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僕も今年の年末年始にかけてそれとなく友人と社会に対する議論を交わしたのですが、皆さんが投稿されているようにほとんどの人が現代の社会に対して閉塞感を感じており、なおかつ社会を変えていこうという意思はそれぞれ形を変えながらも抱いておりました。しかし、その対象範囲は社会という大きな枠ではなく、自分が住んでいるコミュニティ内での変革意思がほとんどでしたが・・・。
そこでもう少し視野を広げて社会全体で考えてみようと促すと、とたんに弱気になっていきました。どうやら菅原さんがおっしゃるように不全意識は抱えていながらもその行き着く答えがわからないみたいです。
また、皆それぞれネットは利用するみたいなのですが、社会系のサイトは観覧はおろか、その存在すら知らない人がほとんどでした。
しかし、友人に代表されるように、るいネットのような社会統合サイトの存在を知らない人が多いということは、逆に考えれば可能性を十分に秘めているとも言えます。
社会を変えていこうという意識の素地は、大多数の人が持ちえていることを改めて確認できた上で、参加者に対していきなり答えを提示するのではなく、そこに至る過程を議論し合える場の必要性があることはまちがいありません。(つまりはるいネットを如何に広めるかということに繋がるのですが・・・)
事実この掲示板で議論されている内容を僕なりの言葉に置き換えて話したところ、皆一応の納得を示してくれたところに、私達の行なっている行為は決して無駄ではないと感じた今年の正月でした。
高田康史
そこでもう少し視野を広げて社会全体で考えてみようと促すと、とたんに弱気になっていきました。どうやら菅原さんがおっしゃるように不全意識は抱えていながらもその行き着く答えがわからないみたいです。
また、皆それぞれネットは利用するみたいなのですが、社会系のサイトは観覧はおろか、その存在すら知らない人がほとんどでした。
しかし、友人に代表されるように、るいネットのような社会統合サイトの存在を知らない人が多いということは、逆に考えれば可能性を十分に秘めているとも言えます。
社会を変えていこうという意識の素地は、大多数の人が持ちえていることを改めて確認できた上で、参加者に対していきなり答えを提示するのではなく、そこに至る過程を議論し合える場の必要性があることはまちがいありません。(つまりはるいネットを如何に広めるかということに繋がるのですが・・・)
事実この掲示板で議論されている内容を僕なりの言葉に置き換えて話したところ、皆一応の納得を示してくれたところに、私達の行なっている行為は決して無駄ではないと感じた今年の正月でした。
高田康史
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>今までの運動がことごとく失敗に終わったのも、一言でいえば状況認識の甘さとその誤った状況認識からの戦略戦術が稚拙であったことに帰す。<
今の社会状況は問題だ、だから変革が必要だ。これは一見正論に見えます。しかし、その意識の根底に「今の現実が嫌で嫌でしょうがない」という自分自身の否定感情があり、その負のエネルギーをバネにしてきたのが、これまでの幾多の運動だったのでしょう。
このような否定思考は、その反動としての「理想像」を頭の中に捏造しがちです。それが逆に現実の的確な状況認識を妨げ、また現実の中にある可能性をも見失ってしまう、だから運動は失敗する、という因果関係ではないでしょうか。
少し前、この会議室で「既成観念の全的否定」についての議論がありました。この既成観念の全的“否定”と、現実の“否定”視とは、同じ「否定」という言葉でも全く意味が異なるということも、さらに鮮明になったようです。
現実を否定視しない者ほど既成観念の否定は容易であり、現実を否定視しない者ほど、現実の可能性に立脚し本当に現実を動かしている。
このような充足派・実現派の「可能性思考」を繋いでいくこと。これが、新しい認識革命の運動論なのではないかと思います。
田中素
今の社会状況は問題だ、だから変革が必要だ。これは一見正論に見えます。しかし、その意識の根底に「今の現実が嫌で嫌でしょうがない」という自分自身の否定感情があり、その負のエネルギーをバネにしてきたのが、これまでの幾多の運動だったのでしょう。
このような否定思考は、その反動としての「理想像」を頭の中に捏造しがちです。それが逆に現実の的確な状況認識を妨げ、また現実の中にある可能性をも見失ってしまう、だから運動は失敗する、という因果関係ではないでしょうか。
少し前、この会議室で「既成観念の全的否定」についての議論がありました。この既成観念の全的“否定”と、現実の“否定”視とは、同じ「否定」という言葉でも全く意味が異なるということも、さらに鮮明になったようです。
現実を否定視しない者ほど既成観念の否定は容易であり、現実を否定視しない者ほど、現実の可能性に立脚し本当に現実を動かしている。
このような充足派・実現派の「可能性思考」を繋いでいくこと。これが、新しい認識革命の運動論なのではないかと思います。
田中素
一般的に『答え』というと便利な「マニュアル」だったり安直な「ハウツウ」をイメージしがちですが、マニュアル人間やハウツウ人間ほど(仕事で)役に立たないというのは、多くの人が日常痛感していることです。しかし現代人は、このマニュアル思考やハウツウ思考に余りにも慣れ過ぎてしまって、人類を人類たらしめた精霊信仰~構造思考を一部の専門家の専売特許のように錯覚してしまったようです。
『答え』は構造認識であるというのも、揺るぎない骨格と、状況に応じて組替え可能なフレキシビリティーの両面を合わせ持つ認識だからで、それはマニュアルやハウツウなどの硬直した思考方法とは対極にあります。
この新しい構造認識の連鎖を広げるという「運動」は、ゲバ棒はもちろん、デモやお上への陳情とも無縁であり、誰もに普遍的な潜在思念を日常生活の実践課題に繋げて現実化するという点で、教条的な宗教の布教活動とも似て非なるものです。
