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>●説明(説得)するという、説明(説得)の為の思考に入った途端に、本当の探求の為の思考は消え失せ、代りに辻褄合わせの思弁や詭弁やごまかし⇒説得しようとする欺瞞の自我が、引きずり出されてくる。
探求思考⇒説明思考は、話し手だけでなく、聞き手も陥ってしまう事がある。
よく、人から説明を聞いていても、内容がよく分からない時がある。しかし、そのような場合でも、「分からない」ということを気付かれたくないがために、「分かったフリ」をしてしまうことがある。この時が、聞き手が説明思考に陥ってしまっている時である。
この時、聞き手は他人を説得しているのではなく、「自分は分かっているのだ」と、自分自身を説得しているのである。本当はその分からない中身をつっこんで相手に質問するのが探求思考なのだが、それをせず、自分の内面のみを対象化して、自分自身に言い聞かせるのである。これでは探求から遠のいていくばかりである。
よく、「話し上手は聞き上手」という言葉を聞くが、注意が必要である。本当の聞き上手とは、ただ相手の話を聞いてうなずいているだけの人のことではない。話し手からしてみれば、うなずいてもらえると、受け入れてくれていると感じて、気持ちよく話すことができる。もちろんこれも重要ではあるが、それだけでは話に誤魔化しの内容が含まれていても誤魔化しのまま流されていってしまうため、話し手も聞き手も探求思考を喪失してしまう。これは、聞き手が説明思考に陥ってしまっている状態である。
本当の聞き上手とは、相手の話の内容に踏み込み、質問していく人のことである。質問すると、話し手は逆に説明思考に陥るかもしれない。だが、そのような説明思考に陥った相手に対しても、その内容から課題を抽出し、探求につなげる事が出来る人こそが、本当の聞き上手=話し上手ではないだろうか。
匿名希望
探求思考⇒説明思考は、話し手だけでなく、聞き手も陥ってしまう事がある。
よく、人から説明を聞いていても、内容がよく分からない時がある。しかし、そのような場合でも、「分からない」ということを気付かれたくないがために、「分かったフリ」をしてしまうことがある。この時が、聞き手が説明思考に陥ってしまっている時である。
この時、聞き手は他人を説得しているのではなく、「自分は分かっているのだ」と、自分自身を説得しているのである。本当はその分からない中身をつっこんで相手に質問するのが探求思考なのだが、それをせず、自分の内面のみを対象化して、自分自身に言い聞かせるのである。これでは探求から遠のいていくばかりである。
よく、「話し上手は聞き上手」という言葉を聞くが、注意が必要である。本当の聞き上手とは、ただ相手の話を聞いてうなずいているだけの人のことではない。話し手からしてみれば、うなずいてもらえると、受け入れてくれていると感じて、気持ちよく話すことができる。もちろんこれも重要ではあるが、それだけでは話に誤魔化しの内容が含まれていても誤魔化しのまま流されていってしまうため、話し手も聞き手も探求思考を喪失してしまう。これは、聞き手が説明思考に陥ってしまっている状態である。
本当の聞き上手とは、相手の話の内容に踏み込み、質問していく人のことである。質問すると、話し手は逆に説明思考に陥るかもしれない。だが、そのような説明思考に陥った相手に対しても、その内容から課題を抽出し、探求につなげる事が出来る人こそが、本当の聞き上手=話し上手ではないだろうか。
匿名希望
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>だが、甘えてはいけない。認識形成は、遊びではない。それは生産活動であり、闘いなのだ。
るいネットでうなずくところの多い四方勢至さんの投稿の中でも、この言葉は白眉のひとつだと思う。るいネットおよびその周辺活動のあり方を見事に表し、かつ、すすむべき道しるべとなっている。
るいネットを読むのも、投稿するのも生半可な遊び心ではできない。一定のまとまった時間と相当程度の集中力を要する。しかも、るいネット歴を重ねるほど、その要求されるエネルギーは高まるように感じる。外圧=内圧で捉えると、経験を積めば積むほど、彼(彼女)の認識形成に対する外圧(みんなの期待)が高まり、それを受けて内圧(応望力)が強まっているということだろう。
