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>人々が一番求めており、可能性を感じるのがパラダイム転換の言葉なら、その認識を教え広めることが(=人々の期待に応えることが)最大の活力源=動因になる筈である。人々の答え欠乏は、答え=パラダイム転換の言葉が与えられて初めて顕在化する。まずは、それ(答え)に気付くこと。それさえ気付けば(=理解すれば)、後は自分で考えてゆけるし、考えるにつれてより具体的な答え(=個々の構造認識)が欲しくなる。つまり、まず最初の言葉(=パラダイム転換の認識)を与えた時から答え欠乏が顕在化し、より具体的な言葉を与える度に答え期待が強くなってゆく。相手との関わりの中で顕在化し強まってゆくこの顕現期待こそ、実現派の最も大きな活力源となる。
勉強店での経験からも、人々が一番求めており、可能性を感じるのは、「序列原理から共認原理へのパラダイム転換」という言葉だと思う。この言葉に導かれて、世直し⇒共認形成の可能性が開かれていることに気づく。そして、答え欠乏⇒勉強の必要性が生起する。
>社会は人々の共認によって統合され、その意識=共認内容が変化してゆくことによって変わってゆく。現実が変わる=社会が変わるとは、ただそれだけの事である。最も重要なのは、絶えず新しい認識を紡ぎ出し、人々の共認内容(意識)を変えてゆくことである(新しい認識さえ共認されてゆけば、それに応じて制度etcを変えてゆくのは簡単である)。
共認原理へ転換した。本来は、みんなの共認によって社会の共認内容を形成していくべきなのに、肝心の共認形成の場をマスコミが独占し、人々の共認を支配している。
だから、「世直しのための、マスコミに代わる、みんなの共認形成の場をつくろう。それが、なんでや露店である。」これが、露店で提起すべき基本解答であり、人々は、それに一番可能性を感じるのではないだろうか。
冨田彰男
勉強店での経験からも、人々が一番求めており、可能性を感じるのは、「序列原理から共認原理へのパラダイム転換」という言葉だと思う。この言葉に導かれて、世直し⇒共認形成の可能性が開かれていることに気づく。そして、答え欠乏⇒勉強の必要性が生起する。
>社会は人々の共認によって統合され、その意識=共認内容が変化してゆくことによって変わってゆく。現実が変わる=社会が変わるとは、ただそれだけの事である。最も重要なのは、絶えず新しい認識を紡ぎ出し、人々の共認内容(意識)を変えてゆくことである(新しい認識さえ共認されてゆけば、それに応じて制度etcを変えてゆくのは簡単である)。
共認原理へ転換した。本来は、みんなの共認によって社会の共認内容を形成していくべきなのに、肝心の共認形成の場をマスコミが独占し、人々の共認を支配している。
だから、「世直しのための、マスコミに代わる、みんなの共認形成の場をつくろう。それが、なんでや露店である。」これが、露店で提起すべき基本解答であり、人々は、それに一番可能性を感じるのではないだろうか。
冨田彰男
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浅田さんの投稿を興味深く読みました。
一つ気が付いたのは、不安のあり様が、旧世代と全く違っているという事です。我々のかつての不安は、例えば社会に出て自分が通用するかどうかの(期待と)不安だったし。男女関係にしても自分がその女の子と上手くいくかどうかの(期待と)不安だったと思います。つまり私権の獲得を巡っての勝ち負けを巡る不安=私権闘争上の不安でした。
ところが
>周りにはたくさんの仲間がいるし、その方がむしろ楽しいと思える。
>何となくこのまま取り残されていくんじゃないかなあ、やっぱりいつか結婚とかした方がいいんじゃないかなあ、
>でもずっとこのままでいいのかな、やっぱりいつかは就職しなきゃいけないかなって思ってる。
若者達は既に仲間収束という形で、新しい充足世界を既に形成し実現してます。そしてその中では活力を徐々に再生していっています。かつ現在の若者達は我々の時代から見れば実にマメであって、友達との遊びはもとより、授業の出席率も非常に高く、バイトも実に真面目にやっています。だからスケジュールはいつも一杯です。
それは何もしない事がひたすら不安で、言葉を代えればいつも必要とされている事→何らかの「役割」を強力に欲しているような感じさえします。しかも勉強或いはバイトの熱心さに象徴されるように、その中核には何らかの社会的役割欠乏があるような気がします。
