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>快美性を求めることが絶対の価値であるように国民を煽りつづけるマスコミ、ひいては国家。いいかげんにしてほしい。この先には、滅亡あるのみである。みんなも気付くべきだ。<
快美性の追求に人々が向かったのは、私権の強制圧力による抑圧からの解脱のため。
であれば、貧困を克服して私権圧力が衰弱した現在の日本では、快美性の追求は、もはや無意味と言ってもいい。
そして、私権の強制圧力によって抑圧されていたのは何かと言うと、共認充足の可能性。
この可能性も私権圧力の衰弱とともに開かれている。
みんながそこそこお金は持ってるのに、モノが売れなくなった状況を考えると、人々も決して気付いていないわけじゃないように思う。
その気付きが個人で留まっていることが、抜本的転換に至らない要因ではないだろうか。
快美性の追求は個人でもできるが、共認充足の追求は仲間(みんな)と一緒に向かうことで初めて可能になる。
個々人の気付きに任せるのではなく、「みんなの共認」を築いていくことで、快美性の追求から共認充足の追求への転換は、実現するのだと思う。
そして、「みんなの共認」を築くことを阻害している最大のガンは何かと言うと、マスコミに他ならない。
マスコミに代わる共認形成の場を創っていく事が、最重要課題であることを改めて痛感した。
西村秀彦
快美性の追求に人々が向かったのは、私権の強制圧力による抑圧からの解脱のため。
であれば、貧困を克服して私権圧力が衰弱した現在の日本では、快美性の追求は、もはや無意味と言ってもいい。
そして、私権の強制圧力によって抑圧されていたのは何かと言うと、共認充足の可能性。
この可能性も私権圧力の衰弱とともに開かれている。
みんながそこそこお金は持ってるのに、モノが売れなくなった状況を考えると、人々も決して気付いていないわけじゃないように思う。
その気付きが個人で留まっていることが、抜本的転換に至らない要因ではないだろうか。
快美性の追求は個人でもできるが、共認充足の追求は仲間(みんな)と一緒に向かうことで初めて可能になる。
個々人の気付きに任せるのではなく、「みんなの共認」を築いていくことで、快美性の追求から共認充足の追求への転換は、実現するのだと思う。
そして、「みんなの共認」を築くことを阻害している最大のガンは何かと言うと、マスコミに他ならない。
マスコミに代わる共認形成の場を創っていく事が、最重要課題であることを改めて痛感した。
西村秀彦
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>こういった流れの背景には世界的な「私権原理から共認原理への転換」があります。
そして新たな「共認原理社会」におけるビジネスモデルを模索し始めたと言うことを意味するのではと思うのですがどうでしょうか。
共認原理に転換した以上、従来のように自集団の収益を上げることだけを目的にしていては、社会的な評価は得られないし、それ以前に組織全体の活力が続かずに集団が解体してしまいます。
また、現代における最大の圧力(活力源)=潜在的な社会期待を捉えられるかどうかは、企業の生死を分けるとも言えます。このような状況で企業にとって重要なのは、潜在的な人々の期待を言葉にすることと、それを如何にして実現していくのか、なのだと思います。
つまり、現代における企業の第一義の課題は、組織をどうやって統合していくのか?、人々の期待に応える事業の中身をどれだけ提示できるのか?といったところでしょう。
これらは、従来のように生産のみを担っている限り、決して答えを出すことはできない課題です。これからの企業は、社会問題に正面から向き合って答えを出し、社会の役に立ちたい人々を繋ぐ場を形成していく役割を担っていくことが求められます。
今後は、そうした役割を担っている企業(集団)を評価するシステムを創り、お金=評価指標が集まっていく流れを強めていくことが、本当の意味での社会的企業を育てることに繋がっていくと思います。
おおさかじょん
そして新たな「共認原理社会」におけるビジネスモデルを模索し始めたと言うことを意味するのではと思うのですがどうでしょうか。
共認原理に転換した以上、従来のように自集団の収益を上げることだけを目的にしていては、社会的な評価は得られないし、それ以前に組織全体の活力が続かずに集団が解体してしまいます。
