忍者ブログ
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

2000年に住民(まさに素人)が参加して、ネットを活用した「電脳まつり」に取組んで来た富山県山田村の試みは2007年の3月に閉鎖されてしまった。


ともすれば孤立しがちな村社会の住人同士の繋がりを広げたい。もっと村の事を多くの人々に知ってもらいたい。繋がり広がり欠乏を基に、皆が次々と発信した。同時にネットで本源充足も体感したであろう。

しかし、発足と同時に協力隊として多くの著名人が村を訪ねパネルディスカッションや講演会が開催されたと聞く。

>従来の全ゆるメディアのどの発信様式とも異なった構造である。しかもネットは、双方向の会議(発信)とも異なっている。会議では一部の人しか発言できないがネットでは全員が発信できる。
また、対面では笑顔etcでごまかせるが、ネットではごまかしが効かない。むしろ、全員が発信することによって、ごまかしが浄化されてゆく。
だから、ネットは、皆が参加することによって生み出される新しいまつりの場なのである。<

支援協力隊のボランティアがネットでの「新しい祭りの場」を私権時代の「旧い場」に換骨奪胎させてしまった。

本源充足を体感した住人が、ネット上の「新しい祭りの場」で愈々評価共認や規範共認に収束しようとする「新しい場」を私権支配階級達が破壊してしまったように思う。



仙元清嗣 
PR
「この社会を動かしているのも、この社会を統合しているのも、全ては人々の共認に依っている」のであれば、共認内容の組み換えは社会(ひとびと)にとって最大の武器でもあり、かつ最大の凶器にもなりうる。それによって進化もすれば劣化(→滅亡)もするということ。

大転換期においては必ず求められる共認内容の組み換え。しかし、既定路線というのはありえないというその時点にあって、いずれに組み替えようともその先は未明領域であることに変わりはない。そこに直面したときどうするか?

1.場に発信することで自ら共認圧力形成にかかわっていく。
2.ロム(ひとの話を聞くことで追認していく)
3.背を向けて既定路線にしがみつく。

3が滅亡人種なのは言うまでもないし、多くの大衆が2の立場をとるのも容易に想像つく。問題は1。発信するその内容がひとびとの共認を獲得すれば突き進んでいけばいいのだろうが、発信した内容がどうやら新しい潮流から外れている、ずれているという指摘、評価を受けたとき。みんなの評価を素直に受け入れられるか、否か。

ひとは、この場面で一番試されるのではないだろうか?

本当に存亡の危機、大転換期と捉え、何にも優先して、みんな、社会を優先できるか。口先だけ、単なる自分に拘っているだけ=自己中にすぎないのか?

ホンモノかメッキか。

認識形成の場に参加するということは難しいことではない。が、ひととしての本質があぶりだされる場でもある。そのことが最大の未明領域であり、ひとが恐れをなす(=既定路線にしがみついてしまう)ところなのかもしれない。

 
阿部佳容子
┏━━━━━┓ ┏━━━━━┓  ┏━━━━━━┓ 
┃新しい認識┃ ┃充足課題 ┃  ┃認識競争  ┃ 
┃     ┃→┃ の誕生 ┃→ ┃(同類圧力)┃ 
┗━━━━━┛ ┗━━━━━┛  ┗━━━━━━┛
           |        |↑    →まつり場
           ↓         ↓|
無為徒集のつながり====⇒認識追求という課題を軸としたNW



・同類圧力は、新しい認識によって生まれる。
・課題の誕生により、認識追求の軸ができNWが生まれる。
・認識競争、同類圧力は、認識追求による答えが豊かなほど活力源・充足源となるゆえに、更なる認識追求へと限りなく続く。この上昇スパイラルを形成できれば、自我発の私権闘争なんぞほっといても消えていくってこと。活力だしたものが勝つ。



孫市
>●潜在思念こそ探求(創造)の生命であり、潜在思念(⇒とその行動)の共認こそ共認の生命である。

なぜ潜在思念が生命なのか?と思い、
   ↑これをクリックしてみた。

>本能・共認(自我)回路が生み出す、言葉以前の意識のこと。意識の統合力は潜在思念が握っている(観念回路そのものには統合力はない)。

統合は先端可能性に収束することで実現される。人間の意識構造は本能を下敷きにし、共認回路そしてその先っぽに観念回路がある三層構造であることを考えれば、観念回路に統合力があるかのように錯覚してしまう。実際、観念によって固定化されないと収束軸にならない気もする。