しかし旧い制度は今なお残存しており、彼らの不安はいわば彼らが形成した新世界と、旧い私権の旧世界の境界領域で発生しているのです。
彼らは旧世界に対して、もはや大してそれが魅力にならないし、さほど大きな可能性も無い事を知っています。しかし今現在は制度としては結婚制度や私権企業しかないが故に、それに次々と絡めとられていっている状態です。
>彼らの世代は、仲間の意識や共感からズレない事が一番の焦点で、第一に優先される判断軸になっているのだろう。
つまり若者達の不安は、周りが支配共認(とそれに基づく制度)に絡めとられ、その中で一人取り残される怖さからきているということになります。つまり不安の正体はかつての私権不安や自分不安ではなく本質的に共認不安なのです。しかもそれはフリーターに象徴されるように、本質的には何らかの役割欠損から生じているように思います。
>現実とは人々の意識である。
今、旧い現実はどんどん影が薄くなり、若者達を中心にした新しい意識→現実が徐々に顕在化していっている状態です。しかも社会的役割意識がその中で生じ始めているとすれば、それは明らかに社会不全→みんな期待からきているものです。その意味では新しい現実から生じた欠乏が親や常識の囲いを突破できずにねじれさせられていることが不安の正体ともいえましょう。
>でも、その僕らが何となく感じる「楽しそう」とか「おもしろそう」とか「いけそう」とかっていう感覚を確かめる絶好の場所が「なんでや露店」なんだと思う。(浅田さん)
だとすれば求められるのは、本来の社会不全→みんな期待に即応した本来の社会的役割。新しい共認域を拡大すること、そして新しい現実=意識をより顕在化させる構造認識だと思います。
北村浩司
一つ気が付いたのは、不安のあり様が、旧世代と全く違っているという事です。我々のかつての不安は、例えば社会に出て自分が通用するかどうかの(期待と)不安だったし。男女関係にしても自分がその女の子と上手くいくかどうかの(期待と)不安だったと思います。つまり私権の獲得を巡っての勝ち負けを巡る不安=私権闘争上の不安でした。
ところが
>周りにはたくさんの仲間がいるし、その方がむしろ楽しいと思える。
>何となくこのまま取り残されていくんじゃないかなあ、やっぱりいつか結婚とかした方がいいんじゃないかなあ、
>でもずっとこのままでいいのかな、やっぱりいつかは就職しなきゃいけないかなって思ってる。
若者達は既に仲間収束という形で、新しい充足世界を既に形成し実現してます。そしてその中では活力を徐々に再生していっています。かつ現在の若者達は我々の時代から見れば実にマメであって、友達との遊びはもとより、授業の出席率も非常に高く、バイトも実に真面目にやっています。だからスケジュールはいつも一杯です。
それは何もしない事がひたすら不安で、言葉を代えればいつも必要とされている事→何らかの「役割」を強力に欲しているような感じさえします。しかも勉強或いはバイトの熱心さに象徴されるように、その中核には何らかの社会的役割欠乏があるような気がします。
しかし旧い制度は今なお残存しており、彼らの不安はいわば彼らが形成した新世界と、旧い私権の旧世界の境界領域で発生しているのです。
彼らは旧世界に対して、もはや大してそれが魅力にならないし、さほど大きな可能性も無い事を知っています。しかし今現在は制度としては結婚制度や私権企業しかないが故に、それに次々と絡めとられていっている状態です。
>彼らの世代は、仲間の意識や共感からズレない事が一番の焦点で、第一に優先される判断軸になっているのだろう。
つまり若者達の不安は、周りが支配共認(とそれに基づく制度)に絡めとられ、その中で一人取り残される怖さからきているということになります。つまり不安の正体はかつての私権不安や自分不安ではなく本質的に共認不安なのです。しかもそれはフリーターに象徴されるように、本質的には何らかの役割欠損から生じているように思います。
>現実とは人々の意識である。
今、旧い現実はどんどん影が薄くなり、若者達を中心にした新しい意識→現実が徐々に顕在化していっている状態です。しかも社会的役割意識がその中で生じ始めているとすれば、それは明らかに社会不全→みんな期待からきているものです。その意味では新しい現実から生じた欠乏が親や常識の囲いを突破できずにねじれさせられていることが不安の正体ともいえましょう。
>でも、その僕らが何となく感じる「楽しそう」とか「おもしろそう」とか「いけそう」とかっていう感覚を確かめる絶好の場所が「なんでや露店」なんだと思う。(浅田さん)
