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社会や集団の統合不全は「答え」(=構造認識)が与えられないと解消しない。
いま現代人が置かれている状況はまさしくこの状況であり、実現派といえども現実を切り開くのに有効な、言い換えれば下部意識と整合するような「答え」がない限りこの状況は延々続くであろう。ドーパミンであれなんであれ、不全が解消できない限り、前進できないのは共認動物である人類の宿命であり、実現派も否定派同様、前進できずに在野にうずもれてしまっているのが現状だ。
実現派から見ても、答えが無い限り、統合不全は解消されず蓄積するのも同様である。なぜなら、彼ら実現派は既に現実否定の構造を突破しているとはいえ、その下部意識=潜在思念を構造化し「構造認識」として固定化することができないからである。潜在思念も構造認識となって初めて他人に伝えられたり、教えてあげられるようになって、共認できる代物となる。そして、その認識フレームを通して新しいものの見方が出来たり、物事の射程が長くなるこの上ない充足を味わうことが活力源となって、パラダイム転換が進むのだ。
いま現代人が置かれている状況はまさしくこの状況であり、実現派といえども現実を切り開くのに有効な、言い換えれば下部意識と整合するような「答え」がない限りこの状況は延々続くであろう。ドーパミンであれなんであれ、不全が解消できない限り、前進できないのは共認動物である人類の宿命であり、実現派も否定派同様、前進できずに在野にうずもれてしまっているのが現状だ。
実現派から見ても、答えが無い限り、統合不全は解消されず蓄積するのも同様である。なぜなら、彼ら実現派は既に現実否定の構造を突破しているとはいえ、その下部意識=潜在思念を構造化し「構造認識」として固定化することができないからである。潜在思念も構造認識となって初めて他人に伝えられたり、教えてあげられるようになって、共認できる代物となる。そして、その認識フレームを通して新しいものの見方が出来たり、物事の射程が長くなるこの上ない充足を味わうことが活力源となって、パラダイム転換が進むのだ。
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実際には、不全を感じていてもパラダイム転換に気づいていない、知らないから既成の倒錯観念に答えを求めることしかできず、突破できない、だから不全だけを蓄積していく・・・そのうち、「答えなんてない」「不全なんてない」などと捨象し、あきらめてしまう人の方が多いように思います。
答えを必死に求め、自ら探そうとしてる人にわかっている人が教えてあげるのは、ある意味簡単なことかもしれません。初めからお互いの欠乏がかみ合ってるわけだから。教えてもらった方も、今度は同じことをまだ答えを探している人に教えてあげることもできそうな気がします。
答えを必死に求め、自ら探そうとしてる人にわかっている人が教えてあげるのは、ある意味簡単なことかもしれません。初めからお互いの欠乏がかみ合ってるわけだから。教えてもらった方も、今度は同じことをまだ答えを探している人に教えてあげることもできそうな気がします。
ほかに、研究成果をどのように評価するかという点も問題です。
一般の我々が目にする環境問題解説書をみると、わかりやすく話されていることは単なる一面的な見解でしかなく、問題の全体像を把握しようとすると素人にはほとんどわからない。と感じます。
社会のための研究が、社会を構成する一般の人々にとて良くわからないというのでは、成果が社会に反映される筈は無いと思いますが。
また、研究成果たる「事実」に迫るためには、自説の主張に併せて、相手の学説の問題点を指摘・追求してゆくことが不可欠ではないでしょうか。
ならば環境問題に関わる研究者の方々は、「そういう説もあります」等と、簡単に他説を認めるべきではないと思います。
でも、ここが徹底されていないからこそ、問題究明が遅れているのではないのか感じます
「素人の声に答える」ということは、以上にあげたような、研究テーマの対象性獲得、不透明な研究の監視とエセ研究者の退場勧告、論理整合性の評価・判定等、研究を推進する上で有効だと思います。
そして何より、研究者はこの評価を問題追求の原動力にすべきだし、出来ると思います。
本当に「社会のための研究を」と考えている研究者なら、多くの人から評価されることは間違いなく「励み」になるはずだし、実際にそんな人達は、もうとっくにネットを通して研究成果を社会に向けて発信しています。
