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本日のネットサロンでは、実現論第一部「極限時代の観念機能」をテーマに6名のメンバーで追求を行った。

 追求の過程では、実現論の「極限時代の観念機能」の章を輪読したあとで、各自が500万年前の人類になったつもりで、「自分だったら、この極限状態でどうやって生き延びるか」といった視点から追及を行った。

 各自で意見を出し合うので、当然自分独りでは思いもつかなかったような意見も出てきて、新たな発見が多くあった。また、実現論の内容でよく理解できなかった個所も、他のメンバーが「それって、こういうことなんじゃない」と言って説明してくれると、「おお、なるほどー」といった感じで理解できる場面が多かった。

 私はこれまで知識に関することはどんなものでも、本やネットを利用して独学できると思ってきた。実際、高校時代も全ての授業中で授業内容を聞かずに本を読んで独学していた。(それでも成績はトップだった)

 大学時代も社会人になってからも、必要な知識は全て独学して習得してきた。確かにある一定のレベルの認識内容までならば独学でも可能かもしれない。ただ、どのようなものでも独りで学ぶことの限界がある。それを強く感じたのが本日のサロンだった。

■本日のネットサロンでは、以下の3つがうまく働いていた。
 ・各自の疑問をその都度出す
 ・課題はみんなで考え、各自の疑問はみんなで考える
 ・自分だったらどうやって解決する?という当事者意識を持って「課題」を捉える

 参加していて、とても楽しかったし、さらに理解も深まった。

 (今更思ったのだが、皆の顔を見ることの出来る円形のテーブルを用いていることも、上記の3つを作動させる上で重要な要素になっているようである。)

 もしかしたら、この5~6名のグループによる「学び」の方法を現在の学校教育(小学校から大学まで)に取り入れれば、何か閉塞感の在る現代の教育を変えられるかもしれないという可能性を強く感じた。

 学びという行為は、本来は人間の持つ「好奇心」を刺激し、それが「理解」によって満たされるという「楽しい」行為なのだろうと思う。グループで課題を共有して追及することで、各自の理解不足をうまく補い合える場が形成され、皆が理解できる(=落ちこぼれが出ない)から「楽しい」という感覚が生じるのだろう。

 まずは、大学や企業から、このような学びの場が形成されていくのではないだろうか。そのような可能性を強く感じている。



daisuke
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>つまり、ネットは人類に与えられた新しい“まつり”の場であり、人類最大の共認充足の場となるべきものなのである。(9561「共認革命10 新しいまつりの場、それがネットであり、統合サイトである」)

先日5/31の「なんでや劇場」・・・「金貸し→特権階級の暴走どうする② ~社会共認のゆくえ~」では、新しい“まつり”場=社会統合の場としてのインターネットについて、そもそも目が疲れる、同じ文字でもパソコン画面上の映像とプリントアウト(ペーパー)では頭への定着度に差がある(映像の場合は思考停止する)・・・などの欠点や、やはり対面での共認が不可欠では?・・・などの視点が提示された。

これらについて、特に映像のもつ欠陥についてサロンで議論してみた。


■映像とペーパーの違いって?

画像だろうがペーパーだろうが文字自体の見た目は変わらない・・・しかし、確かにパソコン画面は紙に比べて頭に入ってこないように感じられる。・・・なぜか?

これらの圧倒的な違いは、脳がキャッチする情報量(刺激≒外圧)の違いではないだろうか?
例えば・・・・

・印刷された紙や本といった媒体は、当然だが手で触れることができ、無意識下で手触りや陰影を感じ取り、ページをめくる・書き込みをするなどの肉体的な行為とも相まって、観念機能だけでなく本能機能も働いている(刺激を受けている)感があるのに対し、マウス操作によって画面に映し出される文字は、非常に抽象的で均質な記号として認識され、観念機能しか働いていないように感じる。
・・・脳内にタコツボ化してる感覚。リアリティが薄い→紙にプリントアウトしてはじめて、自分の外部に存在するモノとして「客観視」できる感覚。

・ 例えば、CADを使って何らかの図面を作図するケースを思い出してみても、CADでいきなり描ける人はいない。(描いても上手くいかない。)
まずは、手書き=肉体(本能)を使って感覚的に空間の広さなどを感じつつ、手からの情報のフィードバックも含め、徐々に情報が蓄積され、スケッチとなっていくのに対し、CAD上での作業は、“数字”という観念のみを使っていると感じられる。

・また、パソコン画面ではないが、例えば、授業の際、黒板にチョークで書かれた文字と、プロジェクターで映像化されて映し出される文字では、黒板の方は、書き手の動作、薄汚れた黒板、チョークの音、飛び散る粉・・・など、複雑な情報を観念機能だけでなく、共認・本能機能も駆使して対象化しているのに対し、プロジェクターの映像の場合は、同じ手書き文字でも非常に無機的・抽象的で、観念機能以外はあまり使われていないと感じられる。

・「青空や山々を背景とした花」といった光景を思い浮かべてみても、実際は背後の空や山との遠近感や、光の量の違い、更には風の動き、草花のざわめき・・・など、複雑かつ多様な情報がインプットされるのに対し、パソコンの画面に映し出された映像の場合は、遠近感もなく、光の量も画面全体に均質であり、一見同じように見えて情報量は圧倒的に少なく、一種の記号として観念機能以外はあまり使われていないと感じられる。
・・・いかにCG技術が発達しても、自然界の存在の情報量には遠く及ばない。


