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>既に私たちにとっての「社会」という概念が、従来のものからは大きく外れたものになっているのに気付かされました。

今まで「社会」というと、主に政治や諸制度を思い浮かべていたように思いますが、この間、人とのつながりそのものであることに意識が変わってきたように思います。同時に「社会」が現実感を帯びてきました。

>本当は、「集団」に入ったのではなく、社会に出たのだ (http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=400&m=40426)

人つながりは空間(距離や広さ)によって束縛されていました。その1つが集団であったのかもしれません。集団の解体と同時に、空間に束縛されないネットそのものが社会になっていくのも頷けます。


谷崎俊文
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>私たちが社会について考え、語ることに抵抗がなくなってきたのも、今までの、思想と制度からなる現実味のない社会というものとは別の次元で、人々が繋がり、当事者となれる場というものの可能性について、私たちが意識的になってきたことの現われではないでしょうか。

社会とは私達の共認によって成り立っているということを思い直したとき、現在の漠とした全く現実味のない「社会」のありように、あらためておかしさを感じました。 

日常生活を振り返って見ると、人と話をするのは、仕事場面や友人知人関係がほとんどで、集団を離れた社会の中では話をすることが実に少ない。
あったとしても、上っ面の社交辞令や暇つぶし程度のどうでもいい話ぐらいしかない、裏を返せば、誰もが必要とする認識が顕在化していないからなのだろう。

しかし、おんなじ社会に身を置いているのに、社会に出たとたんに共通の話が無くなるってのは、すごく不自然な関係なのではないだろうか。

>現存する媒介(新聞、TV等)の中で、万人の感じたことや認識をダイレクトに伝えることのできるものは何かと考えた時、自ずと答えは一つ(ネット)しか浮かびません。

ネットのあり方、役割に気付き、その場において様々な認識が日々形成、更新されていくのを見るとき、人々はそこに新しい形での「社会」を感じ取るのだと思います。

私たちが社会について考え、語ることに抵抗がなくなってきたのも、今までの、思想と制度からなる現実味のない社会というものとは別の次元で、人々が繋がり、当事者となれる場というものの可能性について、私たちが意識的になってきたことの現われではないでしょうか。

既に私たちにとっての「社会」という概念が、従来のものからは大きく外れたものになっているのに気付かされました。


匿名希望
認識営業の対象を考える場合、ネットに親しんでいる、あるいは、ネットに接続する環境(パソコンetc.)を持っている相手をまず考えていた。

 手軽にメールで営業できるし、少なくとも1回、認識形成サイトにアクセスしてもらうまでは、比較的容易にできる。したがって、認識を共に紡ぎ出していける協働仲間にもなりやすいと考えていた。

 しかし、必ずしもそうではないと感じるようになった。

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