これは、生産活動に他ならない。
私権原理から共認原理へのパラダイム転換には、まずは場が必要、そしてそれを形成していくエネルギーが必要。ひとりひとりに要求される集中力も半端ではない。それほどの大事業=共認革命なのだ。
しかし、逆に、場があり、そこに集中しさえすれば、凡人でも相当の認識力を実につけることができるし、体得した構造認識を駆使して時代を変える一翼を担える、ということを意味する。
このことは、市場社会が人々の集中力を欠くベクトルにのみ作用し、ひととしての本源的活力を換骨奪胎してしまうのと対極にある。
認識形成の場への参加は、あらゆる生産活動、人間関係に通底する、人間社会の根底的活動だ。
>認識形成サイトに投入される大衆の仕事エネルギーこそが、その場を、国家を超えた全く新しい社会統合機構(の中核部)にすると同時に、市場を超えた全く新たな生産関係(の中核部)にしてゆくのである。
これだけの大事業が、遊び半分で出来る訳がない。
この期におよんで甘えることは許されない。それは死=滅亡を意味する。道しるべをしっかり見据えて、とらえていきたい。
阿部佳容子
るいネットでうなずくところの多い四方勢至さんの投稿の中でも、この言葉は白眉のひとつだと思う。るいネットおよびその周辺活動のあり方を見事に表し、かつ、すすむべき道しるべとなっている。
るいネットを読むのも、投稿するのも生半可な遊び心ではできない。一定のまとまった時間と相当程度の集中力を要する。しかも、るいネット歴を重ねるほど、その要求されるエネルギーは高まるように感じる。外圧=内圧で捉えると、経験を積めば積むほど、彼(彼女)の認識形成に対する外圧(みんなの期待)が高まり、それを受けて内圧(応望力)が強まっているということだろう。
これは、生産活動に他ならない。
私権原理から共認原理へのパラダイム転換には、まずは場が必要、そしてそれを形成していくエネルギーが必要。ひとりひとりに要求される集中力も半端ではない。それほどの大事業=共認革命なのだ。
しかし、逆に、場があり、そこに集中しさえすれば、凡人でも相当の認識力を実につけることができるし、体得した構造認識を駆使して時代を変える一翼を担える、ということを意味する。
このことは、市場社会が人々の集中力を欠くベクトルにのみ作用し、ひととしての本源的活力を換骨奪胎してしまうのと対極にある。
認識形成の場への参加は、あらゆる生産活動、人間関係に通底する、人間社会の根底的活動だ。
>認識形成サイトに投入される大衆の仕事エネルギーこそが、その場を、国家を超えた全く新しい社会統合機構(の中核部)にすると同時に、市場を超えた全く新たな生産関係(の中核部)にしてゆくのである。
これだけの大事業が、遊び半分で出来る訳がない。
この期におよんで甘えることは許されない。それは死=滅亡を意味する。道しるべをしっかり見据えて、とらえていきたい。
阿部佳容子
私は一般の事業会社に勤める平社員であるが、類設計の社員さんと話をして、類グループの共同体という組織体を少しずつ知るにつれ、類グループ独自の共同体という組織運用方法に驚愕すると共に、この方法論をもっと他の企業に広めることが、労働者(生産者)一人一人の活力を高め、かつ我が国の経済再生・復活の糸口にもなるのではないかと思うようになってきた。
※以下は色々なタイミングで社員の方から聴きだした内容の蓄積であるため、うろ覚えや一部誤解等あるかもしれないので、間違いがあればご指摘頂ければ幸いです。
類グループのすごいところは、「社員全員が取締役」であるという点である。類グループのサイトを見ると、所員数428名と書かれているため、この428名全員(新入社員時のみ別扱いらしいが)が類グループの取締役ということになるのだろう(社員ではなく所員と書かれているのも、いわゆる平社員がいないからなのであろう)。この取締役というのは形式上のものではなく、本当に本物の取締役なのであって、税務署に提出する会社関係の書類の取締役欄にも普通の事業会社は取締役一人だけが判子を押すが、類グループでは全員が取締役なので一人一人が判子を押していたくらい(さすがに大変なので、ある時点で代表者一人の判子でOKとなったらしいが)なので、本当に取締役なのだ。
