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供給するもの・需要するものが完全に分断される形で私権時代は動いてきた。いかにして私権を獲得していくか、そのニッチに地歩を築き得た者と彼らが顕現させた市場や演場に依存するだけの消費者・観客への分断であったように思う。
しかしながらこの「分断」は、あらゆる生物摂理において存在しない奇異なものである。そこに不全が生じることは極めて当然であるといえる。
「分断」された状況が閉塞を生み出した。
とはいえ、閉塞を好んで受け入れるほど人々の適応本能は衰弱はしてはいなかった。分断を超えていこうという試みが至るところで顕在化しつつある。「分断」にNOを提示し「繋がり」を求めはじめた。
「共認域」の創造は、人間の生物摂理に還ろうとする試みであるように思う。生物摂理に則ってこそ始めて充足できるということを皆実は知っている。そのための運動。
「需要者=供給者」
という構図の上で、はじめてみんなが当事者になれる。
ゲン
しかしながらこの「分断」は、あらゆる生物摂理において存在しない奇異なものである。そこに不全が生じることは極めて当然であるといえる。
「分断」された状況が閉塞を生み出した。
とはいえ、閉塞を好んで受け入れるほど人々の適応本能は衰弱はしてはいなかった。分断を超えていこうという試みが至るところで顕在化しつつある。「分断」にNOを提示し「繋がり」を求めはじめた。
「共認域」の創造は、人間の生物摂理に還ろうとする試みであるように思う。生物摂理に則ってこそ始めて充足できるということを皆実は知っている。そのための運動。
「需要者=供給者」
という構図の上で、はじめてみんなが当事者になれる。
ゲン
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交流会の中で、ある先生の言葉を思い出しました。
「自分が一番触れて欲しくない問題に、真実が隠されているんだ。」
前回の交流会の中で、私の一番触れて欲しくない話、いじめについての議論がなされました。問題意識はあるのに積極的に話すことの出来なかった問題に、異世代の認識・同世代の認識から、今まで感じていた疎外感や圧迫感に、勉強会を通じて自身と向き合うことが出来ました。
これは個人的な見地からの共認形成ですが、多くの人が抱えている閉塞状況も同じなのではないかと思います。問題意識は持っているのに、話し合いの場がなく、結局はうやむやのまま何も変わらない。
ゼロから1へと変わる可能性の場が、交流会・勉強会といった話し合いの場なのではないかと思いました。
塚野しのぶ
「自分が一番触れて欲しくない問題に、真実が隠されているんだ。」
前回の交流会の中で、私の一番触れて欲しくない話、いじめについての議論がなされました。問題意識はあるのに積極的に話すことの出来なかった問題に、異世代の認識・同世代の認識から、今まで感じていた疎外感や圧迫感に、勉強会を通じて自身と向き合うことが出来ました。
これは個人的な見地からの共認形成ですが、多くの人が抱えている閉塞状況も同じなのではないかと思います。問題意識は持っているのに、話し合いの場がなく、結局はうやむやのまま何も変わらない。
ゼロから1へと変わる可能性の場が、交流会・勉強会といった話し合いの場なのではないかと思いました。
塚野しのぶ
>同類闘争である以上、勝っていくためには集団の結束力、上昇力が必要なはずで、どんどん流動的ではなく、限定的?になっていくものなんじゃないかって。脱集団・超集団というイメージではどうしてもなんか頼りなげだなと。<
>【1】まず潜在意識レベルで「共認域」が形成される<
●初期の形成段階は、「共認域」というよりも、潜在意識レベルで形成される「新しい同類圧力の働く場」だと思います。意識下のレベルで誰もが期待応望の圧力を感じ、活力転換を起こさせる場の生成です。その場は人々の意識潮流そのものであり、パラダイムが現実突破の可能性を失ったとき、人々の意識下で生まれ、やがて顕在化していくはずの新しい場の登場です。釈迦もキリストもこの場=人々の意識潮流の要請の中で必然的に生まれてきたのだと思います。
そして、現在の「圧力=活力場」において、既に誰しもが『人収束・認識収束』し、新しい共認域が形成される可能性を孕んだ場が登場していると言えます。
しかし、現在においても人々の意識を統合しようとし、社会を秩序化しているのは統合国家に備わる法律を中心とする古い共認力(規範力)であり、統合階級の発信する旧観念です。そこは未だ古い共認域です。旧規範や旧観念が相変わらず社会共認として君臨しています。つまり、「新しい同類圧力の働く場」と「新しい共認域」の間には、時間的なズレがあります。両者の最大の違いは、統合組織化=(超)集団化されているかどうか、だと思います。
