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『新しい潮流1~14』で明らかにした様に、現在すでに人々は、社会不全⇒人(ひと)収束を伴いつつ、外向収束から認識収束へと向かっている。この認識欠乏が顕在化するのは、もはや時間の問題である。それが顕在化すれば、人々が求める『新しい認識』は、人々の最先端の統合価値となり、従ってまた最強の活力源となる。
なぜなら、人類の最先端機能は観念機能であり、従って答え(に近い認識)こそが、人々の意識を統合すると共に、その答えが人々に活力を生み出し、その認識が人々の全ゆる行動の指標(モノサシ)となるからである。従って、答え(となる認識)は、まぎれもなく最先端価値であり、その下に全てを収束させる統合価値ともなり、全ゆる行動を導く指標価値ともなる。
そして『認識』は、それが当り前のものと成れば成るほど、絶対的な共認圧力と成って末端まで貫通した統合機能を獲得する。
しかし、普通の言葉がそうである様に、当り前になるほどその圧力は意識されなくなり、従って活力源としての機能が弱くなってゆく。逆に、新しい認識は、(最先端の外圧に対応する)最強の活力源となるが、末端にまで共認されない限り、万人の統合機能たり得ない。
従って、『認識』は各人の日常的な最先端価値(=統合価値=評価指標)であり、また基礎的に社会を統合する機能をも果たしているが、それ自体は社会を統合する最先端機能たり得ない。社会を統合する最先端機能は別に要る。
なぜなら、人類の最先端機能は観念機能であり、従って答え(に近い認識)こそが、人々の意識を統合すると共に、その答えが人々に活力を生み出し、その認識が人々の全ゆる行動の指標(モノサシ)となるからである。従って、答え(となる認識)は、まぎれもなく最先端価値であり、その下に全てを収束させる統合価値ともなり、全ゆる行動を導く指標価値ともなる。
そして『認識』は、それが当り前のものと成れば成るほど、絶対的な共認圧力と成って末端まで貫通した統合機能を獲得する。
しかし、普通の言葉がそうである様に、当り前になるほどその圧力は意識されなくなり、従って活力源としての機能が弱くなってゆく。逆に、新しい認識は、(最先端の外圧に対応する)最強の活力源となるが、末端にまで共認されない限り、万人の統合機能たり得ない。
従って、『認識』は各人の日常的な最先端価値(=統合価値=評価指標)であり、また基礎的に社会を統合する機能をも果たしているが、それ自体は社会を統合する最先端機能たり得ない。社会を統合する最先端機能は別に要る。
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これからの人類の活力源=命綱が自分たちが作り出す圧力であるなら、そして現実とは人々の意識であるなら、その圧力を生み出す場・現実(人々の意識)を顕在化させる場=認識形成サイトに参加するということが、何よりも重要(必要)な実践なんだと思う。
(以下、実現論:第四部『場の転換』イ~トより編集)
>科学技術によって自然・外敵圧力をほぼ克服した人類には、もはや本能を刺激し続ける様な物的な生存圧力は、僅かしか働かない。従って人類は、物的な生存圧力を活力源として存在し続けることが、既に出来ない状態にある。人類にとって生存圧力が無効だとしたら(少なくとも主圧力たり得ないとしたら)、残る圧力は同類圧力=共認圧力しかない。つまり人類は、生存圧力の場から同類圧力の場へ、存在の場を大転換しなければならない段階を迎えたのである。
にも拘らず、この決定的なパラダイム転換の事実に、誰も気付いていない。誰もが潜在意識で感じ取ってはいるが、明確な概念として『生存圧力から同類圧力への場の移行』を確認できた者はいない。
大衆は、未だに『同類闘争』という概念も、『共認』という概念も、何も知らない。それでは『場の大転換』を、見抜ける訳がない。もちろんそれらは、そうと教えられれば誰でも確認できる、簡単な事実に過ぎない。それが人類固有の観念機能の凄さであり、誰かが(たった一人でも良い)可能性のある事実を発見できれば、その事実は忽ち共認されて万人のものとなる
(以下、実現論:第四部『場の転換』イ~トより編集)
>科学技術によって自然・外敵圧力をほぼ克服した人類には、もはや本能を刺激し続ける様な物的な生存圧力は、僅かしか働かない。従って人類は、物的な生存圧力を活力源として存在し続けることが、既に出来ない状態にある。人類にとって生存圧力が無効だとしたら(少なくとも主圧力たり得ないとしたら)、残る圧力は同類圧力=共認圧力しかない。つまり人類は、生存圧力の場から同類圧力の場へ、存在の場を大転換しなければならない段階を迎えたのである。
にも拘らず、この決定的なパラダイム転換の事実に、誰も気付いていない。誰もが潜在意識で感じ取ってはいるが、明確な概念として『生存圧力から同類圧力への場の移行』を確認できた者はいない。
大衆は、未だに『同類闘争』という概念も、『共認』という概念も、何も知らない。それでは『場の大転換』を、見抜ける訳がない。もちろんそれらは、そうと教えられれば誰でも確認できる、簡単な事実に過ぎない。それが人類固有の観念機能の凄さであり、誰かが(たった一人でも良い)可能性のある事実を発見できれば、その事実は忽ち共認されて万人のものとなる
山本さん、こんにちは。
「私達はあまりに無関心すぎる」・・・おっしゃるとおりですよね。
破壊される森林、増加するCO2、少年の凶悪犯罪、精子半減・・・あまりにも、ヤバそうなことばかりで、考えただけでも恐ろしいです。
ところで、
>1人1人がこのような問題を認識し、意識すれば少なくとも今よりは良くなるのではないでしょうか?