一般の事業会社では、経営情報は最高機密情報の一つであり、社長・役員・株主等一部の経営層の人間のみがアクセスでき、その情報が経営戦略策定の前提となる。また通常、経営会議は経営陣のみが参加する密室会議の形式で行われるため、平社員が経営に影響を与えることも、経営会議に参加することもできない。一方、類グループでは全社員に対し常に経営情報を開示し、経営会議も全員収容可能なミーティングルームを使って全員参加で行っているようだ。そのため、若手社員でも取締役なので当事者意識を持って経営に参画し、若手が経営に対しても年配の社員に対しても、どしどし意見が出せる(らしい)という点が特徴である。
一般に日本企業の組織構造は、社長-役員-部長-課長-平社員 という垂直ピラミッド構造であり、経営に関わるのは社長、役員で管理業務が部長、課長、そして実際に手を動かして現場で業務を遂行するのが平社員という構造になっている。この垂直ピラミッド構造においては、平社員や課長が経営に口を出すということは「ありえない」ことであり、若手の意見が経営に伝わる経路は極めて細い(まれにうわさ話的に若手の意見がラインを通ることもあるが)と言ってよい。だが、よくよく考えてみれば、実際に手を動かし、社外の顧客と接触機会を持つ現場の平社員は、人間でいえば外圧を把握する手や皮膚のような直接外圧に接する存在であり、業務に関する外圧を最も敏感に感じ取れる存在でもある。もし、平社員が現場で認識した外圧が経営層まで伝わらなければ、これは手で何か重要なものを触ってもその感覚が脳に伝わらないに等しい。
また、上層部が決定した経営方針や経営戦略が現場の実務において非効率や非生産性を招く場合(これは往々にしてよくあることであるが)に、それを最も敏感に感じ取るのが現場の平社員であり、その改善策を最もよく知っているのは現場の平社員である。つまり、現場で働く社員の意見が経営層まで伝わるということは、極めて重要なことだと思われるが、この点が垂直ピラミッド型の日本の会社組織においては極めて困難であり、たいていの場合、若手の意見が経営に届くということは、大企業になればなるほど不可能に近いことになる。そのため、経営戦略の誤りに経営層が気付くまでに多くの時間がかかり、場合によってはそれが、企業生命を危うくする場合もある。
社員の活力という点でも、類グループは優れているのではないかと思える点がある。一般の事業会社では上記で述べたように、垂直ピラミッド構造となっているため、平社員は当分平社員のままであり、会社が直面する経営問題にも一切口出しできないため、管理職や経営層の人間については、何か別世界の人たちであって、彼らが密室で決めた経営戦略が結果的に現場で働く自分達に押しつけられるのだという意識を形成しがちである。それでも、社員のモチベーションを高める意識を持った経営層であれば、現場の意見をなるべく吸い上げて、多くの社員が納得する経営戦略を策定し、押し付けではなく、適切なコミュニケーション手法を用いてうまく社員のヤル気を引き出すかもしれないが、このような企業はむしろ例外であり、多くの場合は押し付け的な経営戦略を策定し、現場の社員は「何か突然、天から経営方針が降ってきた」かのごとくに、その方針に従わざるを得ないのである。このような状況では、平社員は社会のためではなく、「自分のスキルを高め、よりレベルの高い会社に転職する」といったところに仕事の活力を見出すといったことも生じ(能力収束)、その結果、仕事の活力が高く社内で高く評価されている若手人材ほど3年~5年でどんどん転職して会社を去っていくといった事態も起きるのである。そして、転職せずに残っている社員はそもそも、仕事上の活力が高くなく、転職するエネルギーすらない人々が残っていくことになる。
一方、類グループでは、経営問題は全社員参加の経営会議で決定しており、また、社内のネットワークに情報共有型グループウェア(類ネットの社内版)を構築して個別の業務の状況から経営の状況まですべてをネット上に載せ、皆の意見を募集することで、「あらゆる問題を皆で考える」という仕組みを構築している。このような状況では、上記のような「突然、天から経営方針が降ってきた」といった認識を持つことはありえず、現場で手を動かす社員も経営に対して当事者意識を持ち、仮に経営方針の誤りによって現場の業務に支障をきたした場合は即座に代替案を提案することで経営方針の誤りを修正することも可能であろう。そのような状況では社員の活力が高まることを期待することは容易である。