しかし、重要なのは、共認回路がもつ駆動源ではないだろうか?と思った。収束するからにはそこに可能性を感じなければならない。この先端可能性という対象との共認充足がなければ収束する活力構造は生まれない。
ましてや、集団や社会において、いくら固定化できる観念があったとしても、それが共認されなければ、決して収束軸足りえない。

そして、さらに背後にある、潜在思念という(本能)共認欠乏が、そもそもの統合期待を生み出すし、可能性を生み出す。
つまり潜在思念とつながらない先っぽだけの観念ではけして統合されない。
そしてそれをつなげるのが潜在思念の共認であり、だからこそ生命なのだと思う。



かなめんた 
シュ、シュ、シューサクやーーーー!!

えっ?なんて?聞こえへん。

喜び勇んだ娘の声はお風呂のインターホン越しにひび割れて、よく聞きとれない。

シューサクやって!!るい塾ネットで、秀作やったって!!

えっ?そうなん?うわ~、スゴイやん!!

やったぁ~、やったぁ~、スゴイ!!スゴイ!!!

床をドンドン飛びはねる音がお風呂場まで響いてくる。

小学生最後の夏休み、娘にとって最大のサプライズは類塾ネットで秀作をとったことだった。

去年の春、サイトが開設された当初からポツポツと投稿を始め、最初は支離滅裂な文章。半年後初めて佳作になったことで、ガゼンやる気が出てきたのか?常連さんの仲間入り。絵文字や顔文字をアホほど覚え、短いレス、大人から見るとはずかしいような、大して意味のないような投稿(お友だちになってください、とか)を積み重ね、いくつか佳作をもらえるようになった。

本人曰く「この投稿は佳作になる」というコツのようなものを掴んだ、とのたまうこともあった。

投稿歴1年を過ぎるころから、「○○は、秀作はとられへんねんな~」と、もうひとつ上を目指すようになった。

アカン。修行が足らん。あれは、狙ってとれるもんちゃう。おかあさんも、おとなのるいネット何年もやって、結構投稿してるけど、秀作は1年に1回とれるかどうかやで。うちの血筋ではムリ。アンタもおかあさんの子やから、せいぜい佳作どまりの人生やろね。

このような会話を何度か交わしていた。

>人々の認識欠乏に応える最初の場(=新しい適応態)が、『認識形成サイト』である。その場は、心ある人々をそこに収束させる最先端機能であり、そこに結集した人々に最大の活力を与える場ともなる。

類塾ネットを始めたので認識欠乏を顕在化させた、ということには未だ到っていない、今のところ。やはり、評価、「人々の評価共認が作り出す最先端価値=評価指標」が与えられてはじめて、認識形成サイトが11歳の女の子の活力源となった。

今、彼女が最も注視しているのは、まず(過去分も含めた)秀作投稿、そして佳作投稿、それ以上にそれらを投稿するひとたち。

「このひと、よく秀作に選ばれてる」。

彼女(彼)たちの中では、その場はすでに、事実に基づく評価ヒエラルキーが共認され、参加者のやる気、活力を引き出す、いわば「新しい社会統合機構の中核」となっている。

まさに、今世紀最大のサプライズだ。




阿部佳容子
[67]  [68]  [69]  [70]  [71]  [72]  [73]  [74]  [75]  [76]  [77
ランキング
にほんブログ村 政治ブログ 世直し・社会変革へ
お勧めサイトランキングへ
カウンター
カレンダー
01 2026/02 03
S M T W T F S
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
カテゴリー
最新コメント
[04/03 神崎]
[11/18 埼玉新聞読者]
[11/18 所沢市の債務残高は1000億円]
[11/12 所沢市の債務残高は1000億円]
[11/12 所沢市の債務残高は1000億円]
バーコード
ブログ内検索
P R
Admin / Write
忍者ブログ [PR]