●次の「共認域形成」段階では、場と共認域の不一致に「おかしい」と気づいた一人または複数の‘供給者’が登場し、新しい「共認結集核」を形成するでしょう。それは、共認域を形成するにはまだ到らないものの、賛同者を募る段階です。これが認識形成サイトである『るいネット』や次代を読む『るい交流会』でしょう。古い共認域の中にあって、その共認内容や統合組織に対して「おかしい」と気づき、「新しい共認域」を作り出す可能性を持った共認結集核(特異点)です。
そして、‘供給者’たちが外に向かって古い共認域に「縄張り闘争」=「共認闘争」をしかけ、「新しい共認形成(認識創造)」を積極的に行い、第二の結集核を次々と点在させ拡大させるとき、初めて「共認域」の形成に向かうのではないでしょうか。その段階こそ、組織化の始まりであり、新しい共認域の形成の第一歩だと思います。それは新しい(超)集団を形成していく運動だと思います。
吉国幹雄
>【1】まず潜在意識レベルで「共認域」が形成される<
●初期の形成段階は、「共認域」というよりも、潜在意識レベルで形成される「新しい同類圧力の働く場」だと思います。意識下のレベルで誰もが期待応望の圧力を感じ、活力転換を起こさせる場の生成です。その場は人々の意識潮流そのものであり、パラダイムが現実突破の可能性を失ったとき、人々の意識下で生まれ、やがて顕在化していくはずの新しい場の登場です。釈迦もキリストもこの場=人々の意識潮流の要請の中で必然的に生まれてきたのだと思います。
そして、現在の「圧力=活力場」において、既に誰しもが『人収束・認識収束』し、新しい共認域が形成される可能性を孕んだ場が登場していると言えます。
しかし、現在においても人々の意識を統合しようとし、社会を秩序化しているのは統合国家に備わる法律を中心とする古い共認力(規範力)であり、統合階級の発信する旧観念です。そこは未だ古い共認域です。旧規範や旧観念が相変わらず社会共認として君臨しています。つまり、「新しい同類圧力の働く場」と「新しい共認域」の間には、時間的なズレがあります。両者の最大の違いは、統合組織化=(超)集団化されているかどうか、だと思います。
●次の「共認域形成」段階では、場と共認域の不一致に「おかしい」と気づいた一人または複数の‘供給者’が登場し、新しい「共認結集核」を形成するでしょう。それは、共認域を形成するにはまだ到らないものの、賛同者を募る段階です。これが認識形成サイトである『るいネット』や次代を読む『るい交流会』でしょう。古い共認域の中にあって、その共認内容や統合組織に対して「おかしい」と気づき、「新しい共認域」を作り出す可能性を持った共認結集核(特異点)です。
そして、‘供給者’たちが外に向かって古い共認域に「縄張り闘争」=「共認闘争」をしかけ、「新しい共認形成(認識創造)」を積極的に行い、第二の結集核を次々と点在させ拡大させるとき、初めて「共認域」の形成に向かうのではないでしょうか。その段階こそ、組織化の始まりであり、新しい共認域の形成の第一歩だと思います。それは新しい(超)集団を形成していく運動だと思います。
吉国幹雄
大きく捉えれば、社会の規範や制度はもちろん、宗教や芸術、生活様式など「文化」と呼ばれるものの盛衰も全て、共認域の縄張り闘争と言えるのではないかと思います。
例えば、ハリウッド映画は今やアメリカ的価値観を流布していく重要な世界戦略課題の一つになっています。また、今回のイラク戦争でのブッシュ発言が話題になったように、キリスト教の宗教的価値観も国家間闘争の大義名分に一役買っています。これらは、宗教や芸能という共認域の縄張りと国という最大の生存域の縄張りとが重合した例です。
言うまでもなく、宗教も映画も、初めから国家興隆の手段として生み出された訳ではありません。むしろ既存の国家体制が作り出した私権の現実、苦の現実から逃避し、頭の中だけの充足を得るために大衆の中から自然に起こってきたものです。逆に、キリスト教も多くの芸術文化も、その黎明期には時の権力から強い弾圧を受けた歴史を持っています。
しかし、その共認域があるレベルの広がりと勢力を持ちだすと、国家を統合する者としても無視するわけには行かなくなり、やがては体制の中に取り込もうとする、という構造が歴史的には多く見られます。その中味がたとえ代償充足であっても、成員の共認内容が統合されていることが、安定と秩序化を目指す集団にとっては最重要課題になるからです。
そこまで力を持たない段階であっても、既存の体制や生存域のあり様に関わらず、場合によってはそれと対立してでも、人はある日生まれた共認域を(強弱はありますが)できる限り拡大しようと試みを始めます。それほど共認域の縄張り闘争は人類にとって絶対的な位置を占めているように思われます。それは人類が、可能性を感じた共認内容⇒観念内容に収束することが種としての適応を規定する存在だからではないでしょうか。
田中素
例えば、ハリウッド映画は今やアメリカ的価値観を流布していく重要な世界戦略課題の一つになっています。また、今回のイラク戦争でのブッシュ発言が話題になったように、キリスト教の宗教的価値観も国家間闘争の大義名分に一役買っています。これらは、宗教や芸能という共認域の縄張りと国という最大の生存域の縄張りとが重合した例です。
