×
[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
媒体とは『なかだちをするもの・媒介するもの』で、需要とは『必要としてもとめること。また、そのもの。』 という意味があります。
従って、媒体需要とは『人々から必要とされている物事をなかだち・媒介するもの』と捉えることもできます。
そう考えると今人々の1番大きな欠乏は何か?媒介として必要とされているものは何なのかを調べてみる事にしました。
>真に必要とされているのは、個人の悩み分析→個人の変革ではなく、社会潮流分析→社会変革ではないか。<
>構造認識を駆使して周りに活力源や充足を与えていくことができ、そこで得た評価を更なるエネルギーに変えて己の充足に繋げるという好循環を作り出していける者こそが必要とされているのだと思う。<
>それは何もしない事がひたすら不安で、言葉を代えればいつも必要とされている事→何らかの「役割」を強力に欲しているような感じさえします。<
>今、必要とされているのは、こんな風に自分が得た気づきを、また別の誰かに伝えられるような、「場」を作る活動なんですよね。 <
以上から分かるように社会潮流分析→社会変革を起こすのも、好循環を作り出す者も、これからの時代に必要とされている役割を生み出したり考え出したりするのにしても必要なのは全て『新認識』です。
新認識なしに今の社会の全面閉塞状態を突破することなど出来ません。
我々庶民が今しなくてはならないことは、この収束不全発の様々な社会の歪みに対して真っ向に立ち向かう武器である新認識(新理論)を広めていくことなのです。
そのことが多くの人々にとって今求められていることであり、その行為自体が『人々から必要とされている物事をなかだち・媒介するもの』そのものなのです。要するに共認運動そのものが最高の媒体となり、これからの媒体需要の中核をなすものになるのです。
リバーバンク
従って、媒体需要とは『人々から必要とされている物事をなかだち・媒介するもの』と捉えることもできます。
そう考えると今人々の1番大きな欠乏は何か?媒介として必要とされているものは何なのかを調べてみる事にしました。
>真に必要とされているのは、個人の悩み分析→個人の変革ではなく、社会潮流分析→社会変革ではないか。<
>構造認識を駆使して周りに活力源や充足を与えていくことができ、そこで得た評価を更なるエネルギーに変えて己の充足に繋げるという好循環を作り出していける者こそが必要とされているのだと思う。<
>それは何もしない事がひたすら不安で、言葉を代えればいつも必要とされている事→何らかの「役割」を強力に欲しているような感じさえします。<
>今、必要とされているのは、こんな風に自分が得た気づきを、また別の誰かに伝えられるような、「場」を作る活動なんですよね。 <
以上から分かるように社会潮流分析→社会変革を起こすのも、好循環を作り出す者も、これからの時代に必要とされている役割を生み出したり考え出したりするのにしても必要なのは全て『新認識』です。
新認識なしに今の社会の全面閉塞状態を突破することなど出来ません。
我々庶民が今しなくてはならないことは、この収束不全発の様々な社会の歪みに対して真っ向に立ち向かう武器である新認識(新理論)を広めていくことなのです。
そのことが多くの人々にとって今求められていることであり、その行為自体が『人々から必要とされている物事をなかだち・媒介するもの』そのものなのです。要するに共認運動そのものが最高の媒体となり、これからの媒体需要の中核をなすものになるのです。
リバーバンク
PR
>共認不全も統合不全も間違いなく実在する。しかし、それらの課題に応えるべき観念機能が、大学とメディアによる共認支配=観念支配によって機能不全に陥り、全く答えを出せないとしたら、不全⇒解脱回路が危機と課題を捨象して解脱収束するのは必然である。
そして、危機と課題を捨象すれば、適応本能が充足や安定や調和に収束するのも必然である。その結果、ますます不全が増大し、しかも不全が増大すればするほどますます安定・調和・統合を求めて、形骸化した支配観念に表層収束することになる。