という山本さんのご意見ですが、それで本当に良くなるでしょうか?
私たちは、「ティッシュペーパーが森から作られている」ことを知っています。だからといって、ティッシュペーパーを使うのを止めるでしょうか?そして、意識した一人ひとりがティッシュペーパーを使わないようにすれば、果たして森林破壊は止まるのでしょうか?
一人ひとりが出来そうな、身近な問題に限定的に取り組んだところで、本当に問題は解決するのでしょうか?
「私達はあまりに無関心すぎる」・・・おっしゃるとおりですよね。
破壊される森林、増加するCO2、少年の凶悪犯罪、精子半減・・・あまりにも、ヤバそうなことばかりで、考えただけでも恐ろしいです。
ところで、
>1人1人がこのような問題を認識し、意識すれば少なくとも今よりは良くなるのではないでしょうか?
という山本さんのご意見ですが、それで本当に良くなるでしょうか?
私たちは、「ティッシュペーパーが森から作られている」ことを知っています。だからといって、ティッシュペーパーを使うのを止めるでしょうか?そして、意識した一人ひとりがティッシュペーパーを使わないようにすれば、果たして森林破壊は止まるのでしょうか?
一人ひとりが出来そうな、身近な問題に限定的に取り組んだところで、本当に問題は解決するのでしょうか?
「説得力を持つために」を読ませていただきました。
環境問題を解決するには、理屈よりも実践を重視するという論点ですね。私は、佐々木さん(31570)と同感で、理屈批判にはうなづけるものの、理論・認識の持つ力と、その可能性自体を放棄してはならないと思います。
現在、以前は考えられなかった環境問題への関心は高まりました。
ここまで関心が高まった要因を考えると、そこには問題の発掘と物質的原因を特定していく「事実認識」の力があったと思います。そしてある程度、数値でも計れるようになり、環境破壊への危機感は、かなり社会的に共認されてきました。
しかしそれで問題が解決した訳ではありません。環境問題は、かつての一部の有害物質の漏洩のような公害問題とは違って、一物質の使用を中止すれば済むものではなく、あらゆる科学物質にその危険があり、消費生活の全般を支えるエネルギー消費に原因があるのです。こうなると環境問題は、単に物質的な問題であるばかりでなく、消費活動や生産活動の全てを含んだ社会様式全般の問題であると考えなければなりません。
ところが社会様式そのものを問題として据えても、景気か?環境破壊か?を天秤に掛けるような構造認識では、ろくな理屈が見えてこない。現状の生活と合わないキレイ事にもウンザリします。いっそ黙って活動している方が信頼できる!
「理屈」蔑視の根っこは、このあたりにあるのではないでしょうか?
そうすると、役に立たない欺瞞に満ちた理屈がまかりとおっている事、そして可能性をひらく社会構造認識がこれまで無かった事が問題であって、むしろ、しっかりと状況認識ができ、展望が見える認識形成こそが渇望されているのではないでしょうか?
仰るように、実践する場や、だれにでもできる事は沢山あります。地域の汚れた川ひとつとってもそうですし、家庭、サークル、会社、地域と至るところにあります。しかし、問題が社会の地平にあり、社会を認識する見方・考え方は誰にとっても不可欠であるのもかかわらず、認識が形成できる場は無かった。
るいネットは、「だれにでもできる社会認識形成の場」として、はじめて拓かれたのだと思います。
田村正道
環境問題を解決するには、理屈よりも実践を重視するという論点ですね。私は、佐々木さん(31570)と同感で、理屈批判にはうなづけるものの、理論・認識の持つ力と、その可能性自体を放棄してはならないと思います。
現在、以前は考えられなかった環境問題への関心は高まりました。
ここまで関心が高まった要因を考えると、そこには問題の発掘と物質的原因を特定していく「事実認識」の力があったと思います。そしてある程度、数値でも計れるようになり、環境破壊への危機感は、かなり社会的に共認されてきました。
しかしそれで問題が解決した訳ではありません。環境問題は、かつての一部の有害物質の漏洩のような公害問題とは違って、一物質の使用を中止すれば済むものではなく、あらゆる科学物質にその危険があり、消費生活の全般を支えるエネルギー消費に原因があるのです。こうなると環境問題は、単に物質的な問題であるばかりでなく、消費活動や生産活動の全てを含んだ社会様式全般の問題であると考えなければなりません。
ところが社会様式そのものを問題として据えても、景気か?環境破壊か?を天秤に掛けるような構造認識では、ろくな理屈が見えてこない。現状の生活と合わないキレイ事にもウンザリします。いっそ黙って活動している方が信頼できる!
