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小学校から始まって実に多くの集団に帰属し、会社に入ると同時になんとなく社会人になったような気でいました。しかしその社会(といわれている概念)にも単一目的に偏重したカタワ集団(多くは既得権益や保身に走る役人集団や政治家集団)がひしめき合うばかりで、「社会人」が薄っぺらな張り紙程度にしか実感できていなかったのも確かです。

カタワ集団帰属のスタートにさかのぼれば「小学校に入る」ことは「社会に出る」ということになります。さらにカタワ集団の原点である家庭に立ち返れば、生れ落ちた瞬間が「社会に出る」ことだともいえそうです。

ここでは今まで漠然として抱いていた社会人や、大人と子供といった概念が根こそぎ変わってゆくのを感じます。すべての人(大人も子供もそして幼児も)が社会の一員(社会に出た人)であるという視点を持つことは、学校や家庭等のカタワ集団を解体し、教育や子育てを社会統合という地平で捉えなおし、新概念・認識で再統合することにつながります。

今私たちが社会へ出て、認識形成・つながり形成を実現してゆくことはまた、生活のすべてを包摂した本源集団の基盤を形作ってゆくことでもあるのだ、との思いを強くしています。

阿部和雄 
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>「本当は、「集団」に入ったのではなく、社会に出たのだ」
(現状の)全集団を対象化した上での、この言葉は画期的である。
(40520)
私も同感です。この言葉は、一つの摂理を示しているように感じました。

歴史的に考えると、市場社会以前の本源集団や農業生産時代の村などは、一つの集団が一つの社会であったのだと思う。その集団の中で「より広がりの有る社会に出る」と言う事は、人が成長する過程においては当たり前のことであったと思う。
母親や母親達に守られた存在である“乳児”から“幼児や少年達の社会(ガキ社会)”に出て“青年社会”へ“大人社会”へと小さな社会からより広がりのある社会へと出て行く。そして、それぞれの社会での役割を担う(=当事者になる)と言う事が一集団の中において成長すると言う事であったのだと思う。
又、集団の中において、「社会に出る」という事は、私権確保の為ではなく、より上位の「課題」・「役割」を担う事であっただろう。そんな成長の仕方を考えれば、少しずつ広がりのある社会に出ていく事に対して、期待感こそ有れ、不安で一杯になるなどと言う事はなかったのだと思う。
だから、人間の摂理として「集団に入る」のではなく、「社会に出る」が本当だと思う。

現代の社会は、一つの集団が一つの社会であった時代とは違って、集団を超えた次元に社会が存在し、その課題は「新しい認識の形成」や「新しい統合機構の形成」という統合課題になる。だから、私権の強制圧力が衰弱し、本源収束の可能性が開けた現代は、万人が集団を超えて社会を対象化し、社会の統合課題を担う事が(人間の摂理として)必然となる全く新しい時代に入ったという事だと思う。

丸一浩
るいネットに参加してきた中で「認識形成」という新たな指標が見出されてたが、これと旧来の指標の位置づけの違いというものを改めて考えてみた。

旧来の評価指標というものを思い浮かべてみると、学歴がある、資産がある、仕事が出来る、人当たりがいいなどが挙げられる。
しかし、これらの指標により高い評価を得たとしても、「学歴はあるけど・・・」、「仕事は出来るけど・・・」という形で用いられることも少なくなかった。
このことは、それらは最も必要なものを評価する指標ではないことをみんなが感じており、他に適切な評価指標がなかったために、それらの評価指標を用いて断片的に評価していたに過ぎないということを示しているのではないだろうか。

だが、この場で新たな評価指標として見出された「認識形成」という指標は、旧来の指標群と異なり、「認識形成はできるけど・・・」という形では用いられることはない。
なぜならば、「~はあるけど・・・」と用いられるのは、対象化すべき現実を捨象している部分があるがゆえにだが、認識形成は現実を対象化せずになすことは不可能であり、現実捨象と相容れない指標であるからだ。

こうして考えてみると、認識形成が新しく最上位の評価軸として出てきたのは至極当然のことのように思える。

佐藤さんのご指摘のように「学校」を認識形成の場にするには、現在の現実を捨象した枠を脱すべく、まず認識形成サイトを「学校の学校」とすることが必要であるように感じる。

