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>政治家・マスコミ・学者・・・統合者の中でも、全く見通しが立っていない現在の収束不全。どれだけ学識や政治的発言力を持っていても、見通しをもたない者の言葉など、全く心に響かないし、可能性を感じるはずがありません。

政治家・マスコミ・学者・・・・・彼らの意見を聞いていて思うのは、「結局、どうしたらいいの?」ってこと。そこが一番知りたいのに、絶対に彼らからは出てこない。それって、彼らが先を見通せてないから。

この“見通し”って、すごい重要だと思った。

>これは、生殖課題に限ったことではない。人間は見通しが立って初めて、何かをやろうとする活力が出て来るものだ。

ホント、そうだと思う。
こっちでイケるっ。とか、何かやれそうっとかってときには、何か先が見える。それって、先にいる人達の活力上昇が違うから。安心して、そっちに導かれる感じ、委ねれる感じ。

私達、素人がやってる共認運動。そこには新概念に導かれた答えがある。新概念は、”事実に基づいた実現する力”をもっている。だから見通せる。見通せたら活力が出る。
こういうことを、もっといろんな人に話して、この共認運動に巻き込んで行きたいなーって思いました。

久保田彰子
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共同体や新しい婚姻制etc、どんなに素晴らしい社会でも、その社会を作る当事者になれないのなら、永遠に充たされない。
逆に、当事者になれたのなら、今すぐにでも充足できる。

みんなが充足できる社会は、みんなで作っていくしかない。
そんな社会はいつ出来るの?って待ってる限り、みんなで作る社会は実現しない。

共認運動の最大の「見通し」は、当事者になれる道が切り開かれたこと。

西知子
>人々の認識欠乏に応える最初の場(=新しい適応態)が、『認識形成サイト』である。その場は、心ある人々をそこに収束させる最先端機能であり、そこに結集した人々に最大の活力を与える場ともなる。
 しかし、その様な『認識形成サイト』は(例えば、新パラダイム派のサイトや旧パラダイム派のサイトetc)無数に存在し、場(サイト)と場の間に必然的に認識闘争=評価競争が発生する。
 この認識闘争=評価競争という形の新しい同類闘争は、人々の評価共認によって収束・統合される。つまり、全ての『場(サイト)』は、人々の評価共認が形成する評価ヒエラルキーの下に組み込まれ淘汰されてゆく。
 そして、その評価ヒエラルキーの頂点に立つ『場(サイト)』の下に大多数の人々が収束してゆくことによって、そのサイトは『統合サイト』へと脱皮してゆく。

「るいブログ」の盛んな議論から、より具体的に新しい社会統合にむかう!その実現に迫りつつある!という可能性を感じた。
思えば、このるいネットを皮切りに、交流会・なんで屋露店・勉強店・なんでや劇場・・・と、さまざまな媒体を仲間とともに試行錯誤しながら供給してきたのだが、社会全体を視野に入れると、どこかで不十分な印象が残り続けていた。

より社会の「みんな」に接近した画期的な場=なんで屋露店でも、確かにその充実と拡大は加速中だが、社会全体への波及~創造という点では、社会「全体」に影響を及ぼす即効性が弱い為に、長期的視野にたたざるをえない。・・・なにか足りない印象。

「いつでも・どこでも・誰でも」+「新しい観念(答え)の提供」という大いなる可能性があるはずのネット世界を見ても、上記の投稿にあった
>場(サイト)と場の間に必然的に認識闘争=評価競争が発生する。
という予測も、現状のように旧態サイトの乱立状態のままでは、新しい認識を巡っての評価競争さえ生まれないだろうという寂しい状況。

そこで「るいブログ」を、協働意識の高い仲間で立ち上げる。
ここでまず重要なのは、旧態のものとは一線を画した良質な場を沢山立ち上げること。
そして次に、もともと想定していた「認識競争=評価競争」のヒエラルキーが形成されてゆくこと。より多くの人の評価を受けることで供給者が活力を高め、同時に認識の質も高まり、場も螺旋的に広がっていく。そんなイメージが沸く。

