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『頭で理解しただけでは、新理論は使いこなせない』
>書物であれ、レジュメであれ、投稿であれ、相手(著者)がなぜこれを問題にしているのか、なぜそう考えるのかを深く読み取ること、換言すれば、潜在思念のレベルで対象に同化・応合することが、不可欠になる。
投稿することに壁を感じている人がまだまだ多いようだが、上記の内容は、投稿にも通じる。
投稿するという行為そのものが、対象に同化・応合することだ。
自分発の意識で投稿をためらったり、まとめるのに苦労したりする無駄な事はやめよう。
共認充足を求める人は、誰だって反応を得たいもの。評価を識りたいもの。
だったら、ひたすら対象に同化して、投稿という形で応合することは、誰にでも出来る。その積み重ねが答えを導くことに繋がる。
対象に同化、応合しさえすれば、この場はもっと活性化する。まつり場になる。そして、対象がもっともっと拡がる!
佐藤賢志
>書物であれ、レジュメであれ、投稿であれ、相手(著者)がなぜこれを問題にしているのか、なぜそう考えるのかを深く読み取ること、換言すれば、潜在思念のレベルで対象に同化・応合することが、不可欠になる。
投稿することに壁を感じている人がまだまだ多いようだが、上記の内容は、投稿にも通じる。
投稿するという行為そのものが、対象に同化・応合することだ。
自分発の意識で投稿をためらったり、まとめるのに苦労したりする無駄な事はやめよう。
共認充足を求める人は、誰だって反応を得たいもの。評価を識りたいもの。
だったら、ひたすら対象に同化して、投稿という形で応合することは、誰にでも出来る。その積み重ねが答えを導くことに繋がる。
対象に同化、応合しさえすれば、この場はもっと活性化する。まつり場になる。そして、対象がもっともっと拡がる!
佐藤賢志
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「現実とは人々の意識である」
るいネットで提起され、定着した認識である。この言葉にハッと気付かされた人も多いと思う。
ルールや制度は社会を統合するために人々の意識を言葉に置き換えて共認するもの。人々の意識は、人々を取り巻く(人々が作り出す)状況に応じて流れるように変化するが、一旦ルール化された言葉は容易に変化しない。だから世の中「現実に合わない制度」ばかりになるのは必然だ。
「制度がおかしい」などと憂おうこと自体がムダなこと。
身の回りにおきる様々な問題を解決する為に、最初からルールや制度をどうにかしようとしてもうまく行かない。
まずは人々の意識を一番可能性を感じる方向に向けること。人々の意識が変われば、ルールや制度は後からついてくる。
太刀川省治
るいネットで提起され、定着した認識である。この言葉にハッと気付かされた人も多いと思う。
ルールや制度は社会を統合するために人々の意識を言葉に置き換えて共認するもの。人々の意識は、人々を取り巻く(人々が作り出す)状況に応じて流れるように変化するが、一旦ルール化された言葉は容易に変化しない。だから世の中「現実に合わない制度」ばかりになるのは必然だ。
「制度がおかしい」などと憂おうこと自体がムダなこと。
身の回りにおきる様々な問題を解決する為に、最初からルールや制度をどうにかしようとしてもうまく行かない。
まずは人々の意識を一番可能性を感じる方向に向けること。人々の意識が変われば、ルールや制度は後からついてくる。
太刀川省治
環境問題等の社会活動を行っている人と、問題の解決について話すと「個々人が意識を変える(高める)ことが大事」という話がよく出てくる。
その言葉に対していつもひっかかりを感じていた。
今回、「共認革命8 運動信仰を捨てて、共認革命を」を読んで、そのひっかかりが何か明確になった。
「個々人が意識を変える」ことと「人々の意識を変える」ことは、似ているようで全く別物なのだ。
「個々人が意識を変える」という場合、変える内容や程度を判断するのも、評価するのも個人。
自分は何かをやったような気にはなるが、そもそも個人ではどうにもできない現実の問題に対して、それで解決するわけがない。
