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「観念を塗り替えたら終い」・・・どこを、どうやって塗り替えていったらいいんだろう?というのを話し合った。
観念には大きく2種類あるように思える。
①潜在思念で捉えた、可能性を固定化する。
②不可能視を正当化する。
①は例えば日本古来の充足規範に象徴されるように、
現実の中で、どうすれば集団として上手くいく=適応していけるかを固定化したもの。現実に立脚しているので、下部意識(本能、共認)で捉えたものと、上部意識=観念が繋がっていて行動に繋がるから、必然的に充足する。
②は宗教等や近代思想に代表される。
宗教なら現実の中ではなく、空想世界を作りあげて、その枠の中で充足する為の方法を固定化したもの。近代思想なら、現実がどうなっているかは置いておいて、こうだったらいいを価値的に固定化したもの(自由、平等、平和)そして、そうでないものを否定し要求する。
この場合、下部意識=現実と上部意識=観念は必ず断絶を生むので、上手くいかず活力が低下する→閉塞する。
観念の塗り替えポイントは「価値観ではなく、現実(下部意識)に立脚していること」。注意ポイントは、事実認識も価値観(いいor悪い)として捉えていては②と同じようになってしまう。
現実が~だから、~すると上手くいく。というように常に現実と結びつけて塗り替えていくといい。
野田晋一郎
観念には大きく2種類あるように思える。
①潜在思念で捉えた、可能性を固定化する。
②不可能視を正当化する。
①は例えば日本古来の充足規範に象徴されるように、
現実の中で、どうすれば集団として上手くいく=適応していけるかを固定化したもの。現実に立脚しているので、下部意識(本能、共認)で捉えたものと、上部意識=観念が繋がっていて行動に繋がるから、必然的に充足する。
②は宗教等や近代思想に代表される。
宗教なら現実の中ではなく、空想世界を作りあげて、その枠の中で充足する為の方法を固定化したもの。近代思想なら、現実がどうなっているかは置いておいて、こうだったらいいを価値的に固定化したもの(自由、平等、平和)そして、そうでないものを否定し要求する。
この場合、下部意識=現実と上部意識=観念は必ず断絶を生むので、上手くいかず活力が低下する→閉塞する。
観念の塗り替えポイントは「価値観ではなく、現実(下部意識)に立脚していること」。注意ポイントは、事実認識も価値観(いいor悪い)として捉えていては②と同じようになってしまう。
現実が~だから、~すると上手くいく。というように常に現実と結びつけて塗り替えていくといい。
野田晋一郎
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現在、従来の市場拡大路線は完全な行き詰まりを露呈し、新しい社会秩序の構築が火急の課題であることは、誰の目にも明らかである。
このような状況において、社会秩序の構築・維持が本来の役割であるはずの特権階級は、社会秩序の構築どころか、人々をますます不安にさせるような権力の濫用に及んでいる。
この特権階級の意識構造は、下記の引用投稿に端的に示されている。
>従って、彼らは社会に出てからも、ひたすら既存の制度の枠組みの中で走り続けることになるが、もはやそこでは、既存制度によって与えられた特権の維持と行使という目的以外の目的意識など生まれようがない。
かくして、団塊世代がトップor幹部に就いた'00年以降、彼らの特権階級は、隙あらば与えられた特権を行使し、次第に「社会を動かし」「世論を動かし」ているという支配の快感に溺れてゆくようになって終った。
これは、権力の自家中毒であるが、恐ろしいことにその病癖は麻薬中毒よりももっと酷い結果をもたらすことになる。<
どうやらこの暴走は、今後エスカレートすることはあっても、自己抑制がかかることは、構造的に不可能であると考えられる。
>☆従って、今求められているのは、支配観念から脱却して現実を対象化する、健全な思考回路を取り戻すことである。
●一方では、私権追求から脱却した本源回路発の潜在思念と状況認識によって、可能性収束=行動すること。=非観念過程。
●他方では、支配観念から脱却した本源回路発の潜在思念と事実追求によって、人類の原基構造を解明すること。=統合理論。<
特権階級の意識構造を理解すると、私権追求と支配観念から脱し、現実を対象化する思考回路を取り戻せるのは、素人=庶民だけが可能であることがわかる。
そして、新しい統合理論と共認形成の場を構築して、特権階級から政権を取り戻し、特権階級の暴走・再生産をもたらす既存制度の改革に着手していくことが急がれる。
西村秀彦
