×
[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
>古い観念からの脱却をもとめる人達なら、「問題に正面から取り組む(誤魔化さない)(お茶を濁さない)(諦めない)場」には大いに可能性を感じるのではないでしょうか?
あきらめる、見なかったことにする、棚上げする。
自分ひとりじゃ解決できそうもない問題に立ち至ったときに、私たちがとる方法。
何かおかしい、と思い、何が原因なのか、どこがおかしいのか考える。そうしてずうっとたどっていくと、たいていは自分だけでは解決できない、社会的な、構造的な問題事象へとたどり着く。そこまで考えて、あ~、考えるだけソンしたなぁ、などと思う。だって、そんなの、自分とか周りの人とかだけが変わればいい話じゃないもの。で、見なかったことにする。
そんなとき、あきらめない人たちに出会うと、びっくりする。
どうしてあきらめないんだろう?そんなこと、なかなか答えなんて出るものじゃないし、たとえ答えを見つけたとしても、自分だけわかってても意味ないじゃん。
でも、そう思いつつも、あきらめない人たちに可能性を感じる。こんなひとたちの存在が、すぐあきらめる自分や、閉塞感で重苦しい世の中を、ひょっとしたら、変えてくれるかもしれないから。
その流れに身を任せてみれば、何かが開けていくような気がするから。
どんな専門家でも、あきらめてる人は、ただの人だが、
ずぶの素人でも、あきらめない人は、ただの人ではない。
これは「ただもの」じゃないな~、と思えば、注目せざるを得ない。
私も、「ただもの」じゃなくなりたい。みんなであきらめない人に、なろう。
(またひとつ、声かけのネタ、見つけたかも?)
藤岡聖子
あきらめる、見なかったことにする、棚上げする。
自分ひとりじゃ解決できそうもない問題に立ち至ったときに、私たちがとる方法。
何かおかしい、と思い、何が原因なのか、どこがおかしいのか考える。そうしてずうっとたどっていくと、たいていは自分だけでは解決できない、社会的な、構造的な問題事象へとたどり着く。そこまで考えて、あ~、考えるだけソンしたなぁ、などと思う。だって、そんなの、自分とか周りの人とかだけが変わればいい話じゃないもの。で、見なかったことにする。
そんなとき、あきらめない人たちに出会うと、びっくりする。
どうしてあきらめないんだろう?そんなこと、なかなか答えなんて出るものじゃないし、たとえ答えを見つけたとしても、自分だけわかってても意味ないじゃん。
でも、そう思いつつも、あきらめない人たちに可能性を感じる。こんなひとたちの存在が、すぐあきらめる自分や、閉塞感で重苦しい世の中を、ひょっとしたら、変えてくれるかもしれないから。
その流れに身を任せてみれば、何かが開けていくような気がするから。
どんな専門家でも、あきらめてる人は、ただの人だが、
ずぶの素人でも、あきらめない人は、ただの人ではない。
これは「ただもの」じゃないな~、と思えば、注目せざるを得ない。
私も、「ただもの」じゃなくなりたい。みんなであきらめない人に、なろう。
(またひとつ、声かけのネタ、見つけたかも?)
