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巷にはいろいろな『草の根運動』がある。サイト検索するといくらでもヒットする。教育においても『草の根』教育を唱える団体もある。一体、我々が推し進めている『草の根運動』と決定的に違う点はどこにあるのか。
既存の『草の根運動』というと、女性解放運動や環境保護運動、平和・反核運動など反体制運動の色彩が強い。しかし、アメリカの草の根運動であるクリスチャン連合などは、体制側のアングラ政治活動そのもののとなっている。
『草の根運動』とは、反体制側にも体制側にも有効な運動(社会共認運動)であり、しかし、社会統合の表舞台に直接は登場しない圧力団体と本質的には何ら変わらない運動(傍観者運動)、ということだろうか。
(参考サイト)
リンク
『草の根運動』はアメリカ発だと思うが、19世紀末には「フロンティア」の実現基盤がなくなり(無料で土地が手に入らなくなり)、都市化が進む中にあって、有限資源の効率利用を巡る議論が起こってくる。特にミシシッピ川以西の西部の砂ばく化が顕著に表れ、過剰放牧による牧草地の減少、伐採による森林資源の激減などが問題であると認識される。そして、国家(統治者)による自然保護≒生活保護政策を求める声が強くなる。
20世紀初頭、当時のセオドア・ルーズベルトの国家主導の計画的な資源利用の「自然保護政策」に対して、「資源利用そのものを反対」する地域大衆による自分達の生活保護のための運動がおこる。学校の児童生徒が植林を行い、女性団体が都市美化運動を始め、自然愛好団体が絶滅種保護に立ち上がる。
『草の根』を植え育て広がっていくまさに『草の根運動』。
(参考サイト)
リンク
既存の『草の根運動』は、元を正せばその根っこには、統合階級批判(統合期待捨象→不可能視)から、「自分達の問題は自分達で解決しよう」とする当事者意識の強い運動だったと思う。しかし、それは『草の根』はあくまでも草の根に留まり、決して統合主体になることはなかった。なぜか。
やはり、それは彼らの運動そのものが、序列原理をそのままにした私権闘争・序列闘争から脱却できなかったということにつきるだろう。
やはり、それは彼らの運動の中身が、統合課題を無視した自分達の生活基盤という自分課題に終始したからだろう。
るいネットで呼びかける『草の根運動』は、社会不全を対象化して統合課題をみなが担う当事者運動=社会の統合主体となること。この点がこれまでの既存の陳腐な運動と全く違うのだと再認識した。
吉国幹雄
既存の『草の根運動』というと、女性解放運動や環境保護運動、平和・反核運動など反体制運動の色彩が強い。しかし、アメリカの草の根運動であるクリスチャン連合などは、体制側のアングラ政治活動そのもののとなっている。
『草の根運動』とは、反体制側にも体制側にも有効な運動(社会共認運動)であり、しかし、社会統合の表舞台に直接は登場しない圧力団体と本質的には何ら変わらない運動(傍観者運動)、ということだろうか。
(参考サイト)
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『草の根運動』はアメリカ発だと思うが、19世紀末には「フロンティア」の実現基盤がなくなり(無料で土地が手に入らなくなり)、都市化が進む中にあって、有限資源の効率利用を巡る議論が起こってくる。特にミシシッピ川以西の西部の砂ばく化が顕著に表れ、過剰放牧による牧草地の減少、伐採による森林資源の激減などが問題であると認識される。そして、国家(統治者)による自然保護≒生活保護政策を求める声が強くなる。
20世紀初頭、当時のセオドア・ルーズベルトの国家主導の計画的な資源利用の「自然保護政策」に対して、「資源利用そのものを反対」する地域大衆による自分達の生活保護のための運動がおこる。学校の児童生徒が植林を行い、女性団体が都市美化運動を始め、自然愛好団体が絶滅種保護に立ち上がる。
『草の根』を植え育て広がっていくまさに『草の根運動』。
(参考サイト)
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既存の『草の根運動』は、元を正せばその根っこには、統合階級批判(統合期待捨象→不可能視)から、「自分達の問題は自分達で解決しよう」とする当事者意識の強い運動だったと思う。しかし、それは『草の根』はあくまでも草の根に留まり、決して統合主体になることはなかった。なぜか。
