忍者ブログ
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

>この認識基調(社会収束)の下では、原基共認(期待に応える充足)の対象が個人や集団を超えたより広い対象(より多くの人や場)に向かうのは必然である。これが今、メル友やサークルや海外旅行etc、人々を何よりも『人』に向かわせている、つながり(拡がり)欠乏の正体である。(24648四方勢至さん)

今まで、人々の意識の変化やそれを促す運動と言うとき、新しい構造認識vs古い倒錯観念という対比や、実現派による新しい共認関係の拡大vs学者や知識人がメディアを通して行う染脳という対峙を想定してきた。しかし、それは一面でしかなかったようである。

そのように夫々の共有域を想定してその縄張りの拡大を考えるから、集団の閉鎖性や集団と社会との断層といった命題がつきまとってきたのだろう。人々の欠乏が、すでに集団を越えて開かれた、つながりや拡がりに向かっているならば、そこにはもはや縄張りや境界は成立し得ないのではなかろうか。

集団を超えた人々の期待に応える充足こそが、次代を作って行く活力源なのだとすれば、新しい認識闘争とは、そのような欠乏に対して、より充足度の高い認識内容を示せるかどうかの競争となり、既成の勢力にはもはやその競争に参加する資格さえないのかもしれない。

新しい可能性を生み出す認識は、自らの欠乏であると同時に、人々の期待でもある。新しい認識が広まることで人々の意識が変わっていくことは、新しい社会状況が生み出されることでもある。

広く人々の欠乏に応えるためには言葉が必要である。言葉を伝え共感する対象を得ることが、より深い充足が得られる世界の獲得でもある。可能性を伝える必要、それを確信できる構造認識の必要が、そろそろ顕在化してきているように感じる。



石野潤
PR
> 結論的に言えば、社会構造そのものを共認という可能性に照らして変更する事を模索せねばならないでしょう。
> 市場などは、地域経済的なものに縮小しても良いのではないでしょうか。
> そしてそうすることの大前提に共認の一定の濃さが可能となる地域社会の必要性が生じるのではないかと考えております。

 全く同感です。

◆都市型社会の末路

 市場経済の著しい高度成長の下に進行したのは、伝統的社会から投げ出された人々を収容する都市型社会化でした。

 それは物質的に豊かな都市生活の機会を提供する一方で、

 外部に対しては、
 ・工業化の代償としての公害、
 ・環境破壊、
 ・過疎による共同体の崩壊、

 内部に対しては、
 ・都市生活環境の悪化、
 ・孤独な大衆の精神的疎外、
 ・組織をはじき出された人々がつくる都市周辺部のスラム、
 などをもたらしました。

◆共同性とネットワークの形成

 こうした状況下、特に1960年代以降、世界各地で様々な運動が、それぞれの地域の特色を持ちながらも共通の課題を持って生まれてきました。

 これらの運動は
 「それぞれの地域のことはそれぞれの地域の住民が決定する」
 「自らの生活は自らが決定する」
 ということを目標にしたことに表れているように、国家体制の中で自律性を喪失している地域社会に、共同性を創出しながら、自治政治システムをつくりだすことを目指していました。

 例えば、タイでは、70年代後半以降、NGOが各地の開発指導者や農民の自発的な住民組織と連携して、共同体・共同体文化の復興を主張し始めます。
 そして、他領域のNGO、市民団体を巻き込みながら、独自のネットワークを築いてきました。




阪本剛
■規範の再生は集団の再生に繋がる

男女の関係、親子の関係は、戦後長い間「プライベート」という言葉で、個々人に与えられた“権利”だと思われてきました。しかし、もう「個人の責任」「その家庭の責任」では補えきれないほどの負債を抱えていることは誰の目にも明らかです。

それはもともと「個人」や「家庭」(特に核家族)で補えきれなかったものであったと考える方が妥当でしょう。それをなんとかしようという試み(=お互いがよりよく生きようとするための規範の形成)は形になってすでに表れていると思います。

例えば、アメリカでは、犯罪の危険を減らす為に「近所で通報し合う」という規範ができあがりつつあるようで(大都会を除く)、その中でも、特に「子どもの虐待」についてはお互いにかなり気を配り合っている状況だそうです。

つまり、これは犯罪の責任を重くする(制度の充実)よりも、お互いのコミュニケーションを復活させることの方が、様々な面において危険を防止し、よりよい生活を営むことに有効だったからだと言えるでしょう。

また、前にもありましたが、共同保育などもその一つの例と言えるでしょう。「子どもは自分で(家庭で)育てるもの」という常識は解体されつつあり、子どもを育てるために、多くの人の手を借りようというのは、むしろ虐待防止のために奨励されつつあります。