これまでの議論をまとめると、類グループは「フラットな組織」であり「情報をすべて公開し、問題をオープンな場で皆で考える」組織構造をしているのに対し、一般の日本企業は「クローズドな組織」であり、「情報を一部非公開とし、問題をクローズドな場で一部の人間が考え、その結果を下の者に押しつける」組織構造をしていることが分かる。この違いはまるで、21世紀型企業と20世紀型企業の違いなのではないかと思えるくらいに大きな違いである。インターネットをはじめとするデジタルネットワークがあらゆる産業の経営環境をその根底から覆し、さらに金融危機を発端とする世界的な経済危機による歴史的な変革期を迎える21世紀初頭、企業を取り巻く外圧はかつてなく高まっている。この急激に厳しさを増す環境下において、はたして「フラットな組織」と「クローズドな組織」のどちらがより素早く外圧に環境適応できるか、それは上記の議論で明らかある。
類グループの「フラットな組織」構造を他企業に広めることは、そう簡単なことではないが、ぜひともチャレンジしてほしいと思っている。
daisuke
※以下は色々なタイミングで社員の方から聴きだした内容の蓄積であるため、うろ覚えや一部誤解等あるかもしれないので、間違いがあればご指摘頂ければ幸いです。
類グループのすごいところは、「社員全員が取締役」であるという点である。類グループのサイトを見ると、所員数428名と書かれているため、この428名全員(新入社員時のみ別扱いらしいが)が類グループの取締役ということになるのだろう(社員ではなく所員と書かれているのも、いわゆる平社員がいないからなのであろう)。この取締役というのは形式上のものではなく、本当に本物の取締役なのであって、税務署に提出する会社関係の書類の取締役欄にも普通の事業会社は取締役一人だけが判子を押すが、類グループでは全員が取締役なので一人一人が判子を押していたくらい(さすがに大変なので、ある時点で代表者一人の判子でOKとなったらしいが)なので、本当に取締役なのだ。
一般の事業会社では、経営情報は最高機密情報の一つであり、社長・役員・株主等一部の経営層の人間のみがアクセスでき、その情報が経営戦略策定の前提となる。また通常、経営会議は経営陣のみが参加する密室会議の形式で行われるため、平社員が経営に影響を与えることも、経営会議に参加することもできない。一方、類グループでは全社員に対し常に経営情報を開示し、経営会議も全員収容可能なミーティングルームを使って全員参加で行っているようだ。そのため、若手社員でも取締役なので当事者意識を持って経営に参画し、若手が経営に対しても年配の社員に対しても、どしどし意見が出せる(らしい)という点が特徴である。
一般に日本企業の組織構造は、社長-役員-部長-課長-平社員 という垂直ピラミッド構造であり、経営に関わるのは社長、役員で管理業務が部長、課長、そして実際に手を動かして現場で業務を遂行するのが平社員という構造になっている。この垂直ピラミッド構造においては、平社員や課長が経営に口を出すということは「ありえない」ことであり、若手の意見が経営に伝わる経路は極めて細い(まれにうわさ話的に若手の意見がラインを通ることもあるが)と言ってよい。だが、よくよく考えてみれば、実際に手を動かし、社外の顧客と接触機会を持つ現場の平社員は、人間でいえば外圧を把握する手や皮膚のような直接外圧に接する存在であり、業務に関する外圧を最も敏感に感じ取れる存在でもある。もし、平社員が現場で認識した外圧が経営層まで伝わらなければ、これは手で何か重要なものを触ってもその感覚が脳に伝わらないに等しい。
また、上層部が決定した経営方針や経営戦略が現場の実務において非効率や非生産性を招く場合(これは往々にしてよくあることであるが)に、それを最も敏感に感じ取るのが現場の平社員であり、その改善策を最もよく知っているのは現場の平社員である。つまり、現場で働く社員の意見が経営層まで伝わるということは、極めて重要なことだと思われるが、この点が垂直ピラミッド型の日本の会社組織においては極めて困難であり、たいていの場合、若手の意見が経営に届くということは、大企業になればなるほど不可能に近いことになる。そのため、経営戦略の誤りに経営層が気付くまでに多くの時間がかかり、場合によってはそれが、企業生命を危うくする場合もある。