やはり、それは彼らの運動そのものが、序列原理をそのままにした私権闘争・序列闘争から脱却できなかったということにつきるだろう。
やはり、それは彼らの運動の中身が、統合課題を無視した自分達の生活基盤という自分課題に終始したからだろう。
るいネットで呼びかける『草の根運動』は、社会不全を対象化して統合課題をみなが担う当事者運動=社会の統合主体となること。この点がこれまでの既存の陳腐な運動と全く違うのだと再認識した。
吉国幹雄
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最近、新聞で読んだのですが、半専任の事例のような記事がありました。
この頃、各自治体では市町村合併が進んでいます。
これについては、理由も効果も甚だ疑問ですが、ともかく、あちらこちらで合併が行われています。
合併が行われると言うことは、一方で、行政組織としては消える町もあります。
記事では、合併後の町に代表を送り込むことができないと、町の意見が反映されなくなる、と言う危機感から必要に迫られてみんなが手弁当で集まってきた、とありました。
仕事の合間に開かれる評議会には、当然報酬は無く、交通費として1回の開催に付き、2000円程度が支給されるということです。
調べてみると、合併が行われようとしている自治体のあちこちで、こうした取り組みが見られます。
例えば、長野県ではこんな感じで報告がされています。↓
[住民自治組織を創設]
法人格や一定の事務権限を付与
集落の区域、小学校の区域、中学校の区域、
基礎的自治体の区域、の4 層構造
[権限・役割]
公民館活動、地域イベント等地域固有の
事務に関して権限
[機関体制]
意思決定機関として総会又は委員会をおく
(委員は選挙で選出、無報酬、実費弁償のみ)
執行機関として、委員会又は執行役員
執行補助機関として、事務局は基礎的自治
体の組織(支所等)が兼ねる
[運営経費・予算]
財源は住民負担(会費)及び基礎的自治体
からの交付金による
※コミュニティ組織に対する所得税・住民税に
おける寄付金控除の拡大を求める
※課税権については地方自治法を改正し法
人化の道を開けば可能
決して自発的に行われるものではなく、やむにやまれぬ、という面もありますが、だからこそ住民が必要に迫られて、当事者として自分たちの住む町について議論しよう、という空気が生まれてきているようにも思います。
注目すべきは、長野県は課税権にも言及していることで、国の枠組みから逸脱しようとするということで、中央官庁からは目をつけられかねない報告となっています。地方分権の時代と言われながらも、中央官庁は、税の不平等とか言って、こうしたカネを吸い上げる権利をなかなか離そうとはしません。
いくら住民組織を作っても、どこにお金を使うのかを決める権利がなければ、単なるお茶会になってしまいます。こうしたお金の使い道を決めることができることによって初めて、「みんなに必要とされる活動は何か」、という真剣な議論の場になるのではないかと思います。
渡辺卓郎
この頃、各自治体では市町村合併が進んでいます。
これについては、理由も効果も甚だ疑問ですが、ともかく、あちらこちらで合併が行われています。
合併が行われると言うことは、一方で、行政組織としては消える町もあります。
記事では、合併後の町に代表を送り込むことができないと、町の意見が反映されなくなる、と言う危機感から必要に迫られてみんなが手弁当で集まってきた、とありました。
仕事の合間に開かれる評議会には、当然報酬は無く、交通費として1回の開催に付き、2000円程度が支給されるということです。
調べてみると、合併が行われようとしている自治体のあちこちで、こうした取り組みが見られます。
例えば、長野県ではこんな感じで報告がされています。↓
[住民自治組織を創設]
法人格や一定の事務権限を付与
集落の区域、小学校の区域、中学校の区域、
基礎的自治体の区域、の4 層構造
[権限・役割]
公民館活動、地域イベント等地域固有の
事務に関して権限
[機関体制]
意思決定機関として総会又は委員会をおく
(委員は選挙で選出、無報酬、実費弁償のみ)
執行機関として、委員会又は執行役員
執行補助機関として、事務局は基礎的自治
体の組織(支所等)が兼ねる
