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「実現論」、「るいネット」から、“みんなで”、常識や固定観念にとらわれることなく“現象事実を追究”し、答え(新しい認識)を“つくっていく(進行形)”ことがどれほど重要なことか分かってきたような気がします。

“現象事実を追究”するためには、あらゆる固定観念や思想、個人的感情などを思考から排除しなければなりませんが、“一人”で考えるとどうしても思考の広がりに限界があるのと同時に、現時点では私権圧力で統合された社会で生きてきた以上、無意識にその支配共認にとらわれる可能性があります。そこで、“みんなで”考えることにより、それぞれの思考を補完することが可能となります(無意識に支配共認にとらわれる可能性があるという問題は多少残りますが)。その補完しあう作業が同類圧力=共認圧力につながるのだと私は理解しています。

また、“つくっていく”という継続性も大切です。ただ一度だけ“つくって”お終いというのではなく、新しい事実を常に追究し、新しい認識へと収束していくことで、圧力および活力源を失わずにすむのでしょう。

現在、環境問題についての議論の中で「持続可能な社会」という言葉がよく聞かれますが、“みんなで、事実を追究し、答えをつくっていく”姿勢があれば、よりよい「持続可能な社会」が実現できるのではないでしょうか。


仲西大輔
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私はネットワークを考えるときに脳内の神経回路を連想します。

不全を察知し旧友や知人に相談する行為は過去の記憶をたぐり寄せる構造に似ており、また何か可能性のありそうな言葉や情報は電気信号(インターネットや電話)で広がることや、可能性や充足の濃淡に応じて集ったり衰退したりする様も神経回路と共通しています。

ネットワークは個人や集団で追究するよりも遙かに多様な思考が可能になります。

ネットワークとは、単一集団の課題を超えた社会統合上の不全に遭遇した人類にとって、答えを探索するために新たに作り出した観念機能なのではないでしょうか。


辻一洋
ここまで来て、漸く社会統合としてのネットワーク化の必然的な構造がみえてきたように思います。

 さかのぼれば、

・倒錯観念に犯された専門家の知識の垂れ流しよりも、なんでもない人の柔軟な実感こそが現実であるということ
 
・皆の時事刻々と変化する潜在思念が、ダイレクトにリアルタイムで集積できること

・ヒトの本源的なあるいは絶対的な価値としてのつながり欠乏を満たしていくこと

・思考=構造認識が、単一の体感的閉鎖集団を超越して、全体に開かれること

 これらの構造(機能)がこれからの社会統合の基本構造としてあることがわかります。中でも、核となるのは、構造認識のベースとしての実現論が存在することかと思います。外向欠乏が収束していく先は構造認識=答え(方針)!確かに、つながって何をするのか?何を求めてつながったのかを捉え返せば、そこに行き着くように思います。

 人(つながり)によるその場だけの安心感や充実感は、時とともに消えていきます。そこに、認識の必要という共通課題がなければ、皆のつながり充足も継続せず、何より真の充足にはならないように思えます。

鈴木康夫
>「素人こそが社会統合の主役」、「素人の外向欠乏→社会収束が新しい社会の可能性を切り拓いて行く」、そのような時代がはじまったと理解します。<(24802;村田さん)

この間の四方さんを初め皆さんの一連の投稿で、『万人による社会統合』とは新しい認識パラダイムを獲得した人々の共認ネットワークであり、共認ネットワークとは構造認識の高度化をめぐる評価空間であることが明らかにされました。

そして当然と言えば当然ですが、おもしろいことに『外向収束』をいきいきと実践しているのはすべて素人であり、村田さんが指摘しておられる官僚や学者は‘認識を専業とする集団’として、相変わらず集団のもつ閉鎖性の枠内に留まっているという構図も鮮明になっています。

るいネットで提起されている社会変革というのも意識の変革に過ぎないし、意識の変革も無自覚に潜在意識の方が先に新しい可能性に収束し、残っているのは上部意識(観念)だけというところまで状況は進展しています。

この可能性に収束し旧パラダイムから真っ先に脱却していくのは、いつの時代でも素人です。このNW板のコピーにある>もともと歴史を創ってきたのは素人<という一文の真実性に、私もあらためて気付きました。

認識の必要性が顕在化する基盤も、素人の柔軟性あればこそです。

土山惣一郎 
『るいネットワーク』のトップページ、「新しい社会統合ネットワーク」の主旨として以下のメッセージがあります。

>もともと歴史を創ってきたのは、素人。国民に選ばれた訳でもないプロたち(マスコミや学者・文化人や官僚)が、この社会を統合してきたのがそもそもの間違い。彼らプロに代って、私たち素人が社会の変革と統合という仕事を担えばいい。みんなが協働すれば、全く新しい社会統合機構がきっとできる。

この、「素人が社会の統合という仕事を担う」ことの意味と必然性をはっきりと認識させて頂きました。

生存圧力(生きて行く上でいやでも従わなければならない圧力)を克服したヒトが、「同類圧力」に改めて反応し、「外向収束」「広がり欠乏への収束」に活路を求める潮流が、90年代から始まった。

そして、「社会統合」を託していたはずの官僚・政治家・学者には、「今後の社会ビジョン」が何もないことが、素人にもはっきりしたのが、この1、2年ではないだろうか。

>遂に’00年、私権統合の崩壊によって外向欠乏⇒社会収束の潮流が一気に顕在化してきた。(但し、まだ人(つながり)収束に留まっており、社会そのものに収束していないという意味では半顕在化の段階にある。)

国の政治や行政においても、地方の政治や行政でも、「市場経済」という断面に於いても、私権を基調とする「社会統合」が機能しなくなっていく。そのことに多くの人々がはっきりと気づいていっている。

「素人こそが社会統合の主役」、「素人の外向欠乏→社会収束が新しい社会の可能性を切り拓いて行く」、そのような時代がはじまったと理解します。

 


村田貞雄 
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