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>☆大切なのは、現実を対象化すること。それが、思考する(=探索し、可能性収束して統合する)ことの全てである。
現実を対象化するのは「どうにかしたい」という想いが必要であるが、現在、その想いは流産している可能性があるのではないだろうか。
>生きとし生けるものは、全て外圧(外部世界)に対する適応態として存在している。例えば本能も、その様な外圧適応態として形成され、積み重ねられてきたものである。また全ての存在は、本能をはじめ無数の構成要素を持っているが、それら全ては外部世界に適応しようとして先端可能性へと収束する、その可能性への収束によって統合されている。<
本来、生物は現実を対象化しないと生きていけない存在であるが、貧困を克服した人類は現実を対象化せずとも生きていけるようになった。
とは言うものの、環境問題や食糧問題など社会的な不全はますます蓄積されており、個人レベルでの不全も蓄積されているはずである。つまり、適応態としての体をなしていないということになる。
では、なぜ「どうにかしたい」という想いが流産してしまうのか?
1つは共認回路の貧弱さにあり、充足体験が少なく、期待に応えたいという想いが貧弱になっていること。
これについては、感トレなどを通じて充足イメージを高めていくことなどが考えられる。
もう1つは、学者やマスコミ、教育などの影響である。彼らは個人や福祉という近代観念を垂れ流すことで、現実に疑問を抱かせない(現実から目を逸らせる)ようにしている。
これに対しては、共認形成の場をマスコミから取り戻すことに尽きる。それがるいネットであり、サロン、劇場という共認闘争の場ではないだろうか。
村田頼哉
現実を対象化するのは「どうにかしたい」という想いが必要であるが、現在、その想いは流産している可能性があるのではないだろうか。
>生きとし生けるものは、全て外圧(外部世界)に対する適応態として存在している。例えば本能も、その様な外圧適応態として形成され、積み重ねられてきたものである。また全ての存在は、本能をはじめ無数の構成要素を持っているが、それら全ては外部世界に適応しようとして先端可能性へと収束する、その可能性への収束によって統合されている。<
本来、生物は現実を対象化しないと生きていけない存在であるが、貧困を克服した人類は現実を対象化せずとも生きていけるようになった。
とは言うものの、環境問題や食糧問題など社会的な不全はますます蓄積されており、個人レベルでの不全も蓄積されているはずである。つまり、適応態としての体をなしていないということになる。
では、なぜ「どうにかしたい」という想いが流産してしまうのか?
1つは共認回路の貧弱さにあり、充足体験が少なく、期待に応えたいという想いが貧弱になっていること。
これについては、感トレなどを通じて充足イメージを高めていくことなどが考えられる。
もう1つは、学者やマスコミ、教育などの影響である。彼らは個人や福祉という近代観念を垂れ流すことで、現実に疑問を抱かせない(現実から目を逸らせる)ようにしている。
これに対しては、共認形成の場をマスコミから取り戻すことに尽きる。それがるいネットであり、サロン、劇場という共認闘争の場ではないだろうか。
村田頼哉
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先日、初めてネットサロンに参加した方が、その最後に目をキラキラさせて「いい場ですね~♪」と言った。
もともと、職場の悩みを抱えており、自分でも思考錯誤して取り組んできていた方だった。
しかし、そのモヤモヤはなくならない。
それどころか、不安や不全は大きくなるばかり。
「自分の言っていることは自分だけ思っていることで、間違っているのではないか。」「あの職場のやり方・体制が良くないのではないか?」
しかし、ネットサロンの場では、お金や出世のために働いていた時代にさかのぼり、その時代と今では何が違うのかを明らかにしていった。
そして、今の意識潮流、みんなの意識構造はどうなっているのか?をその場にいる各方面の方々のうまく行った経験などがどんどん出されていった。
そこで、「じゃあどうすればうまくいく?」が少しずつ紡ぎ出されていく。
>だが、我々の現実認識(構造認識や状況認識)が正しければ、人々の認識欠乏が顕在化するのは時間の問題である。それは、はじめの答え(に近い認識)と認識形成の場さえ与えられれば、一気に顕在化する。
まさにこれだった。
初参加の方は、この『認識形成の場』に可能性を感じてくれたのだ。今後、この方は認識欠乏に蓋をすることなく、答えを求めていくことになるのだろうと思う。