小西康雄
一般の我々が目にする環境問題解説書をみると、わかりやすく話されていることは単なる一面的な見解でしかなく、問題の全体像を把握しようとすると素人にはほとんどわからない。と感じます。
社会のための研究が、社会を構成する一般の人々にとて良くわからないというのでは、成果が社会に反映される筈は無いと思いますが。
また、研究成果たる「事実」に迫るためには、自説の主張に併せて、相手の学説の問題点を指摘・追求してゆくことが不可欠ではないでしょうか。
ならば環境問題に関わる研究者の方々は、「そういう説もあります」等と、簡単に他説を認めるべきではないと思います。
でも、ここが徹底されていないからこそ、問題究明が遅れているのではないのか感じます
「素人の声に答える」ということは、以上にあげたような、研究テーマの対象性獲得、不透明な研究の監視とエセ研究者の退場勧告、論理整合性の評価・判定等、研究を推進する上で有効だと思います。
そして何より、研究者はこの評価を問題追求の原動力にすべきだし、出来ると思います。
本当に「社会のための研究を」と考えている研究者なら、多くの人から評価されることは間違いなく「励み」になるはずだし、実際にそんな人達は、もうとっくにネットを通して研究成果を社会に向けて発信しています。
小西康雄
パラダイム転換とは、より上位の階層へ統合原理が移行することだと思う。だから、過去の統合原理を踏襲しているという意味で塗り重ね構造であるとも言えるし、高い統合態から低い統合態への移行は絶滅を意味するという意味で不可逆的とも言える。
生物進化においてこれらの転換は、外圧を捉え続けたギリギリの状況下でのDNA変化によって実現される。この変化は、DNAに依存するという意味で発現までの時間のスパンが長いが、遺伝によって伝えられるという意味で機械的に同一方向に起こる。この意味において、進化上の新旧種間における闘争などないだろう。
他方、人類における、観念パラダイムの転換は、DNAの変化による転換に比べ非常に短い時間スパンで起こる。 今回の現実肯定→実現思考の観念パラダイム転換も同じである。潜在思念で可能性を捉え、構造認識で観念化した人から転換する。
生物進化においてこれらの転換は、外圧を捉え続けたギリギリの状況下でのDNA変化によって実現される。この変化は、DNAに依存するという意味で発現までの時間のスパンが長いが、遺伝によって伝えられるという意味で機械的に同一方向に起こる。この意味において、進化上の新旧種間における闘争などないだろう。
他方、人類における、観念パラダイムの転換は、DNAの変化による転換に比べ非常に短い時間スパンで起こる。 今回の現実肯定→実現思考の観念パラダイム転換も同じである。潜在思念で可能性を捉え、構造認識で観念化した人から転換する。
【貧困の圧力を消滅させ、生存圧力から同類圧力へと圧力場(=活力場)が大転換したと思われるのに、なぜ人々はつまり社会は、圧力→活力を上昇させていかないのか、それどころか閉塞してしまうのか?】
四方勢至さんの一連の投稿『観念パラダイムの逆転』は、この問題に対する答えを明確に示したように思います。私はこれまで「場」の転換について次のように考えていました。
共認動物である人類の「場」は人々の共認内容(社会共認)そのものであり、それは結局は人々の意識のあり方によって決定される。そして、その転換は人々の意識上の(上部意識・顕在意識の)旧パラダイム(例えば自分を大事とする意識。自我充足。)が意識下(下部意識・潜在意識)の新パラダイム(例えばみんなを大事とする意識。期応充足)に取って代わられることによって転換(パラダイムシフト)する。
四方勢至さんの一連の投稿『観念パラダイムの逆転』は、この問題に対する答えを明確に示したように思います。私はこれまで「場」の転換について次のように考えていました。
共認動物である人類の「場」は人々の共認内容(社会共認)そのものであり、それは結局は人々の意識のあり方によって決定される。そして、その転換は人々の意識上の(上部意識・顕在意識の)旧パラダイム(例えば自分を大事とする意識。自我充足。)が意識下(下部意識・潜在意識)の新パラダイム(例えばみんなを大事とする意識。期応充足)に取って代わられることによって転換(パラダイムシフト)する。
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