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最近、日々の仕事関係において色々な人と接する中で、私権原理から共認原理への転換に伴う意識の変化や不全、あるいはその流れの中で生ずる認識欠乏の高まりを感じることが度々ある。
仕事上のお客さんで、既になんで屋劇場の常連として数回参加している20代後半の男性の場合は、自分の勤める会社内の上意下達的私権体制や、ドロドロしたセクショナリズムに対する漠然とした違和感を持っており、劇場で得た「序列原理から共認原理へのパラダイム転換」等の認識によって違和感の正体が徐々に明らかになっていくにつれ、最近では職場を少しでもディスカッション主体の合議体制に近づけようと模索を開始した。
彼に限らず、同じような不全感は若手を中心に社内に蔓延しつつあるらしく、当面はなんで屋劇場に誘ってくることをお勧めしている。
別のお客さん(30代~50代)の場合は、忘年会の席で、始めは人の噂話で盛り上がったものだが・・・やはり間がもたず、以前紹介したことのあるなんで屋露店の話を先方が切り出して来たのをきっかけに、数時間、その活動の面白さや意義からはじまって、各々の家庭・教育の問題や職場の問題、また、今話題の「やりたいことが見つからないのはなんで?」まで、ほろ酔い気分で最後まで盛り上がった。
これらの事例に限らず、社会不全の高まりから認識欠乏が生起してきていることは実感からしても明らかであり、それは、当然路上で出会うしがらみの無い人々だけの話ではなく、仕事上の関係でさえも、きっかけさえあれば発注者と受注者という私権(お金)にまつわる序列関係を超え、社会に生きる当事者として対等に話し合うことができる。
それどころか、そのような会話が、仕事だけの関係に加え、新たな課題共認を形成し、今までとは違った親近感が湧いてくる。
その意味で、彼らも、同じ社会に生き、同じ不全や課題を共有する“みんな”なのだと強く実感した。
・・・これからも、機会があれば、臆せずなんで屋について語っていきたいと思う。
越見源
仕事上のお客さんで、既になんで屋劇場の常連として数回参加している20代後半の男性の場合は、自分の勤める会社内の上意下達的私権体制や、ドロドロしたセクショナリズムに対する漠然とした違和感を持っており、劇場で得た「序列原理から共認原理へのパラダイム転換」等の認識によって違和感の正体が徐々に明らかになっていくにつれ、最近では職場を少しでもディスカッション主体の合議体制に近づけようと模索を開始した。
彼に限らず、同じような不全感は若手を中心に社内に蔓延しつつあるらしく、当面はなんで屋劇場に誘ってくることをお勧めしている。
別のお客さん(30代~50代)の場合は、忘年会の席で、始めは人の噂話で盛り上がったものだが・・・やはり間がもたず、以前紹介したことのあるなんで屋露店の話を先方が切り出して来たのをきっかけに、数時間、その活動の面白さや意義からはじまって、各々の家庭・教育の問題や職場の問題、また、今話題の「やりたいことが見つからないのはなんで?」まで、ほろ酔い気分で最後まで盛り上がった。
これらの事例に限らず、社会不全の高まりから認識欠乏が生起してきていることは実感からしても明らかであり、それは、当然路上で出会うしがらみの無い人々だけの話ではなく、仕事上の関係でさえも、きっかけさえあれば発注者と受注者という私権(お金)にまつわる序列関係を超え、社会に生きる当事者として対等に話し合うことができる。
それどころか、そのような会話が、仕事だけの関係に加え、新たな課題共認を形成し、今までとは違った親近感が湧いてくる。
その意味で、彼らも、同じ社会に生き、同じ不全や課題を共有する“みんな”なのだと強く実感した。
・・・これからも、機会があれば、臆せずなんで屋について語っていきたいと思う。
越見源
