念に行われてきた観念の支配と、それを確実な根拠とする自己正当化による行動が根本的な原因になっている可能性がとても強いと思うから」
この、「有史以来極めて入念に行われてきた観念の支配」と「それを確実とする自己正当化」の関係が、権力支配や武力による略奪・殺戮、教育から家族、社会の在り方に至るまで、これまでの有史以来の人類史そのものなのだと思います。という事は、今までの人類としての在り方そのものが歪んでいる?!…
これまでは、社会問題やそれに伴う危機感というものに対し、反対を叫ぶ事、耳に心地良いコトバ(自由ビョードウ愛権利)を盾に自分の主義主張を押し通していれば、世の中が、社会が変わると思っていました。マスコミをはじめ、指導者や統合階級の人も一般人も、殆ど多くの人々がそうだと思う。
これは、何の解決にもならないどころか、問題を悪化させる一方の逆効果でしかないことがわかってきました…だからこそ、そこで初めて
「じゃ、どーする?」という視点に立てたのだと思います。
…で、その答えを求める意味で、「みんなはどうしてるのかな?」と
いう情報を得る為に覘く投稿板が
●戦略決定、行動方針系
「共認形成の場を作っていく活動こそ、真の社会活動」
「何で新理論(構造認識)が必要なの?」
「実現論って、何?」
「るいネットをどう変える?」
「なんで屋あれこれ」
「どうしたら現実に役立つ認識を得られるの?」
「共認運動をどう実現していくか?」
…等です。あと、「出口を塞いでいるのは、頭の中に巣食う固定観念」もお気に入りの投稿板です。(最近、人と接していて感情的になった時、この言葉が思い浮かびます。)この二つに大別された投稿板の読み方は、双方を行ったり来たりのスイッチバック方式となっていて、その交流によって実現回路や共認回路が太くなるのではないか?
と思います。そして、言うまでもなく
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