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金融資本主義が崩壊の危機に瀕し国家への収束力も弱まる中、我々は私権統合社会の後に、どのような社会を招来すべきなのか。
直面する課題に対し、実現論前史を読み終えて次のように感じている。
例えば目指すべき共認統合社会の原型モデルとして、1万年前に漁労・採集部族が実現した総偶婚規範による性闘争解消と完璧な自我封鎖の状況を挙げることができる。
当時、人類は観念機能の発達により生存外圧が低下したことで解脱収束化(=堕落化)と自我発生という弱点露呈の危機にあったが、彼らはそれを見事に克服している。それは貧困の消滅と共に収束軸を失った人類への処方箋として大きな先例といえる。
ただ、歴史に学ぶべき点は他にもある。
>あるいは、こうも云える。人類は(わずか数十年~数百年という短い期間では)集団を超えた同類闘争を止揚・統合する機能or場を作り出すことが出来ずに、あっという間に性闘争→掠奪闘争に席巻(せっけん)されてしまったのだと。
彼らは同類闘争圧力に対する備えが全く出来ていなかった。その為に3000年間に亙り私権統合社会に蹂躙されるほかなかった。
従って、単純な復古主義的なものであっては前回の二の舞であり、そもそも実現性自体が乏しいものとなる。
では、今後何が必要なのか。
基本的には不断の共認闘争である。但し、その闘争の次元は討論(主張し合うこと)でもなければ議論(多様な意見を学ぶ)といったものでもない。あくまで、対話(事実認識に向けて互いに学び高めあう)でなければならない。
つまり対話による闘争こそが、私権に統合されてきた人々の認識を変革することになる。そしてそれを仕掛けることが即ち新たなる闘争であり、望むべき外圧となる。
その意識変革の現場こそサロンであり、露店であり、劇場であり、更にはそれら対話で培った新たな認識を日常性のうちに発揮していくことである。そうした場を得られたことを大いに感謝したい。
松岡隆
直面する課題に対し、実現論前史を読み終えて次のように感じている。
例えば目指すべき共認統合社会の原型モデルとして、1万年前に漁労・採集部族が実現した総偶婚規範による性闘争解消と完璧な自我封鎖の状況を挙げることができる。
当時、人類は観念機能の発達により生存外圧が低下したことで解脱収束化(=堕落化)と自我発生という弱点露呈の危機にあったが、彼らはそれを見事に克服している。それは貧困の消滅と共に収束軸を失った人類への処方箋として大きな先例といえる。
ただ、歴史に学ぶべき点は他にもある。
>あるいは、こうも云える。人類は(わずか数十年~数百年という短い期間では)集団を超えた同類闘争を止揚・統合する機能or場を作り出すことが出来ずに、あっという間に性闘争→掠奪闘争に席巻(せっけん)されてしまったのだと。
彼らは同類闘争圧力に対する備えが全く出来ていなかった。その為に3000年間に亙り私権統合社会に蹂躙されるほかなかった。
従って、単純な復古主義的なものであっては前回の二の舞であり、そもそも実現性自体が乏しいものとなる。
では、今後何が必要なのか。
基本的には不断の共認闘争である。但し、その闘争の次元は討論(主張し合うこと)でもなければ議論(多様な意見を学ぶ)といったものでもない。あくまで、対話(事実認識に向けて互いに学び高めあう)でなければならない。
つまり対話による闘争こそが、私権に統合されてきた人々の認識を変革することになる。そしてそれを仕掛けることが即ち新たなる闘争であり、望むべき外圧となる。
その意識変革の現場こそサロンであり、露店であり、劇場であり、更にはそれら対話で培った新たな認識を日常性のうちに発揮していくことである。そうした場を得られたことを大いに感謝したい。
松岡隆
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ひたすら膨れあがって、何がなんだか訳が分からなくなった金融市場とその危機。
それに対し、どんな被害が出ているか、どんな手が打たれたか、どんな手が打てるか、etcが次々と投稿されています。
でも、複雑すぎて、それらの投稿がどんな意味を持つのか(繋がり)がイマイチ分かっていませんでした。
そこで、今日改めて、その大枠をサロンで整理してもらいました!
