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充足基調⇒本源収束という可能性の実現にこそ焦点を当てるべきである。しかし、「つまらない観念から自由」「認識を塗り替えようとするほど塗り替えられない」と観念捨象の充足基調にとどまることが新しいパラダイムではない。
観念捨象しているだけでは、認識も進化しないし、活力は上昇しない。少なくともこれらの意見には、生存圧力から同類圧力への転換や同類闘争という観点が欠落しているように思う。
>この新パラダイムの登場をもって、共認闘争=観念闘争の幕が切って落とされる。現実否定(or捨象)の既成観念を、全的に爆破せよ。旧観念は、現実を否定(or捨象)することによって、自己欺瞞(上部意識と下部意識の断絶)に陥った。それに対して、本源収束の下部意識に立脚する新観念が、旧観念を全的に爆破しても、何ひとつ困ることはない。数億年・数百万年の塗り重ねによって形成された下部意識を、頭で都合良く変えることなど出来ないが、観念は頭で塗り替えたら終いだからである。
観念捨象しているだけでは、認識も進化しないし、活力は上昇しない。少なくともこれらの意見には、生存圧力から同類圧力への転換や同類闘争という観点が欠落しているように思う。
>この新パラダイムの登場をもって、共認闘争=観念闘争の幕が切って落とされる。現実否定(or捨象)の既成観念を、全的に爆破せよ。旧観念は、現実を否定(or捨象)することによって、自己欺瞞(上部意識と下部意識の断絶)に陥った。それに対して、本源収束の下部意識に立脚する新観念が、旧観念を全的に爆破しても、何ひとつ困ることはない。数億年・数百万年の塗り重ねによって形成された下部意識を、頭で都合良く変えることなど出来ないが、観念は頭で塗り替えたら終いだからである。
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現実肯定→実践思考の観念パラダイムこそが立脚する基盤である。しかし、最近の投稿の中にはまだ、「自分達の感覚にあったもの」「自分が素直に疑問に感じる部分」と感覚重視の観念捨象が新パラダイムであるかのような誤解があるようにも思われる。
観念を捨象しているだけでは可能性は開けない。少なくとも現存する不全や実現のための壁という観点が欠落しているように思う。
>既に述べた様に、旧パラダイムと既成観念は、本源収束の出口を塞ぎ、社会を八方塞がりの状態に陥らせている。もしこのまま、旧パラダイムから脱却できなければ、人類は滅亡する。
充足基調の一方で、捨象しきれない社会不全が蓄積されている。現実直視とは、日々生起するゆきづまりや捨象しきれない不全をも対象化する。実現派の潜在思念から見て、実現思考に立ちはだかる壁とは、既成観念がまったく使い物にならず、それゆえに実現可能性が閉ざされたり、実現可能性が矮小化されているところにこそある。
観念を捨象しているだけでは可能性は開けない。少なくとも現存する不全や実現のための壁という観点が欠落しているように思う。
>既に述べた様に、旧パラダイムと既成観念は、本源収束の出口を塞ぎ、社会を八方塞がりの状態に陥らせている。もしこのまま、旧パラダイムから脱却できなければ、人類は滅亡する。
充足基調の一方で、捨象しきれない社会不全が蓄積されている。現実直視とは、日々生起するゆきづまりや捨象しきれない不全をも対象化する。実現派の潜在思念から見て、実現思考に立ちはだかる壁とは、既成観念がまったく使い物にならず、それゆえに実現可能性が閉ざされたり、実現可能性が矮小化されているところにこそある。
>そこで、最も重要なのは、絶えず新しい認識を紡ぎ出し、人々の共認内容(意識)を変えてゆくことである(新しい認識さえ共認されてゆけば、それに応じて制度etcを変えてゆくのは簡単である)。
これまで、実社会の歪んだ現実をまのあたりにして、多くの人達で意見を出し合い、この社会を変えていこうと試行錯誤していた。
そんな中、この四方氏の意見投稿を読んで、その”答え”がここに出てきたように思いました。
この「るいネット」の別トピで、”結婚”という制度について述べられているのですが、今ある制度をかえることは至難の業。 そのことも同様だと思います。
一人一人が”意識を変えていく”ことによって、そこで共認形成がはかられ、気付かぬうちに今まであったものが変化していってる。。。。そんな風に想像しています。
だから、今はただ”意識を変えていく”ことを心がけたいと思います。
また、このるいネットが、新しい認識を創出する場になって欲しいと思います。
もっと具体的に何か可能性を感じられることを考えたいと思います。