藤岡聖子
PR
70年安保闘争を最後に、世の中から社会変革を目的とした運動が消滅した。そして思想はもはや輝きを失ったままである。思想も運動も再生する気配はない。それどころか、現代、何か物を考えれば宗教であるかのような異端視をされ、何か運動を考えれば危険な集団とレッテルを貼られる様相を呈するに至っている。
考えれば、この市場社会が環境破壊や精神破壊を進行させ、市場自身も崩壊寸前なのにである。閉塞感だけが蓄積され、危機感が上昇しているにも関わらず、どこからも新しい思想も運動も立ち上がってこない。奇妙な現象であると同時に、だからこそまっしぐらに破局へと進んでいるように思える状況である。
考えれば、この市場社会が環境破壊や精神破壊を進行させ、市場自身も崩壊寸前なのにである。閉塞感だけが蓄積され、危機感が上昇しているにも関わらず、どこからも新しい思想も運動も立ち上がってこない。奇妙な現象であると同時に、だからこそまっしぐらに破局へと進んでいるように思える状況である。
>つまり、現実にさえ、まともに課題を共有して協働した経験がほとんどの人にない。その意味で、身近な集団(特に企業)を協働の場(共同体)としていくために社内ネットを発展させて行くことは大いに有効で、広く企業に薦めてゆくべきではないでしょうか。
集団でまともに課題共認できれば、それが、1集団では解決できないことも見えて来て、ネット上の協働の場への参加機運も生まれてくるのではないでしょうか
集団でまともに課題共認できれば、それが、1集団では解決できないことも見えて来て、ネット上の協働の場への参加機運も生まれてくるのではないでしょうか
人を今一歩社会変革へ突き動かすための原動力とは、結局、可能性の認識ではないかと思います。なんか、非常に抽象的な言い方ですが、つまるところは、みんなが「これならできそうだ!」と思えるかどうかだと思います。可能性が感じられれば、加速度的に社会変革は大きなうねりになってゆくでしょう。
既に、時代の閉塞感、小泉人気に代表されるような変革期待などは、時代のムードというか、かなり大きな社会的な共認になっています。にも拘わらず、未だ社会変革が大きな運動として顕在化してこないのは、「社会を変えるのは難しい。社会はなかなか変わらないものだ。」というような不可能視と「どのように社会を変えたらよくなるのか」という成功イメージの貧困に大きな要因があるのではないでしょうか。そして、それらの根底に、前回提起したような「社会を変えること、社会をよくすることは、市民の役割というよりは、政治家や役人などの仕事である。」というような奴隷根性というか、私権統合ゆえの固定観念があるのではないかと思うのです。
既に、時代の閉塞感、小泉人気に代表されるような変革期待などは、時代のムードというか、かなり大きな社会的な共認になっています。にも拘わらず、未だ社会変革が大きな運動として顕在化してこないのは、「社会を変えるのは難しい。社会はなかなか変わらないものだ。」というような不可能視と「どのように社会を変えたらよくなるのか」という成功イメージの貧困に大きな要因があるのではないでしょうか。そして、それらの根底に、前回提起したような「社会を変えること、社会をよくすることは、市民の役割というよりは、政治家や役人などの仕事である。」というような奴隷根性というか、私権統合ゆえの固定観念があるのではないかと思うのです。
>誰かと一緒に考えられる場。完全な論理になってなくても、「こういうの考えたんだけど」って断片だけでも提案できる場。そんな場が、身近にほしい。そして、ネット上では、表現するには言葉しかないから、きっと身近な生活の場よりもこういう場を実現しやすいのではないかと、ひそかに期待しています。そして、そんな提案が、実は社会を変える、ってことの第一歩かも、とも思っています。
同感である。所詮,人間なんて,一人では,たいした事もできない。しかし,解決策は,ないわけではない。それは,集団である。集団で物事を起こすならば、可能なことはたくさんある。まずは、各企業の社内ネット(会議室)の発展が望まれる。
春山善広
同感である。所詮,人間なんて,一人では,たいした事もできない。しかし,解決策は,ないわけではない。それは,集団である。集団で物事を起こすならば、可能なことはたくさんある。まずは、各企業の社内ネット(会議室)の発展が望まれる。
春山善広
カウンター
カレンダー
最新記事
(01/24)
(01/24)
(12/11)
(12/10)
(12/08)
最新コメント
[04/03 神崎]
[11/18 埼玉新聞読者]
[11/18 所沢市の債務残高は1000億円]
[11/12 所沢市の債務残高は1000億円]
[11/12 所沢市の債務残高は1000億円]
ブログ内検索
最古記事
(09/02)
(09/11)
(09/12)
(09/13)
(09/14)
P R