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>1絶えず、新たにor現在形で、社会不全(危機・閉塞)が意識される。
2しかし、「答えがない」という状況判断によって、不全は捨象され封印される。=不全が処理される。
2’と同時に、潜在思念の奥に封印された社会不全が蓄積されてゆく。
3不全・課題を捨象した事によって、全回路が充足収束して、意識(=時代)の充足基調を形成する。
1’しかし、絶えず新たな不全(危機・閉塞)現象が生起し、意識される。


不全発で課題意識を持つ人が陥りやすいこのループ。
答えがみつからないために課題捨象し、充足収束していくこの過程は、私の周わりにも溢れている。

課題を捨象したいわけではないのだが、捨象しなければ、乗り切れない状況。一人で答えがでないならば、友人を頼るという方法をとるが、友人同士が集まって、課題に向かっても、なかなか答えは出ない。その結果、「また飲もう。」と次に会うのを楽しみに、不全を乗り切るということの繰り返しである。

しかし、答え探しに必要なことは、構造認識!

いくら人が集まっていても、事実を構造化できなければ、突破口は見つからない!

露店・サロンに参加して、構造認識力を高め、身近な不全だけでなく、社会不全にも答えをだせるように鍛えていきたいと思う。

 
岡野泰子
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 近年、社会貢献をしたいと言う人が増えている。
学生の就職活動でも、社会貢献している企業が人気のようだ。
 しかし、彼らに社会貢献って何?と聞いてみても、はっきりとした答えは返ってこない。何が社会貢献であって、何が社会貢献ではないのだろうか?

そこで、国語辞典を調べてみると、社会貢献とは、
【社会の利益に資する行いをすること】と書いてある。さらに、社会貢献には大きく2つあり、

①直接的な社会貢献
はじめから社会に資することを目的として行う
②間接的な社会貢献
特定の事業や行為をすることが結果として社会貢献につながる

 はっきり言って非常に曖昧で、何のことを言っているのかわからない。②も加味されているということは、要は、事業であれば何でもいいということか。また、TVのCMでは、「できることからはじめよう」と叫び、ゴミを拾うことを推奨している。
 要は、何が社会貢献であるかということは全く定義されていない。
共通するのは、自分の興味のある、やりたいことをボランティア精神を持ってやることといったところだろうか。


まず社会貢献と言うからには、大前提に社会を良くすることがある。
では、社会とは何なのか?

>社会は、人々の共認によって形成されている。実際、この社会を動かしているのも、この社会を統合しているのも、全ては人々の共認に依っている。
>人々の認識さえ変えることが出来れば、それに応じて社会制度や体制を変えるのは簡単だからである。要するに、認識形成こそ、社会形成の生命部なのである。
>従って、認識形成の場に参加すること(=場を構築すること)が、求められる真の社会活動となる。

 そう、社会とは大衆の意識そのものである。
だからこそ、社会貢献とはその意識に貢献する=認識形成をすることなのである。だからこそ、自分の興味のあることにしか参加しない活動など、自己満足でしかない。そもそも自分の興味のある問題が解決しても、それ以外が何も解決されていなければ、社会が良くなるはずもない。

 そして、社会貢献をしたいと言う人が増えている今こそ、
【自己満足の社会貢献】から【認識形成こそ社会貢献】であるという、意識転換の最大のチャンスである。


○○くん
①テレビ離れ
●平均視聴率は低下している。
・ゴールデンタイム(19~22時)で見ると、NHKが'80年代平均14.7%(‘81年のピークで16%)に対して、'06年は11.9%まで低下。
・民放では近年落ち込みが著しいNTVが、'90年代平均15.8%('99年のピークで17%)に対して、‘06年は12.3%まで低下。
(関東地区の視聴率推移(1963年~)