社員の活力という点でも、類グループは優れているのではないかと思える点がある。一般の事業会社では上記で述べたように、垂直ピラミッド構造となっているため、平社員は当分平社員のままであり、会社が直面する経営問題にも一切口出しできないため、管理職や経営層の人間については、何か別世界の人たちであって、彼らが密室で決めた経営戦略が結果的に現場で働く自分達に押しつけられるのだという意識を形成しがちである。それでも、社員のモチベーションを高める意識を持った経営層であれば、現場の意見をなるべく吸い上げて、多くの社員が納得する経営戦略を策定し、押し付けではなく、適切なコミュニケーション手法を用いてうまく社員のヤル気を引き出すかもしれないが、このような企業はむしろ例外であり、多くの場合は押し付け的な経営戦略を策定し、現場の社員は「何か突然、天から経営方針が降ってきた」かのごとくに、その方針に従わざるを得ないのである。このような状況では、平社員は社会のためではなく、「自分のスキルを高め、よりレベルの高い会社に転職する」といったところに仕事の活力を見出すといったことも生じ(能力収束)、その結果、仕事の活力が高く社内で高く評価されている若手人材ほど3年~5年でどんどん転職して会社を去っていくといった事態も起きるのである。そして、転職せずに残っている社員はそもそも、仕事上の活力が高くなく、転職するエネルギーすらない人々が残っていくことになる。
一方、類グループでは、経営問題は全社員参加の経営会議で決定しており、また、社内のネットワークに情報共有型グループウェア(類ネットの社内版)を構築して個別の業務の状況から経営の状況まですべてをネット上に載せ、皆の意見を募集することで、「あらゆる問題を皆で考える」という仕組みを構築している。このような状況では、上記のような「突然、天から経営方針が降ってきた」といった認識を持つことはありえず、現場で手を動かす社員も経営に対して当事者意識を持ち、仮に経営方針の誤りによって現場の業務に支障をきたした場合は即座に代替案を提案することで経営方針の誤りを修正することも可能であろう。そのような状況では社員の活力が高まることを期待することは容易である。
これまでの議論をまとめると、類グループは「フラットな組織」であり「情報をすべて公開し、問題をオープンな場で皆で考える」組織構造をしているのに対し、一般の日本企業は「クローズドな組織」であり、「情報を一部非公開とし、問題をクローズドな場で一部の人間が考え、その結果を下の者に押しつける」組織構造をしていることが分かる。この違いはまるで、21世紀型企業と20世紀型企業の違いなのではないかと思えるくらいに大きな違いである。インターネットをはじめとするデジタルネットワークがあらゆる産業の経営環境をその根底から覆し、さらに金融危機を発端とする世界的な経済危機による歴史的な変革期を迎える21世紀初頭、企業を取り巻く外圧はかつてなく高まっている。この急激に厳しさを増す環境下において、はたして「フラットな組織」と「クローズドな組織」のどちらがより素早く外圧に環境適応できるか、それは上記の議論で明らかある。
類グループの「フラットな組織」構造を他企業に広めることは、そう簡単なことではないが、ぜひともチャレンジしてほしいと思っている。
daisuke
必要意識⇒課題意識には、不全発と可能性発の二通りある!
この気付きから数年、「社会不全の蓄積⇔充足基調の形成」の循環を抜けて、「可能性発の課題意識」が確実に顕在化してきている、と感じます。
若者世代の中に「答えがない」という状況判断だけでは収まらず、そのまま事実追求に向かう層が現れてきた。悩み系追求から社会系追求への転換etc.から確かに時代とともに変わってきているのが伺える。
彼らを見ていると社会不全を蓄積させている感じはしない。潜在思念で可能性探索に向かう印象を受ける。真正面から向かえるそのエネルギー源は何なのだろうか?