過酷な自然外圧の中で、生き延びてきた人類。その中で形成された、解脱回路(麻薬回路)は人類が僅かな可能性に収束していく上での命綱でもあった。しかし、闘争なき状況では、解脱回路は単なる現実逃避にしかならない。不全を解消すべく立ち上がった時、その命綱たる解脱回路は真っ当な方向へ僕らを導いてくれる。
>セックスが快感を伴うのは確実に子孫を残すためだと言われています。私は、これと同じようなことが「考える」こととドーパミン(或いはその他の脳内快感物質)の間にもあるのではないかと思います。
身に付いた本能に従っていれば、上記のような意味で「考える」必要はありません。つまり、生き延びるために、強烈な快感を付与してでも頭の中を組替えなければならない状況が当時の猿を取り巻いていたからだ、というのが今のところの私の仮説です。
確かに、(より難易度の高い)課題の実現に向けてみんなが真剣に追求している状況下では、言葉はなくてもすごく心地いいことがある。そして、方向性が見えてどんどん進む時や答えが出たときのスッキリ感は、まさに『快感』と言っていいでしょう。そういう感覚が得られれば、人はどんどん追求に向かうのだろう。
人類の命綱たる解脱回路は、今、認識闘争の下でその威力を発揮する。
浅田祥幸
そして、危機と課題を捨象すれば、適応本能が充足や安定や調和に収束するのも必然である。その結果、ますます不全が増大し、しかも不全が増大すればするほどますます安定・調和・統合を求めて、形骸化した支配観念に表層収束することになる。
過酷な自然外圧の中で、生き延びてきた人類。その中で形成された、解脱回路(麻薬回路)は人類が僅かな可能性に収束していく上での命綱でもあった。しかし、闘争なき状況では、解脱回路は単なる現実逃避にしかならない。不全を解消すべく立ち上がった時、その命綱たる解脱回路は真っ当な方向へ僕らを導いてくれる。
>セックスが快感を伴うのは確実に子孫を残すためだと言われています。私は、これと同じようなことが「考える」こととドーパミン(或いはその他の脳内快感物質)の間にもあるのではないかと思います。
身に付いた本能に従っていれば、上記のような意味で「考える」必要はありません。つまり、生き延びるために、強烈な快感を付与してでも頭の中を組替えなければならない状況が当時の猿を取り巻いていたからだ、というのが今のところの私の仮説です。
確かに、(より難易度の高い)課題の実現に向けてみんなが真剣に追求している状況下では、言葉はなくてもすごく心地いいことがある。そして、方向性が見えてどんどん進む時や答えが出たときのスッキリ感は、まさに『快感』と言っていいでしょう。そういう感覚が得られれば、人はどんどん追求に向かうのだろう。
人類の命綱たる解脱回路は、今、認識闘争の下でその威力を発揮する。
浅田祥幸
>この社会を変えるには、やるべきことが2つある。
一つは、共同体を復活させることである。
もう一つは、人々が誰もが担っていた「統業」を、万人の手に取り戻すことである。真っ当な生産活動として、誰もが担うことである。それ以外に、地獄のような世界を変える方法はないのだ。(69561)
日本においても、戦後高度経済成長という名の下に、工業生産の基盤の確立と充実の為、若き工場生産労働者獲得の為、農業生産を基盤を解体し、村落共同体を崩壊させる施策が色々とられ、金の卵という言葉に代表されるように、若者を農村から工業生産地へと送り込み、賃金労働者を多数作り出してきた。当初は右肩上がりの拡大再生産の下に、私権追求の求心力がはたらき、人々の意識もそこに統合されていたし、支配階級もより求心力を高める為、生活基盤の充実の名の下に、公共事業のばら撒き政策による団地の増設、高速道路や新幹線に代表される交通手段の整備等と同時に老後の生活保障ということで年金の増額とばら撒きをはかり、人々に物的豊かさの実現こそ幸せであるという幻想を抱かせ、市場社会の中に組み込んできたし、そのことによって支配階級が社会を統合する基盤を磐石のものにしようとしてきた。
しかし、それらの施策は万人のためではなく、支配階級が延命できるためのものである。したがって目鼻先だけの付け焼刃的なものであり、市場社会が孕む矛盾を解消するものではなく、さらに矛盾を激化させ、人々の活力をそぎ、統合不全に陥れるものでしかない。