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一連の投稿を読み返してみて、「新しいまつり場(認識形成の場)が、新たな社会統合機構の中核になる」ということはどういうことだろうか?「新しいまつり場が、国家を越える」ということはどういうことだろうか?ということを改めて考えてみました。
言うまでもなく、「新しいまつり場」は、序列原理に代わる次代の統合原理である共認原理を実現してゆくために必要なものであり、そのためには、万人が当事者(供給者)として参加し、みんなでつくり上げてゆくもの、みんなが共認できるものでなくてはならないということが大前提になると思います。
そのような大前提を置いて考えると、「新しいまつり場(認識形成の場)」が「新たな社会統合機構の中核になる」ということは、社会のみんながより良い答えを求めて、認識競争=評価競争を繰り広げることによって、その場が、みんなの共認欠乏(期待)を納得度=統合度の高い答え(認識)に収斂させてゆく機能を持つようになるということであると思います。
そして、それが「中核になる」という意味合いは、みんなが納得し、共認できる答え(認識)は、社会統合上のあらゆる実践課題(国防や治安、環境、教育、福祉などのみんな課題)の基本方針(指針)になるということであると考えます。(おそらく、社会統合機構としては、「中核」である「まつり場」の下に、みんな課題の実践部隊である、半専従の行政組織が再編成されるというイメージになるのではなかろうかと考えます。)
そのような構想を考えてみると、今のガタガタの国家と明らかに違う点は、社会のみんなの参加度(当事者度合い)と共認度であり、そのことによって、共認された答え(認識)に対する収束度=統合度=活力度が格段に上がるものと考えられます。
つまり、「新しいまつり場が、国家を越える」ということは、今のガタガタ国家に比べると、統合力という点ではるかに上回るということだと思います。そして、共認統合のもとに、社会のみんなの活力が、従来の序列統合の活力をはるかに上回ってゆくということだと思います。
(注:そのような社会統合機構は、もはや「国家」という概念すらも変えてゆくかも知れません。今のところ適当な言葉は見当たりませんが、少なくとも、どこか他人事で遠い感じのする「国家」という概念は、より身近で、社会のみんなを実感できる概念に変えてゆく必要があるだろうと思います。)
雪竹恭一
言うまでもなく、「新しいまつり場」は、序列原理に代わる次代の統合原理である共認原理を実現してゆくために必要なものであり、そのためには、万人が当事者(供給者)として参加し、みんなでつくり上げてゆくもの、みんなが共認できるものでなくてはならないということが大前提になると思います。
そのような大前提を置いて考えると、「新しいまつり場(認識形成の場)」が「新たな社会統合機構の中核になる」ということは、社会のみんながより良い答えを求めて、認識競争=評価競争を繰り広げることによって、その場が、みんなの共認欠乏(期待)を納得度=統合度の高い答え(認識)に収斂させてゆく機能を持つようになるということであると思います。
そして、それが「中核になる」という意味合いは、みんなが納得し、共認できる答え(認識)は、社会統合上のあらゆる実践課題(国防や治安、環境、教育、福祉などのみんな課題)の基本方針(指針)になるということであると考えます。(おそらく、社会統合機構としては、「中核」である「まつり場」の下に、みんな課題の実践部隊である、半専従の行政組織が再編成されるというイメージになるのではなかろうかと考えます。)
そのような構想を考えてみると、今のガタガタの国家と明らかに違う点は、社会のみんなの参加度(当事者度合い)と共認度であり、そのことによって、共認された答え(認識)に対する収束度=統合度=活力度が格段に上がるものと考えられます。
つまり、「新しいまつり場が、国家を越える」ということは、今のガタガタ国家に比べると、統合力という点ではるかに上回るということだと思います。そして、共認統合のもとに、社会のみんなの活力が、従来の序列統合の活力をはるかに上回ってゆくということだと思います。