実は“個人(の自由)”という旧思想に依拠して、解決は二の次で“個人(の自由)”を保障してくれる体制の補完運動をやっているのだ。
「人々の意識を変える」というのは、人々が立場を超えて現実の課題を共認するということと言える。
そのためには“個人”の都合ではなく、“事実”に基づいた判断や評価が必要になる。
共認革命は、みんなで事実を追求して、その構造を解明していく中で、実現していくのだろう。
西村秀彦
その言葉に対していつもひっかかりを感じていた。
今回、「共認革命8 運動信仰を捨てて、共認革命を」を読んで、そのひっかかりが何か明確になった。
「個々人が意識を変える」ことと「人々の意識を変える」ことは、似ているようで全く別物なのだ。
「個々人が意識を変える」という場合、変える内容や程度を判断するのも、評価するのも個人。
自分は何かをやったような気にはなるが、そもそも個人ではどうにもできない現実の問題に対して、それで解決するわけがない。
実は“個人(の自由)”という旧思想に依拠して、解決は二の次で“個人(の自由)”を保障してくれる体制の補完運動をやっているのだ。
「人々の意識を変える」というのは、人々が立場を超えて現実の課題を共認するということと言える。
そのためには“個人”の都合ではなく、“事実”に基づいた判断や評価が必要になる。
共認革命は、みんなで事実を追求して、その構造を解明していく中で、実現していくのだろう。
西村秀彦
『【幹図解】社会統合機構ができるまで』へ「枝」の部分を肉付けした【枝図解】が出来ました☆『認識形成の場は、2段階まできていた』の「葉(【葉図解】?)」の部分も付け加えています!!
各サイトの例)
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・書き込み ⇒・2ちゃんねる
┌──────────┐ ┌───────┐ ┌──────────────┐
|認識形成サイト|⇒|統合サイト| ⇒|統合サイトのヒエラルキー化|
└──────────┘ └───────┘ └──────────────┘
∥ ∧ ∥ ∧
∨ ∥ ∨ ∥
認識闘争=評価競争=>評価共認 認識闘争=評価競争=>評価共認
中瀬由貴
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中瀬由貴
>●実現の時代、現実を対象化する為には、現実の真っ只中に居なければならない。現実の真っ只中に居る者、それこそが素人であり、従って、素人こそ真の創造者である。
ネット探索を行なうと、現実の中で起こっている事を正確に伝えようと、淡々と事実を発掘している多くのサイトに出会う。
そのようなサイトの運営者は、学者やマスコミという身分故に発信している訳ではない。探索し、確認でき、人々に必要な事実だから発信している。
発信の場が特権的に確保されている「学者・マスコミ」は、固定観念のフレームでしか『現実』を見ない。そして、発せられる「事実」は捻じ曲がり、論説は陳腐極まりない。
対して、ネット上の「素人の探索サイト・事実発信サイト」では、多くの発見がある。
ネットが既に、既存の特権的なメディア(新聞・雑誌・TV)を凌駕している。
但し、そのようなサイトの発信者は、旧い言い方なら「玄人はだし」とも言える素人ではあるが。
村田貞雄
ネット探索を行なうと、現実の中で起こっている事を正確に伝えようと、淡々と事実を発掘している多くのサイトに出会う。
そのようなサイトの運営者は、学者やマスコミという身分故に発信している訳ではない。探索し、確認でき、人々に必要な事実だから発信している。
発信の場が特権的に確保されている「学者・マスコミ」は、固定観念のフレームでしか『現実』を見ない。そして、発せられる「事実」は捻じ曲がり、論説は陳腐極まりない。
対して、ネット上の「素人の探索サイト・事実発信サイト」では、多くの発見がある。
ネットが既に、既存の特権的なメディア(新聞・雑誌・TV)を凌駕している。
但し、そのようなサイトの発信者は、旧い言い方なら「玄人はだし」とも言える素人ではあるが。
村田貞雄
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