×
[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
>これは、明らかに私権闘争の終焉を意味する。そして、私権闘争が終焉したということは、私権闘争の止揚・統合体である国家の命運も、遂に尽きようとしているということに他ならない。実際、バブル期以降の国家の迷走ぶりは、すでに誰の目にも明らかである。
’70以降、民間需要は減少し続け、それに代わり国家がGDP成長率を維持し続けるために、赤字国債という名目で需要の肩代わりをし、それが積もり積もって、800兆にまで膨らんでしまったという話があった。
ところが、この国の借金がどのように使われているかを見ていくと、一般に公表されている一般会計の他に、特別会計という仕組みがあることがわかり、その殆どが誰にも分からない組織=財団とか、ある財団から民営化した企業にまでお金が流れて、需要の穴埋めに充てられているらしいという構造が見えてきた。
しかし、この実態というのは、一部の書籍やネット上で語られているだけで、一般の人がそれらの内容を把握し、評価できるような情報となっていないことが問題であると感じる。
財政が破綻し、不十分ではあるが、一般財源の部分では、無駄な公共投資の抑制や、医療・福祉の支出構造の見直しなどで、社会からの圧力を受けて何とかせねばという空気は形成されつつあるが、密室化した組織であればあるほど、問題が隠蔽されていく構造にあるのではないかと思った。
これは企業でも同じである。以下引用
>それでも序列圧力が強ければ、上意下達という形で、対面共認はそれなりに機能する。そして、より重要な共認形成の場である会議は、御前会議に姿を変える。しかし、顔の見えない地方や各部門では、会議という場は中央や他部門にとって密室空間そのものとなり、劣化共認や私的共認の温床となる。その上、課題の未明度が高くなればなるほど(or末端部門に下りれば下りるほど)誰も答えを出せなくなり、成員の会議へのもたれ合いやぶら下がりが常態化してゆく。101337 「対面会議を超えて、全てをネットへ」
序列が崩壊した現在、国家の迷走を立て直すには、あらゆる政策判断を行う場を、先ずみんなに開放すること、この圧力を形成しなければ、さらに社会はガタガタになるばかりで、その圧力を形成するための共認形成機関の構築が最も急がれるのではないかと思った。その意味で、このるいネットに参加している人を始め、本気で社会を変えようと思う人どうしが繋がり、その場をどんどん社会に開き、みんなが国や政治を評価し、政策の提言までできる機関となるようネットワークを広める必要を強く感じた。
大嶋洋一
’70以降、民間需要は減少し続け、それに代わり国家がGDP成長率を維持し続けるために、赤字国債という名目で需要の肩代わりをし、それが積もり積もって、800兆にまで膨らんでしまったという話があった。
ところが、この国の借金がどのように使われているかを見ていくと、一般に公表されている一般会計の他に、特別会計という仕組みがあることがわかり、その殆どが誰にも分からない組織=財団とか、ある財団から民営化した企業にまでお金が流れて、需要の穴埋めに充てられているらしいという構造が見えてきた。
しかし、この実態というのは、一部の書籍やネット上で語られているだけで、一般の人がそれらの内容を把握し、評価できるような情報となっていないことが問題であると感じる。
財政が破綻し、不十分ではあるが、一般財源の部分では、無駄な公共投資の抑制や、医療・福祉の支出構造の見直しなどで、社会からの圧力を受けて何とかせねばという空気は形成されつつあるが、密室化した組織であればあるほど、問題が隠蔽されていく構造にあるのではないかと思った。
これは企業でも同じである。以下引用
>それでも序列圧力が強ければ、上意下達という形で、対面共認はそれなりに機能する。そして、より重要な共認形成の場である会議は、御前会議に姿を変える。しかし、顔の見えない地方や各部門では、会議という場は中央や他部門にとって密室空間そのものとなり、劣化共認や私的共認の温床となる。その上、課題の未明度が高くなればなるほど(or末端部門に下りれば下りるほど)誰も答えを出せなくなり、成員の会議へのもたれ合いやぶら下がりが常態化してゆく。101337 「対面会議を超えて、全てをネットへ」
序列が崩壊した現在、国家の迷走を立て直すには、あらゆる政策判断を行う場を、先ずみんなに開放すること、この圧力を形成しなければ、さらに社会はガタガタになるばかりで、その圧力を形成するための共認形成機関の構築が最も急がれるのではないかと思った。その意味で、このるいネットに参加している人を始め、本気で社会を変えようと思う人どうしが繋がり、その場をどんどん社会に開き、みんなが国や政治を評価し、政策の提言までできる機関となるようネットワークを広める必要を強く感じた。
大嶋洋一
PR
引き続き考えてみました。(これからも考えます。)
なんで、塾だと新認識の話をしても親御さんからクレームが来ないのか?