「理屈」蔑視の根っこは、このあたりにあるのではないでしょうか?
そうすると、役に立たない欺瞞に満ちた理屈がまかりとおっている事、そして可能性をひらく社会構造認識がこれまで無かった事が問題であって、むしろ、しっかりと状況認識ができ、展望が見える認識形成こそが渇望されているのではないでしょうか?
仰るように、実践する場や、だれにでもできる事は沢山あります。地域の汚れた川ひとつとってもそうですし、家庭、サークル、会社、地域と至るところにあります。しかし、問題が社会の地平にあり、社会を認識する見方・考え方は誰にとっても不可欠であるのもかかわらず、認識が形成できる場は無かった。
るいネットは、「だれにでもできる社会認識形成の場」として、はじめて拓かれたのだと思います。
田村正道
まず実践だ!と主張する人は、大抵こういったコトを言います。
(大半の環境運動、反戦運動はこの思想・発想)
「みんなが変われば変わる」
「みんなが実践すれば世界は変わる」
「みんなが変われば変わる」これは正しい。
「みんなが実践すれば世界は変わる」これも正しい。
論理(言葉)の上では…、
(変われば変わる、そりゃそーだ)
言葉の世界って恐ろしくて、(実現する事が)一番難しい「みんなが変われば」の部分が出来るモノ、出来たモノとして話を進められるんですよね。
るいネットでの議論は、そんな無責任なモノではない。
「みんなが変われば」、この条件部分がどうやったら実現するかを一生懸命考えている。
例えば
・良い社会につながり得る社会現象(環境志向・脱権力志向など)を見つけてから(実現基盤を発掘してから)、その上で何が出来るか模索。
・「お金を得ることを巡る倒錯性31460」といった「お金観」を巡る議論は、NPO等が抱える矛盾(拡大阻害要因)を解消できるかもしれない。
「実践するな」と言っているわけじゃありません。
「実践なんて意味がない」とも言いません。
ただ
「まず実践」「実践こそ全ての処方箋」といった発想
「既に答えは見つかった、後は実践するだけだ!」といった発想
少し違う!と思い投稿しました。
答え(解決法)なんて、まだ見つかってないと思うんです。
それを一緒に探しませんか?
参考:
18572 観念捨象の実践模索では足りない=観念を必要とする地平
18719 構造認識の現況3 既成観念の全的否定
19059 思考次元1 潜在思念の実践思考
19060 思考次元2 否定意識の倒錯思考
19577 不全発の『変革の必要』から、実現発の『認識の必要』への大転換
佐々木健二
(大半の環境運動、反戦運動はこの思想・発想)
「みんなが変われば変わる」
「みんなが実践すれば世界は変わる」
「みんなが変われば変わる」これは正しい。
「みんなが実践すれば世界は変わる」これも正しい。
論理(言葉)の上では…、
(変われば変わる、そりゃそーだ)
言葉の世界って恐ろしくて、(実現する事が)一番難しい「みんなが変われば」の部分が出来るモノ、出来たモノとして話を進められるんですよね。
るいネットでの議論は、そんな無責任なモノではない。
「みんなが変われば」、この条件部分がどうやったら実現するかを一生懸命考えている。
例えば
・良い社会につながり得る社会現象(環境志向・脱権力志向など)を見つけてから(実現基盤を発掘してから)、その上で何が出来るか模索。
・「お金を得ることを巡る倒錯性31460」といった「お金観」を巡る議論は、NPO等が抱える矛盾(拡大阻害要因)を解消できるかもしれない。
「実践するな」と言っているわけじゃありません。
「実践なんて意味がない」とも言いません。
ただ
「まず実践」「実践こそ全ての処方箋」といった発想
「既に答えは見つかった、後は実践するだけだ!」といった発想
少し違う!と思い投稿しました。
答え(解決法)なんて、まだ見つかってないと思うんです。
それを一緒に探しませんか?
参考:
18572 観念捨象の実践模索では足りない=観念を必要とする地平
18719 構造認識の現況3 既成観念の全的否定
19059 思考次元1 潜在思念の実践思考
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