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>被害の声も出ていない中小企業が、極悪人扱いで倒産に追い込まれ、
多くの人々の人生を狂わせているマスコミが、大きな顔をしている。
いつまでもこれを放置していていいのでしょうか。<
露店でマスコミについて話すと、横暴を放置しておいていいと思っている人はまずいない。
けれども、昨年くらいまでは“反マスコミ”を掲げて、新たな共認形成の場が必要であることを伝えても、「そうだよね」止まりであることが多かった。
しかし、最近は新たな共認形成の場(るいネット、ネットサロンetc.)へ参加して新認識を学ぶ人が増えてきた。
これらの人たちの多くに共通しているのは、マスコミが発する情報が信用できないと感じているだけではなく、「共認形成」が重要な時代になったことを強く意識しているという点だ。
この状況認識があると、共認形成は自分達の手で担っていく必要性が明確になる。
そして、自分達で共認形成を担っていくと、マスコミ発の共認形成がいかに不要であるかを自覚でき、ますます当事者として共認形成の場に参加する意欲が高まるという循環が生まれていく。
「1970年ごろの生存圧力克服により、身分序列ではなく、みんなの共認で統合される社会、つまり共認内容が社会の命運を左右する社会になった。」
現在はこの状況認識の提示が、人々の潜在意識にある“共認形成を担う当事者欠乏”を顕在化させるのではないだろうか。
西村秀彦
多くの人々の人生を狂わせているマスコミが、大きな顔をしている。
いつまでもこれを放置していていいのでしょうか。<
露店でマスコミについて話すと、横暴を放置しておいていいと思っている人はまずいない。
けれども、昨年くらいまでは“反マスコミ”を掲げて、新たな共認形成の場が必要であることを伝えても、「そうだよね」止まりであることが多かった。
しかし、最近は新たな共認形成の場(るいネット、ネットサロンetc.)へ参加して新認識を学ぶ人が増えてきた。
これらの人たちの多くに共通しているのは、マスコミが発する情報が信用できないと感じているだけではなく、「共認形成」が重要な時代になったことを強く意識しているという点だ。
この状況認識があると、共認形成は自分達の手で担っていく必要性が明確になる。
そして、自分達で共認形成を担っていくと、マスコミ発の共認形成がいかに不要であるかを自覚でき、ますます当事者として共認形成の場に参加する意欲が高まるという循環が生まれていく。
「1970年ごろの生存圧力克服により、身分序列ではなく、みんなの共認で統合される社会、つまり共認内容が社会の命運を左右する社会になった。」
現在はこの状況認識の提示が、人々の潜在意識にある“共認形成を担う当事者欠乏”を顕在化させるのではないだろうか。
西村秀彦
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マスコミは反権力、体制批判を続けている。これは昔も今も変わらない。
なのにマスコミが凋落したのはなんで?
○貧困の時代(政治家>マスコミ)
貧困の時代(~’70)は、社会は誰もが私権を求め、私権闘争⇒序列統合によって社会が統合されていた。
当時の時代は私権確保を実現してくれる人が最も力があるので、大物政治家が「貧乏人は麦を食え」と暴言を吐き、マスコミがそれを叩いてもそれほど力をもたない。
「まあ、それもそうだなぁ。」と庶民=貧乏人は納得してしまっていた。それほど、私権による序列統合は絶対であり、むしろ庶民にとってみると、地域の代表である政治家は多少の汚職やスキャンダルがあっても、自分達(=地域)を豊かにしてくれるのであれば、それを支援していた。ただし、この頃は私権に収束しているものの、力の差は歴然としているので、あくまで政治家(=序列上位者)頼りか、日々の生活苦の不全は専らマスコミの流す娯楽で解消していた。
○貧困克服以降~(政治家<マスコミ)
70年豊かさの実現、それによって序列統合の無効化が起きる。序列上位の人(=政治家、先生など)に従わなくても生きていける時代となった。これにより、庶民自身の反序列意識が高まり、様々な要求運動(人権、ウーマンリブ、労働運動)が起こる。この時流に乗っかり、権力の座に上りつめたのが、反体制の批判を旨とするマスコミである。マスコミがスキャンダルを掴んだら、政治家は失脚する時代となった。
○収束不全の顕在化(マスコミの凋落)
70年豊かさの実現とともに、庶民の根底の意識に統合不全が生じる(=向かう先が見えない)。バブル崩壊以降、様々な社会問題が噴出した90年代を経て、2000年についに収束不全が顕在化する。大部分の人々は「社会がおかしい、これからどうする」と考えるようになり、何が問題なのかを探索する課程に入った。しかし一方でマスコミは相も変わらず、批判するしか能がない体質は変わっていない。加えて、第一権力の座に就いたことで、自らの存在意義を示すために無理やり批判する対象を捜し求めた。これがネタ思考、ウケ狙いの思考に陥ったマスコミの凋落の要因である。
つまり、マスコミが凋落したのは、マスコミ自身が勝手に変わったのではなく、豊かさ実現以降、人々の意識が変化したことが最も大きい。つまり、社会の求めるものと完全にズレているのが今のマスコミ。しかしマスコミはこの事に気づいていない。未だにスキャンダルなネタを集め、批判するだけの存在でしかない。
人々の根底的な意識は統合不全であり、「これからの社会をどうするか」という答えである。であれば、批判だけしていても無駄であり、人々の意識を捉えず、権力を使って、人々を支配するマスコミ報道は共認支配そのものである!