言うまでもなく、宗教も映画も、初めから国家興隆の手段として生み出された訳ではありません。むしろ既存の国家体制が作り出した私権の現実、苦の現実から逃避し、頭の中だけの充足を得るために大衆の中から自然に起こってきたものです。逆に、キリスト教も多くの芸術文化も、その黎明期には時の権力から強い弾圧を受けた歴史を持っています。
しかし、その共認域があるレベルの広がりと勢力を持ちだすと、国家を統合する者としても無視するわけには行かなくなり、やがては体制の中に取り込もうとする、という構造が歴史的には多く見られます。その中味がたとえ代償充足であっても、成員の共認内容が統合されていることが、安定と秩序化を目指す集団にとっては最重要課題になるからです。
そこまで力を持たない段階であっても、既存の体制や生存域のあり様に関わらず、場合によってはそれと対立してでも、人はある日生まれた共認域を(強弱はありますが)できる限り拡大しようと試みを始めます。それほど共認域の縄張り闘争は人類にとって絶対的な位置を占めているように思われます。それは人類が、可能性を感じた共認内容⇒観念内容に収束することが種としての適応を規定する存在だからではないでしょうか。
田中素
宗教も商業も芸能も、初期形態は「放浪芸」(一箇所に留まることなく、また組織や団体といった後ろ盾も無い)でくくれるみたいです。
宗教ならば辻説法です。
日本では、中世に日蓮が行った辻説法が有名ですね。
今では説法(お話し会?)も寺院などの建物内で開かれるようですが、もともとは街角にたって民衆に向って語りかけていったのです。始めは異端視、迫害などにも遭うのですが、徐々に賛同者が増え広まっていきます。キリスト教ももともとは預言者達が、人々が集まる溜まり場で生々しく「神の言葉」を語ることから始まっており、辻説法と言えます。はじめから教団や教義といった組織化がなされていたわけではありません。
商業につながる(?)ものは、物売り商人が人集めの為の商いの手段として用いた口上芸(香具師芸)でしょうか。
見世物小屋の呼び込みやバナナの叩き売りの口上などが始まりのようです。現代ですと、さしずめ百貨店の実演販売でしょうか?
時にはサクラなども用いて、客は巻き込まれ、乗せられて(=その商品が価値あるものと思い込んで)自ら喜んで商品を買うのです。
そのほか芸能としては(現在の大道芸人につながるもののようですが)、家々を回って祝福する万歳やいたこの口寄せ、猿回しなどがあります。
今提起されている、集団を超え出る外向きの位相にある「共認域」とこれらとではもちろん違いもありますが、どれも、まずはみんなの中に飛び込んでいって実演してみせる=中身を示すことで周りを巻き込んでいく(評価を勝ち取っていく→共認域を広げていく)というところは同じであり、人類の歴史上一貫した構造なんだと納得しました。
同時に、そう気付くとイメージも膨らんで、「働きかける意思」(54816)がむくむく沸き起こってきて、早速どこでも営業した~い!って気になりました。
谷光美紀
宗教ならば辻説法です。
日本では、中世に日蓮が行った辻説法が有名ですね。
今では説法(お話し会?)も寺院などの建物内で開かれるようですが、もともとは街角にたって民衆に向って語りかけていったのです。始めは異端視、迫害などにも遭うのですが、徐々に賛同者が増え広まっていきます。キリスト教ももともとは預言者達が、人々が集まる溜まり場で生々しく「神の言葉」を語ることから始まっており、辻説法と言えます。はじめから教団や教義といった組織化がなされていたわけではありません。
商業につながる(?)ものは、物売り商人が人集めの為の商いの手段として用いた口上芸(香具師芸)でしょうか。
見世物小屋の呼び込みやバナナの叩き売りの口上などが始まりのようです。現代ですと、さしずめ百貨店の実演販売でしょうか?
時にはサクラなども用いて、客は巻き込まれ、乗せられて(=その商品が価値あるものと思い込んで)自ら喜んで商品を買うのです。
そのほか芸能としては(現在の大道芸人につながるもののようですが)、家々を回って祝福する万歳やいたこの口寄せ、猿回しなどがあります。
今提起されている、集団を超え出る外向きの位相にある「共認域」とこれらとではもちろん違いもありますが、どれも、まずはみんなの中に飛び込んでいって実演してみせる=中身を示すことで周りを巻き込んでいく(評価を勝ち取っていく→共認域を広げていく)というところは同じであり、人類の歴史上一貫した構造なんだと納得しました。
同時に、そう気付くとイメージも膨らんで、「働きかける意思」(54816)がむくむく沸き起こってきて、早速どこでも営業した~い!って気になりました。
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