また、現代における最大の圧力(活力源)=潜在的な社会期待を捉えられるかどうかは、企業の生死を分けるとも言えます。このような状況で企業にとって重要なのは、潜在的な人々の期待を言葉にすることと、それを如何にして実現していくのか、なのだと思います。
つまり、現代における企業の第一義の課題は、組織をどうやって統合していくのか?、人々の期待に応える事業の中身をどれだけ提示できるのか?といったところでしょう。
これらは、従来のように生産のみを担っている限り、決して答えを出すことはできない課題です。これからの企業は、社会問題に正面から向き合って答えを出し、社会の役に立ちたい人々を繋ぐ場を形成していく役割を担っていくことが求められます。
今後は、そうした役割を担っている企業(集団)を評価するシステムを創り、お金=評価指標が集まっていく流れを強めていくことが、本当の意味での社会的企業を育てることに繋がっていくと思います。
おおさかじょん
>人々の認識(潜在思念と構造認識)が外向収束した人々の協働によって形成されるその在り様こそ、集団を超えた社会空間における本源共認の、(人類史上)最初の実現形態に他ならない。
社会が求める認識を紡ぎ出していく場。こうした場=実現形態を創り出していくにあたり、その供給源として最も近い位置にいるのは「企業」ではないかと思う。
この世にある全ての企業は、今までも社会から強烈な評価圧力を絶えず受け続けてきた。そうした状況下で、企業戦略という名の構造認識を駆使して人々の期待を掴み、社会からの評価を獲得し続けてきた(結果、収益を上げ続けてきた)企業が、今も生き残っている。
豊かさが実現されて久しい現在において、単なる”モノ”の供給だけでは社会から評価されない現実は、企業も痛いほど理解している。そして人々の欠乏が人つながり⇒仲間欠乏へとシフトしていることにも、企業は気付いているはずだ。
しかしながら、まだ大多数の企業は、『仲間欠乏=答え欠乏』に気付いていない。”目先の人つながり・仲間充足”を付加価値とする新たな”モノ”の供給に留まり、現代社会が求める本質的な欠乏≒期待に、ダイレクトに応えようとしていない。今や社会は”モノ”ではなく、これからを導いていく”認識”の供給を待ち望んでいる(”モノ”の価値は、場の形成にどれだけ貢献しているか、という評価軸に規定される)。
人々の潜在思念を構造的に捉え、形にして社会に供給し続ける。これが、社会が企業に求めてきた、普遍的な期待≒評価圧力の中身ではないだろうか。確かに、社会が求める認識を形づくり、供給していくのは難課題であるが、言い換えれば現代はまさに、長年企業が磨き続けてきた力を試す絶好の機会ではないかと思う。
根木貴大
社会が求める認識を紡ぎ出していく場。こうした場=実現形態を創り出していくにあたり、その供給源として最も近い位置にいるのは「企業」ではないかと思う。
この世にある全ての企業は、今までも社会から強烈な評価圧力を絶えず受け続けてきた。そうした状況下で、企業戦略という名の構造認識を駆使して人々の期待を掴み、社会からの評価を獲得し続けてきた(結果、収益を上げ続けてきた)企業が、今も生き残っている。
豊かさが実現されて久しい現在において、単なる”モノ”の供給だけでは社会から評価されない現実は、企業も痛いほど理解している。そして人々の欠乏が人つながり⇒仲間欠乏へとシフトしていることにも、企業は気付いているはずだ。
しかしながら、まだ大多数の企業は、『仲間欠乏=答え欠乏』に気付いていない。”目先の人つながり・仲間充足”を付加価値とする新たな”モノ”の供給に留まり、現代社会が求める本質的な欠乏≒期待に、ダイレクトに応えようとしていない。今や社会は”モノ”ではなく、これからを導いていく”認識”の供給を待ち望んでいる(”モノ”の価値は、場の形成にどれだけ貢献しているか、という評価軸に規定される)。
人々の潜在思念を構造的に捉え、形にして社会に供給し続ける。これが、社会が企業に求めてきた、普遍的な期待≒評価圧力の中身ではないだろうか。確かに、社会が求める認識を形づくり、供給していくのは難課題であるが、言い換えれば現代はまさに、長年企業が磨き続けてきた力を試す絶好の機会ではないかと思う。
根木貴大
下記サイトに、次代に期待されているものとして、「経済」の次、という視点への考察が書かれていたので、一部を転載します。
「経済」の“次”に来るものは何か?