>構造認識(=実現論)が実現派にとっても必要あることは分かったけれど、多分それだけじゃダメなんだ。 実現派にとっての“るいネット”の必要性も見つけなければ、突破口にはなっていない。<
「実現論」を読むだけではなく、もっと具体的な言葉で新たな”認識”を出し合い、それについて語りあう。。。。そんな「場」作りが必要だと思いました。
松本妙子
これまで、実社会の歪んだ現実をまのあたりにして、多くの人達で意見を出し合い、この社会を変えていこうと試行錯誤していた。
そんな中、この四方氏の意見投稿を読んで、その”答え”がここに出てきたように思いました。
この「るいネット」の別トピで、”結婚”という制度について述べられているのですが、今ある制度をかえることは至難の業。 そのことも同様だと思います。
一人一人が”意識を変えていく”ことによって、そこで共認形成がはかられ、気付かぬうちに今まであったものが変化していってる。。。。そんな風に想像しています。
だから、今はただ”意識を変えていく”ことを心がけたいと思います。
また、このるいネットが、新しい認識を創出する場になって欲しいと思います。
もっと具体的に何か可能性を感じられることを考えたいと思います。
>構造認識(=実現論)が実現派にとっても必要あることは分かったけれど、多分それだけじゃダメなんだ。 実現派にとっての“るいネット”の必要性も見つけなければ、突破口にはなっていない。<
「実現論」を読むだけではなく、もっと具体的な言葉で新たな”認識”を出し合い、それについて語りあう。。。。そんな「場」作りが必要だと思いました。
松本妙子
原始人も現代人も、専ら現実に立脚すると同時に、ひたすら現実を対象化して生きてきた。つまり、潜在思念に導かれて現実を直視することによって、新たな可能性を探り当て、新たな意識(新たな状況認識に導かれた実現回路)を形成し続けてきた。
換言すれば、一個の生も、その塗り重ねたる歴史も、常に現実から出発して新しい認識を紡ぎ出し、それに応じて現実を変えてゆく(現実が変わってゆく)過程である。
現実を社会と言い換えても同じである。社会は人々の共認によって統合され、その意識=共認内容が変化してゆくことによって変わってゆく。現実が変わる=社会が変わるとは、ただそれだけの事である。
その共認内容は徐々にしか変わらず、例えそれが30年ほどの間に猛スピードで変わったとしても、その共認内容の変化に応じて一つずつ規範や制度が改革されてゆくことによってしか、社会は変えられない。
換言すれば、一個の生も、その塗り重ねたる歴史も、常に現実から出発して新しい認識を紡ぎ出し、それに応じて現実を変えてゆく(現実が変わってゆく)過程である。
現実を社会と言い換えても同じである。社会は人々の共認によって統合され、その意識=共認内容が変化してゆくことによって変わってゆく。現実が変わる=社会が変わるとは、ただそれだけの事である。
その共認内容は徐々にしか変わらず、例えそれが30年ほどの間に猛スピードで変わったとしても、その共認内容の変化に応じて一つずつ規範や制度が改革されてゆくことによってしか、社会は変えられない。
既に、最も重要な下部意識は、私権収束から本源収束へと転換した。従って、今後(30年間)は、上部意識=観念に焦点が移る。社会の最先端では、旧来の私権闘争に代わって、観念闘争が、最もホットな場となるだろう。
既に述べた様に、旧パラダイムと既成観念は、本源収束の出口を塞ぎ、社会を八方塞がりの状態に陥らせている。もしこのまま、旧パラダイムから脱却できなければ、人類は滅亡する。
しかし我々は、遂に、生存圧力に基づく現実否定→倒錯思考の観念パラダイムを全的に逆転させる新パラダイムを見出した。それは、同類圧力に基づく現実肯定→実現思考の観念パラダイムである。
それは、とことん現実に立脚し、現実を直視し続ける思考パラダイムであり、旧パラダイムの生み出した倒錯観念(古代宗教)や欺瞞観念(近代思想)を全否定して、本源収束を導く全く新たな状況認識(誰もが認めることのできる事実認識の体系)を構築してゆくだろう。
既に述べた様に、旧パラダイムと既成観念は、本源収束の出口を塞ぎ、社会を八方塞がりの状態に陥らせている。もしこのまま、旧パラダイムから脱却できなければ、人類は滅亡する。
しかし我々は、遂に、生存圧力に基づく現実否定→倒錯思考の観念パラダイムを全的に逆転させる新パラダイムを見出した。それは、同類圧力に基づく現実肯定→実現思考の観念パラダイムである。
それは、とことん現実に立脚し、現実を直視し続ける思考パラダイムであり、旧パラダイムの生み出した倒錯観念(古代宗教)や欺瞞観念(近代思想)を全否定して、本源収束を導く全く新たな状況認識(誰もが認めることのできる事実認識の体系)を構築してゆくだろう。
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