(注:そのような社会統合機構は、もはや「国家」という概念すらも変えてゆくかも知れません。今のところ適当な言葉は見当たりませんが、少なくとも、どこか他人事で遠い感じのする「国家」という概念は、より身近で、社会のみんなを実感できる概念に変えてゆく必要があるだろうと思います。)
雪竹恭一
世の中の役に立ちたいという気持ちで、世直し活動「るいネット」「なんでや露店」等やっているわけですが、その世の中のあらゆる人が行き交う場である露店には、会社でうまく行かなくて困ってる人、生きる活力が湧かなくて悩んでる人、男女関係に不安を感じてる人、とにかくいろんな人が立ち寄ります。そこで露店主はその人たちの期待に応えようと、新認識を使いながら切開したり方向性を提示したりするわけですが、その人たちにはその人たちの生活というものがあって、例えどんなにすごい認識を持った露店主であってもそこにまで踏み込む事はなかなか難しい。
会社に違和感を感じてる人には、その会社の体制などを変えなければ解決にはならないだろうし、活力が湧かなくて困ってる人には活力が湧くような場を提供してあげることが一番の解決になるだろうし、それって結局のところ世の中の仕組みや制度を変えていかない限りは根本的な解決にはならないじゃん、だったら露店に来たお客さんに対してはどこまで役に立つことが出来るんだろう?というようなもどかしさを感じてました。
けどこれまでのるいネットの議論にもあるように、世の中の制度、規範というものはみんなの意識、みんなの期待によって作られていくものだから、いきなり制度や規範を変えてもそれって単なる空回りで、あくまでもみんなの意識、期待というものがあわさって徐々に鮮明になっていく中で、それが制度や規範を生み出していく。
今世の中にはいろんな観念や規範や制度が存在していて、それに基づいてつくられている会社、学校、男女関係、社会なんかに違和感を感じつつ、その違和感の出所や、今後の見通しが全然見えなくてもやもやしてる人がいっぱいいる。僕は今までどうしても世の中の制度や仕組みをどうしたらいいんだろうってことばかりに意識がいってたけど、まずはみんなのその違和感の出所を鮮明にし、今後の可能性を提示し、認識転換を促す。それが社会をよくしていくための最初の大きなステップなんだと思った。
西村典綱
会社に違和感を感じてる人には、その会社の体制などを変えなければ解決にはならないだろうし、活力が湧かなくて困ってる人には活力が湧くような場を提供してあげることが一番の解決になるだろうし、それって結局のところ世の中の仕組みや制度を変えていかない限りは根本的な解決にはならないじゃん、だったら露店に来たお客さんに対してはどこまで役に立つことが出来るんだろう?というようなもどかしさを感じてました。
けどこれまでのるいネットの議論にもあるように、世の中の制度、規範というものはみんなの意識、みんなの期待によって作られていくものだから、いきなり制度や規範を変えてもそれって単なる空回りで、あくまでもみんなの意識、期待というものがあわさって徐々に鮮明になっていく中で、それが制度や規範を生み出していく。
今世の中にはいろんな観念や規範や制度が存在していて、それに基づいてつくられている会社、学校、男女関係、社会なんかに違和感を感じつつ、その違和感の出所や、今後の見通しが全然見えなくてもやもやしてる人がいっぱいいる。僕は今までどうしても世の中の制度や仕組みをどうしたらいいんだろうってことばかりに意識がいってたけど、まずはみんなのその違和感の出所を鮮明にし、今後の可能性を提示し、認識転換を促す。それが社会をよくしていくための最初の大きなステップなんだと思った。
西村典綱
るいネットワークが主催するなんでや劇場。参加された方は、すでにご存知だと思うが、この場では、8名程度の”内野”を中心に取り囲むように、同心円上に”外野”が座り、各テーマごとに議論が行われる。議論は主に内野によって進められるが、外野からもいつでも意見を言えるし、外野は内野の発言に対する評価として、赤・緑ボタンによって評価を行うことができる。(少し違う意見には赤・賛同、納得には緑と言う具合)