だが、今一度冷静に振り返ってみると、マスコミの凋落の背景には、「批判だけではウンザリ、新たな社会をどう作るか?」という人々の当事者意識の高まりがある。だからこそ、私達自身も心すべきは、マスコミ批判だけに陥ることなく、自分達で事実を追求し、答えを出していくことである。るいネットを含め、インターネットにはそのような追求サイトが数多く出始めている。マスコミに代わる基盤は自ら作り出していくことが求められている!
安藤太地
なのにマスコミが凋落したのはなんで?
○貧困の時代(政治家>マスコミ)
貧困の時代(~’70)は、社会は誰もが私権を求め、私権闘争⇒序列統合によって社会が統合されていた。
当時の時代は私権確保を実現してくれる人が最も力があるので、大物政治家が「貧乏人は麦を食え」と暴言を吐き、マスコミがそれを叩いてもそれほど力をもたない。
「まあ、それもそうだなぁ。」と庶民=貧乏人は納得してしまっていた。それほど、私権による序列統合は絶対であり、むしろ庶民にとってみると、地域の代表である政治家は多少の汚職やスキャンダルがあっても、自分達(=地域)を豊かにしてくれるのであれば、それを支援していた。ただし、この頃は私権に収束しているものの、力の差は歴然としているので、あくまで政治家(=序列上位者)頼りか、日々の生活苦の不全は専らマスコミの流す娯楽で解消していた。
○貧困克服以降~(政治家<マスコミ)
70年豊かさの実現、それによって序列統合の無効化が起きる。序列上位の人(=政治家、先生など)に従わなくても生きていける時代となった。これにより、庶民自身の反序列意識が高まり、様々な要求運動(人権、ウーマンリブ、労働運動)が起こる。この時流に乗っかり、権力の座に上りつめたのが、反体制の批判を旨とするマスコミである。マスコミがスキャンダルを掴んだら、政治家は失脚する時代となった。
○収束不全の顕在化(マスコミの凋落)
70年豊かさの実現とともに、庶民の根底の意識に統合不全が生じる(=向かう先が見えない)。バブル崩壊以降、様々な社会問題が噴出した90年代を経て、2000年についに収束不全が顕在化する。大部分の人々は「社会がおかしい、これからどうする」と考えるようになり、何が問題なのかを探索する課程に入った。しかし一方でマスコミは相も変わらず、批判するしか能がない体質は変わっていない。加えて、第一権力の座に就いたことで、自らの存在意義を示すために無理やり批判する対象を捜し求めた。これがネタ思考、ウケ狙いの思考に陥ったマスコミの凋落の要因である。
つまり、マスコミが凋落したのは、マスコミ自身が勝手に変わったのではなく、豊かさ実現以降、人々の意識が変化したことが最も大きい。つまり、社会の求めるものと完全にズレているのが今のマスコミ。しかしマスコミはこの事に気づいていない。未だにスキャンダルなネタを集め、批判するだけの存在でしかない。
人々の根底的な意識は統合不全であり、「これからの社会をどうするか」という答えである。であれば、批判だけしていても無駄であり、人々の意識を捉えず、権力を使って、人々を支配するマスコミ報道は共認支配そのものである!