【刷るしかない?】
膨れあがった金融市場の破綻は、もはや自浄回復が不可能なところまで来ています。
現在もすでにそうですが、こうなると、国家による資金注入(増刷)に頼るしかないんです。
【あといくら刷れば大丈夫?】
これは、損失がどこまで広がるのかによります。
でも、複雑すぎて一番訳が分からない(読めない)のがこの部分?
【どうやって刷る?】
一応資本主義という建前上、無制限に刷る訳にはいきません。
また、一応民主主義という形式上、議会や法律を無視する訳にもいきません。
そこで、大義名分を保ちつつ法案を変えながらの特例措置が、どこまで可能なのか=共認が図れるのかということになります。
(手段としては、米国債の発行、FRB特融、RFCetc?)
【そんなに刷って大丈夫?】
大量に紙幣を刷って心配されるのが、暴落とインフレ。
目の前の救済が一刻を争う中、状況を読み切ってこのバランスを維持できるかは、とても微妙です。
また、ロックフェラーが暴落を仕組んでいる可能性は高く、いつ引き金が引かれるかも分かりません。
以上、私と同じ経済初心者のみなさん、いかがでしょうか。
どんどん出てくる事実や構造は、これら【4つの幹】の不確定部分を明らかにしようとしていたんです!
この幹があれば、たくさんある投稿(情報)も、「何のための(何を明らかにしようとしている)情報か」が分かりそうですよね☆
西知子
それに対し、どんな被害が出ているか、どんな手が打たれたか、どんな手が打てるか、etcが次々と投稿されています。
でも、複雑すぎて、それらの投稿がどんな意味を持つのか(繋がり)がイマイチ分かっていませんでした。
そこで、今日改めて、その大枠をサロンで整理してもらいました!
【刷るしかない?】
膨れあがった金融市場の破綻は、もはや自浄回復が不可能なところまで来ています。
現在もすでにそうですが、こうなると、国家による資金注入(増刷)に頼るしかないんです。
【あといくら刷れば大丈夫?】
これは、損失がどこまで広がるのかによります。
でも、複雑すぎて一番訳が分からない(読めない)のがこの部分?
【どうやって刷る?】
一応資本主義という建前上、無制限に刷る訳にはいきません。
また、一応民主主義という形式上、議会や法律を無視する訳にもいきません。
そこで、大義名分を保ちつつ法案を変えながらの特例措置が、どこまで可能なのか=共認が図れるのかということになります。
(手段としては、米国債の発行、FRB特融、RFCetc?)
【そんなに刷って大丈夫?】
大量に紙幣を刷って心配されるのが、暴落とインフレ。
目の前の救済が一刻を争う中、状況を読み切ってこのバランスを維持できるかは、とても微妙です。
また、ロックフェラーが暴落を仕組んでいる可能性は高く、いつ引き金が引かれるかも分かりません。
以上、私と同じ経済初心者のみなさん、いかがでしょうか。
どんどん出てくる事実や構造は、これら【4つの幹】の不確定部分を明らかにしようとしていたんです!