このような状況において、社会秩序の構築・維持が本来の役割であるはずの特権階級は、社会秩序の構築どころか、人々をますます不安にさせるような権力の濫用に及んでいる。
この特権階級の意識構造は、下記の引用投稿に端的に示されている。
>従って、彼らは社会に出てからも、ひたすら既存の制度の枠組みの中で走り続けることになるが、もはやそこでは、既存制度によって与えられた特権の維持と行使という目的以外の目的意識など生まれようがない。
かくして、団塊世代がトップor幹部に就いた'00年以降、彼らの特権階級は、隙あらば与えられた特権を行使し、次第に「社会を動かし」「世論を動かし」ているという支配の快感に溺れてゆくようになって終った。
これは、権力の自家中毒であるが、恐ろしいことにその病癖は麻薬中毒よりももっと酷い結果をもたらすことになる。<
どうやらこの暴走は、今後エスカレートすることはあっても、自己抑制がかかることは、構造的に不可能であると考えられる。
>☆従って、今求められているのは、支配観念から脱却して現実を対象化する、健全な思考回路を取り戻すことである。
●一方では、私権追求から脱却した本源回路発の潜在思念と状況認識によって、可能性収束=行動すること。=非観念過程。
●他方では、支配観念から脱却した本源回路発の潜在思念と事実追求によって、人類の原基構造を解明すること。=統合理論。<
特権階級の意識構造を理解すると、私権追求と支配観念から脱し、現実を対象化する思考回路を取り戻せるのは、素人=庶民だけが可能であることがわかる。
そして、新しい統合理論と共認形成の場を構築して、特権階級から政権を取り戻し、特権階級の暴走・再生産をもたらす既存制度の改革に着手していくことが急がれる。
西村秀彦
脳機能学者・苫米地氏の公式:【イメージ】×【臨場感】=【現実】に欠けているもののひとつは、与えられるだけの【臨場感】では何事も本当には実現されないという点です。必要なのは主体の【実現の意志】であり、それは徹底した【応望の姿勢、対象への同化】なしには生み出せません。
もうひとつは【イメージ】といっても【実現】に至るには【現実の壁】を取り入れた【仮説と検証】の繰り替えしが必要だという点でしょう。
苫米地氏の公式を構造認識を使って再構築するならば
【対象への同化=相手の期待をつかむ】
⇒【その期待に応えることがイコール自分の充足=充足イメージの構築】×【実現の意志】⇒【仮説と検証】⇒【新しい現実】
となります。そしてこの【仮説と検証】そのものを【認識仲間とのやりとり】に開きだすことで、共認充足力が実現の意志を確かなものとし、充足イメージはますます確かなものになります。(逆にひとりでやっていても中々反論は考え付かないし、むしろ自己正当化に陥りがちです。)
そのように考えると、マスコミが生み出す仮想現実との違いが鮮明になります。
マスコミが生み出す架空現実は
【閉じこもりの学者発の架空観念】
×【マスコミの一方的な映像刺激による臨場感】
=【頭の中を充足させるだけの幻想共認】
他方、素人の創造過程は
【現実発・相手発の事実観念】
×【やりとりが生み出す共認充足の臨場感】
=【共認内容そのものが新しい現実を創出】
このように苫米地氏の洗脳法研究を知ることで、マスコミとの認識闘争のポイントが【やりとりが生み出す共認充足の臨場感】の創出にあり、その充足度が映像刺激の麻薬的な力を上回ることの重要性が再認識されます。何故なら、認識内容としてはもはや圧勝といってもいいくらいですから。
しかも「構造認識がある。だから“やりとり”になる。」
のだから、【やりとりが生み出す共認充足の臨場感】という点でもるいネットは実は無限の可能性を持っています。マスコミ支配なにするものぞ!ですね。
山澤貴志
もうひとつは【イメージ】といっても【実現】に至るには【現実の壁】を取り入れた【仮説と検証】の繰り替えしが必要だという点でしょう。
苫米地氏の公式を構造認識を使って再構築するならば
【対象への同化=相手の期待をつかむ】
⇒【その期待に応えることがイコール自分の充足=充足イメージの構築】×【実現の意志】⇒【仮説と検証】⇒【新しい現実】
となります。そしてこの【仮説と検証】そのものを【認識仲間とのやりとり】に開きだすことで、共認充足力が実現の意志を確かなものとし、充足イメージはますます確かなものになります。(逆にひとりでやっていても中々反論は考え付かないし、むしろ自己正当化に陥りがちです。)
そのように考えると、マスコミが生み出す仮想現実との違いが鮮明になります。
マスコミが生み出す架空現実は
【閉じこもりの学者発の架空観念】
×【マスコミの一方的な映像刺激による臨場感】
=【頭の中を充足させるだけの幻想共認】
他方、素人の創造過程は
【現実発・相手発の事実観念】
×【やりとりが生み出す共認充足の臨場感】