だとすれば求められるのは、本来の社会不全→みんな期待に即応した本来の社会的役割。新しい共認域を拡大すること、そして新しい現実=意識をより顕在化させる構造認識だと思います。
北村浩司
>認識露店とは、こうした、“誰もが”潜在的に持つ想いを顕在化させる力を持った装置としての「場」であり、従って、そこに集まる人々が感じるものは、同じ時代を生きる人々の“共通意識”・・・「みんな」という感覚なのだと思う。
確かに、その感覚を露店で居合わせた人、周囲の人に感じ、自然と共通意識の確認や普遍的な問いを一緒に考える事へ向かう力の働き、そうしたくなるような雰囲気、期待感がそれぞれに働くのを感じます。
見ず知らずの人々の輪が5人、10人と広がると、傍から見たその場は一見閉じた様に見えても、場にいる人々の意識は人が増える毎に開かれ、
側を通りかかる人にも場は強い引力を発するようです。それに釣られて、立ち止まり、輪に加わる人もでてきます。
知り合い同士の話の輪と異なり、飛び交う会話も○○さんの発言、という受け止め方ではなく、発言者は誰でもよくなる。ただ、だんだんと、個々の実感のこもった発言の背後にその世代の多くの人々の存在と意識を感じます。
日も人も異なっても、そうした世代ごとの価値観等の印象的なものは概ね共通しています。後から考えると場に参加した発言者も、だんだんと、個人的な事ではなく、自分が捉えている限りの普遍的な意識を場に出すようになっていたという事のようです。
特にばらばらな世代が場に居合わせると、場に出る異なる価値観や意識に対し、対立感ではなく、そういうものなのか、と、違いをまず事実として素直に知って受け止めようとする、個々の思い込みを横に置いてアンテナが広がるような雰囲気が生まれます。
誰が加わるか分からない場には、場の参加者がそれぞれ日頃全く接する事も無く、それ故対象化もせずにいた世代、立場の人、問いが飛び込んできます。こちらの都合と無関係に、いままで見えていなかった現実の意識の登場。
普通の人なら期待して飛び込んだ興味深い場がすぐに壊れのるは望みません。新しい人が加わると、その人が場に持ち込む意識を知ろうとし、場を充足できるものにしようとする。
そんな、充足を求めて今まで目を向けていなかった人を対象化しようとする意識が、共通意識や一体感をさらに増し、「みんな」という感覚を生み出す契機になっているように思えます。
柳瀬尚弘
確かに、その感覚を露店で居合わせた人、周囲の人に感じ、自然と共通意識の確認や普遍的な問いを一緒に考える事へ向かう力の働き、そうしたくなるような雰囲気、期待感がそれぞれに働くのを感じます。
見ず知らずの人々の輪が5人、10人と広がると、傍から見たその場は一見閉じた様に見えても、場にいる人々の意識は人が増える毎に開かれ、
側を通りかかる人にも場は強い引力を発するようです。それに釣られて、立ち止まり、輪に加わる人もでてきます。
知り合い同士の話の輪と異なり、飛び交う会話も○○さんの発言、という受け止め方ではなく、発言者は誰でもよくなる。ただ、だんだんと、個々の実感のこもった発言の背後にその世代の多くの人々の存在と意識を感じます。
日も人も異なっても、そうした世代ごとの価値観等の印象的なものは概ね共通しています。後から考えると場に参加した発言者も、だんだんと、個人的な事ではなく、自分が捉えている限りの普遍的な意識を場に出すようになっていたという事のようです。
特にばらばらな世代が場に居合わせると、場に出る異なる価値観や意識に対し、対立感ではなく、そういうものなのか、と、違いをまず事実として素直に知って受け止めようとする、個々の思い込みを横に置いてアンテナが広がるような雰囲気が生まれます。
誰が加わるか分からない場には、場の参加者がそれぞれ日頃全く接する事も無く、それ故対象化もせずにいた世代、立場の人、問いが飛び込んできます。こちらの都合と無関係に、いままで見えていなかった現実の意識の登場。
普通の人なら期待して飛び込んだ興味深い場がすぐに壊れのるは望みません。新しい人が加わると、その人が場に持ち込む意識を知ろうとし、場を充足できるものにしようとする。
そんな、充足を求めて今まで目を向けていなかった人を対象化しようとする意識が、共通意識や一体感をさらに増し、「みんな」という感覚を生み出す契機になっているように思えます。
柳瀬尚弘
>日常的な行動というのは、それが楽しければ楽しいほど‘習慣化’していくものだと思います。認識を語り合う習慣を定着させることは、実はたいへん重要な課題