だが、今一度冷静に振り返ってみると、マスコミの凋落の背景には、「批判だけではウンザリ、新たな社会をどう作るか?」という人々の当事者意識の高まりがある。だからこそ、私達自身も心すべきは、マスコミ批判だけに陥ることなく、自分達で事実を追求し、答えを出していくことである。るいネットを含め、インターネットにはそのような追求サイトが数多く出始めている。マスコミに代わる基盤は自ら作り出していくことが求められている!
安藤太地
>この、作者→(出版)→観客読者という在り様(よう)から、認識仲間の(サイトでの)協働という在り様への移行こそ、私権時代の認識形成と新時代(共認時代)の認識形成との決定的な違いである。
数年前から身近な技術の世界でも事物・事象を正確に捉える事(認識する事)が非常に難しい事が解って来た。
考えてみると我々世代は、対象を認識する事に関して、自ら意味づけして来たのではなく、文献を探し「それは・・・である」と書かれていたことで対象を認識してきたと思う。それで大抵の場合は問題がなかったと思っていた?。
が現在どうもそれだけでは解決できない問題が山のように発生してきた。
そこで最近は 廻りの者にこの事象は、このように判断(認識)しても問題ないか、あるいはどう判断するのか聞くケースが増えてきた。
まさに技術の世界でも
<作者→(出版)→観客読者という在り様(よう)から、認識仲間の(サイトでの)協働という在り様への移行・・・
に移行してきたと実感できる。
岸良造
数年前から身近な技術の世界でも事物・事象を正確に捉える事(認識する事)が非常に難しい事が解って来た。
考えてみると我々世代は、対象を認識する事に関して、自ら意味づけして来たのではなく、文献を探し「それは・・・である」と書かれていたことで対象を認識してきたと思う。それで大抵の場合は問題がなかったと思っていた?。
が現在どうもそれだけでは解決できない問題が山のように発生してきた。
そこで最近は 廻りの者にこの事象は、このように判断(認識)しても問題ないか、あるいはどう判断するのか聞くケースが増えてきた。
まさに技術の世界でも
<作者→(出版)→観客読者という在り様(よう)から、認識仲間の(サイトでの)協働という在り様への移行・・・
に移行してきたと実感できる。
岸良造
>人々の意識の変容を捉える事が、今の時代、何が必要とされているかを
捉える事につながるということが分かった今回のさろんだった。
私権が衰弱し、物的生産が大半を占めていた時代から意識生産(企画、マスコミ、サービスなど)の時代になり、今の時代で評価を得るためには「何が必要とされているか」を捉え、提案していかなければならない時代(即ち、需要発から供給発)になったという話でしたね。
今の若者の意識は、「やりたいこと探索」から「やるべきこと」が知りたい、という意識にまで変化しているそうです。本当に「役に立つ」ことを欲している。だから学校の授業出席はもちろん、本を読んだり、まじめにクラブに取り組んだり、勉強会に参加したり・・・常に「役に立つための可能性」を探っているんだなぁと感じました。
>そこで、その何か分からない不安(つまりは、その何か)を追い求めて、そこに答えを見出そうとする行動にこそ、日本人が素直に何かをやりたいという活力が出てくる源になりえることが、認識でき、はっきりと納得できた。
なにかわからない不安・・・とは、統合不全の状態を表している。
今の若者は「このままいくと社会は崩壊する」「学者や専門家は解決できない」と、普通に話す。
そんな若者たちがなんで屋に魅かれたわけは、マスコミや学者以外の第三者(=社会の当事者である私たち)の普通の感覚から追求した言葉(発信)だからこそ、可能性を感じたそうです。可能性に導かれ警戒心なく勉強の場に参加する若者たちを見ていると、潜在思念から湧き上がる不全をごまかさず、素直に答えを求めているんだなぁと期待感でいっぱいになりました。
門奈津子
捉える事につながるということが分かった今回のさろんだった。
私権が衰弱し、物的生産が大半を占めていた時代から意識生産(企画、マスコミ、サービスなど)の時代になり、今の時代で評価を得るためには「何が必要とされているか」を捉え、提案していかなければならない時代(即ち、需要発から供給発)になったという話でしたね。