普通の人たちの普通の生活に立脚した変革運動・・例えば育児や教育や消費という場面に限っても『実現論』にある共認原理という認識を理解すれば、様々に試行錯誤が可能になる・・しかもそれはほんの少しだけ思考のボタンをかけ直すだけで時代や世界への理解が広がる・・。こんなところにも、この運動の新しさと可能性が強く感じられます。
土山惣一郎
『答え』は構造認識であるというのも、揺るぎない骨格と、状況に応じて組替え可能なフレキシビリティーの両面を合わせ持つ認識だからで、それはマニュアルやハウツウなどの硬直した思考方法とは対極にあります。
この新しい構造認識の連鎖を広げるという「運動」は、ゲバ棒はもちろん、デモやお上への陳情とも無縁であり、誰もに普遍的な潜在思念を日常生活の実践課題に繋げて現実化するという点で、教条的な宗教の布教活動とも似て非なるものです。
普通の人たちの普通の生活に立脚した変革運動・・例えば育児や教育や消費という場面に限っても『実現論』にある共認原理という認識を理解すれば、様々に試行錯誤が可能になる・・しかもそれはほんの少しだけ思考のボタンをかけ直すだけで時代や世界への理解が広がる・・。こんなところにも、この運動の新しさと可能性が強く感じられます。
土山惣一郎
不全捨象→充足基調の循環〔図解〕
リンク
1.実現発の『認識の必要』は、充足基調・可能性収束の大潮流に応えることが出来る。
2.『可能性を感じさせる、深い=新しい認識』こそ、実現派を主対象とする「運動」に相応しい目的である。
それに対して、不全発の「変革の必要」では、否定意識に閉ざされた思想派しか集まらず、全く可能性が感じられない。しかも、否定意識や不可能視に囚われているので、『新しい認識』が与えられても半信半疑のままで終始し、必要な行動に至らない。
3.『認識の必要』なら、そのまま(一段階で)『実現論』や『まつりネット』に直結する。
それに対して、「変革の必要」は、まず「根底からの社会変革の必要」、次に「その為には、新理論が必要」という二段階の言葉(論理)が必要になる。しかも、その二つの論理共が、(上記の如く、社会派・思想派にさえor社会派・思想派だからこそ)スンナリとは受け容れられない。
4.『新しい認識』が広まってゆけば、自ずと社会はあるべき根底からの変革の方向に向かってゆく。つまり新しい認識こそが、真の変革気運を作ってゆく。
四方勢至
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1.実現発の『認識の必要』は、充足基調・可能性収束の大潮流に応えることが出来る。
2.『可能性を感じさせる、深い=新しい認識』こそ、実現派を主対象とする「運動」に相応しい目的である。
それに対して、不全発の「変革の必要」では、否定意識に閉ざされた思想派しか集まらず、全く可能性が感じられない。しかも、否定意識や不可能視に囚われているので、『新しい認識』が与えられても半信半疑のままで終始し、必要な行動に至らない。
3.『認識の必要』なら、そのまま(一段階で)『実現論』や『まつりネット』に直結する。
それに対して、「変革の必要」は、まず「根底からの社会変革の必要」、次に「その為には、新理論が必要」という二段階の言葉(論理)が必要になる。しかも、その二つの論理共が、(上記の如く、社会派・思想派にさえor社会派・思想派だからこそ)スンナリとは受け容れられない。
4.『新しい認識』が広まってゆけば、自ずと社会はあるべき根底からの変革の方向に向かってゆく。つまり新しい認識こそが、真の変革気運を作ってゆく。
四方勢至
変革期待は、変革の必要を意識していなければ生じない。しかし、不全捨象・課題捨象(つまり変革の必要意識を捨象)した以上、変革期待は生じない筈である。
脳回路上の意識には、最新・現在・蓄積の時間差がある。つまり、新しい意識(情報)は次々と処理されて蓄積されてゆく。(注:この蓄積回路は、本能を含む過去からの塗り重ね回路であると同時に、現在形において作動している現在回路でもある。)
1絶えず、新たにor現在形で、社会不全(危機・閉塞)が意識される。
2しかし、「答えがない」という状況判断によって、不全は捨象され封印される。=不全が処理される。
2’と同時に、潜在思念の奥に封印された社会不全が蓄積されてゆく。
3不全・課題を捨象した事によって、全回路が充足収束して、意識(=時代)の充足基調を形成する。
1’しかし、絶えず新たな不全(危機・閉塞)現象が生起し、意識される。
この1’→2・2’→3→1’の循環においては、絶えず新しいパターンの危機・閉塞が話題になる(古いパターンは処理済みで、あまり話題にならない)。従って絶えず新たに社会不全が意識されており、その限りで変革期待は生じる。
脳回路上の意識には、最新・現在・蓄積の時間差がある。つまり、新しい意識(情報)は次々と処理されて蓄積されてゆく。(注:この蓄積回路は、本能を含む過去からの塗り重ね回路であると同時に、現在形において作動している現在回路でもある。)
1絶えず、新たにor現在形で、社会不全(危機・閉塞)が意識される。
2しかし、「答えがない」という状況判断によって、不全は捨象され封印される。=不全が処理される。
2’と同時に、潜在思念の奥に封印された社会不全が蓄積されてゆく。
3不全・課題を捨象した事によって、全回路が充足収束して、意識(=時代)の充足基調を形成する。
1’しかし、絶えず新たな不全(危機・閉塞)現象が生起し、意識される。
この1’→2・2’→3→1’の循環においては、絶えず新しいパターンの危機・閉塞が話題になる(古いパターンは処理済みで、あまり話題にならない)。従って絶えず新たに社会不全が意識されており、その限りで変革期待は生じる。
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