[運営経費・予算]
財源は住民負担(会費)及び基礎的自治体
からの交付金による
※コミュニティ組織に対する所得税・住民税に
おける寄付金控除の拡大を求める
※課税権については地方自治法を改正し法
人化の道を開けば可能
決して自発的に行われるものではなく、やむにやまれぬ、という面もありますが、だからこそ住民が必要に迫られて、当事者として自分たちの住む町について議論しよう、という空気が生まれてきているようにも思います。
注目すべきは、長野県は課税権にも言及していることで、国の枠組みから逸脱しようとするということで、中央官庁からは目をつけられかねない報告となっています。地方分権の時代と言われながらも、中央官庁は、税の不平等とか言って、こうしたカネを吸い上げる権利をなかなか離そうとはしません。
いくら住民組織を作っても、どこにお金を使うのかを決める権利がなければ、単なるお茶会になってしまいます。こうしたお金の使い道を決めることができることによって初めて、「みんなに必要とされる活動は何か」、という真剣な議論の場になるのではないかと思います。
渡辺卓郎
>つまり生産力の上昇あるいは採取生産から栽培(農業生産)に生産様式の転換を促した主要な要因は同類圧力である、という事になります。
しかし問題は後者の同類圧力は(武力闘争を含む圧力は)移民(おそらく大陸系の略奪闘争の経験者)によってもたらされた訳で、そうなると更にこの同類圧力をもたらした物は、共同体の崩壊に伴う婚姻様式の転換(私婚の発生)という事になります。
この問題はおそらく、世界史的に見てもほぼ同じ事が説明できるのではないでしょうか。
(農業生産から工業生産or市場化への移行においてもおそらく同じ論理で説明がつくような気がします。)<
縄文、弥生時代の社会統合様式についての投稿を読み、人類の歴史を俯瞰する上で共通するかつ本質的な構造が浮き彫りなってきているように思います。
北村さんの仰るように、「同類圧力(私権圧力も含む)が生産様式を規定し、社会構造の根底にある。」という認識は現代にも当てはめられる認識であると思います。
農業生産や産業革命、市場形成を単に人口の増加に伴なう生産様式の変化として捉えるのではなく、さらにその奥にある「同類圧力」に注目すれば、私権時代においては、同類闘争の制覇力となる要素がその時代の主要な生産様式を規定していたことが見えてきます。
農業時代は稲作を中心とした土地が制覇力であり、その土地の所有をめぐっての争いにたいする制覇力としての武力が社会構造を規定していました。又、さらに生産力、人口が増大し、産業革命が起きて以降は、工場生産の生産力を規定する制覇力としての資本が社会構造を規定しています。
このように、私権社会においても同類闘争による同類圧力が、社会構造の根底部にあり、その制覇力が生産様式を規定していたことは明らかだと思います。
だからこそ、私権構造が崩壊しつつある現代において、私権構造よりもさらに根底にある同類闘争を規定する力⇒共認力⇒認識力が新たな制覇力として、これからの生産様式、婚姻様式、→社会統合様式を形成していく核となるのだと思います。
伊藤浩
しかし問題は後者の同類圧力は(武力闘争を含む圧力は)移民(おそらく大陸系の略奪闘争の経験者)によってもたらされた訳で、そうなると更にこの同類圧力をもたらした物は、共同体の崩壊に伴う婚姻様式の転換(私婚の発生)という事になります。
この問題はおそらく、世界史的に見てもほぼ同じ事が説明できるのではないでしょうか。
(農業生産から工業生産or市場化への移行においてもおそらく同じ論理で説明がつくような気がします。)<
縄文、弥生時代の社会統合様式についての投稿を読み、人類の歴史を俯瞰する上で共通するかつ本質的な構造が浮き彫りなってきているように思います。
北村さんの仰るように、「同類圧力(私権圧力も含む)が生産様式を規定し、社会構造の根底にある。」という認識は現代にも当てはめられる認識であると思います。
農業生産や産業革命、市場形成を単に人口の増加に伴なう生産様式の変化として捉えるのではなく、さらにその奥にある「同類圧力」に注目すれば、私権時代においては、同類闘争の制覇力となる要素がその時代の主要な生産様式を規定していたことが見えてきます。
