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不全捨象→充足基調の循環〔図解〕
http://www.rui.jp/docs/link/shikata011227.html
1.実現発の『認識の必要』は、充足基調・可能性収束の大潮流に応えることが出来る。
2.『可能性を感じさせる、深い=新しい認識』こそ、実現派を主対象とする「運動」に相応しい目的である。
それに対して、不全発の「変革の必要」では、否定意識に閉ざされた思想派しか集まらず、全く可能性が感じられない。しかも、否定意識や不可能視に囚われているので、『新しい認識』が与えられても半信半疑のままで終始し、必要な行動に至らない。
3.『認識の必要』なら、そのまま(一段階で)『実現論』や『まつりネット』に直結する。
それに対して、「変革の必要」は、まず「根底からの社会変革の必要」、次に「その為には、新理論が必要」という二段階の言葉(論理)が必要になる。しかも、その二つの論理共が、(上記の如く、社会派・思想派にさえor社会派・思想派だからこそ)スンナリとは受け容れられない。
4.『新しい認識』が広まってゆけば、自ずと社会はあるべき根底からの変革の方向に向かってゆく。つまり新しい認識こそが、真の変革気運を作ってゆく。
四方勢至
http://www.rui.jp/docs/link/shikata011227.html
1.実現発の『認識の必要』は、充足基調・可能性収束の大潮流に応えることが出来る。
2.『可能性を感じさせる、深い=新しい認識』こそ、実現派を主対象とする「運動」に相応しい目的である。
それに対して、不全発の「変革の必要」では、否定意識に閉ざされた思想派しか集まらず、全く可能性が感じられない。しかも、否定意識や不可能視に囚われているので、『新しい認識』が与えられても半信半疑のままで終始し、必要な行動に至らない。
3.『認識の必要』なら、そのまま(一段階で)『実現論』や『まつりネット』に直結する。
それに対して、「変革の必要」は、まず「根底からの社会変革の必要」、次に「その為には、新理論が必要」という二段階の言葉(論理)が必要になる。しかも、その二つの論理共が、(上記の如く、社会派・思想派にさえor社会派・思想派だからこそ)スンナリとは受け容れられない。
4.『新しい認識』が広まってゆけば、自ずと社会はあるべき根底からの変革の方向に向かってゆく。つまり新しい認識こそが、真の変革気運を作ってゆく。
四方勢至
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変革期待は、変革の必要を意識していなければ生じない。しかし、不全捨象・課題捨象(つまり変革の必要意識を捨象)した以上、変革期待は生じない筈である。
脳回路上の意識には、最新・現在・蓄積の時間差がある。つまり、新しい意識(情報)は次々と処理されて蓄積されてゆく。(注:この蓄積回路は、本能を含む過去からの塗り重ね回路であると同時に、現在形において作動している現在回路でもある。)
脳回路上の意識には、最新・現在・蓄積の時間差がある。つまり、新しい意識(情報)は次々と処理されて蓄積されてゆく。(注:この蓄積回路は、本能を含む過去からの塗り重ね回路であると同時に、現在形において作動している現在回路でもある。)
思考停止の原因と突破口〔図解〕
http://www.rui.jp/docs/link/shikata011224.jpg
人々は、’60年以前から豊かさ追求・解脱追求に埋没し、過半の人は「自分だけ」「お金だけ」という私権観念によって思想を捨象or忌避していた。とは云え、貧困と抑圧が残存する限り、一方で思想は輝きを放っていた。
その意味で’60年安保の敗北と’70全共闘運動の敗北は、人々に思想への失望を植え付け、無思想化への決定的な結節点となった。そして、’90年、社会主義の崩壊とバブルの崩壊は、思想(と構造観念)への不信を決定付け、思想忌避へのダメ押しとなった。
http://www.rui.jp/docs/link/shikata011224.jpg
人々は、’60年以前から豊かさ追求・解脱追求に埋没し、過半の人は「自分だけ」「お金だけ」という私権観念によって思想を捨象or忌避していた。とは云え、貧困と抑圧が残存する限り、一方で思想は輝きを放っていた。
その意味で’60年安保の敗北と’70全共闘運動の敗北は、人々に思想への失望を植え付け、無思想化への決定的な結節点となった。そして、’90年、社会主義の崩壊とバブルの崩壊は、思想(と構造観念)への不信を決定付け、思想忌避へのダメ押しとなった。
本源充足の可能性が開かれたことによって、本能⇒共認の全ての感応回路=潜在思念は、代償物にすぎない感応観念を捨象して、充足基調の実践模索に収束してゆく。そして、この潜在思念による実践思考は、遂に充足型の本源派を(まだごく少数だが)生み出した。
実際、役に立たない観念しか無いのなら、観念捨象の実践思考の方が、よほど健全な思考であると云えるだろう。
しかし、観念を必要とする地平は、厳然として存在する。
実際、役に立たない観念しか無いのなら、観念捨象の実践思考の方が、よほど健全な思考であると云えるだろう。
しかし、観念を必要とする地平は、厳然として存在する。
自我・私権やそれを正当化した規範観念や価値観念は肉体的に(=自我回路や共認回路で)感応するのに、危機・課題は観念によってしか(超肉体的=超感応回路的にしか)認識できない。この感応回路と観念回路の認識位相の違いが、パラダイム転換を超困難にしている直接の理由である。
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