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前夜の意識状況3 無用となった感応観念(価値観念や規範観念)
>現実に、(特に仲間関係では)本源充足の可能性が開かれた以上、その可能性の実践的な模索に収束するのが当然で、その代償観念にすぎない感応観念(価値観念や規範観念)はもはや無用となったのである。

共認充足を実現するために、“発信”の重要性が増している。しかし、感応観念が無用になったが、構造認識を持ちえていないために、なかなかうまく発信ができないでいる。

共認革命13 発信の動機に不純なかりしか?
>●あくまでも、実感(潜在思念)に基づく投稿であること。実感=潜在思念のそれなりの統合にこそ、新しさが潜んでいる。
>●とりわけ、時間をかけ、頭を使って長文の投稿をしているのに、皆に敬遠されがちで人気がないと自覚している人は、上記の諸点を反省してみる必要がある。(その様な人は、現象事実の発掘に力を注いだ方が良い。それなら皆の役に立つし、場を盛り立てることもできる。)

“要するに”何なのか(構造認識)。それを自己解釈しても意味はない。構造認識の納得を促すための、“例えば”何なのか(現象事実)の発信なら、誰にでもできるし、皆の役に立つ。




福田尚正
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「超国家・超市場論」を学ぶ中で、特に印象に残った点を3つほど挙げてみたい。

①歴史的事実に基づく新たな統合基盤の必然性

>全ての生物は、環境(外圧)に対する適応態として存在する。そして環境(外圧)が変化すると新しい環境(外圧)に適応すべく新しい最先端の可能性へと収束し、やがて新しい機能が生み出されると、古い諸機能は新しい環境に適応し得る最先端機能の下に収束することによって、全体が再統合される。

生物とは外圧適応態である、とは実現論でも語られている歴史的事実であり、我々が事実追求していく上での根本原理でもある。そして、人類に於いては外圧(同類闘争圧力<私権闘争や略奪闘争>)に対して適応する為に統合(社会統合化)することが必要不可欠ということになる。

この大前提に立つ時、外圧の変化は社会統合様式を変える必然的要因となる。そして、その外圧変化は既に1970年の貧困の消滅により生存圧力の衰退という形で始まっているのである。付言すれば更にその約30年後、1990年代末に起こった国内金融機関の相次ぐ破綻や官僚汚職による旧大蔵キャリアやエリート銀行マン、証券マンの没落という現実を前に、1つの私権追求志向が(外圧に適応し、活力を与える)可能性として潰えた。

この様な統合不全を前にしながら、さりとて統合しなければ人類は生存できないという危機のうちに、新たな統合基盤が求められているのだと理解できよう。

②具体的な統合基盤創造に向けた考察

では、実際に社会統合基盤を創造するとはどういうことか、と問う時に先の引用にあった「古い諸機能は新しい環境に適応し得る最先端機能の下に収束することによって、全体が再統合される」との一文が非常に重要になる。
つまり旧来の統合軸であった私権原理をただ忌避するのではなく、それらを交えた中で、どれが生存圧力衰退という前代未聞の外圧への適応様式として可能性を感じさせるのか、を競わなければならない。それこそが社会統合原理における共認闘争の“争点”なのである。

そして、その競争に打ち勝った統合原理こそが、即ち旧来の統合機能をも収束させていくことになる。
ならば、如何にして旧来の私権原理を超え得る統合様式を確立するのか。

>歴史を貫通する人類の最先端機能は評価共認であり、それが人々を収束させ、集団を統合し、秩序と体制(役割分担etc)を形成してきた。
~中略~
従って、いかに時代が変わり、中身が変わっても、『評価指標の共認』という収束=統合機能の絶対的な必要性は、不変である。
それ故に、時代が変わる時、新しい可能性(中身)は、必ず古い評価指標の世界の真只中に姿を現わしてその評価の洗礼を受けることが、顕在化するための絶対的な必要条件となる。

つまり、共認動物である人類にとって評価指標こそが統合の本質なのであり、それをお金という私権獲得の為の指標から、皆の必要性やその認識充足性という観点による類的価値としての指標、即ち「(認識形成への)参加人数」「(認識形成への)投稿資格」に、認識転換させることがカギになる。
その為に繰り広げられるネットやサロン、露店での不断の対話こそが、体感共認或いは観念共認を呼び起し、可能性を感じさせ蒙を啓く契機となるのである。


③認識革命を貫く本源性

先に実現論前史を学んだということもあるが、超国家・超市場論においても通底する思想が流れている。そのことを特に意識したのが、“類的”という用語であった。
この言葉は19世紀の哲学者フォイエルバッハが編み出したものだが、彼は主著である「キリスト教の本質」に於いて、“神性”とは人間の内面そのものを投影したものであり、人間の外に神性を措くことは人間疎外であると、その倒錯性を喝破している。そして、人間が日常に於いて常に利害関係(=私権)を抱きつつも、それだけではなく人間の本質(つまり人類としての本源性)を意識して生きるものだと語っている。因みにその人間の本質とは理性(=思考、認識)、意思、心情とあるが、それらが人類を他の生物と分かつ類的な要素であり、人間はその完全性に向けて希求せざるを得ないのだという。

ところで、こうした人間と神性の一致には少なくとも2つの大きな意味があるだろう。
1つは人類の無限の可能性を拓くことであり、本源価値の追求という最も希求すべきことに邁進できるという点。
いま1つは人類に時制の観念がある限り、拭い切れない“未来への不安”を、本源価値により他者と結びつき一体となることで、突破できるということである。即ち、私権を捨て我執を乗り越える中に、弧絶の不安は霧散するのである。

