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>私権のフレームは崩壊し、「構造改革だ」と世の中は問答無用の競争社会となっていった。

「構造改革」といいながら、統合階級の人たちが目指すのは、結局、今までと同じ構造である私権フレームの中での改革にすぎない。私権フレームのリフォーム(=延命)を叫んでいるだけだ。

今求められているのは、崩壊した私権フレームに替わる、あらたなフレーム。

そして、あらたなフレーム創りには、それを導く、あらたな構造認識が必要。

しかし、私権フレームの中にどっぷりとまみれている統合階級の人たちには、(上記からも明らかなように、)決してその認識を生み出すことはできない。

その認識は、精神的には私権フレームから脱し、その上で現実の様々な圧力と対峙している、私たちみんなの中からしか生み出せないのだ。

 

匿名希望
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今日とある若者から、
「現代の人々にとっての課題は、個人課題が全てで、共通課題など存在しない。社会の共通課題があるなら教えて欲しい。」
という言葉を聞いた。

今の世の中統合不全だらけで、統合課題は山ほどある。更に人類としての共通課題だらけなのに、この若者は何を言うのだろうと、思わずゾッとした。

更に言えば、逆だと思う。

個人課題なんてものは、所詮、個人的な悩みの域を超えるか超えないかというもの。そんなもの、ほとんどが自我に起因しているので、皆で考えれば答えなんてすぐに見つかる。「課題」と呼べる代物でもないような気がする。
潜在思念では社会の共通課題を捉えてるのかも知れないが・・・。

まだまだ私たち素人の中にも、課題の捉え方に大きな開きがあることを改めて認識しました。

 

磯貝朋広
 ある人から「現在は、共通の課題ってないのではないでしょうか?」という質問が出た。課題としてあるのは、就職活動(新卒、転職)、給料を上げるには?、売上げを上げるには?、子育てをどうするのか、健康への不安、老後の不安等、たしかにすべては個人課題のように見える。

 しかし、露店やネットサロン等で気づくのは、実は自分以外にも同じようにみんなが不安に思っている、悩んでいるという事実です。それぞれの個人課題(と思われているもの)の背後にはその課題(問題)を生み出している共通の構造がある。
 
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『次代を読む(必要なのは新理論)』

■見知らぬ人たちとの認識交流の場=原初の社会
 今、求められているのは、旧観念とは逆の、現実直視→実現思考に基づく全く新しい認識である。それは、夫々の仕事に従事しながらこの現実を生きる『みんな』=普通の人々によって生み出される。傍観者ではなく当事者として現実を生きる普通の人々の実感と、それに基づく徹底した事実の追求だけが、現実に使える認識を発掘してゆく。
 ただ、現実(=この時代)は複雑で、自分一人で考えても見極められないし、判断を誤る危険もある。何より、一人で考えても、活力が出てこない。だから、認識の必要に気付いた皆で、現実に使える認識を紡ぎ出してゆく『場』があればいい。それが、認識交流の場である。
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 現在は共通の「課題」がないのではなく、みなの意識や課題を共有できる「(共認形成の)場」がないからなのではないでしょうか。共通課題がないから「場」が広がらないのではなく、「場」が広がれば共通の課題(と外圧)がより強く認識され、さらに「共認形成場」の必要性とそれらの共通構造に気づくための「構造認識」の必要性が高まってくるという因果関係にあるのだと思います。



  匿名希望
そうなんです!!
知らない事実がいっぱいあったり、事実と違うことが言われていたり、本当にそういうのが多いんです(>_<)
私も、勉強するにつれてだんだん、誰かが何らかの意図で共認を支配しようとしてるんだなっていうのが分かるようになってきました。

でも、逆にそれは、事実を知ったらみんな気づいてしまうって恐れてるからなんですよね☆

社会を変えるためにも良くするためにも、まずは事実を知らないと、間違った判断になってしまう。
だから、なんで屋さんやるいネットで、事実を発信してゆくことが重要で、もっとみんなにこの事実を伝えたい!って思います。

また一緒に、たくさんの人に伝えてゆく&そのお手伝いをしましょうね♪

 

西知子
田野さんの投稿を根本構造にして私も考えてみました。

>新しい認識によって収束不全に対する答えが見つかり統合されスッキリした時⇒活力上昇(第1段階)

第1段階ではスッキリしたのは自分だけ。他の人のスッキリしたいという期待に答えていないので、一番の活力源であるほかの人からの評価が得られていない。いわば適応体としての主体の限定的な状況における便利な道具として使い捨てられる。感謝は残存するが子供のそれと似ていて一時的な記憶となる。

>課題や人々の社会不全(=外圧)を対象化して答えを作り出し、認識競争の場で評価を得た時⇒活力上昇(第2段階)

第2段階では他の人のスッキリしたいという期待、さらに発展してその他の人が第三者をスッキリさせたいと言う期待に答えているので、はじめに新しい認識を学び伝えた人は他の人からの評価が得られ共認充足する。感謝は認識仲間と伝播先の両方に広がり、良いときには認識や感謝が循環することも確認できることがある。自らが適応体でありながら他の適応体のために役立つことは大人のあり方に似ている。

私が思った第3段階は、おそらく供給者を育成できたとき。もっと言えば、新しい仲間から認識形成の場に来てもらうことができ、みんなにその人が受け入れられてみんなと同じように認識生産や伝播やなんで屋をしてもらえたとき。

第4段階は現実の身近なところ、会社、そして共認域が広がることによる社会の変化などを何かしらで実感し、さらにもっと良い方法を求めて認識形成が加速したとき。

最後に、各段階における実感はインターネットを含む具体的な現実場面において実際に役立つことを通じて継続エンジンとなる。

今のところ、このように感じているところです。



佐藤英幸
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