西村秀彦
今までの私権社会では、社会統合は、一部の特権階級(官僚やマスコミ)に独占され、しかも、その内容たるや人類としての課題、社会課題にまともに向かっているとはとても言えない代物でした。
 一方、日常属する集団も、生産のみ、生殖のみ、解脱のみの集団で、生物本来の全的な集団とは程遠い。しかも、共認動物たる人類の本源的共認ではなく、私権によって統合されている。どこからみてもカタワの集団でした。
 つまり、私権社会は、徹頭徹尾カタワの社会システムであったと言っても良いのではないでしょうか。

 しかし、今やその私権の崩壊は動かせない事実となって顕在化してきているのに、私権からの離脱の流れはあっても、一向に本源集団の再生への動きは、はっきりと見えて来ません。なぜなのか?

 以前は、私権のパラダイムが無意味化する中では、先駆的な集団から本源集団化(共同体化)して行き、そんな集団が集団間闘争に勝っていく中で、共同体化していく集団が増えて行き、そんな集団同志の有機的なネットワークの形成によって新たな社会統合が自然に達成されていくというイメージを持っていました。

 しかし、みなさんの投稿を拝見して、それは、誤りであることに気付きました。
 各集団の統合だけで事足りていた極限人類の時代とは異なり、現在の最大の不全は社会不全であり、最大のニーズは社会統合であるという視点にあらためて立つと、まず必要なのは、その社会不全に対する答え、私権崩壊後の可能性先を万人で紡ぎ出していく認識形成の場、集団を超えた社会統合の場の構築とそこへの参加。

 まともな集団がほとんど存在しない現在にあっては、今、どの集団に属しているかということよりも、認識の必要性を捉えて、認識形成の場へ参加しているかどうかの方がはるかに重要であり、各人に問われるべきことではないでしょうか。

 そして、集団が、社会の一員(社会統合の一翼)であるからには、その社会統合の地平から、各集団の有り様が規定されるというベクトルは当然の帰着です。
 それが、これからの共認社会で必要とされる本源集団の構築につながって行くのではないでしょうか。

 現在、仲間と自分達で動かせる集団、企業を作ろうとする動きが若者の間で一部見られますが、これも、社会統合という最大の課題を共有できなければ、せっかくの本源的志向を結果的にズレた、カタワの存在に終わらせてしまうのではないでしょうか。

 あらたな社会統合と本源集団の構築は、漸進的に並行していくでしょうが、社会統合→本源集団化というベクトルは不変でしょう。

長谷暢二
>離婚や未婚の増加、フリーターの急増、学生のキャンパス離れ、引き篭もりの急増、・・・

という現象を、

>逆に“可能性を求める潜在思念”という認識を持てば、逃避している人たちも、たちまち積極的な可能性探索に転化することができるだろう。

という見方もできるんだということになるほどと思いながらも、なんとなく普通の人たちって、そういう葛藤はありながらも現実から逃避せずに闘っている人たちだってイメージがどうしてもあって、うまくつかめずにいました。でも、

>「集団に入る」ということは、それが会社や学校やサークルetc..どんな集団であっても、その中には各人の役割があるし、そこに入ることによって人はその集団が持つ固有の仕事(専業)に就くことになるし、それは、自分が生活する為(食べていくため?)や世の中が動いていくためには必要なことで、その行為自体はなくならないと思います。 (40565酒井さん)

っていうので、すっきりしたと思いました。るいネットが社会的な「場」だっていうのは、そういう既存の集団にあっても、ちゃんと当事者になれるところなんだと思います。実際に、密室家庭をこじ開けたいといった投稿とかもあって、そうやって認識を得たあとと得る前とで何も変わっていかないわけがないと思いました。

それが、気づけば誰でも対象になるってことなんだと思います。

岡田さんの投稿(40426)で、何をしていても満たされないというのは、既存の集団では満たされないということだったんだなと実感し、それに気づいたことでむやみやたらに可能性のありそうな集団を探すことがやめられるということだけでも、随分な変化だと思いました。
そしてまた、人間関係って、思ってる以上に集団に規定されてるんだということも実感し、そういう関係とは全く離れた関係が築けるるいネットの存在って、改めてみんなに必要だと思いました。

立石裕美
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