なお、このような人間と神性なるものの一致、或いは自他の一致は実はホイエルバッハから逆上ること2000年前に既に仏教により説かれているものでもある。(そういった点では仏教なるものは精霊信仰後の、守護霊信仰、古代宗教などの捏造の流れと必ずしも一致するものではない)

或いは、現代でいえば心理学者マズローが提唱し広まった欲求5段階説の最高次に位置する「自己実現」ともかなり一致するものがある。
いずれにせよ、このような本源性を臨む姿勢こそが認識革命の熱源なのであり、可能性の在り処なのだと感じた次第である。

概ね以上だが、今後も本源価値の掘り起こしと、その視座から事実認識に迫るという構えを忘れずに対話を進めて参りたい。





松岡隆
減価する貨幣の意義は

1) 労働証明のような担保を背景にして、かつ減価することで、貨幣流通量を急激に増やし、既存貨幣に替わって新しい貨幣を流通させることができる。これにより貨幣価値が暴落している局面で、新しい貨幣秩序をスピーディにつくることができる。
2) 減価するため、貨幣それ自体を所有することによる付加価値が生じない。従って、金貸しによる金利利益を追い求めた「騙し」自体が成立しなくなる。

という点だと思います。

現在の日本の状況をみると円が強い。が先行き不安から貯蓄性向が強く、他方で欲しいものがないため貨幣流通量が増えないという状況になる。従って「減価」の意義はあまり大きくないのではないでしょうか?
むしろ貨幣価値が揺らいでいる欧米では意味があるかもしれません。

いずれにせよ議論の本質は「新しい仕事の創出」に有益な貨幣政策とは何か、というところではないでしょうか。そして日本の場合は円の信頼性を背景にした政策の方が意味があるのだと思います。

つまり景気(消費刺激)対策のための通貨政策ではなく、新しい仕事を普及させるための通貨政策が重要なのだと思います。

そのような前提を考えると、意外とるいネットが追求してきた「ネットを通じた副業的知的労働とそれを推奨するための通貨」が有効かもしれません。

具体的には今の会社に席はあるが仕事がなくて半分は暇している・・・という状況や、派遣切りされたネットカフェ難民を想定します。内容はるいネットで議論されているようななんで?はもちろん、学生からの質問に答えるとか、地域の歴史や自然について答える、といったことでもいいと思います。彼らがネット空間において有意義な知的生産を行えば、ネットを通じての書籍購入が割り引かれるとか、ネットカフェでの食事代が安くなるとかに支援金を出したらどうでしょうか。

一律にバラマくよりも、評価とセットの副収入という方が活力再生につながると思いますし、IT普及と教育再生につながれば世界から注目を集める政策になると思うのですが。そしてこの方式なら、減価うんぬんは無関係にいわなくてもどんどんネット通貨は使われると思います。






山澤貴志
 るいネットの投稿も、他のサイトからの紹介投稿や、市販の本の紹介投稿が多数あります。
その中には、深く突っ込んだ事実追求もあれば、事実に基づいた大胆な仮説も展開されています。

 こうした思考は、無意識にではあるでしょうがまさに構造認識であり、歴史観や構造認識を使って認識を競い合う闘争が書籍界からネット界へ、急速に広がっていると感じます。

 この状況下、単なる人つながりでは物足りず、今まで探索していた人達も、状況認識を掴むことが容易になり、答えに触れる機会も格段に増えているのだと思います。

 発信する方も読者の期待を受けて、ますます認識に磨きをかけていってます。これはまさに認識をめぐる同類闘争です。
 現在起こっている金融危機という外圧が、さらなる同類闘争の激化をうながし、人々を社会収束に導いているのです。

 るいネットはその最先端になることと、答えを次々と配信してゆくことで、構造認識の有用性を広める役割が求められています。





ちわわ
>人々は、社会不全⇒人(ひと)収束を伴いつつ、外向収束から認識収束へと向かっている。この認識欠乏が顕在化するのは、もはや時間の問題である。それが顕在化すれば、人々が求める『新しい認識』は、人々の最先端の統合価値となり、従ってまた最強の活力源となる。

上記は2002年5月の投稿で、認識欠乏の兆しがあリ、その顕在化は近いと指摘している。その後、人々の意識はどう変わったのか?

少し前に、自由主義社会が共産主義経社会に勝利したと思ったとたん、市場経済が破綻してしまった。そして世界中の人が、市場経済が人々の幸せをもたらす訳では無い事を共認した。しかし、どうしたら良いか答えがない。

日本でも、小泉政権が自民党をさらには日本を改革すると宣言して様々な市場経済主義の政策をとったが、自民党も日本国も全く変わっていなく逆に悪化したので、今や全て嘘だと分ってしまった。

おかげで、アメリカの市場主義に服従していた日本は投機バブルで踊って、又もや世界経済不況に巻き込まれている。100年に一度の経済問題だといいながら、世界中の国家はその答えを持ち合わせていない。日本政府の、無方針及び無能さに、大衆はどこに期待をしていいか分らない状況。

世界経済及び、日本国の制度が金属疲労していることは、もはや誰もが理解している。

つまり、「認識欠乏の顕在化」及び「新しい認識」を求める意識がきっと発生してくるだろうと言う状況だったのが、

今や、「認識欠乏」(=答えはどこにある?)と言う意識で社会は充満している。





猪飼野
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