そして、最終的には社会の大半の人が、なんで屋露店をはじめとする対面の場で、本来の共認充足を得て活力上昇し、加えてネット上の場にも参加することで、より深い観念充足と共に、社会を運営する供給者として活力を高めてゆくことになるだろう。

佐藤賢志
この間、ブログの可能性がいろいろと議論され、なんで屋とるいネットの可能性が広がっていくことが実感できるようになって来た。この考えを一歩進めると、ブログを使ったネットによる社会統合システムの形が見えてくる。

従来のイメージでは、るいネットが全体統合のシステムだとすると、どうやって多くの人が参加できるようにするのかが見えにくかったのだが、ブログがるいネットの裾野を形成することで、幅広い意識の交感が自然に行える。

自由に立ち上げられたブログの中で、意見交換や相互評価が行われ、注目される認識がるいネットに集約されてくる。

るいネットから発信された認識が、様々なブログで咀嚼され解説され淘汰され、みんなの共通認識になっていく。

そして、ブログを運営するという活動が社会統合活動になるのだから、誰もが社会統合活動の主体的な当事者・発信者・協働者になることができる。

ブログの作り方によっては、初心者向け、上級者向け、ある問題を専門的に扱うもの、どこにどんなテーマがあるか紹介する等、色々な役割があり、能力に応じて誰もが役割を担うことが出来る。

野田雄二
元々、なんで屋露店は、るいネットの認識から生み出された一つの‘実現態’であり、また次世代の類的活動のモデルでもある。

>ただ、そこに露店があることで、路上は普通の人にとっても、顕在化しつつある皆の同一視や共感を求める意識に一歩踏みだす事の出来る、壁が取り払え易い空間になっていると感じる。しがらみを越えた人間関係の入り口や体験の場としてのスタイルとして何となく認知されている。<

路上という性格上、露店の門戸は広い。性別・年齢・所属に関係なく誰でも訪れることができる。それゆえに、露店で扱うお題も多種多様である。加えて今、悩み相談の中身~その多様性と事の深刻さ~が、より一層お題や悩みの個別性を強調しているようにも思う。
そして、前述の‘距離感’が存在する以上、最後の砦としての個人課題も残る。

今、露店客と接していて、彼らの個人課題を包含する実現態があれば、人々にも社会に出る勇気が芽生えてくるのではないだろうか・・・と感じる。

例えば、「男に騙されるのはなんで?→どうしたらいい?」という人には、いい男たちと接する場をつくり、そこで新しい「いい男規範」を吸収すればいいだろうし、「子育て不安をどうしたらいい?」という人には、地域・居住・会社単位でも何でも、協働保育できる環境を創りだしていけばいい。

>みんな課題と自分課題が重なってはじめて、路上に立つ強い動機が形成されるのではないだろうか。<(79124)

確かに、「みんな課題と個人課題」が照合されて初めて、個人課題もみんな課題へと昇華していく様に思う。そのために、類的活動の核である露店の下に、個別の実現態=類的活動の分化が必要ではないだろうか?
『るいネットも、お題(トピ)方式に』を形成していけないだろうか?

そして、また認識も一人(個人)では塗り替えられない。

>憶えるのも、理解するのも、使うのも、全て自分の利益発で、自分が理解できればそれで終り。従って、全ては頭だけで、せいぜい自我(自己決定)回路しか作動していない。<

認識と実践は相互補完の関係にある。新たな実現態があることで、(不可能視だらけで作動していなかった)実現回路も強化されていくように思う。
認識を学べ、その効用を実感できる新しい場。そのような実現態が、るいネット・劇場・露店の答えの実践の場として位置づけられ、多様な社会課題に答えていく。それら全てがネットワーク化し有機的に繋がることで、次代の類的活動を担う人々も増えていくのではないだろうか?

林昭光
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