今まで「認識を語り合う」事って身近でない気がしていました。真面目な話をするのはごく限られた人と、限られた場でするものと思い込んできたように思います。しかし、それは単なる思い込みであった事を先日初めて露店に出向いた時に体験しました。
20代の女性が通りかかって「なにこれ?面白そう!」という言葉を皮切りに、タバコ吸って聞いていい?っといきなり座り込み。「よしよしして欲しい男性が増えたのは何でだろう」という疑問を書いていました。そして「そう、そうー」っと頷いたり、あーだからこれとこれが繋がっているんだーすっごい面白い!と始終笑顔。
最後には「わたしもそっちでやりたい!(店主を指差す)」で、ちょっと間があって「うまく答えらんないからまた来る」と言い出しびっくり。なーんだ、こんなオープンな場所で知らない娘と話して、こんな展開になるんだと彼女の最後の言葉がとても印象に残りました。
>そのような構造認識を語れるようになる(≒露店の店主を自力で続けていける)ようになるためにも、人が集まるだけではなく、最低でも週に1~2回はそこに来ることを習慣化させてくれるような場を、案外多くの人たちが待ち望んでいるのではないでしょうか。
答え充足から「私もやってみたい」、認識がまだ無いから「また来ます」と言う言葉を目の当たりにして『構造認識を語れるようになって見知らぬ人と認識を語り合いたい』という思いが彼女の中に生起したのだと感じ、そうした『認識を語り合うことを習慣化させたい』という思いを普通に道行く人が持つ事を知りました。新しい可能性だと感じました。
石川笑美
今まで「認識を語り合う」事って身近でない気がしていました。真面目な話をするのはごく限られた人と、限られた場でするものと思い込んできたように思います。しかし、それは単なる思い込みであった事を先日初めて露店に出向いた時に体験しました。
20代の女性が通りかかって「なにこれ?面白そう!」という言葉を皮切りに、タバコ吸って聞いていい?っといきなり座り込み。「よしよしして欲しい男性が増えたのは何でだろう」という疑問を書いていました。そして「そう、そうー」っと頷いたり、あーだからこれとこれが繋がっているんだーすっごい面白い!と始終笑顔。
最後には「わたしもそっちでやりたい!(店主を指差す)」で、ちょっと間があって「うまく答えらんないからまた来る」と言い出しびっくり。なーんだ、こんなオープンな場所で知らない娘と話して、こんな展開になるんだと彼女の最後の言葉がとても印象に残りました。
>そのような構造認識を語れるようになる(≒露店の店主を自力で続けていける)ようになるためにも、人が集まるだけではなく、最低でも週に1~2回はそこに来ることを習慣化させてくれるような場を、案外多くの人たちが待ち望んでいるのではないでしょうか。
答え充足から「私もやってみたい」、認識がまだ無いから「また来ます」と言う言葉を目の当たりにして『構造認識を語れるようになって見知らぬ人と認識を語り合いたい』という思いが彼女の中に生起したのだと感じ、そうした『認識を語り合うことを習慣化させたい』という思いを普通に道行く人が持つ事を知りました。新しい可能性だと感じました。
石川笑美
>“私だけが”感じていた何となくが、“みんなの”確信に変わる感じです。
>現状、潜在思念は現実を対象化して深い所で何かを感じているが、極めて不鮮明なまま潜在していて、顕在化してこない。この潜在思念の感じる不鮮明な可能性を顕在化させたものが、パラダイム転換論や史的構造論etcの答えである。
「みんなで」感じてる可能性を共認しあうには、それぞれが何とな~く感じてる可能性を顕在化させてくれる「答え」が必要。
だから、一人で本を読んだり(テレビを見たり)単に群れたりしてるだけじゃダメで、『人と答えが一体』じゃないと確信できないんだぁ~!!って思いました。
西知子
>現状、潜在思念は現実を対象化して深い所で何かを感じているが、極めて不鮮明なまま潜在していて、顕在化してこない。この潜在思念の感じる不鮮明な可能性を顕在化させたものが、パラダイム転換論や史的構造論etcの答えである。
「みんなで」感じてる可能性を共認しあうには、それぞれが何とな~く感じてる可能性を顕在化させてくれる「答え」が必要。
だから、一人で本を読んだり(テレビを見たり)単に群れたりしてるだけじゃダメで、『人と答えが一体』じゃないと確信できないんだぁ~!!って思いました。
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