親御さんの塾への期待が変わってきているからだと思うのです。
ちょっと最近、その証拠が集まりつつあります。
○勉強だけできても不完全という意識の顕在化。
○逆に本当に基礎的な勉強はレベル1として対象化されている。
○保護者面談などで人収束してくださっている。
○いろんな会社の人と共認域が広がりつつあり、それぞれの伝播円が重なってきている。
○私には良く報告されて来ないのですが親御さん自身が新理論を役立てている。
などです。短いですが私も露店をやりたいので臨戦課題なんです!
佐藤英幸
なんで、塾だと新認識の話をしても親御さんからクレームが来ないのか?
親御さんの塾への期待が変わってきているからだと思うのです。
ちょっと最近、その証拠が集まりつつあります。
○勉強だけできても不完全という意識の顕在化。
○逆に本当に基礎的な勉強はレベル1として対象化されている。
○保護者面談などで人収束してくださっている。
○いろんな会社の人と共認域が広がりつつあり、それぞれの伝播円が重なってきている。
○私には良く報告されて来ないのですが親御さん自身が新理論を役立てている。
などです。短いですが私も露店をやりたいので臨戦課題なんです!
佐藤英幸
下からの圧力を形成しようとしたとき、期待したような成果が現われないときは、その期待の内容が間違っているか、序列原理が残っていて共認圧力を上回っているか、共認媒体の封緘(ふうかん)、などが考えられる。
「形だけ序列原理」の場合には、課題共認によって大抵のことは突破できるが、「形だけ共認原理」の場合には認識形成の時間がかさむばかりで会議が長引く。そして会議(参加)への期待そのものがしぼんでゆく。
「形だけ序列原理」。例えば私は塾長の肩書きを持っている。しかし、これは対外的に、集団の代表者は誰かと聞かれたときに答えるだけで、塾の中身は課題共認以外には見つからない。ただ、その課題共認の中身が、受験勉強であったり、学校の定期テストであったり、日頃の補習であったりして、個人課題や私権課題と結びつきやすいから、社会的な共認課題を意識的に上位の課題として持って来ることを心がけているにすぎない。それが私の(集団での)役割であると考えても矛盾はない。
そして社会的な共認課題が、生徒の「本当に知りたかったこと」とイコールになったのは、生徒の世代の多勢の仲間収束が、人をいじめても面白くない、ただ遊んでいても面白くない、他に仲間でできることはないのか、社会ってなに?というふうに、外向収束を追求しはじめたところに、るいネットで認識形成を続ける大人としての私が彼らのえさのように目の前に現われたことによる。私という人が社会に興味を持ち周囲の人よりも詳しいし正しそうなので、人物に収束してみているという感じである。(そういうとカッコいいがえさは毎日ついばまれているのだから毎日新鮮な認識を仕入れるか創造するかしなければならない。)
供給者が毎日答えを供給することによって、昨日聞いた生徒と今日授業を受けた生徒とはたった一日だがされど一日の違いが生じる。それが生徒たちの話し合いの中では最先端の一歩の違いになるので、必然的に出席率や通学日数は増加する。
(もしくは生徒の中の供給者が出現する!)