この幹があれば、たくさんある投稿(情報)も、「何のための(何を明らかにしようとしている)情報か」が分かりそうですよね☆
西知子
インターネットの登場によって、情報の発信と受容の経路に劇的な変化が生じ、情報を受動的にマスコミから得る時代から、必要な情報はインターネットで調べ、場合によっては個人レベルで発信する時代に変化した。インターネット上に、マスコミが報道してこなかった内容が出現するにつれ、マスコミがこれまでいかに偏向報道していたかが明らかとなり、特にインターネットを積極的に利用する若者の間で、マスコミ離れ、インターネット志向が急速に進んでいる。
インターネットを利用することで、紙媒体やテレビを中心とするマスコミから得られる以上の膨大な情報源にアクセスできるが、情報量は膨大であり、かつコンテンツは玉石混交であることから、正しい情報は何か、事実は何か、を見極める能力が重要となっている。
インターネット上の情報のなかで、何が事実で何が間違っているかを判断することは意外と難しい。これについてサロンで話し合い、以下の4つがポイントではないかという指摘があった。
(1).論理整合性があるか
(2).直感レベル(心、体)で受け入れられるか
(3).自ら疑問をもつこと(「何で?」と思考すること)
(4).自分で仮説を立てて、その仮説を共有、検証すること
それぞれ重要だと思うが、特に(4)「自分で仮説を立ててそれを共有、検証する」に注目したい。マスコミやネット上の情報を読んで受容するだけでは、情報を取り入れるだけで終わってしまうことが多い。本当は何が事実なのか、その報道(情報)の裏側はどういう構造になっているのか、を自分の頭を回転させて仮説を立て、それをネット上、もしくはその他の場所に公開して他者と共有し、批判を受けると、情報に対する自分の態度が180度変わってくる。自分の仮説が間違っているかもしれないし、自分の情報源が間違っているかもしれない、もしくは自分の仮説が正しく、共感が得られるかもしれない。これまで情報を受動的に受け入れていた状況から、自分の仮説が正しいかどうかを判断される立場に変化する。これによって個人レベルで、事実、真実に近づく可能性が大きく高まるのではないだろうか。
daisuke
インターネットを利用することで、紙媒体やテレビを中心とするマスコミから得られる以上の膨大な情報源にアクセスできるが、情報量は膨大であり、かつコンテンツは玉石混交であることから、正しい情報は何か、事実は何か、を見極める能力が重要となっている。
インターネット上の情報のなかで、何が事実で何が間違っているかを判断することは意外と難しい。これについてサロンで話し合い、以下の4つがポイントではないかという指摘があった。
(1).論理整合性があるか
(2).直感レベル(心、体)で受け入れられるか
(3).自ら疑問をもつこと(「何で?」と思考すること)
(4).自分で仮説を立てて、その仮説を共有、検証すること
それぞれ重要だと思うが、特に(4)「自分で仮説を立ててそれを共有、検証する」に注目したい。マスコミやネット上の情報を読んで受容するだけでは、情報を取り入れるだけで終わってしまうことが多い。本当は何が事実なのか、その報道(情報)の裏側はどういう構造になっているのか、を自分の頭を回転させて仮説を立て、それをネット上、もしくはその他の場所に公開して他者と共有し、批判を受けると、情報に対する自分の態度が180度変わってくる。自分の仮説が間違っているかもしれないし、自分の情報源が間違っているかもしれない、もしくは自分の仮説が正しく、共感が得られるかもしれない。これまで情報を受動的に受け入れていた状況から、自分の仮説が正しいかどうかを判断される立場に変化する。これによって個人レベルで、事実、真実に近づく可能性が大きく高まるのではないだろうか。
daisuke
国家とは、統合機関である。
つまりその統合軸を変える事は、国家を変えることに直結する。
これは大きな発想の転換であり、気付きです。
今まで「国家を変える」と言うと、政党を作って、選挙で当選して、国会議員になって・・・という発想しかありませんでした。
しかしこれは、国会や内閣が統合機関として十全に機能していればの話です。昨今の内閣や国会を見るにもはや統合機関の体をなしていません。
現在はむしろ世論=共認によって統合されている。
故に、共認形成力絶大なマスコミが統合階級にのし上がってきた、と言うのが実体です。
