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>逆に、新しいパラダイムは新しい人間関係がつくるとも言えるかもしれません。(25609富田氏)

最近まさに実感しているところです。
厳選○サイトなどを通じて農村や農業系のサイトをよく訪れるようになりましたが、そこで感じるのは、新しい認識を持つ人達或いは求める人達がいて、何らかの地域ネットワークや仲間ネットワークを築いており、同類圧力という実践課題のなかで闘っているということです。

答えを求める人たちが、認識仲間として集い、集いの場が形成される。
これから生まれる新たな関係社会は、認識という母胎ぬきに成立することは無いと確信します。全国各地に見られるこのような新しい関係は、パラダイム転換を実感させるに充分な勢いと確かさを感じさせます。

さて、このような新たな関係と「るいネット」を繋ぐもの。それは構造認識を母胎とした、仲間づくりと場づくりという実践課題の線上に結実するわけですが、その可能性としては充分に開かれていると改めて思います。


衛藤信義
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>従って、社会不全→外向欠乏の上昇によって、答え欠乏=認識欠乏が顕在化してくるのは時間の問題である。しかし、間違ってはならない。人々は潜在思念の源に強い社会不全を孕んでいるからこそ、充足を(つまりは、答えを)求める。実際、人々は愚痴や批判ではなく(そんな言葉は聞きたくもない)、何か答えになりそうな可能性の感じられる新しい認識を求めているのである。(24982四方勢至さん)

観念が人類をして他の生物と区別する機能であり、人類の歴史がその塗り重ねであるならば、絶えず新しい認識を紡ぎだすことなしに、人々の共認内容を進化させ次の時代を作っていくことはできない。そして、「るいネット」とはそのような認識を紡ぐ場である。

認識仲間とは、そのような場に集う仲間を想定してきた。しかし、認識を紡ぐ仲間や場、とは別の課題が明らかになったように思う。人々の潜在的な認識の欠乏に応えるという課題である。潜在的な欠乏を顕在化させる課題とも言える。

>実現派にとっては、本来は仲間充足の次の社会収束の地平こそが、次に向かうべき世界であり、答え=構造認識さえ与えられれば、すぐに吸収する。つまり、実現派は答えが与えられさえすれば、すぐにでも可能性収束=社会収束する。(25432四方勢至さん)

>その潜在思念が求めているのは、パラダイム転換の認識や状況認識、つまり現実や状況や時代の捉え方。それを明確化した構造認識は共認され、自分の認識に転化する。その先は共鳴や応援よりも、応用や実現に向かう。(25433四方勢至さん)

少なくとも実現派には、社会不全が課題として対象化されつつある。人々が認識欠乏を増大させ、その充足を求めているとしたら、その期待に応えるという課題が、一義的な、最も現実的な課題となる筈である。

「実現論」「るいネット」という新しい認識を教えるという課題である。人々の認識欠乏に応えることを活力源に、新しい構造認識を広めるという課題である。これによってしか、新しい認識の追及という期待も顕在化しないのだろう。

求められる認識仲間とは、そのような具体的な課題によって結ばれ、その広がりによる充足によって結ばれた仲間ではなかろうか。求められる場とは、そのような人々が集い、課題と役割を確認し深めていく場ではないかと思う。



石野潤
「発掘あるある大辞典」も「おもいっきりテレビ」もよく見ているのですが、最近あの手のやり方には疑問を感じています。以前はこの食べものが体にいいとか言われれば、すぐに飛びついていたのですが、それは自らが事実認識した上での行動ではなく、結局マスコミの情報を鵜呑みにしているだけだと気づいたからです。

でも、まだまだあの手の番組が人気があり、それなりに市場に対する効果もあるということは、ほとんどの人はマスコミに操られているという事実に気づいていないのでしょうね。

ここの会議室のように、マスコミが扱う情報がいかにフィルターがかかっていて、人々がそれに影響されやすいかをもっと扱っていくべきだと思います。

インターネットでは、そういう問題を扱っているサイトもたくさんありますが、まだまだテレビなどのマスコミに比べると発信力が弱いようです。ただし、今後のインターネットの普及に伴い、インターネットによって事実認識の流れが形成されるのも、それほど遠くないように感じます。

端野芳
>また、私をはじめ多くの人々は、答えというと明確な「形」を求める傾向が強いように思います。集団の形態はこうで、社会のシステムはこうなるべき等のイメージしやすいものを。

私はこの間、るいねっとでずっと議論してきて思うのですが、最近になって答えを切望する気持ちが以前より減っている事を感じます。
以前は佐藤さんが言うように答え=万人が納得する明確な言葉という思い込みがありました。
それはあたかも儒教の教えやキリストの言葉のように。その言葉にすがり、そこから世界を見ると一気に拡がるという”ありえないもの”を求めていたように思います。

しかし、このネットで議論に参加し、多少でも自分で物を考える習慣がついて思うのは日々小さな答えがあるという実感です。疑問に思ったり、そうかと納得したり、「あっ、これ調べてみよう」、面白いなーとか・・・そうやって見えてくるのがこ・た・えの正体なのかもしれません。

毎度の太古の話しで恐縮ですが、こ・た・えに対しては、やはりここでも精霊というものがそれに相当するのかもしれません。古代の人類にとって精霊という答えは追い求めた末に辿り着いた概念だったと思います。
精霊というものに実態の形がなかったように、未明課題を求め人々が織成す共認のΣが現代の答えの形になるのでしょう。

その意味でも多くの人が投稿されているようにこのネットワークの場が答え形成の場でもあり答えそのものなのだと思います。


田野健
豊かさが実現される以前の本能不全・私権不全と、その後台頭してきた社会不全との大きな違いは、「自分一人で解消できるか否か」にあるのではないか。

スキンシップや涙・笑いで解決できた前者に対し、後者は「社会システム」そのものに問題の原因があるだけに、自分や身の回りだけで解決できるものではない。仮に自分の周りの問題だけを解決したところでそれは小手先だけのもので、本質的な解決には程遠いのが現実であろう。

そしてそれを解決できるのはまさしく「全員による認識の転換」、そして「社会構造の変革」以外に無いのであるが、それが実現するには膨大な時間がかかり、また個人の力ではどうしようも無いことでもある。

現在多くの人が「課題を捨象する」「物を考えない」ようになってしまったのは、現在多くの人が抱える不全が、「一人ではどうしようもない」ものになったからではないか。しかしそれでも、この状況は変えていく必要がある。そしてそれは、多くの人々の意識を変えることから始まるのだと思う。



匿名希望
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