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>これは、おそらく人類の適応不全、つまり、個人や集団や国家という枠を遥かに超えた、種としての『みんな』不全である。そうである以上、人々の意識が、個人や集団を超えた『みんなの期待』に収束してゆくのは必然である。

人類は共認動物であり、岡田氏が指摘されたこの意識潮流の変化は、「みんな共認」に対する欠乏の現われに他ならないと思う。
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“素人が主催するトークの場”には、大抵なんらかのテーマがある。
新聞によれば、酒屋が酒について、看護婦が介護についてなど、個々が得意とするテーマを勉強して発表する、輪番スタイルが主流のようだ。

対して、“認識交流会”に、(当面の間)テーマは不要。
教育などのテーマを掲げれば、42939で述べられているように、一応話を合わす程度には誰でもしゃべれる。しかし、「自分の考え」に終始しがちで、お互い「実感という名の観念論」に陥り易いやすいと思う。

そこで、
1:「知らない者同士が集まる」という、人の魅力で場を作る。
2:構造認識を吸収しているメンバーが、コーチング(43162)の要領で、
 相手の話から、(皆が等しく持つ)社会不全や普遍期待を引き出す。
以上の手順を踏めば、「人収束⇒認識収束」にも合致するし、どのような話でも、説明ではなく探求(7674)に向かい易い。また構造認識はどの現象にも適用できるのが利点、臨機応変に使ってこそ価値がある。

(テーマらしい)テーマを打ち出さない利点は、他にもある。
・知らない者同士が集まる場 (関係閉塞者は入ってこないだろう)
・テーマ不在 (社会派は、参加しにくいだろう)
2つ関所を設ける事で、普通の人が集まる健全な場となるだろう。

佐々木健二
最近、認識仲間と「認識交流会(仮称)」という場をつくれないものかと相談している。誰でも出入り自由、知らない者同士が集まるしゃべり場のイメージだ。

つい先日、名刺交換会(異業種交流会の一種)というイベントに参加して、「場」の重要性に改めて気付かされた。何のテーマも出し物もない会なのだが、初対面同士なのに誰もが(内気そうな人でも)目が合えばとりあえずしゃべる。街中ではなかなかありえない光景なのだが、「どうぞおしゃべりください」という場が用意されるだけで、皆何のてらいもなく会話する雰囲気が出来上がってしまう。それだけ、皆何かを求めている。
これまでの集団や社会は、誰もが私権(地位やお金)の獲得に収束することによって統合されてきた。逆に言えば、人々は私権を確保する為に、会社や学校や家庭という私権(によって統合された)集団に収束し、それらの集団の中に閉じ込められてきたとも言える。
しかし、'70年、貧困が消滅して以降、私権への収束力は衰弱し続け、至る所で活力の衰弱が進行して、社会は全面閉塞状態に陥ってしまった。今や、国家も企業も家庭も、全てが迷走状態にある。
『実現論』を読んだ方が、こんな感想をおっしゃいました。「今まで国家があるのは当たり前だと思っていたが、人類の歴史の中でわずか数千年間のものにすぎないことがわかった。人間にとって必ずしも必要でないものかもしれない。それがわかったら、もっと勉強したくなった。『実現論』の続きはありませんか?」。『新しい潮流』と『超国家・超市場論』の冊子をお渡しして、「国家は私権闘争の統合体であり、私権欠乏が衰弱した以上、国家が必要なのか否かが問われるようになるのではないか」といったお話をしました。
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