「国家」を、「内閣」や「国会」といった狭い枠だけで見てしまうとそこに入るしか道がない様に思ってしまいますが、
「国家とは、統合機関である」
と言う事に気付けば、全く違う可能性が見えてきます。
つまり、機能不全に陥った旧い統合軸に代わる、新たな統合軸を追求する活動。
そしてそれを社会共認に昇華させる、その為に、マスコミに代わる共認形成の場を作って行く活動。
これこそが、「統合」という国家の本来の機能そのものにダイレクトにメスを入れる活動であり、社会を変える最も有意義な活動と成りうるのだと思います。
山田孝治
つまりその統合軸を変える事は、国家を変えることに直結する。
これは大きな発想の転換であり、気付きです。
今まで「国家を変える」と言うと、政党を作って、選挙で当選して、国会議員になって・・・という発想しかありませんでした。
しかしこれは、国会や内閣が統合機関として十全に機能していればの話です。昨今の内閣や国会を見るにもはや統合機関の体をなしていません。
現在はむしろ世論=共認によって統合されている。
故に、共認形成力絶大なマスコミが統合階級にのし上がってきた、と言うのが実体です。
「国家」を、「内閣」や「国会」といった狭い枠だけで見てしまうとそこに入るしか道がない様に思ってしまいますが、
「国家とは、統合機関である」
と言う事に気付けば、全く違う可能性が見えてきます。
つまり、機能不全に陥った旧い統合軸に代わる、新たな統合軸を追求する活動。
そしてそれを社会共認に昇華させる、その為に、マスコミに代わる共認形成の場を作って行く活動。
これこそが、「統合」という国家の本来の機能そのものにダイレクトにメスを入れる活動であり、社会を変える最も有意義な活動と成りうるのだと思います。
山田孝治
「できることから始めよう」という言葉が氾濫している。
環境問題に始まり、教育、地域社会の再生、はては鬱病の治療まで…。
しかし少し考えてみると、この発想が安易な目先収束であることに気づく。
誰かがエアコンを使わないことで、環境問題は解決するだろうか?
誰かが隣の子どもの勉強を見ることで、教育問題は解決するだろうか?
誰かが隣のお年よりの世話をすることで、地域社会は再生するだろうか?
みながバラバラに「自分のできることから」と動き出すことは、
戦闘機に向かって竹やりを突き出している様を思い浮かべてしまう。
だからこそ、
>『必要か、必要でないか』という認識は、決定的な一つの答えとなる。
この認識が伝播するのに応じて、真っ当な判断の土俵が確立されてゆく。
(『必要か、必要でないか』という真っ当な判断の土俵が出来てゆく)
この言葉は非常に重い。
自分にとって「できることなのかどうか」ではなく、
社会にとって「必要か、必要でないか」と思考していく。
さすれば、結果は自ずと「グランドセオリーの構築」
つまり認識形成へと向かっていくのではないだろうか。
簡単にできはしないだろうが、
みなが知識を寄せ集め、つむいでいく。
認識によって統合していく。
それこそが期待されている活動だと思う。
Lucky
環境問題に始まり、教育、地域社会の再生、はては鬱病の治療まで…。
しかし少し考えてみると、この発想が安易な目先収束であることに気づく。
誰かがエアコンを使わないことで、環境問題は解決するだろうか?
誰かが隣の子どもの勉強を見ることで、教育問題は解決するだろうか?
誰かが隣のお年よりの世話をすることで、地域社会は再生するだろうか?
みながバラバラに「自分のできることから」と動き出すことは、
戦闘機に向かって竹やりを突き出している様を思い浮かべてしまう。
だからこそ、
>『必要か、必要でないか』という認識は、決定的な一つの答えとなる。
この認識が伝播するのに応じて、真っ当な判断の土俵が確立されてゆく。
(『必要か、必要でないか』という真っ当な判断の土俵が出来てゆく)
この言葉は非常に重い。
自分にとって「できることなのかどうか」ではなく、
社会にとって「必要か、必要でないか」と思考していく。
さすれば、結果は自ずと「グランドセオリーの構築」
つまり認識形成へと向かっていくのではないだろうか。
簡単にできはしないだろうが、
みなが知識を寄せ集め、つむいでいく。
認識によって統合していく。
それこそが期待されている活動だと思う。
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