=【共認内容そのものが新しい現実を創出】
このように苫米地氏の洗脳法研究を知ることで、マスコミとの認識闘争のポイントが【やりとりが生み出す共認充足の臨場感】の創出にあり、その充足度が映像刺激の麻薬的な力を上回ることの重要性が再認識されます。何故なら、認識内容としてはもはや圧勝といってもいいくらいですから。
しかも「構造認識がある。だから“やりとり”になる。」
のだから、【やりとりが生み出す共認充足の臨場感】という点でもるいネットは実は無限の可能性を持っています。マスコミ支配なにするものぞ!ですね。
山澤貴志
るいネットの志向する開かれた共認社会を実現するためには、当に
>事実の提示→事実の共認⇒共認形成の場の形成
に間断なく挑み、私権メディアとの闘争に勝利することが不可欠といえよう。ところで、この各ステップに於ける闘争軸を改めて整理すると、概ね次のようになろうか。
①事実の提示
…事実とは真実そのものではなくて(真実そのものは捉えようが無い)、“確からしさ”“納得性”をどれだけ多くの人々が認識するかで決まる。
それにはどれだけ事実に迫り、論理整合性を図ったかという仮説検証の質と量こそが決め手になる。
その時、仮に専門家・オーソリティの頭蓋の中だけで思考された閉ざされた知を“専門知”、専門家に限らず素人を含む開かれた知を“集合知”と捉えるならば、前者は私権メディアが権威づけに宣揚し、後者は多くの民衆が現実生活の中で育んできた知恵を結集したものであり、主にネットを通じて深化しゆくものといえる。
そして、重要なのは専門知と集合知のどちらが仮説検証の質と量で勝り得るか、ということになる。その答えはオープンソースソフトの開発事例などを通じて、既に明らかになりつつある。
②事実の共認
…個人的な見方だが、その認識が事実に基づき、且つ本能、共認機能をも貫通した納得性・論理整合の取れた内容であれば、それは自ずと伝播していく力を内在していると思う。何故なら、その共有すべき認識とはそもそも皆にとって“必要”なものであり、共認動物である人類にとっては、それは周囲にも伝え広めるべきものだからである。
ただ、インターネットのなかった時代には伝播経路が私的交流の域を出るものではなく、むしろメディアを含む私権圧力によって倒錯、欺瞞化され或いは隠蔽されてきただけ、ということではないか。
逆に言えば、インターネットのようなn対nのコミュニケーション網が 発達した今日に於いては、その呪縛から脱し事実認識が共有されることになる。
③共認形成の場の形成
…私権メディアは1対nの配信を通じて共認形成の場を作り上げてきた。それは一元的には視聴率や発行部数という評価軸を掲げ視聴者・購読者の需要によって形成されたという体裁を採ってきた。
しかし実際には、編集時点に置いて私権圧力(金融資本家や国家権力、スポンサー等々)におもねた欺瞞観念、歪曲報道を殆ど一方的に発進してきたのが実情であろう。
これに対して公平な投稿資格化などを通じて万人が参加し、事実か否か、必要か否かの土俵軸に於いて、有用な物だけが共認されていく社会統合基盤は当に開かれた共認形成の場となる。
以上の視点を纏めると、私権メディアとの共認闘争は
‐閉ざされた専門知vs開かれた集合知
‐私権意識を背景とした倒錯、欺瞞観念の共認vs事実認識の共認
‐一方的な受け身としての共認形成vs万人参加の開かれた共認形成
といった点に集約できよう。
ただ一番肝心なのは今現在に於ける、開かれた集合知による事実認識の追求である。この基本を怠らなければ、必ず人類は事実として開かれた社会統合基盤を希求し、1つになろうとするはずである。それこそが本能と共認機能を貫通した、まともな観念のあり方だと思うのである。
松岡隆
>事実の提示→事実の共認⇒共認形成の場の形成
に間断なく挑み、私権メディアとの闘争に勝利することが不可欠といえよう。ところで、この各ステップに於ける闘争軸を改めて整理すると、概ね次のようになろうか。
①事実の提示
…事実とは真実そのものではなくて(真実そのものは捉えようが無い)、“確からしさ”“納得性”をどれだけ多くの人々が認識するかで決まる。
それにはどれだけ事実に迫り、論理整合性を図ったかという仮説検証の質と量こそが決め手になる。
その時、仮に専門家・オーソリティの頭蓋の中だけで思考された閉ざされた知を“専門知”、専門家に限らず素人を含む開かれた知を“集合知”と捉えるならば、前者は私権メディアが権威づけに宣揚し、後者は多くの民衆が現実生活の中で育んできた知恵を結集したものであり、主にネットを通じて深化しゆくものといえる。
そして、重要なのは専門知と集合知のどちらが仮説検証の質と量で勝り得るか、ということになる。その答えはオープンソースソフトの開発事例などを通じて、既に明らかになりつつある。