このなんでや劇場の「内野」を何度か務める中で、面白い構造に気がついた。
それは”なんでや劇場における、「場」の空気、雰囲気は、外野によって決定される”と言うことだ。
当然内野がスッキリした理論展開を行うことは必須だが、内野がどれだけ頑張っても、外野全体が充足感やスッキリ感につつまれない限り「場」の空気は盛り上がらないし、共認充足を感じることはできない。(内野の空回りになる)
言い換えれば、充足感のある劇場になるかどうかは、内野よりも外野によって決定されると言うこと。
それゆえに、内野のごまかしや、理論の矛盾、さらに場に対する「逃げ」の意識などは、すぐに外野によって見抜かれ、”場”の空気に現れる。外野も同じで、ほんの数人の傍観者的参加者(ボタンを全く押さないなど、座っているだけで勉強意欲が低い)がその場にいるだけで、劇場全体の充足感が低下する。まさにその場では、みんなが羅針盤なのだ。
今まで、なんでや劇場の場の形式から、内野=演者:供給者、外野=観客:消費者と捉えていたのだが、それはとんでもない誤りだった。
場の空気は外野の評価によって決定される。内野の場の運営に対して、外野が常に評価を下す。場の雰囲気も充足感も、外野の評価によって移ろいで行く。外野は、単なる消費者ではなく、評価者=「評価の供給者」と言った方がピッタリくる。
内野は「答えの供給者」、外野は「評価の供給者」。
答えだけでは、”場”は充足しないし、”評価”だけでも”場”は充足しない。相互の供給があって、始めて「場」がなりたち、共認充足が感じられる。
TV・映画・演劇・コンサート・スポーツ観戦・・・これまでのあらゆる場、演場は全て演者:供給者と観客:消費者の構造で成り立っており、場の空気・雰囲気は演者=供給者が握っていた。(消費者の一部が傍観者的だろうが、寝ていようが場の空気に影響ない。映画・演劇などその典型)
それに対して、なんでや劇場は、内野も外野も供給者。そして場の空気・雰囲気は外野=評価者が握っている。
これが、共認事業の「場」のあり方なんだと思う。
>露店は、そうはいかない。テキトーにやり過ごすことなどまず不可能。何となくうまくいかないんじゃないかな~という予感が、新しいカードを用意していないとか、現地到着が3分だけ遅れたという類のほんのちょっとした手抜きを引き起こす。するとたちどころに負の気分が蔓延する。
しかもそこから脱却し、挽回するための具体的方針(マニュアル)などどこにもない。といって「要は、気の持ちよう」とか「気持ちを切り換えて」などという安直な方針ではますます根本解決から遠去かるばかり。どこから切っても、まわりのみんなにバレバレだ。
同じような構造は、このるいネットへの投稿という行為にも潜んでいるように思う。多くの参加者は、投稿者の本気度(当事者度合い)や外向き度(自分からみんな度合い)、あるいは、そのひととなりが手に取るようにわかってしまうコワさを感じていることだろう。
共認回路をフル稼動させる共認事業では、いつも存在と一体であるがゆえに、一切、ゴマカシが利かない。
露店もるいネットも同様。
共認事業は、場の演者と観客=供給者と消費者によって成り立つのではなく、「答え(の供給者)」と「評価(の供給者)」によって成立する。だからこそ、あらゆる場面で答えの中身が問われるし、その評価が場の空気=充足感を決定していく。
>集団であれ社会であれ、共認空間は常にその最先端に評価欠乏→評価闘争を生起させると共に、評価共認によって統合される。(評価共認こそ、共認空間の統合原理である。)
>共認動物たる人類が生み出す場は最終的には評価共認によって統合される事を意味します。同様に、人にとって皆の評価こそもっとも高い充足の源であり、活力の源です。
なんでや劇場や、なんでや露店など共認事業の場が、評価共認による場の統合のあり方と、その充足感をより鮮明にしたように感じる。
次代=共認原理の社会の実現形態が見え始めた!