農業時代は稲作を中心とした土地が制覇力であり、その土地の所有をめぐっての争いにたいする制覇力としての武力が社会構造を規定していました。又、さらに生産力、人口が増大し、産業革命が起きて以降は、工場生産の生産力を規定する制覇力としての資本が社会構造を規定しています。
このように、私権社会においても同類闘争による同類圧力が、社会構造の根底部にあり、その制覇力が生産様式を規定していたことは明らかだと思います。
だからこそ、私権構造が崩壊しつつある現代において、私権構造よりもさらに根底にある同類闘争を規定する力⇒共認力⇒認識力が新たな制覇力として、これからの生産様式、婚姻様式、→社会統合様式を形成していく核となるのだと思います。
伊藤浩
>そしてその結果今まで抑圧封鎖されていた、「人間らしさ」を求める欲求が急速に浮上してきた。現在は逆にそのこと自体が価値と旧秩序の混迷を生み、社会を迷走させているという負の側面も目立つ。
先日、なんでや露店で、「生きていく上で一番重要な価値は何か?」と聞いてきた学生さんがいた。文字通り、今までの豊かさ実現に変わって、何が社会の第一価値になるのかという、先が見えない今の状況を象徴するような質問であった。
彼は、恐らく、北村さんが言われるように、一番の人間らしさってなんだろう?、ということを聞きたかったに違いない。いまのこの豊かになった日本を見て、もうここには実現すべきのもが何もない。それより、もっと海外には苦しんでいて、困っている人がいて、今まで豊かになって得られた恩恵は、そういった人たちに返すことが今自分達が一番なすべき事ではないか、という考えを彼は持っていた。しかし、このお題で聞きたかったのは、それも本当にそれでいいのかという自信のなさからであったのだろう。
ここで考えてみる必要がある。豊かになったのは、市場社会化によって万人が私益追求の主体として「解放」されたことにあり、その一方で、その人達の利益のために搾取という行為が=困っている人=貧困や戦争という状況を生み出している。また、その行き過ぎた先の個人主義がこの日本の閉塞状況を生み出している。
どちらも、社会を閉塞させているのは、私益主義、個人主義という旧観念であり、その閉塞状況を突き抜けて、それに変わる可能性=新理論を生み出す事がこれから必要になってくるのではないでしょうか。
単に目先のいい事=困っている人を助けること、言い換えれば、個人主義者が唱える、個人、自由、平和という、現実には決して実現されることのなかった観念、本人はそれと同じ事を考えているという自覚はないが、実はどちらもその狂った欺瞞観念こそが社会を閉塞させている元凶であり、無意識にそういった支配観念に犯されているということを感じた事例でもあった。
そういった狂った観念を超えて、新しい可能性を示す新理論として、四方さんの言われる2772 「自我ではなく、共認こそ原点である」は、これからの人類が生きていく上での重要な認識(≒価値)ではないかと思いました。
大嶋洋一
先日、なんでや露店で、「生きていく上で一番重要な価値は何か?」と聞いてきた学生さんがいた。文字通り、今までの豊かさ実現に変わって、何が社会の第一価値になるのかという、先が見えない今の状況を象徴するような質問であった。
彼は、恐らく、北村さんが言われるように、一番の人間らしさってなんだろう?、ということを聞きたかったに違いない。いまのこの豊かになった日本を見て、もうここには実現すべきのもが何もない。それより、もっと海外には苦しんでいて、困っている人がいて、今まで豊かになって得られた恩恵は、そういった人たちに返すことが今自分達が一番なすべき事ではないか、という考えを彼は持っていた。しかし、このお題で聞きたかったのは、それも本当にそれでいいのかという自信のなさからであったのだろう。
ここで考えてみる必要がある。豊かになったのは、市場社会化によって万人が私益追求の主体として「解放」されたことにあり、その一方で、その人達の利益のために搾取という行為が=困っている人=貧困や戦争という状況を生み出している。また、その行き過ぎた先の個人主義がこの日本の閉塞状況を生み出している。
どちらも、社会を閉塞させているのは、私益主義、個人主義という旧観念であり、その閉塞状況を突き抜けて、それに変わる可能性=新理論を生み出す事がこれから必要になってくるのではないでしょうか。