スガイク
もともと、職場の悩みを抱えており、自分でも思考錯誤して取り組んできていた方だった。
しかし、そのモヤモヤはなくならない。
それどころか、不安や不全は大きくなるばかり。
「自分の言っていることは自分だけ思っていることで、間違っているのではないか。」「あの職場のやり方・体制が良くないのではないか?」
しかし、ネットサロンの場では、お金や出世のために働いていた時代にさかのぼり、その時代と今では何が違うのかを明らかにしていった。
そして、今の意識潮流、みんなの意識構造はどうなっているのか?をその場にいる各方面の方々のうまく行った経験などがどんどん出されていった。
そこで、「じゃあどうすればうまくいく?」が少しずつ紡ぎ出されていく。
>だが、我々の現実認識(構造認識や状況認識)が正しければ、人々の認識欠乏が顕在化するのは時間の問題である。それは、はじめの答え(に近い認識)と認識形成の場さえ与えられれば、一気に顕在化する。
まさにこれだった。
初参加の方は、この『認識形成の場』に可能性を感じてくれたのだ。今後、この方は認識欠乏に蓋をすることなく、答えを求めていくことになるのだろうと思う。
スガイク
学生で言えば「まじ話」、社会人で言えば「仕事が楽しい」こんな台詞は今となっては、当たり前に聞かれるが、だからこそ、
「会社がつまらない。」
「何のために、勉強しているのか。」
・・・行き詰っている人も多い。
なぜか?
それは、「『その場』が社会に開かれているかどうか?」
にかかっている。
友達や学校、会社仲間・・・etc、ある集団での課題はあるし、それを共認していくことは、それなりの充足もあったのだろう。
しかし、もはや、集団(課題)は、限界に来ている。
なぜなら、人々の真の認識欠乏は、集団をつきぬけ、社会に向かっている。
この欠乏を発現させているのは、生存圧力から、同類圧力への転換という外圧の大転換期なのだ。
もはや、集団内の圧力や共認で、欠乏を充たすことは出来ない。
だから、その認識欠乏に応えることができるものは、
「集団を超えた社会に開かれ、それに応える場=認識形成の場」
しかありえない。
>即ち、人々の最先端の認識欠乏に応える『認識形成の場』(それは社会的な共認闘争の主体となる)は、古い私権闘争の場=市場(と国家)の真っ只中に姿を現す。
これらの人々の認識欠乏を受け、認識形成サイトを母胎とした、なんでやサロン、るいネットの参加者は増加し続けている。
人々の真の認識欠乏に応え、社会を再統合していく。
これからが、本番なんだと、最近強く思う。
西田美和
「会社がつまらない。」
「何のために、勉強しているのか。」
・・・行き詰っている人も多い。
なぜか?
それは、「『その場』が社会に開かれているかどうか?」
にかかっている。
友達や学校、会社仲間・・・etc、ある集団での課題はあるし、それを共認していくことは、それなりの充足もあったのだろう。
しかし、もはや、集団(課題)は、限界に来ている。
なぜなら、人々の真の認識欠乏は、集団をつきぬけ、社会に向かっている。
この欠乏を発現させているのは、生存圧力から、同類圧力への転換という外圧の大転換期なのだ。
もはや、集団内の圧力や共認で、欠乏を充たすことは出来ない。
だから、その認識欠乏に応えることができるものは、
「集団を超えた社会に開かれ、それに応える場=認識形成の場」
しかありえない。
>即ち、人々の最先端の認識欠乏に応える『認識形成の場』(それは社会的な共認闘争の主体となる)は、古い私権闘争の場=市場(と国家)の真っ只中に姿を現す。
これらの人々の認識欠乏を受け、認識形成サイトを母胎とした、なんでやサロン、るいネットの参加者は増加し続けている。
人々の真の認識欠乏に応え、社会を再統合していく。
これからが、本番なんだと、最近強く思う。
西田美和
“従来の国家や市場に要求するだけの「社会」運動”では、結局何も実現できない。それどころか、重箱の隅をつつくような法律やトンチンカンな制度ができて、ますます人々を苦しめるだけ。
なぜなら、「要求」する主体は、一部の声の大きい普通でない人が殆どだから。
また、普通の人が国家や市場で何かを実現しようとしても、個人や人権などの旧観念に基づいて主張するしかなく、本当に実現したいみんなの思いは全く違うものにされてしまうから。
だから、“自分たちでゼロから着実に新しい『場』を構築してゆく運動”にこそ、可能性がある。しかも、“人々が次々と『認識形成の場』に参加するだけで、国家に変わる新しい社会統合機構(の中核)が構築されてゆく”のだから、こっちの方が近道!