先の衆議院総選挙においても、この間いろいろ露呈してきた矛盾をごまかすために、小泉の小さな政府、そのための郵政民営化というキャッチフレーズで人々を幻惑させ、現体制の延命を図ろうとしている。また野党自体も市場社会の枠組みの中でしか政策等を考えないので、その中に巻き込まれるのは当然であり、今の既成政党に将来を見据えた展望を期待することは無理である。
ならばなすべきことは明らかである。欺瞞に満ちた市場社会では人々を統合することは不可能であり、先のない破滅への道しかないことを明らかにし、真に人々を統合できる新理論を人々の中に敷衍し、共認の輪を広げていくことである。そのひとつの運動論がなんで屋露店であり、ルイネットである。さらに、この活動を通して、みんなで共同体の社会あり方を追求し、本源的な共認社会を実現する確実な道を切り開き、そのことによって人々の認識は転換できる。市場社会を脱し、共認社会を実現できれば、疎外された労働から解放され、自らが主体となって取り組んでいける労働へと、さらに社会を統合する労働へとつながっていく。このことによって、地獄のような社会は確実に変えられる。
ブルマン
一つは、共同体を復活させることである。
もう一つは、人々が誰もが担っていた「統業」を、万人の手に取り戻すことである。真っ当な生産活動として、誰もが担うことである。それ以外に、地獄のような世界を変える方法はないのだ。(69561)
日本においても、戦後高度経済成長という名の下に、工業生産の基盤の確立と充実の為、若き工場生産労働者獲得の為、農業生産を基盤を解体し、村落共同体を崩壊させる施策が色々とられ、金の卵という言葉に代表されるように、若者を農村から工業生産地へと送り込み、賃金労働者を多数作り出してきた。当初は右肩上がりの拡大再生産の下に、私権追求の求心力がはたらき、人々の意識もそこに統合されていたし、支配階級もより求心力を高める為、生活基盤の充実の名の下に、公共事業のばら撒き政策による団地の増設、高速道路や新幹線に代表される交通手段の整備等と同時に老後の生活保障ということで年金の増額とばら撒きをはかり、人々に物的豊かさの実現こそ幸せであるという幻想を抱かせ、市場社会の中に組み込んできたし、そのことによって支配階級が社会を統合する基盤を磐石のものにしようとしてきた。
しかし、それらの施策は万人のためではなく、支配階級が延命できるためのものである。したがって目鼻先だけの付け焼刃的なものであり、市場社会が孕む矛盾を解消するものではなく、さらに矛盾を激化させ、人々の活力をそぎ、統合不全に陥れるものでしかない。
先の衆議院総選挙においても、この間いろいろ露呈してきた矛盾をごまかすために、小泉の小さな政府、そのための郵政民営化というキャッチフレーズで人々を幻惑させ、現体制の延命を図ろうとしている。また野党自体も市場社会の枠組みの中でしか政策等を考えないので、その中に巻き込まれるのは当然であり、今の既成政党に将来を見据えた展望を期待することは無理である。
ならばなすべきことは明らかである。欺瞞に満ちた市場社会では人々を統合することは不可能であり、先のない破滅への道しかないことを明らかにし、真に人々を統合できる新理論を人々の中に敷衍し、共認の輪を広げていくことである。そのひとつの運動論がなんで屋露店であり、ルイネットである。さらに、この活動を通して、みんなで共同体の社会あり方を追求し、本源的な共認社会を実現する確実な道を切り開き、そのことによって人々の認識は転換できる。市場社会を脱し、共認社会を実現できれば、疎外された労働から解放され、自らが主体となって取り組んでいける労働へと、さらに社会を統合する労働へとつながっていく。このことによって、地獄のような社会は確実に変えられる。
ブルマン
中3の塾生は、いまの時期、社会で公民を勉強している。自習室で、生徒たちの面倒を見ていると、ある生徒が日本国憲法の前文を覚えていた。「日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、われらとわれらの子孫のために…」
「先生、衆議院選挙には投票にいった?」と話かけてきた。「行ったよ。ところで、今回の選挙は正当に選挙されたのかな?」「そんなことないよ。テレビや新聞には小泉さんばかり出ていて、小泉さんの宣伝ばかりしていたから、正当とは言われへんよ。」と即答。