単に目先のいい事=困っている人を助けること、言い換えれば、個人主義者が唱える、個人、自由、平和という、現実には決して実現されることのなかった観念、本人はそれと同じ事を考えているという自覚はないが、実はどちらもその狂った欺瞞観念こそが社会を閉塞させている元凶であり、無意識にそういった支配観念に犯されているということを感じた事例でもあった。
そういった狂った観念を超えて、新しい可能性を示す新理論として、四方さんの言われる2772 「自我ではなく、共認こそ原点である」は、これからの人類が生きていく上での重要な認識(≒価値)ではないかと思いました。
大嶋洋一
先日、小学生の子ども達と色々な話ができる機会があった。
世間話程度の話で脈絡こそあまりなかったが、自閉症、プライバシー、ネットの問題など、次々と子ども達から話が出てきた。勉強に活力を感じていない反面、そういったことには大人顔負けの知識を持ち合わせている。子どもの話を聞いてあげると言うスタンスではなく、実際に話を聞いていて気づきもあり、楽しい時間を過ごすことができた。
本当に色んな事を知っているので、「そういうことに興味もってるの?」と聞くと返ってくる返事は、「別にー。」「たまたまテレビでやってたから。」「なんとなく覚えてただけ。」など、なんともあっさりしたもの。しかし、大して興味のないことに対してさえ、これだけいろいろな事を考えているよう。
>彼らは社会についていろんな事を知っている。日ごろから、ニュースや、新聞にも目を通している子もいるらしい。しかし、その知識はバラバラ。つながっていない。(85801 藤田さん)
つながっていないのは事実として、子ども達は色々考えようとしていると思う。おそらく自分が彼らと同じ年だった頃よりも、それは強いのではないか。しかし、学校はそういった興味、思いになかなか応えてはくれない。断片的な知識だけが堆積していく。
もったいないな、と思う。
>社会は、人々の共認によって形成されている。実際、この社会を動かしているのも、この社会を統合しているのも、全ては人々の共認に依っている。従って、社会を統合し直すために最も重要なのは、人々の共認内容=認識を変革し、新たな共認内容を形成してゆくことである。(32087 四方さん)
認識を必要としているのは、大人だけではない。知識を持て余している子どもたちにも、「答え」となる認識を伝えていけばいい。それは共認形成、認識形成の場を子ども達の世界にも広げていくことであり、その場を作っていく事こそ、次代を担う人材を育んでいくための大人の役割だと思う。
矢野悟
世間話程度の話で脈絡こそあまりなかったが、自閉症、プライバシー、ネットの問題など、次々と子ども達から話が出てきた。勉強に活力を感じていない反面、そういったことには大人顔負けの知識を持ち合わせている。子どもの話を聞いてあげると言うスタンスではなく、実際に話を聞いていて気づきもあり、楽しい時間を過ごすことができた。
本当に色んな事を知っているので、「そういうことに興味もってるの?」と聞くと返ってくる返事は、「別にー。」「たまたまテレビでやってたから。」「なんとなく覚えてただけ。」など、なんともあっさりしたもの。しかし、大して興味のないことに対してさえ、これだけいろいろな事を考えているよう。
>彼らは社会についていろんな事を知っている。日ごろから、ニュースや、新聞にも目を通している子もいるらしい。しかし、その知識はバラバラ。つながっていない。(85801 藤田さん)
つながっていないのは事実として、子ども達は色々考えようとしていると思う。おそらく自分が彼らと同じ年だった頃よりも、それは強いのではないか。しかし、学校はそういった興味、思いになかなか応えてはくれない。断片的な知識だけが堆積していく。
もったいないな、と思う。
>社会は、人々の共認によって形成されている。実際、この社会を動かしているのも、この社会を統合しているのも、全ては人々の共認に依っている。従って、社会を統合し直すために最も重要なのは、人々の共認内容=認識を変革し、新たな共認内容を形成してゆくことである。(32087 四方さん)
認識を必要としているのは、大人だけではない。知識を持て余している子どもたちにも、「答え」となる認識を伝えていけばいい。それは共認形成、認識形成の場を子ども達の世界にも広げていくことであり、その場を作っていく事こそ、次代を担う人材を育んでいくための大人の役割だと思う。
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