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>親和でも評価競争しているのです!

女の子で集まって行なっている感謝と謝罪のトレーニング。

「こんな嬉しい事あったよ!」
「あんな素敵な人いたよ!」

日々の小さな喜びを流さず、充足として固定化する。
充足を積み重ねる場。

そして、その親和充足の場にも、ちゃんと評価競争が発生しているんです!

活力をもって働いている人。
みんなの期待に応えている人。
もっと充足するには?って常に追求している人。

そんな人になりたい!秘訣は??
真似してみよう! などなど。。

充足している人へ収束しています。

(逆に、活力の無い人、自分の事しか考えていない人は、イケテナイ評価圧力がかかります。)

評価競争というと、闘争場面において発生するものだと思っていました。

しかし、(充足するには?という)課題を共認している以上、それが親和充足の場だとしても、評価競争は発生していて、そこに集まる人々は常に評価圧力にさらされているのです。

>個々の勝手な判断では、単に自分にとって都合がいいだけで、その結果、みんなからしたらより充足しない方向に向かっている場合も有り得るんです(>_<)

>だから重要なのは、より多くの人で、親和力アップを課題化して、充足評価を共有すること!!

充足度の高い人は、みんなの評価を集め、さらに充足度が上昇する。
(褒められたら嬉しいですよね♪)
充足度の高い人が沢山集まる程、場全体も充足する。
(元気な人が多い方が、場は盛り上がりますよね♪)
今はイケテナイ人も、いいお手本となる人が沢山いる!

みんなで感トレする意味にも繋がりました☆

 


西田香織
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個々の勝手な判断では、単に自分にとって都合がいいだけで、その結果、みんなからしたらより充足しない方向に向かっている場合も有り得るんです(>_<)

また、平等観念や思いやり観念がジャマをして、せっかく潜在思念で感じた評価を、なかったことにしたり、否定してしまったりしがちなんです(ToT)

さらに、プラス評価に収束して真似するより、マイナス評価に収束して排除する方が簡単なので、いじめになっちゃったりするんです(´Д`)

だから重要なのは、より多くの人で、親和力アップを課題化して、充足評価を共有すること!!

 


西知子
>農業人口が9割を超えるような共通の体験が豊富だったころの日本人にとって、俳句のような短くて洗練された表現を、共感覚のような気持ちで理解し実感することはごく自然にできていたのだと想像します。

>インターネットは、人と人とを結ぶ川のような働きをし、共通の体験や共通の観察対象を再生する可能性があるのではないかと想い、私も日々接続しています。(183875)

 私もインターネットに日々接続していますが、やはりそこでは皆と同じ情報(ニュース等)を共有したいという想いや、探索の為に使う事が多いです。
 かつて、日本人の大半は村落共同体の中で共通体験を行い、同じ事を共感しあう感覚を持っていたものと思われます。当然そこで使われる観念(言葉群)も同様だったのではないでしょうか。

 しかし、都市化が進み西欧から個人主義が導入されるや否や、共同体は解体されて人それぞれという観念に覆われてしまいます。ここで皆が求めたのが娯楽であり共通観念の情報媒体であるTVなのでしょう。

 今、TVをはじめとしたマスコミの横暴から、INという相互受信の媒体が新たな共認媒体の可能性と共に出現し、マスコミ権力に取って変わる動きも見え始めています(※だからマスコミは過剰報道・捏造等で行き詰っている)。
 そういう意味で今までINの可能性を捉えていたのですが、今回新たに気付いた事があります。

 『インターネットは、失われた共通観念を共有出来、共通観念を皆で創る事も可能なのである』という現象・事実です。
 これはまさに先人達が短歌・俳句であらゆる感覚を研ぎ澄まされた共通観念として皆に伝達したのと同じように、また共同体における共同体験等による共通規範・観念を伝達していたのと同じように、インターネットを介してそれらを共有出来るという事なのです。

 人は共認動物であり群れる生き物です。かつて持っていた共同体という環境・感覚は非常に重要なものだと思いますし、これを観念によって取り戻す事ができるとしたら、次代にとって非常に可能性があるものなのではないでしょうか。




匿名希望
>しかし、不全(危機・閉塞)を完全に捨象し切ることは出来ず、もう一方では潜在思念の社会収束(つながり・やりがい志向や変革期待や社会探索・事実吸収)が強まってきている。

>注:前者(探求者)と後者(普通の人)の違いは、既成観念を全的に明確に否定したか、全般的に何となく捨象したかの違いにすぎない。しかし、何となく捨象しているだけでは、無意識の内に既に染脳された既成観念に支配され続けることになる。従って、既成観念から脱却する為には、明確に否定し切ることが、決定的に重要になる。


最近のネット世界では新しい事実を発掘して発信する有益なブロガーが登場し始めている。

彼らは現実社会で生きている中で既成観念の一部を明確に否定して新しい事実探索を始めている人たちだと思える。
大半の普通の人たちが答えを与えられるのを求めている状態にあるのとは明らかに違っている。

彼らは観念を全般的に「捨象」するという状況には留まらずに、現実の中で観取した問題意識などの潜在思念を率直に対象化して探求に向かいはじめている人たちだと言えるのではないだろうか。

彼ら個人では新しい構造認識を作りだすことは難しいと思うが、有益な事実認識を提供する人たちがネット世界に数多く登場し、様々な既成観念が否定され、塗り替えられることによって新しい構造認識・統合理論の必要性が明確になってゆくと思う。
そして、そのような状況の中から既成観念を全的に否定した新たな探求者たちが登場してくるようになるのではないだろうか。



わっと 
国家の成り立ち、市場の成り立ちを歴史事実に基づいて押さえていくと、

> 序列原理で統合している国家も、
> 序列原理からの抜け道である市場も、
>
> どちらも私権闘争が圧力源(=活力源)

という構造が明らかになってくる。

国家が行っている国債投入による市場の延命策は、私権闘争の終焉という状況を見誤った策であることは確かだが、そもそも国家自体が私権闘争を圧力源(=活力源)にして成立しているため、私権闘争の終焉を受け入れることはできないのだ。

この構造がわかれば、既存の国家体制では、貧困の消滅→私権闘争の終焉によって生じた収束不全に対して、答えを出すことができないことも明確に理解できる。

と同時に、期待・応合の同類圧力を活力源とする新しい社会統合機構をつくっていくことが、最大の可能性であることもわかる。


小手先の方策では太刀打ちできない閉塞状況であればあるほど、徹底した歴史事実に基づく追求によって、初めて可能性を見出すことができるのだ。





西村秀彦
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