今回の選挙が、小泉政権とマスコミの共犯によって、正当ではなかったことは、中学生でも簡単に見破っている。しがらみやあきらめがないだけ、
大人より鋭いともいえる。
そういえば、夏休みの終わりに、自習室で、夏休みの学校の宿題として、人権についての作文を書かないといけないと、中3の生徒が数名、四苦八苦していた。「人権」なんて感覚がないのに、とにかく何か書かないといけないので、文章は支離滅裂。私権統合の原理から共認統合の原理に転換しようとしている時代に生きていく子供たちには、人権よりも、先に教えておかないといけないことがあろうに、と感じなから、人権思想が生まれてきた社会的な背景と歴史、日本での歴史についてなどの事実をまとめておこうと、一緒にポイントを押さえた。(生徒は、「スッキリしました。」といってくれた。)
私もそうだが、選挙後に政治に関心度が上がってきている人が周りにもけっこういる。子供たちも大人も、今回の選挙をきっかけに、アメリカ→小泉→マスコミで作り上げられた煽動選挙に対する違和感は、みんなの中に残り続けている。
一方、社会を閉塞させている元凶の旧観念が、知らず知らずのうちに、刷り込まれていく…。
「男女同権」「福祉」などの支配共認を「それは、自分の頭で考えたことか?」「それは、この閉塞した社会を突破する答えになっているのか?」と問いかけること、共認闘争することで、本当の答え追究に向かうきっかけをつくっていく必要性を感じる。
槇原賢二
「先生、衆議院選挙には投票にいった?」と話かけてきた。「行ったよ。ところで、今回の選挙は正当に選挙されたのかな?」「そんなことないよ。テレビや新聞には小泉さんばかり出ていて、小泉さんの宣伝ばかりしていたから、正当とは言われへんよ。」と即答。
今回の選挙が、小泉政権とマスコミの共犯によって、正当ではなかったことは、中学生でも簡単に見破っている。しがらみやあきらめがないだけ、
大人より鋭いともいえる。
そういえば、夏休みの終わりに、自習室で、夏休みの学校の宿題として、人権についての作文を書かないといけないと、中3の生徒が数名、四苦八苦していた。「人権」なんて感覚がないのに、とにかく何か書かないといけないので、文章は支離滅裂。私権統合の原理から共認統合の原理に転換しようとしている時代に生きていく子供たちには、人権よりも、先に教えておかないといけないことがあろうに、と感じなから、人権思想が生まれてきた社会的な背景と歴史、日本での歴史についてなどの事実をまとめておこうと、一緒にポイントを押さえた。(生徒は、「スッキリしました。」といってくれた。)
私もそうだが、選挙後に政治に関心度が上がってきている人が周りにもけっこういる。子供たちも大人も、今回の選挙をきっかけに、アメリカ→小泉→マスコミで作り上げられた煽動選挙に対する違和感は、みんなの中に残り続けている。
一方、社会を閉塞させている元凶の旧観念が、知らず知らずのうちに、刷り込まれていく…。
「男女同権」「福祉」などの支配共認を「それは、自分の頭で考えたことか?」「それは、この閉塞した社会を突破する答えになっているのか?」と問いかけること、共認闘争することで、本当の答え追究に向かうきっかけをつくっていく必要性を感じる。
槇原賢二
私がるいネットに投稿しているのはなぜだろう。先日、そんな話になりました。
いろいろと勉強になることがありましたが今日は、「るいネットって何のためにあるんだろう」をちょっと立ち止まり、考えてみました。
>現在すでに人々は、社会不全⇒人(ひと)収束を伴いつつ、外向収束から認識収束へと向かっている。この認識欠乏が顕在化するのは、もはや時間の問題である。それが顕在化すれば、人々が求める『新しい認識』は、人々の最先端の統合価値となり、従ってまた最強の活力源となる。
一つ目には、人々の認識欠乏、「答えがほしい」に答える場所という意味があります。思えば私も、ここには答えがあると思ったから、それに惹かれて参加しました。しかしそれなら答えを知っている人だけがみんなに答えを提供していけばいいわけです。
それじゃあ「みんな」が参加するのはなぜ?