上記の例に顕著だと思いますが、このような「人間関係をより良くしようとする(ある規範を形成しようとする)試み」は、必然的に地域コミュニティーを活性化させる=集団を再生することに繋がっていると言えると思われます。

規範は必要であり、すぐにでも変えられる。安心できる場は、自分たちの手で作っていける。もう誰もが、本当は知っているのではないでしょうか。




吉岡摩哉
>規範を変えるには時間がかかるし、規範があっても上辺だけの共認では意味がありません。そういう意味で、まずは制度ではっきりさせればいいのです。変えられるものから変えていくということです。(24136)



■規範は変えられる

そもそも制度とは、国家などの思惑を除いた純粋な意味では「規範を明文化したもの」でしょう。それが形骸化しているとは、まさに制度の「規範」部がなくなって「枠」だけ残ったものであるというのは、前にも述べたとおりです。

そして、規範とは、何かを規制するものではなく、共認域内でお互いに何かをより良くするために必然的に定められていくルール、つまり人間関係を円滑にするためのお互いの役割意識みたいなものに近いと思います。相手がそこにいる限り、必然的に規範は発生します。そして本来ならば、状況に合わせて、規範も適応していくべきものです。

現代の日本では、個人の自由という観念と、それによる地域の分断によって、規範が個人の内に委ねられてしまっている状況です。そこで、己が培ってきた規範だけでは対応しきれないことはざらにあり、またそれを破ろうとも、何も言われなかったり、あげくのはてに、その相手(個人)という人間関係そのものを切り捨てることさえ可能になってしまいました。

このような状況(個同士の規範のさぐり合い)は、非常に疲れるものです。そこで人々は「常識」という万人に適応できる最低限のルールに収束し始めることとなります。

「最近の人間関係は浅薄である」と、上の人間はよく言いますが、万人に収束する=合わせようとすると、他者との交流を円滑にするものであった規範そのものさえ、定められた様式になり、表層化(=相手と己の行動を制する意味のないお約束)するのは当たり前です。

関係が深まらないのは、ある意味当たり前であり、その状態を「上辺だけの共認」というのでしょう。そんな規範に意味がないことはもちろんです。

言うまでもなく、制度は国を通してでないと変わりません。しかし規範は、相手との関わりによって変わります。このことさえ認識できれば、現代、個々人にその内容が委ねられている今こそ、本人のちょっとした認識転換だけで、規範は一気に変わりえるのではないでしょうか。


続く


吉岡摩哉
他方、「何をすれば良いのか分からない」という選択課題の方がより全般的・総合的で、より観念回路に近い位相にある課題であるが、肝心の課題圧力が弱く、この課題に対しては適応本能があいまいに作動しているだけである。

潜在思念の本源収束は、仲間圧力の絶対化という現実課題と、それに応じて適応本能が共認回路を駆動させて形成した方法認識や状況認識が実在するが故に(orそれで充分に対応できるが故に)、強力なものとなり、半ば顕在化したのである。
それに対して、潜在思念の社会収束(外向収束)は、その様な潜在回路だけでは不充分であって、収束するには観念を必要とする。しかし、答えが見付からない(=収束観念がない)ので、適応回路があいまいにしか作動せず(外向きという方向を指示するくらいしか出来ず)、深く潜在したままその位相に留まっているのである。

要するに現状は、収束できる観念がないので、仲間収束>>社会収束となっており、又その結果「何をすれば良いのか分からない」状態にあるだけである。
しかし、潜在思念の社会収束は、(収束できる観念がないので、現状は殆ど意識されないが)明らかに実在する。むしろ、仲間収束をほぼ完了した実現派が、次に向かおうとしている世界は広い社会であり、その為に必要なのは新しい観念(構造認識)である。その根拠は、
●潜在思念は明らかに外向収束しようとしている。このことは、私権統合が終焉の時を迎えて社会不全が増大し続けているという点からも、社会統合の可能性が開かれたという点からも、明らかである。
●男女であれ、仕事であれ、何をするにも新しい認識(言葉)の必要性と有効性は、(既にある程度の答えを識っている我々には)経験的に明らかである。

☆だが、『社会収束』やそれに伴う『観念の必要性』は、現実課題と成り得るのか?

四方勢至 
[171]  [172]  [173]  [174]  [175]  [176]  [177]  [178]  [179]  [180]  [181
ランキング
にほんブログ村 政治ブログ 世直し・社会変革へ
お勧めサイトランキングへ
カウンター
カレンダー
02 2026/03 04
S M T W T F S
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31
カテゴリー
最新コメント
[04/03 神崎]
[11/18 埼玉新聞読者]
[11/18 所沢市の債務残高は1000億円]
[11/12 所沢市の債務残高は1000億円]
[11/12 所沢市の債務残高は1000億円]
バーコード
ブログ内検索
P R
Admin / Write
忍者ブログ [PR]