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>それは、人類が長い間奪われてきた“まつり”(参加充足=共認充足)の場を再生してゆくことでもある。その場こそ、ネットに他ならない。つまり、ネットは人類に与えられた新しい“まつり”の場であり、人類最大の共認充足の場となるべきものなのである。

“まつり”の充足感は、準備段階の役割分担から本番への参加、後片付けまで、全過程を自分たちで作り上げていくところのあるのだと思う。政(まつりごと)の語源もそのような全員参加で行う共認充足の場という意味からきているのだろう。

>今まず必要なのは、社会統合という課題・期待・評価の共認の場であり、従って何よりも重要なのは、まずもって皆の共認の場=新しいまつりの場を形成することである。

同感です。新しいまつりの場が出来れば、その中身も自ずと“まつり”からより充足度の高い“政”へと移行していくのではないかと思う。本源収束の時代ゆえに、統合階級をどうこう言わなくても。


本田真吾
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ネットという場を組織する事による、「共認革命」の提起は、変革行為のイメージにあらゆる場面で大きな転換を迫るものではないかと思う。
 
 今は亡き某闘士が以前このような事を語っていた。
「自分にとって革命とは、3度の飯を食うような、ごく当たり前の日常的行為の積み重ねで無ければならない。」
 彼は、国家による数度の投獄を生きぬいた人であり、社会変革に身を投ずるには「命がけの飛躍」を必要とした時代の人である。つまりここでいう古い運動スタイルに生きた人である。そんな彼を取り巻く現実の中から出た、自己への戒めとも自己総括とも取れる言葉である。
 
 
この私権社会(→その延長の市場社会)は、そもそも掠奪闘争⇒武力支配によって形成された。従って、私権時代の革命=体制転換は、常に武力闘争を必要としてきた。実際、私権時代(とりわけ古代・中世・近世)において、体制転換=革命の歴史は武力闘争=戦争の歴史であり、武力に拠らない革命など存在しない。(注:武力は体制転換の必要条件であって、充分条件ではない。従って、単に王朝or政権の交代に過ぎない「革命」が、歴史には無数に刻まれている。)

☆しかし、変革課題に強く収束し切れずに、私権課題・個的生活という日常パラダイムに引き戻される。
●私権圧力は衰弱し、私権課題は今やマイナス課題(強制or義務。忌避可能な課題)となった。
●個的生活=好きなことと云っても、その中身は空疎化するばかりで、今やバーチャル生活に取って代わられつつある。個的生活=好きなこととは、不全からの逃避(解脱)に過ぎず、逃げれば逃げるほど中身がなくなってゆく。

●生物には危機集合の適応本能が備わっている。しかし、今の人類は、せいぜいメル友か小泉フィーバー程度の「危機」集合。
●共認機能でもっと強く集合する筈が、自我に妨げられ、観念機能でもっと速く集合する筈が、倒錯観念に妨げられて、単純明快に集合してゆかない(ネットワークが形成されない)。
☆共認機能が、集合を全て解脱へ収束させるのか?共認機能が、ひたすら評価共認の形成へと収束させるのか?
解脱収束も評価収束も、本源回路の発現であると同時に、市場によって与えられたある限定された可能性への収束でもある。そして、そこでは課題(⇒役割⇒規範)共認が、決定的に欠落している。
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