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今まで私は、ある程度自分で感情とかを整理してから、しかも周りの状況に合わせて(これ、「いい子ちゃん規範」って言われてます・・・(^^;)から発信するタイプでした。それが壁でもあったんです。

この前、ぐるぐる想い悩む出来事が起こりました。
いつもなら抱え込むのですが、今回はサロンや感謝のトレーニングへの参加がその直後にあり、いつものような自分の感情を整理する間もないまま、そのみんなが居る"場"に促されて、ダーっとみんなに話しました。

すると、みんなはありのまま受け止めてくれて、その私的にはヘコむ出来事をむしろ可能性として捉えてくれ、あれよあれよという間に、私自身もみんなと一緒に笑っていました(笑)。

最近、以前のようないい子ちゃん発信ではなく、素で発信するようになったねと言われて、サロンや感謝のトレーニングのような"場"があったことが大きいんだと改めて思いました。それは今まで私が知っていた、自分である程度まとまってから発信して、まぁ無難な評価を得る充足よりも、はるかに大きな充足だったからです。

そしてそのことに深く感謝する際、対象は、私にその言葉を言ってくれた特定の"誰か"ではなく、必ず、サロンや感謝のトレーニングという"場"への感謝になるのです!!
しかもこれは私だけではなく、周りのみんなもそうなのです。

なぜか?

>人々の認識欠乏に応える認識競争の圧力こそ、まぎれもなく新たな同類闘争の圧力である。この認識闘争の圧力が最末端をも貫く圧力にまで成長すれば、それに応える『認識闘争の場』は人類の最先端機能となり、全てをその下に収束させた社会統合機能となる。

この、人や認識(言葉)を超えて、最先端の統合機能を有するのは"場"そのものであるいう認識が、実感をすっきりと繋げてくれました。

今や、同類(闘争)圧力に委ねれば委ねるほど充足や活力は高まってゆきます。だから常にそれを生み出してくれる源泉である"場"そのものへと人々は収束してゆくのです!!






谷光美紀
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>マスコミに左右される時代が終わっても『左右される大衆の存在』は何に左右されるか、は変わっても左右されることは昔から変わっていない気がします。

■■以下引用 ________________________

【結論は考えて導くのではなく検索してたどり着くもの~『考える』の空洞化】産経新聞2009.4.10

著書「検索バカ」で、考える前にすぐネットで検索して答えを探りたがる人々が増えていると指摘するのは芥川賞作家の藤原智美さん(53)だ。

「彼らの意識では、結論とは『考えて作り上げるもの』ではなく、『ネット上のどこかにすでに存在しているもの』であって、いかにそれを早く導き出すかが重要と認識している。自分のなかに知性は必要ではなく、取り出す技術があればいいという考え方だ」

検索に頼りすぎるとどうなるのか。藤原さんは思考の衰退を招くと危惧する。

「かつての自分探しはインドや東南アジアへ、バックパッカーとして放浪の旅に出るのが定番だった。しかし、検索世代はそれだけの行動力もない。生きがいすら情報の海を検索して『探し当てる』ものになる」

_____________________________引用以上


インターネットに転換しても「検索バカ」にとどまるなら、それはマスコミに左右されていた時代と大差ない。
“事実に近い情報が得られるかも知れない”というだけだ。

検索して得られる情報=因果関係に留まらず、
どうすれば実現できるか?という思考方法に転換することがカギになる。






大森義也
>答え(可能性を指し示す構造認識)を与えられて初めて答え欠乏が顕在化し、新しい認識の追及という課題が姿を現す。答えが同類圧力を生み出すのである。そして、答えが与えられて初めて無為徒集のつながりから、認識の追及という課題を結集軸としたネットワークへと脱皮する。<

この部分はこれからの社会や社会追求系のネットなどに関心にある人にとって、まさにこれからの道筋を示す答えではないだろうか。


社会不全状況のなかで、社会を対象にしたサイトやブログ他活動をしている人は社会のなかで急速にその数も増えてきてはいるし、相当、質の高いものもなかにはある。
しかしそれが人々の社会的関心に答えられたり、ネットワーク化して広がっているかと言うと、そうでもない。

それは一方的発信方法の問題や、今の人々の社会不全や意識に本当に応えられていない、即ち、殆どが私権時代の方法を引きずっているのではないかと思う。

私権圧力から同類圧力に圧力構造が変わったのであり、人々や社会に対する可能性を指し示す答え(構造認識など)がまさに求められているのだと思うし、そういう広がり方をするのだろう。





TAB
人類は過去5500年間営んできた私権統合社会基盤の瓦解に直面している。
それは、まず金融危機に端を発した市場経済の限界に始まり、共犯関係にあった国家の統合機能の低下、そしてこれら2つの私権行為を支援してきたマスコミの影響力低下という点に如実に表れている。

ところで、この3つの要素のうち国家と市場はその成り立ちに於いて私権意識がバックボーンとしてあったが、マスコミは一義的には私権意識とは直接には関係したものではなかったともいえる。
仮にグーデンベルグの活版印刷発明をマスコミ誕生の契機と捉えるならば、それは当初、教会など支配層が独占していた書物=知識・情報を大衆に開放するという可能性を示したものであった。

しかし、その知識・情報は1Way(一方通行)であること、及び発信元は資本や流通基盤を持たねばならず自ずと発信者は限られることになる。
こうした限界特性を持つ中で、発信情報を国家や資本家が私権意識に基いてコントロールする以上、開かれた共認形成など望むべくもなかったのだと考えられる。

しかし、この共認形成こそは国家や市場よりも社会に於いて普遍的な重要性を持つ決定的な“統合力”そのものといえる。何故なら、

>社会は人々の共認によって統合され、その意識=共認内容が変化してゆくことによって変わってゆく。現実が変わる=社会が変わるとは、ただそれだけの事である。
>社会は、人々の共認によって形成されている。実際、この社会を動かしているのも、この社会を統合しているのも、全ては人々の共認に依っている。従って、社会を統合し直すために最も重要なのは、人々の共認内容=認識を変革し、新たな共認内容を形成してゆくことである。

等々に示されるように、社会とは共認内容の具現化された事象にほかならないからである。
従って、今後社会統合機構のパラダイムチェンジに向かう上で、最も注視すべきはマスコミを含む共認形成能力の場の変化である。
既存メディアの凋落は著しいが、国家は地デジ移行負担の助成などを名目にTVキー局には実質的な経営支援を行っているとも聞く。確かに巨大メディアは国家にとってメガバンクとの関係などと殆ど同じ共犯関係ともいえ、むべなるかなである。

このような私権メディアとの共認闘争こそが、開かれた社会統合基盤を確立する上で最も重要な焦点といえる。






松岡隆
”家族や友人といった身内仲間は解脱仲間なので認識仲間になりにくい”というのはもう昔のことなんだな、と最近思います。

確かに、一昔前は友人や家族にはマジ話をしにくいので、認識仲間は露店など、しがらみを超えた場で繋がっていく、というのが当たり前だったと思います。
でも今は、露店やサロンで触れた認識がいいと思ったら、すぐ友人や家族に紹介して、少し前で言ういわゆる”しがらみ関係”と呼ばれる人たちをどんどん巻き込んでいってます。
もう旧いパラダイムに縛られた非充足の関係なんてとっくに(若い人たちを中心に)捨て去られてる。

友人だろうが、家族だろうが、露店で出会った人だろうが関係ない。
誰でも認識仲間に成り得るんだ!





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