つまり、パソコン画面の映像となった途端に、元々の対象の有していた情報量は大幅に削減され、無機的、均質、単調、平板な記号に変換され、受け取る側もせいぜい観念機能しか使えなくなる(本来は本能、共認、観念全回路を総動員して対象を捉える)・・・これが“思考停止”の原因であり、一見同じように見える文字も、画面とペーパー上の活字では、情報の定着度が全く異なってくるのではないだろうか。

だとすれば、ネットの持つ時空を超えた情報蓄積力を利用しつつ、実際の認識形成は、ペーパーを元に、皆とやりとりしながら行い(本能、共認回路も作動する“やりとり”こそ人類本来の思考法)、得られた気付きをネットに発信することで、情報が塗り重ねられ、万人の利用が可能になる・・・

・・・こんなイメージではないかと思った。(≒やはり「ネットサロン」が近い?)


越見源
最近、路上で新しい事実の体系【グランドセオリー】を大量に買っていく人がいる。リンク先月は、一度に7冊・5冊購入する人が出た。50ページ程度で2000円の値段は、一般書籍と比べると決して安く無い値段である。しかし、現実に購入されるのは、そこに見た目以上の「付加価値」を感じているからである。

マスコミの共認支配の歴史6324、昨今のインフルエンザ騒動を初め、情報過多(=騙し)の現在において、最も手に入りにくいモノが【事実】では無いかと思う。

>闘いはほぼ100%と言っていいほど情報戦で決する。207221
にもあるように、事実が手に入らないということは、常に負け続ける=騙され続けることを意味する。人々は、マスコミの言うことに不信感を抱きつつも、それらの情報を覆すような策=【事実】が見つからないので、とりあえず思考停止。

そうした中、【グランドセオリー】と、それを語るなんで屋店主の社会を捉える状況認識力に感嘆し、「一般書籍を読んでもわからない、事実が書いてありそうだ」という付加価値を抱かせるのではないだろうか。

収束不全・社会不全から事実収束する中、
事実認識こそ最大の付加価値となったようにように思う。



orimex

> しかし、今や支配観念と娯楽作品は、新しい価値を生み出す力を、全的に喪失した。6324

なぜか?

バブルの崩壊後、私権という収束先を完全に喪った大衆に生起した新たな欠乏(=新しい価値)は、一つは潜在思念が求める本来の共認充足、もう一つは収束不全⇒社会不全に基づく「事実は何か?」への答えである。

しかし、マスコミは構造的に一方通行の発信媒体なので、相互の受発信によってしか得られない本来の共認充足を大衆に与えることはできない。表層的だったり中身が無いなど不十分さはあっても、双方向の共認充足が得られるインターネットや携帯メール、仲間充足の方に大衆は向かう。

また、たとえ一方通行でも、「事実」の提供ならば、やり方によっては可能な筈だが、現在のマスコミは金貸し勢力の完全な支配下にある。だから、大衆が純粋に求める事実内容をそのまま発信することはできない。

つまり、大衆の求めるどちらの欠乏にも現在のマスコミは応えられず、従って新しい価値をもはや全く生み出せなくなってしまった。


田中素
>市の歳入を見ると、税収は20億。200538

>このうち、たった300人に満たない職員の半数以上が年収700万円を超え、人件費だけで年間約24億が支出されているというのだ。200538

誰が見てもおかしいこの実情をネット上で明らかにし、市政の改善を掲げる、阿久根市:竹原市長が再選された。
中央に比べて経済危機の影響が大きく、マスコミ支配も及びにくい地方では、このように実態重視の共認形成が芽生えつつあるのかも知れない。


■以下引用(asahi.com リンク)________________

公務員に注がれる厳しい目線は、「改革」を掲げる候補の追い風となった。31日に投開票された鹿児島県阿久根市の出直し市長選は「市役所の人件費せめて3分の1は市民のために」と主張した前職の竹原信一氏(50)が再選を決めた。職員給与をホームページ(HP)で公開するなど反発を受けながらも進む突破力に、疲弊したまちの有権者は賭けた。

「これまで続けてきたことがまた続くというだけ」

当選が決まった直後、竹原氏は記者団にそう語った。

選挙戦では、「職員給与6%と議員報酬10%カットで5千万円が市民のために使えるようになった」とアピール。

配ったビラには「職員は貴族。下僕扱いされている市民が主権を取ることは革命」と書き込んだ。

職員の待遇や税金のあり方に疑問を投げかける首長が全国で相次いで生まれている。

08年1月の大阪府知事選で、人件費カットを含む財政健全化を訴えた橋下徹氏が当選。今年4月の名古屋市長選でも、「市民税10%減税」「職員人件費10%削減」などを掲げた河村たかし氏が圧勝した。橋下氏は職員の基本給カットを実施。竹原氏の職員年収公開を評価し、府幹部職員のモデル年収を府のHPに掲載した。

竹原氏は、職員の待遇や議会の実態の情報公開について「日本のどこからでもできる作業だ」と話した。

一方、敗れた元国土交通省職員の田中勇一氏(56)は「阿久根市民の良識はここまで落ちてしまったのか……。自分だけが良ければいいという日本になることを懸念している」と悔しがった。

選挙戦では「いがみ合いのない、明るい阿久根を」と主張してきたが、「職員が厚遇されすぎ」との声に抗しきれなかった。田中氏を推した市議は「職員給与が公開され、特に若者の間で『高すぎる』とのねたみのような感情が出たのでは」と分析した。


             (以下略)

____________________________引用以上


大森義也
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