②事実の共認
…個人的な見方だが、その認識が事実に基づき、且つ本能、共認機能をも貫通した納得性・論理整合の取れた内容であれば、それは自ずと伝播していく力を内在していると思う。何故なら、その共有すべき認識とはそもそも皆にとって“必要”なものであり、共認動物である人類にとっては、それは周囲にも伝え広めるべきものだからである。
ただ、インターネットのなかった時代には伝播経路が私的交流の域を出るものではなく、むしろメディアを含む私権圧力によって倒錯、欺瞞化され或いは隠蔽されてきただけ、ということではないか。
逆に言えば、インターネットのようなn対nのコミュニケーション網が 発達した今日に於いては、その呪縛から脱し事実認識が共有されることになる。
③共認形成の場の形成
…私権メディアは1対nの配信を通じて共認形成の場を作り上げてきた。それは一元的には視聴率や発行部数という評価軸を掲げ視聴者・購読者の需要によって形成されたという体裁を採ってきた。
しかし実際には、編集時点に置いて私権圧力(金融資本家や国家権力、スポンサー等々)におもねた欺瞞観念、歪曲報道を殆ど一方的に発進してきたのが実情であろう。
これに対して公平な投稿資格化などを通じて万人が参加し、事実か否か、必要か否かの土俵軸に於いて、有用な物だけが共認されていく社会統合基盤は当に開かれた共認形成の場となる。
以上の視点を纏めると、私権メディアとの共認闘争は
‐閉ざされた専門知vs開かれた集合知
‐私権意識を背景とした倒錯、欺瞞観念の共認vs事実認識の共認
‐一方的な受け身としての共認形成vs万人参加の開かれた共認形成
といった点に集約できよう。
ただ一番肝心なのは今現在に於ける、開かれた集合知による事実認識の追求である。この基本を怠らなければ、必ず人類は事実として開かれた社会統合基盤を希求し、1つになろうとするはずである。それこそが本能と共認機能を貫通した、まともな観念のあり方だと思うのである。
松岡隆
寄り合いと政治の違い
昔の村落共同体では必要に応じて全員参加(家族代表の場合もあるが)の会議を開くので、村落全体の意識が同化し、共認することができ、みんなが納得できる答えを導き出すことができた。当然それにはみんなが当事者として参加していた。
それに対し、政治の場合は代表を決めるため、直接意識を共認することはできず、加えて国民が政治に参加するのは4年に一度の選挙のみ。当然国民も当事者意識を持てるわけなく、傍観者に成り下がるしかない。
なぜそのような違いがでてくるのか?
その理由として大きく考えられるのは、現在の政治システムに問題があるということと、根本的な規模の違いがあげられる。
そもそも政治は、寄り合いが誕生するのと全く違う工程で出来上がっている。寄り合いの場合は、村落の中での問題の解決や、役割分担などを目的とし、ほぼ自然にできたものであるのに対し、政治の場合は村落共同体などを統括するために、無理やり出来上がったものである。
規模は仕方ないにしても、当然そのような過程の中で出来上がったシステムに、問題がないはずがない(国民の声が届かないなど)。
それらの問題を解決する媒体として一番可能性があるのは、ネットである。ネットなら代表を決めることなく直接対面共人することができ、国民の意見を反映させることができるはすである。
匿名希望
昔の村落共同体では必要に応じて全員参加(家族代表の場合もあるが)の会議を開くので、村落全体の意識が同化し、共認することができ、みんなが納得できる答えを導き出すことができた。当然それにはみんなが当事者として参加していた。
それに対し、政治の場合は代表を決めるため、直接意識を共認することはできず、加えて国民が政治に参加するのは4年に一度の選挙のみ。当然国民も当事者意識を持てるわけなく、傍観者に成り下がるしかない。
なぜそのような違いがでてくるのか?
その理由として大きく考えられるのは、現在の政治システムに問題があるということと、根本的な規模の違いがあげられる。
そもそも政治は、寄り合いが誕生するのと全く違う工程で出来上がっている。寄り合いの場合は、村落の中での問題の解決や、役割分担などを目的とし、ほぼ自然にできたものであるのに対し、政治の場合は村落共同体などを統括するために、無理やり出来上がったものである。
規模は仕方ないにしても、当然そのような過程の中で出来上がったシステムに、問題がないはずがない(国民の声が届かないなど)。
それらの問題を解決する媒体として一番可能性があるのは、ネットである。ネットなら代表を決めることなく直接対面共人することができ、国民の意見を反映させることができるはすである。
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