みに とまと
なぜなら、「要求」する主体は、一部の声の大きい普通でない人が殆どだから。
また、普通の人が国家や市場で何かを実現しようとしても、個人や人権などの旧観念に基づいて主張するしかなく、本当に実現したいみんなの思いは全く違うものにされてしまうから。
だから、“自分たちでゼロから着実に新しい『場』を構築してゆく運動”にこそ、可能性がある。しかも、“人々が次々と『認識形成の場』に参加するだけで、国家に変わる新しい社会統合機構(の中核)が構築されてゆく”のだから、こっちの方が近道!
みに とまと
>単なる消費者でもなければ専任の生産者でもない、半専任の協働者が構築してゆく全く新しい意識生産の場=認識形成サイトは、その協働エネルギーの大きさによって、はじめて市場を超えた新たな生産関係(=交換関係に代わる協働関係)の中核ともモデルともなるのである。
交換関係と協働関係の違いは何か?
■交換関係とは取引関係。今までの市場は、生産するものから消費するものへと一方的な関係で物事が取引されてきた。どちらかが生産しどちらかが消費するという立場=関係が明確で、生産者と消費者が分断されている。
それが、市場における生産関係である。
■協働関係とは、信認関係。共認関係。認識形成の場で繰り広げられる生産活動は、例えば、サイトを見るだけでも、ほかの人に紹介するだけでも、さらにサイトに投稿すれば、立派なサイト形成人。サイトに集まる認識を消費するも生産するも同時であり、個体の中で一体となった活動となっている。
ようは、サイトに投稿することや紹介し作り上げ生産することも、サイトを読んで消費することも同時である。協働関係とは、かつて、村落共同体で生産=消費の場であった、そのものが認識形成サイトでも実現できるということ。
しかも、みんなに開かれた場で、課題は、みんなの場である「社会」をテーマとして、認識を扱っているので、当然、私有や所有のない純粋な協働関係が成立します。
生産と消費が一体となった関係が協働関係なんだろうと思った。
近藤文人
交換関係と協働関係の違いは何か?
■交換関係とは取引関係。今までの市場は、生産するものから消費するものへと一方的な関係で物事が取引されてきた。どちらかが生産しどちらかが消費するという立場=関係が明確で、生産者と消費者が分断されている。
それが、市場における生産関係である。
■協働関係とは、信認関係。共認関係。認識形成の場で繰り広げられる生産活動は、例えば、サイトを見るだけでも、ほかの人に紹介するだけでも、さらにサイトに投稿すれば、立派なサイト形成人。サイトに集まる認識を消費するも生産するも同時であり、個体の中で一体となった活動となっている。
ようは、サイトに投稿することや紹介し作り上げ生産することも、サイトを読んで消費することも同時である。協働関係とは、かつて、村落共同体で生産=消費の場であった、そのものが認識形成サイトでも実現できるということ。
しかも、みんなに開かれた場で、課題は、みんなの場である「社会」をテーマとして、認識を扱っているので、当然、私有や所有のない純粋な協働関係が成立します。
生産と消費が一体となった関係が協働関係なんだろうと思った。
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