西谷文宏
このなんでや劇場の「内野」を何度か務める中で、面白い構造に気がついた。
それは”なんでや劇場における、「場」の空気、雰囲気は、外野によって決定される”と言うことだ。
当然内野がスッキリした理論展開を行うことは必須だが、内野がどれだけ頑張っても、外野全体が充足感やスッキリ感につつまれない限り「場」の空気は盛り上がらないし、共認充足を感じることはできない。(内野の空回りになる)
言い換えれば、充足感のある劇場になるかどうかは、内野よりも外野によって決定されると言うこと。
それゆえに、内野のごまかしや、理論の矛盾、さらに場に対する「逃げ」の意識などは、すぐに外野によって見抜かれ、”場”の空気に現れる。外野も同じで、ほんの数人の傍観者的参加者(ボタンを全く押さないなど、座っているだけで勉強意欲が低い)がその場にいるだけで、劇場全体の充足感が低下する。まさにその場では、みんなが羅針盤なのだ。
今まで、なんでや劇場の場の形式から、内野=演者:供給者、外野=観客:消費者と捉えていたのだが、それはとんでもない誤りだった。
場の空気は外野の評価によって決定される。内野の場の運営に対して、外野が常に評価を下す。場の雰囲気も充足感も、外野の評価によって移ろいで行く。外野は、単なる消費者ではなく、評価者=「評価の供給者」と言った方がピッタリくる。
内野は「答えの供給者」、外野は「評価の供給者」。
答えだけでは、”場”は充足しないし、”評価”だけでも”場”は充足しない。相互の供給があって、始めて「場」がなりたち、共認充足が感じられる。
TV・映画・演劇・コンサート・スポーツ観戦・・・これまでのあらゆる場、演場は全て演者:供給者と観客:消費者の構造で成り立っており、場の空気・雰囲気は演者=供給者が握っていた。(消費者の一部が傍観者的だろうが、寝ていようが場の空気に影響ない。映画・演劇などその典型)
それに対して、なんでや劇場は、内野も外野も供給者。そして場の空気・雰囲気は外野=評価者が握っている。
これが、共認事業の「場」のあり方なんだと思う。
>露店は、そうはいかない。テキトーにやり過ごすことなどまず不可能。何となくうまくいかないんじゃないかな~という予感が、新しいカードを用意していないとか、現地到着が3分だけ遅れたという類のほんのちょっとした手抜きを引き起こす。するとたちどころに負の気分が蔓延する。
しかもそこから脱却し、挽回するための具体的方針(マニュアル)などどこにもない。といって「要は、気の持ちよう」とか「気持ちを切り換えて」などという安直な方針ではますます根本解決から遠去かるばかり。どこから切っても、まわりのみんなにバレバレだ。
同じような構造は、このるいネットへの投稿という行為にも潜んでいるように思う。多くの参加者は、投稿者の本気度(当事者度合い)や外向き度(自分からみんな度合い)、あるいは、そのひととなりが手に取るようにわかってしまうコワさを感じていることだろう。
共認回路をフル稼動させる共認事業では、いつも存在と一体であるがゆえに、一切、ゴマカシが利かない。
露店もるいネットも同様。
共認事業は、場の演者と観客=供給者と消費者によって成り立つのではなく、「答え(の供給者)」と「評価(の供給者)」によって成立する。だからこそ、あらゆる場面で答えの中身が問われるし、その評価が場の空気=充足感を決定していく。
>集団であれ社会であれ、共認空間は常にその最先端に評価欠乏→評価闘争を生起させると共に、評価共認によって統合される。(評価共認こそ、共認空間の統合原理である。)
>共認動物たる人類が生み出す場は最終的には評価共認によって統合される事を意味します。同様に、人にとって皆の評価こそもっとも高い充足の源であり、活力の源です。
なんでや劇場や、なんでや露店など共認事業の場が、評価共認による場の統合のあり方と、その充足感をより鮮明にしたように感じる。
次代=共認原理の社会の実現形態が見え始めた!