●高視聴率番組が著しく減少している。
・'70年代までは視聴率50%以上を記録する番組が多数存在した。例えば、'63年のNHK紅白歌合戦は81%、'73年の8時だョ!全員集合は51%。
・しかし、'90年代以降はワールドカップを除いて、そのような高視聴率番組はない。'06年の推計ではゴールデンタイムであっても平均15%程度で、20%を取れれば月間最高視聴率に入れる程である。
(ビデオリサーチ調べ)

●若い男が最もテレビを見なくなった。
・'05年の調査では、全体的にテレビを見る人の割合が低下傾向にある。
・特に、20代の男はテレビを見る人の割合が8割を切っており(国民全体では9割)、日曜視聴時間の減少が著しい。
※国民全体では、むしろ平均視聴時間は若干増える傾向にあるが、視聴時間の長い高齢者の増加が影響している。
(国民生活時間調査)

②新聞離れ
●若い世代ほど新聞を読まなくなった。
・1975年と2005年の30年間で、新聞を読む人は劇的に減少している。特に若い世代の新聞離れが著しい。
>男30代は1975年に80%が新聞を読んでいたのに対して、2005年には29%しか読んでいない。
(新聞を読まなくなった日本人リンク)
※一方で、新聞の公称発行部数はそれほど劇的には減少していない。これには「押し紙」などの部数捏造が大きく影響していると思われる。

③雑誌離れ
●特に総合週刊誌(週刊朝日など)の凋落が著しい
・‘97年/'03年の6年間で、月刊誌が23億冊/20億冊、週刊誌が15億冊/11億冊と減少。週刊誌は、ほぼ2/3に減少。
・その中でも、週刊朝日は'90年46万冊/'05年21万冊と、15年間で55%も減少。(週刊文春'90年64万冊/'05年58万冊、週刊新潮'90年54万冊/'05年52万冊と若干の減。)
(日本ABC協会調べ、参考:)

④急増するインターネット利用
>'06年の調査では、国民全体の79%が携帯電話を所有しており、(中略)ウェブ閲覧とメール利用をあわせた「インターネット」の1日の行為者率は、月曜45%、日曜44%、全員平均時間は月曜45分、日曜40分で、2001年より大幅に増加しました。
(NHK放送文化研究所:急増するインターネット利用の実態)

雪竹恭一
>司法当局も事の重要性に対して動きを見せ、マスコミも「言論・出版の自由」だけでは通らない世論の趨勢を感じ取っているようだ。

特に、検察のマスコミ不信は相当高まっています。
以下は、東京地検特捜部長のコメントです。
(某受験生および修習生向け雑誌の原稿抜粋)

>正直なところ、マスコミの取材と報道は捜査にとって有害無益です。
(中略)
>マスコミは、やくざ者より始末に終えない悪辣な存在です。少なくともやくざ者は、自分たちが社会から嫌われ、また社会にとって有害な存在であることを自覚し、自認しています。
ところが、マスコミは表面的には社会正義の実現などというきれい事を標榜しながら、実際はそのような卑しい薄汚い動機に基づいて捜査を妨害し、社会正義の実現を妨げ、犯罪支援を行っているのです。厚顔無恥も甚だしいものがあります。まさに百年河清をまつ思いです。


マスコミに対する痛烈な批判です。背景には国民の信頼度に対する自負が伺えます(当然、マスコミより裁判所や警察の方が信頼度が高い)。今後は、収束不全⇒事実収束の潮流から司法に対する国民の期待圧力は益々高まっていくでしょう。しかし一方で、司法とマスコミの癒着や不作為の問題も指摘されており、どちらも監視圧力が働かない構造は同じです。

ところが最近、裁判を傍聴する人が増えていると聞きます。ライブドアや村上ファンドなどの有名な事件以外でも身近な事件で傍聴する人が増えています。また、素人が傍聴記をネット上で公開する「裁判のネット公開」も進んでいます。これらの動きは、監視圧力として機能するに留まらず、真っ当な判断の土俵へと収束していくのではないでしょうか。