サロンに来る彼らの表情を見ていると何より楽しそう。愉しみに参加しているのが伝わってくる。社会課題を追及すること、皆と課題収束すること自体に充足している。ひと度、皆と課題を共有すればもっともっと話したい、追求したい と繰り返し参加する。
課題共認して充足する。この共認充足が可能性に向かう糧になっているのが分かる。皆に必要とされることで次の一歩踏み出すエネルギーが生まれる、という感じか。単なる規範意識(しがらみ)では、磨り減るし疲れるので、こうはならない。
共認充足こそが充足になり得ることを知り、『変革の必要』から『認識の必要』へ充足と共に転換していく。自我充足の時代は終わって、共認充足の時代が来た。
いよいよ運動論の最終解答が具現化されてきたか!?
一力広明
この気付きから数年、「社会不全の蓄積⇔充足基調の形成」の循環を抜けて、「可能性発の課題意識」が確実に顕在化してきている、と感じます。
若者世代の中に「答えがない」という状況判断だけでは収まらず、そのまま事実追求に向かう層が現れてきた。悩み系追求から社会系追求への転換etc.から確かに時代とともに変わってきているのが伺える。
彼らを見ていると社会不全を蓄積させている感じはしない。潜在思念で可能性探索に向かう印象を受ける。真正面から向かえるそのエネルギー源は何なのだろうか?
サロンに来る彼らの表情を見ていると何より楽しそう。愉しみに参加しているのが伝わってくる。社会課題を追及すること、皆と課題収束すること自体に充足している。ひと度、皆と課題を共有すればもっともっと話したい、追求したい と繰り返し参加する。
課題共認して充足する。この共認充足が可能性に向かう糧になっているのが分かる。皆に必要とされることで次の一歩踏み出すエネルギーが生まれる、という感じか。単なる規範意識(しがらみ)では、磨り減るし疲れるので、こうはならない。
共認充足こそが充足になり得ることを知り、『変革の必要』から『認識の必要』へ充足と共に転換していく。自我充足の時代は終わって、共認充足の時代が来た。
いよいよ運動論の最終解答が具現化されてきたか!?
一力広明
るいネットという共認形成の場を知るまでは、ネットに可能性があるなんて思ってもみませんでした。
ネットの匿名性を活かして誹謗中傷する人はいるし、誰が書いているのかも分からないブログや投稿は信頼していいのかわからない。 「ひとり」の時は何を信じていいのか分からなかったから記事の信頼性というものは著者の肩書というもので判断せざるを得なかった。
でも、るいネットのように皆からの評価が目に見える環境であれば
誰がどんなかたちで投稿たとしても事実ではないと思われるもの、偏ったものは消えていくし、事実はちゃんと認められて残っていく。
「みんな」だからこそ、発信者がプロとか素人とか関係なく「事実かどうか」を追求できる。
「ひとり」をつなぎ「みんな」になる。「みんな」になると「事実共認」ができちゃう。
この共認形成サイトの仕組みって
本当によくできててすごいな~!!(●^o^●)って感じました☆
宮田祐子
ネットの匿名性を活かして誹謗中傷する人はいるし、誰が書いているのかも分からないブログや投稿は信頼していいのかわからない。 「ひとり」の時は何を信じていいのか分からなかったから記事の信頼性というものは著者の肩書というもので判断せざるを得なかった。
でも、るいネットのように皆からの評価が目に見える環境であれば
誰がどんなかたちで投稿たとしても事実ではないと思われるもの、偏ったものは消えていくし、事実はちゃんと認められて残っていく。
「みんな」だからこそ、発信者がプロとか素人とか関係なく「事実かどうか」を追求できる。
「ひとり」をつなぎ「みんな」になる。「みんな」になると「事実共認」ができちゃう。
この共認形成サイトの仕組みって
本当によくできててすごいな~!!(●^o^●)って感じました☆
宮田祐子
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