西谷文宏
しかし、なかなか現実には答えを出せない。
答えが出せない理由はいたって簡単である。
今、直面している課題は、生存圧力の消滅という人類史上未曾有の大転換ゆえの収束不全であって、いままでのやり方・考え方(旧観念)は一切通用しない。
にも拘らず、何とかこれまでのやり方をつぎはぎして、『自分なりに』何とかしようともがくからである。あるいは、『自分の頭で』理解しよう・問題を解決しようとするからである。あくまで『自分の経験に』照らし合わせて考えようとするからである。
>今本当はどうしたいのか、観念を取っ払ったところで、本能が求めるものはなにか?を、まず追求することが先かもしれない。その期待が分かれば、動き出せるような気がする。<
おそらく、本能や共認が求めるものは人によってそんなに変わらない。だったら、みんなで追求する方がはっきりするし、何より早い。このとき大切なのは、余計なことを考えずに、まずはストレートな実感(と事例)をみんなにぶつけてみること。実は、切実な不全感こそが、みんなが抱えている根本問題の解決への重要な切り口となるのである。
あるいは、何か可能性がありそう、と感じられる投稿や認識に触れたら、一旦観念は取っ払って、つまりごちゃごちゃ考えずにひたすら同化してみればいい。これも出来ることなら、一人でやらずに何人かでやったほうがいい。
その時のみんなの反応こそが羅針盤であり、同化できた人から順に、自ずと補足するような実感や事例が出てきて、同化の連鎖が起こる。そして、そこから問題に対する解決の糸口も見えてくるものである。
答えはみんなの中にある。なんで屋やるいネット・実現論は、新しい認識の溶鉱炉。みんなで同化(勉強)し、みんなで「何で?」を考えれば終いである。会社経営であれ、個人や家庭の悩みであれ、突破口はそこにしかない。
匿名希望
答えが出せない理由はいたって簡単である。
今、直面している課題は、生存圧力の消滅という人類史上未曾有の大転換ゆえの収束不全であって、いままでのやり方・考え方(旧観念)は一切通用しない。
にも拘らず、何とかこれまでのやり方をつぎはぎして、『自分なりに』何とかしようともがくからである。あるいは、『自分の頭で』理解しよう・問題を解決しようとするからである。あくまで『自分の経験に』照らし合わせて考えようとするからである。
>今本当はどうしたいのか、観念を取っ払ったところで、本能が求めるものはなにか?を、まず追求することが先かもしれない。その期待が分かれば、動き出せるような気がする。<
おそらく、本能や共認が求めるものは人によってそんなに変わらない。だったら、みんなで追求する方がはっきりするし、何より早い。このとき大切なのは、余計なことを考えずに、まずはストレートな実感(と事例)をみんなにぶつけてみること。実は、切実な不全感こそが、みんなが抱えている根本問題の解決への重要な切り口となるのである。
あるいは、何か可能性がありそう、と感じられる投稿や認識に触れたら、一旦観念は取っ払って、つまりごちゃごちゃ考えずにひたすら同化してみればいい。これも出来ることなら、一人でやらずに何人かでやったほうがいい。
その時のみんなの反応こそが羅針盤であり、同化できた人から順に、自ずと補足するような実感や事例が出てきて、同化の連鎖が起こる。そして、そこから問題に対する解決の糸口も見えてくるものである。
答えはみんなの中にある。なんで屋やるいネット・実現論は、新しい認識の溶鉱炉。みんなで同化(勉強)し、みんなで「何で?」を考えれば終いである。会社経営であれ、個人や家庭の悩みであれ、突破口はそこにしかない。
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