>『認識』は各人の日常的な最先端価値(=統合価値=評価指標)であり、また基礎的に社会を統合する機能をも果たしているが、それ自体は社会を統合する最先端機能たり得ない。社会を統合する最先端機能は別に要る。
>即ち、人々の認識欠乏に応える認識競争の圧力こそ、まぎれもなく新たな同類闘争の圧力である。この認識闘争の圧力が最末端をも貫く圧力にまで成長すれば、それに応える『認識闘争の場』は人類の最先端機能となり、全てをその下に収束させた社会統合機能となる。
もう一つ重要なのは、このサイトが『認識闘争の場』であることです。生存圧力がなくなった今、圧力は自ら作り出さなくてはなりません。
それから、闘争に参加出来るようになるために具体的に必要なことがあります。
>今成すべきことは、新しい社会統合機構(の中核)となるべき『認識形成の場(まつり場)』の構築に参加することに尽きる。具体的には、まつり場に入って皆の投稿に親しむこと(ロムし続けること)、そして新しい認識に得るところがあれば知人にも参加を勧め、できれば自分も発信することであり、それこそが最も豊かな唯一の実践活動である。
そもそもこのサイトは社会不全への答えを出していく場所です。認識は社会を変えるため道具で、現実に使ってこそ意味があります。
>同類圧力下にある今の人類にとっては、課題は自分たちで作り出すもの。そう意識を転換できれば、お先真っ暗で全く活力も出ないと感じている今の世の中は、実は、充足課題でいっぱいの世の中なのかも。
選挙・政治への関心が高まり、どうにかしたいという気持ちが世の中にあふれてきた今、今まで自ら作り出さなくてはならなかった同類闘争圧力が目に見えてきたように思えます。ということは、活力を出すチャンスだということだと思います。
happy
いろいろと勉強になることがありましたが今日は、「るいネットって何のためにあるんだろう」をちょっと立ち止まり、考えてみました。
>現在すでに人々は、社会不全⇒人(ひと)収束を伴いつつ、外向収束から認識収束へと向かっている。この認識欠乏が顕在化するのは、もはや時間の問題である。それが顕在化すれば、人々が求める『新しい認識』は、人々の最先端の統合価値となり、従ってまた最強の活力源となる。
一つ目には、人々の認識欠乏、「答えがほしい」に答える場所という意味があります。思えば私も、ここには答えがあると思ったから、それに惹かれて参加しました。しかしそれなら答えを知っている人だけがみんなに答えを提供していけばいいわけです。
それじゃあ「みんな」が参加するのはなぜ?
>『認識』は各人の日常的な最先端価値(=統合価値=評価指標)であり、また基礎的に社会を統合する機能をも果たしているが、それ自体は社会を統合する最先端機能たり得ない。社会を統合する最先端機能は別に要る。
>即ち、人々の認識欠乏に応える認識競争の圧力こそ、まぎれもなく新たな同類闘争の圧力である。この認識闘争の圧力が最末端をも貫く圧力にまで成長すれば、それに応える『認識闘争の場』は人類の最先端機能となり、全てをその下に収束させた社会統合機能となる。
もう一つ重要なのは、このサイトが『認識闘争の場』であることです。生存圧力がなくなった今、圧力は自ら作り出さなくてはなりません。
それから、闘争に参加出来るようになるために具体的に必要なことがあります。
>今成すべきことは、新しい社会統合機構(の中核)となるべき『認識形成の場(まつり場)』の構築に参加することに尽きる。具体的には、まつり場に入って皆の投稿に親しむこと(ロムし続けること)、そして新しい認識に得るところがあれば知人にも参加を勧め、できれば自分も発信することであり、それこそが最も豊かな唯一の実践活動である。
そもそもこのサイトは社会不全への答えを出していく場所です。認識は社会を変えるため道具で、現実に使ってこそ意味があります。
>同類圧力下にある今の人類にとっては、課題は自分たちで作り出すもの。そう意識を転換できれば、お先真っ暗で全く活力も出ないと感じている今の世の中は、実は、充足課題でいっぱいの世の中なのかも。
選挙・政治への関心が高まり、どうにかしたいという気持ちが世の中にあふれてきた今、今まで自ら作り出さなくてはならなかった同類闘争圧力が目に見えてきたように思えます。ということは、活力を出すチャンスだということだと思います。
happy
カウンター
カレンダー
最新記事
(01/24)
(01/24)
(12/11)
(12/10)
(12/08)
最新コメント
[04/03 神崎]
[11/18 埼玉新聞読者]
[11/18 所沢市の債務残高は1000億円]
[11/12 所沢市の債務残高は1000億円]
[11/12 所沢市の債務残高は1000億円]
ブログ内検索
最古記事
(09/02)
(09/11)
(09/12)
(09/13)
(09/14)
P R