――イトイ式「未来予想図」
今回(第4回)はいよいよ最終回です。これまで、吉本さんの言葉をひも解きながら、「エコロジー」や「消費」について考えてきました。そこで見えてきたものは、本来人間は規律やルールを守れない生きものだということです。にも関わらず、新たな規律やルールを作り、さらに自分たちを縛ろうとします。ときにその規律やルールは、支配者や為政者にとって都合よく作られたものであることも多いのです。
その最たるものが、「経済」ではないでしょうか。いまの世の中は「経済」というルールに縛られている、ともいえます。「グローバル経済」なんてその典型でしょう。どこかの国がくしゃみをすれば、世界中がカゼをひいてしまう――そんな時代にさえなっています。経済は拡大し続けた結果、貨幣だけでなく、あらゆる指標や数値も生み出しました。数字や金額が一人歩きすることも少なくありません。「経済とは何か?」――その正体を見つけることがとても難しくなっているのです。
しかし近年、地球温暖化をはじめとする環境問題がきっかけとなり、拡大・成長ありきの世界から、持続可能な世界へのシフトも求められています。20世紀が「経済の時代」だったとすれば、21世紀のいまは「経済の次に来るものを探す時代」に入っています。これまでの世の中のあり方を見直す時期に来ているのかもしれません。
吉本隆明氏の言葉
『もともと経済学や経済論は、支配者のために書かれたもの。ときには支配者にとって都合のよいウソが書かれていることもある。学者のように、たとえ支配者でない人が書いたものであったとしても、それは“指導者”としての目線、つまり上からものを見た形で書かれているものがほとんど。しかしそれを読んでいる一般大衆は、その目線の違いに気づかず、「経済とはこういうものだ」とどこかでだまされてしまうのです』
『権力や指導なんかではなく、一般大衆としての目線でものごとを見るとどうなるのか――そういう視点を持つこと、それに目覚めることが非常に重要である』
~続く~
上記サイトでは、明確に経済の次に来るものとしての答えまでは辿り着いていません。
しかし、経済一辺倒に傾いてきた金貸し主導の世の中には、もう限界が来ているんだ、と誰もが心の底で感じている事実を代弁した記事であると思いました。
上記に紹介されている吉本さんの言葉にもありますが、大衆の目線こそが重要であるという視点は、当るいネットでも語られている、素人の実感こそが、次の世の中の土台を作り出していくんだ、という可能性のベクトルと合致しています。
「自分の実現の意志が、相手の意識=みんなの意識=社会を変えている」という現実
むしろ、経済の次は何か?という視点こそ、現在の金融バブル市場への依存度の低い一般大衆こそが先導して行ける次代の可能性そのものではないか、とすら感じています。
当るいネットでは、既にその具体論の検証を行う為に、人類を越えて生物史を遡り、生物の適応原理、自然の摂理を追求し、そしてサル・人類の共認機能(心をより具体化した概念)を定義付け、さらには共認統合、という可能性の提示にまで至っています。
これらも、素人だからこそ感じる純粋な「なんで?」追求の賜物であり、さらには
>「自分の実現の意志が、相手の意識=みんなの意識=社会を変えている」
という現実の可能性に気付いた人々から、新しい社会は創られて行くんだ、という事を実感すると共に、ますます期待感がこみ上げる思いがしています。
川井孝浩
「経済」の“次”に来るものは何か?