今の若者の意識は、「やりたいこと探索」から「やるべきこと」が知りたい、という意識にまで変化しているそうです。本当に「役に立つ」ことを欲している。だから学校の授業出席はもちろん、本を読んだり、まじめにクラブに取り組んだり、勉強会に参加したり・・・常に「役に立つための可能性」を探っているんだなぁと感じました。
>そこで、その何か分からない不安(つまりは、その何か)を追い求めて、そこに答えを見出そうとする行動にこそ、日本人が素直に何かをやりたいという活力が出てくる源になりえることが、認識でき、はっきりと納得できた。
なにかわからない不安・・・とは、統合不全の状態を表している。
今の若者は「このままいくと社会は崩壊する」「学者や専門家は解決できない」と、普通に話す。
そんな若者たちがなんで屋に魅かれたわけは、マスコミや学者以外の第三者(=社会の当事者である私たち)の普通の感覚から追求した言葉(発信)だからこそ、可能性を感じたそうです。可能性に導かれ警戒心なく勉強の場に参加する若者たちを見ていると、潜在思念から湧き上がる不全をごまかさず、素直に答えを求めているんだなぁと期待感でいっぱいになりました。
門奈津子
みんなの投稿を拝見させていただき、『素人の創造』というモノが
実感レベルで浸透し始めた。
投稿の内容が、凄い!
何か、見えない壁を全力で叩き壊しているようなエネルギーを
感じる…。
これまでの読解力では、これらの投稿群は「読め」ない!
新認識を、潜在思念レベルで捉えているか?若しくは既にある程度
自分のものにできているか…?
そうでなければ、これらの投稿群は読めない。
これは何だろう?
「書かれたものを読み、それを理解した上で意味として吸収する」
それが、これまでの文章表現だったように思う。
書き手は、そうした読み手の入力作業を前提に文章を構成するのだと。
(※恐らく、自己主張を前提に展開する文章構成で、読み手が書いた
人間の自己主張を感じ取り、善意に解釈しなければならないという
暗黙の了解が無ければ相互の意思疎通が成立しない構成…
活字メディアの常套手段という気もする。)
しかし、最近の新しい参加者の方の投稿には、それが無い。
投稿に書かれている内容は、『(既存の)意味を超えた"現実"』である。
そこに、たまらない魅力を感じる。
こんな文章は、これまで見た(読んだ)ことがない。
それ故に文章技術など全くの素人なのに、グイグイ引き込ませる
ものを持っている。
意識の底から発せられる、生命力を持った言葉・文章というのは、
こんなにも活力を持つものなのか!?
これが、次代の活力源なのだろう。
恐るべし、『外向収束⇒同類圧力(=場の圧力)』!!!
Silentservice
実感レベルで浸透し始めた。
投稿の内容が、凄い!
何か、見えない壁を全力で叩き壊しているようなエネルギーを
感じる…。
これまでの読解力では、これらの投稿群は「読め」ない!
新認識を、潜在思念レベルで捉えているか?若しくは既にある程度
自分のものにできているか…?
そうでなければ、これらの投稿群は読めない。
これは何だろう?
「書かれたものを読み、それを理解した上で意味として吸収する」
それが、これまでの文章表現だったように思う。
書き手は、そうした読み手の入力作業を前提に文章を構成するのだと。
(※恐らく、自己主張を前提に展開する文章構成で、読み手が書いた
人間の自己主張を感じ取り、善意に解釈しなければならないという
暗黙の了解が無ければ相互の意思疎通が成立しない構成…
活字メディアの常套手段という気もする。)
しかし、最近の新しい参加者の方の投稿には、それが無い。
投稿に書かれている内容は、『(既存の)意味を超えた"現実"』である。
そこに、たまらない魅力を感じる。
こんな文章は、これまで見た(読んだ)ことがない。
それ故に文章技術など全くの素人なのに、グイグイ引き込ませる
ものを持っている。
意識の底から発せられる、生命力を持った言葉・文章というのは、
こんなにも活力を持つものなのか!?
これが、次代の活力源なのだろう。
恐るべし、『外向収束⇒同類圧力(=場の圧力)』!!!
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