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>農村の課題共有にネットを利用する考えに賛成です。
>意外と農村は、ネット生活、ネット社会が適した場かもしれない。

長谷さんのご意見に始まり多くの方より、ネット上で農業課題を共有して行こう!とのご意見が有ります。全くその通りだと思います。
るいネットの厳選○サイトの農業系を拝見しても、何とか農業を理解される様に色んな角度から奮闘されていると思います。だから、多くの方がサイトの掲示板で人との意見交換を通じて関係性を期待されているものと感じます。

そこで、若干疑問を感じました。多くの人が多くの方と繋がりを求めているのに、その求め方が分散した独自のサイトに成るのかと・・?
各農業生産者の農業理念や生産様式等、又地域や地方等の個別の違いが有るでしょう。それらの条件の違いが、独自の集いに成っているのかも知れません。しかし、今の農業の課題は、個別の農業生産者の範囲で解決できるものではないと思うのですね。皆の知恵を集める事、皆の組織力を動員する事でしか突破できないと思うのですね。

今の農業の根本の課題は、活力の蘇生ではないかと思います。この課題の中に個別の課題群が有って、其処を意見交換する事では無いかと思います。個別問題を包摂した上位の普遍的課題を設定すれば、各農業サイトから抜け出て統合されるネットの場に収束して良いのだ!と期待感を持てるのでは無いかと思います。その様な統合ネットとしての「るいネット」で頑張りたいと思います。

松本幸二
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るいネットにおいても、魅力=評価ヒエラルキーが形成されていくことを実感します。るいネットの投稿では、「答えの的確さ」が最も大きな評価軸なのでしょう。

読むことによって、なるほどと納得できたり、新たな視点を得ることが出来たります。そして、いつの間にか、この人の投稿には共感できる、こっちの人の投稿を読むとモヤモヤがスッキリする、など自分の中に評価のヒエラルキーが出来てくる。忙しくなかなか読む時間が取れないときは、そういう人の名前を見つけて優先的に読んだりと。

そのヒエラルキーは、ポイントランキングや読者の累積人数を見るとだいたい一致してくる。誰もが同じように感じているのだと思います。直接そのことを話し合うまでもなく、自ずとヒエラルキーが形成されるのだと思います。

人に収束し、共感する投稿その認識に引っ張られる形で新たな認識を見出せたり、その投稿にもレスがかえり少しずつ認識が広がり深まっていく。

> 「各人が得意とするいずれかの魅力を先行させ、渦中に入っていきさえすれば、少しずつでも相乗していく……」(前上さん 27685 )

先行する人の認識に少しずつでも相乗していくことで大きな流れになる。つくられる評価ヒエラルキーは先鋭化され確固たるものになる。自ら渦中へと入ることで、その流れが「社会空間における本源共認の実現形態」(四方さん 27716)へと発展していくのだと思います。

斎藤幸雄
適応欠乏と社会不全を源泉とする外向基調とは、外識機能の社会収束であり、つきつめれば認識収束に他ならない。換言すれば、外向欠乏とは社会欠乏であり、つきつめれば認識欠乏=答え欠乏に他ならない。
そして社会不全⇒答え欠乏に深く貫かれた共認動物は、まず人に収束する。それは共認動物の本能であるが、ここに最後の秘密がある。
外向欠乏に貫かれ、答えを求めて外向仲間=認識仲間に収束する共認動物(=新時代の人類)にとって、答え欠乏と仲間欠乏は一体である。本質は答え(新しい認識)だが、それを求める場もそれを紡ぎ出し織り上げる場も、全ては仲間収束の場である。

これは、新時代の認識が、集団を超えて外向仲間収束した場において、そこに収束した人々の協働作業によって紡ぎ出され、織り上げられることを意味する。そして、この様に人々の認識(潜在思念と構造認識)が外向収束した人々の協働によって形成されるその在り様こそ、集団を超えた社会空間における本源共認の、(人類史上)最初の実現形態に他ならない。

注:そこで本源的な社会共認を実現させるその母胎となっているのは、外向仲間収束である。従って、外向仲間収束(これまで、つながり欠乏と呼んできたもの)こそ、社会的な共認と協働の母胎なのである。また、外向仲間収束の中核を成す「まず人(人に価値あり)」という価値意識こそ、本源価値の中心内容に他ならない。

 


四方勢至
よく考えてみると、私権社会では、自分達の組織をつくっていく自由も、広くみんなの評価を得る機会も一部の人たちに独占されている。永きにわたり一部の独占されたマスコミや政治家、芸能人だけが、みんなの評価をもらえる(そして活力もでる)状態であった。大多数の一般人は多くの人から(対面での友人関係以外の人たちから)評価をもらって、充足したり、その評価を次の活力源にすることもできなかったし、また、そんなことは鼻から諦観しているからこそ、単に評価をする人=観客と化してしまったのだ。

しかし、より広く深い評価充足を得ようとする志向性=外向欠乏は着実に顕在化しつつある。そのことは、認識形成サイトの実現基盤が整った状態を表すのだ。私権の衰弱によって、新たな活力源を得ようとする手探りの「外向欠乏」が顕在化し、みんながより広く深い評価を潜在的には求めていて、その志向性はすでに顕在化しつつあるのが現状だ。

その「外向欠乏」にピンポイントで焦点を当てきったのがこの「認識形成サイト」なのだと思う。今まではテレビをみて単に観客として評価するしかなかった人たちも、ここ参加して意見(感想)さえ述べれば、多くの人たちから評価される(その逆も然り)。そんなみんなの評価を受けていることが、今まで以上に己の活力に結びついていることさえ実感できれば、継続的に参加する「認識仲間」におのずとなっていく。その意味で、「認識形成サイト」とは私権社会3000年、一部の人たちに独占されていた「評価充足」の可能性を万人に開いた新たな「場」であると思う。

上平貴昭
大きな社会不全・統合不全を孕んだ現代人が先ず人に収束するのは、共認動物の本能である。(まずは身内仲間、次に外向仲間)。
次に社会収束⇒認識収束の潮流は、間違いなく思想不信を押し流し、新しい観念の構築に先端収束してゆくだろう。
しかし、新しい認識は、誰か一人の天才や学者etcの専門家が創り出すのではない。新しい認識は、他に専業を持つ普通の人々の協働の中で作られ整えられてゆく。つまり、外向仲間収束=認識仲間収束の母胎(=NW)の中で、新しい認識は紡ぎ出され織り上げられてゆく。
その場(母胎orNW)が、認識形成サイトである。つまり認識仲間収束の拠点(収束核)となるのが、認識形成サイトである。
当然、それは協働の場であるが、その協働の原基は(原猿がそうであった様に)外向仲間収束にある。つまり、外向仲間収束こそ(話題を作るetc)協働の母胎であり、課題や認識を作り出す大前提なのである。

四方勢至
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