橋口健一 
○マスコミ離れ
・テレビ視聴率の低下
・新聞、週刊誌の発行部数の低下
・テレビ広告、新聞広告のスポンサー離れ etc
※参考:なんでや劇場資料19「マスコミの普及と衰退」
   :マスコミ離れの実態 リンク 

○反マスコミ気運の発現
・05年、NHK政治介入事件の結末
・06年、TBSの放送免許剥奪の署名運動 リンク 
・07年、あるある捏造問題、TBS不二家捏造問題、安倍首相が朝日告訴 etc

★02年頃からマスコミ離れは顕在化、マスコミに対する違和感や不信感が増大、さらに05年頃からは「捏造は悪、許せない」「批判だけではダメ」etcといった反マスコミ気運が発現しつつある。

★第一権力であるマスコミが叩かれることはこれまでほとんどなかったが、ここにきて、流れが逆転した。反マスコミ潮流は、マスコミによる共認支配の崩壊を予兆する大きな転換である。

※90年代のインターネットという新たな媒体の登場(02年頃~ブログetc)もマスコミ離れに拍車をかけた。


●マスコミの凋落は何で?
【マスコミの劣化】
・戦後マスコミは「人権」観念を盾に、政治権力や資本権力etcを批判してきた。
・そして70年以降、第一権力化したマスコミは、その強大な共認形成力をもって、権力を叩き、福祉、人権etc様々な要求を法制化させてきた。
・だがそうなると、事実として、マスコミが叩くべき対象は減少することになる。
・しかし、マスコミの批判体質は変わらず、次第に、企業や個人叩きに及んでいく。
・またマスコミ離れもあいまって、マスコミはセンセーショナリズム(人為フィーバー、スキャンダル、ゴシップ路線etc)に舵を切る。
・さらには、ネタをでっち上げては叩くといった方向へエスカレート。
(80年代、朝日珊瑚事件が象徴、従軍慰安婦、南京大虐殺etc 以降どんどん酷くなる)
・つまり、ウケ思考→ネタ思考→やらせ・捏造思考という劣化構造に陥る。
(注:上記構造は、マスコミによって温度差はある。イデオロギー体質の強いマスコミほど酷くなる→社会の凶器と化す)

【大衆の意識潮流~収束不全⇒答え探し⇒事実収束】
・かつて、大衆の反序列・反体制意識とマスコミの掲げる観念とは共振するところがあった。
・しかし、「反」の時代は終焉した。
・02年以降、私権統合の終焉により、万人の潜在思念の一番奥深く(心底)に、「収束不全=統合不全」は刻印された。
・出口を求める「答え探索」の意識潮流は、必然的に「深層の共認収束」⇒仲間収束を超えて、みんな収束、そして、「事実収束」(≒観念収束)へと向かいつつある。

★つまり、劣化するマスコミと、答えを求める大衆の意識潮流との断絶が、決定的になりつつある。マスコミ離れ→反マスコミ気運の発現=マスコミの凋落は必然。


●マスコミが大衆の意識潮流をつかめないのは何で?
(マスコミも大衆相手の商売なのに、心をつかめないのは何で?)
・特権的な権力の座により、全く「現実の状況」(ex.人々のマスコミ不信・反感、報道被害にも無頓着、人々が心の奥底で求めているものも読めない)がつかめなくなっているのではないか。(権力の腐敗)

★根本的には、「否定の論理=旧観念のパラダイム」が染みついており、そこから脱却できないから。要するに、否定(批判、要求)するしか能がないから。それでは、とことん無能化してゆくことになる。

★否定の時代は終わった。今、人々が求めているのは、(否定の論理ではなく)「実現の論理」である。
集団をどうする? 社会をどうする?⇒共認原理に基づく新たな活力源、新たな社会統合をどう実現してゆくのか、その方向性を導く「構造論」である。

 
岩井裕介
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