――イトイ式「未来予想図」
今回(第4回)はいよいよ最終回です。これまで、吉本さんの言葉をひも解きながら、「エコロジー」や「消費」について考えてきました。そこで見えてきたものは、本来人間は規律やルールを守れない生きものだということです。にも関わらず、新たな規律やルールを作り、さらに自分たちを縛ろうとします。ときにその規律やルールは、支配者や為政者にとって都合よく作られたものであることも多いのです。
その最たるものが、「経済」ではないでしょうか。いまの世の中は「経済」というルールに縛られている、ともいえます。「グローバル経済」なんてその典型でしょう。どこかの国がくしゃみをすれば、世界中がカゼをひいてしまう――そんな時代にさえなっています。経済は拡大し続けた結果、貨幣だけでなく、あらゆる指標や数値も生み出しました。数字や金額が一人歩きすることも少なくありません。「経済とは何か?」――その正体を見つけることがとても難しくなっているのです。
しかし近年、地球温暖化をはじめとする環境問題がきっかけとなり、拡大・成長ありきの世界から、持続可能な世界へのシフトも求められています。20世紀が「経済の時代」だったとすれば、21世紀のいまは「経済の次に来るものを探す時代」に入っています。これまでの世の中のあり方を見直す時期に来ているのかもしれません。
吉本隆明氏の言葉
『もともと経済学や経済論は、支配者のために書かれたもの。ときには支配者にとって都合のよいウソが書かれていることもある。学者のように、たとえ支配者でない人が書いたものであったとしても、それは“指導者”としての目線、つまり上からものを見た形で書かれているものがほとんど。しかしそれを読んでいる一般大衆は、その目線の違いに気づかず、「経済とはこういうものだ」とどこかでだまされてしまうのです』
『権力や指導なんかではなく、一般大衆としての目線でものごとを見るとどうなるのか――そういう視点を持つこと、それに目覚めることが非常に重要である』
~続く~
上記サイトでは、明確に経済の次に来るものとしての答えまでは辿り着いていません。
しかし、経済一辺倒に傾いてきた金貸し主導の世の中には、もう限界が来ているんだ、と誰もが心の底で感じている事実を代弁した記事であると思いました。
上記に紹介されている吉本さんの言葉にもありますが、大衆の目線こそが重要であるという視点は、当るいネットでも語られている、素人の実感こそが、次の世の中の土台を作り出していくんだ、という可能性のベクトルと合致しています。
「自分の実現の意志が、相手の意識=みんなの意識=社会を変えている」という現実
むしろ、経済の次は何か?という視点こそ、現在の金融バブル市場への依存度の低い一般大衆こそが先導して行ける次代の可能性そのものではないか、とすら感じています。
当るいネットでは、既にその具体論の検証を行う為に、人類を越えて生物史を遡り、生物の適応原理、自然の摂理を追求し、そしてサル・人類の共認機能(心をより具体化した概念)を定義付け、さらには共認統合、という可能性の提示にまで至っています。
これらも、素人だからこそ感じる純粋な「なんで?」追求の賜物であり、さらには
>「自分の実現の意志が、相手の意識=みんなの意識=社会を変えている」
という現実の可能性に気付いた人々から、新しい社会は創られて行くんだ、という事を実感すると共に、ますます期待感がこみ上げる思いがしています。
川井孝浩
もともと自分の持っていたボランティア活動への違和感。結果を求めてやっていた事自体が間違っていたように思う。
潜在意識では、みんな周りのこと(ex.地球環境)を考えているのにも拘わらず、実際にみんなが生きている社会制度は個々人の自由を推し進めているばかりに、私権追求型の社会が続いてしまっている。このズレが、私のボランティア活動にも違和感という形で現れているのだと気付いた。
私が、今するべきことは、違和感を感じたまま活動を続けるのではなく、事実を知り、事実を多くの人に発信し、事実を見つめ直すという作業であると思う。これによって、今まで形成されてきたマスコミや政治家によって間違った方向に導かれた共認を変え、みんなの心(自分のことだけでなく、社会のことも考えたいという気持ち)にマッチした共認を作り出したいと感じた。
藤田早霧
潜在意識では、みんな周りのこと(ex.地球環境)を考えているのにも拘わらず、実際にみんなが生きている社会制度は個々人の自由を推し進めているばかりに、私権追求型の社会が続いてしまっている。このズレが、私のボランティア活動にも違和感という形で現れているのだと気付いた。
私が、今するべきことは、違和感を感じたまま活動を続けるのではなく、事実を知り、事実を多くの人に発信し、事実を見つめ直すという作業であると思う。これによって、今まで形成されてきたマスコミや政治家によって間違った方向に導かれた共認を変え、みんなの心(自分のことだけでなく、社会のことも考えたいという気持ち)にマッチした共認を作り出したいと感じた。
藤田早霧
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