そしていつのまにか、受験勉強、定期テストの勉強、日頃の課題、という臨戦課題と、肩を並べるくらいの臨戦課題に社会課題がのし上がってきた結果、課題と課題が一体化されて、強い対象認識力をその子の段階に応じて各自が持ち始めているという状況なのだと思う。その場合「漢字テスト」と「最先端観念」はイコールに近づく。
言い換えれば、数ヶ月の努力で突破できる軽い課題から、数年を要する重い課題に転換され、次にその重い課題の臨戦度が上昇することで、塾にいる数年間の貴重さが、期限を共認するに至ったという感じである。
学校であれ塾であれ、「卒業」という期限のある集団では、課題共認と期限の共認(=臨戦性)が生命線でもあり、限界でもある。そこで、生命線を強化し、限界を突破するためには、いかに(集団や人が)外の社会と繋がっていて、集団の卒業を超えたところでも仲間でいられると思ってもらえるかが重要になってくる。
それが「人収束」であり「共認媒体収束」だと思うし、長大、巨大な課題の持つ短期分散力を長期高密度反転させる鍵だと思う。このことは有期限の集団以上に無期限の共同体のほうが難易度の高い課題であることは言うまでもない。しかし、確実に「実り」は大きいのである。
佐藤英幸
「形だけ序列原理」の場合には、課題共認によって大抵のことは突破できるが、「形だけ共認原理」の場合には認識形成の時間がかさむばかりで会議が長引く。そして会議(参加)への期待そのものがしぼんでゆく。
「形だけ序列原理」。例えば私は塾長の肩書きを持っている。しかし、これは対外的に、集団の代表者は誰かと聞かれたときに答えるだけで、塾の中身は課題共認以外には見つからない。ただ、その課題共認の中身が、受験勉強であったり、学校の定期テストであったり、日頃の補習であったりして、個人課題や私権課題と結びつきやすいから、社会的な共認課題を意識的に上位の課題として持って来ることを心がけているにすぎない。それが私の(集団での)役割であると考えても矛盾はない。
そして社会的な共認課題が、生徒の「本当に知りたかったこと」とイコールになったのは、生徒の世代の多勢の仲間収束が、人をいじめても面白くない、ただ遊んでいても面白くない、他に仲間でできることはないのか、社会ってなに?というふうに、外向収束を追求しはじめたところに、るいネットで認識形成を続ける大人としての私が彼らのえさのように目の前に現われたことによる。私という人が社会に興味を持ち周囲の人よりも詳しいし正しそうなので、人物に収束してみているという感じである。(そういうとカッコいいがえさは毎日ついばまれているのだから毎日新鮮な認識を仕入れるか創造するかしなければならない。)
供給者が毎日答えを供給することによって、昨日聞いた生徒と今日授業を受けた生徒とはたった一日だがされど一日の違いが生じる。それが生徒たちの話し合いの中では最先端の一歩の違いになるので、必然的に出席率や通学日数は増加する。
(もしくは生徒の中の供給者が出現する!)
そしていつのまにか、受験勉強、定期テストの勉強、日頃の課題、という臨戦課題と、肩を並べるくらいの臨戦課題に社会課題がのし上がってきた結果、課題と課題が一体化されて、強い対象認識力をその子の段階に応じて各自が持ち始めているという状況なのだと思う。その場合「漢字テスト」と「最先端観念」はイコールに近づく。
言い換えれば、数ヶ月の努力で突破できる軽い課題から、数年を要する重い課題に転換され、次にその重い課題の臨戦度が上昇することで、塾にいる数年間の貴重さが、期限を共認するに至ったという感じである。
学校であれ塾であれ、「卒業」という期限のある集団では、課題共認と期限の共認(=臨戦性)が生命線でもあり、限界でもある。そこで、生命線を強化し、限界を突破するためには、いかに(集団や人が)外の社会と繋がっていて、集団の卒業を超えたところでも仲間でいられると思ってもらえるかが重要になってくる。
それが「人収束」であり「共認媒体収束」だと思うし、長大、巨大な課題の持つ短期分散力を長期高密度反転させる鍵だと思う。このことは有期限の集団以上に無期限の共同体のほうが難易度の高い課題であることは言うまでもない。しかし、確実に「実り」は大きいのである。
佐藤英幸
なんかもやもやを感じている。そんなときに仲間から本質をつくような問題提起がなされる。
確かに、それは自分にも当てはまる感じがするし、その問題はあると思う。
しかし、なんかまだもやもやしている。何か発信を返さなきゃとは思うのだが、発信できない。
すると不思議なことに、思考回路は発信できない原因を探し始める。
「なんか発信できる雰囲気じゃないなあ」→環境が悪い
「難しくてまとまらないなあ」→思考停止
「だれかが発信してくれるだろう」→ぶらさがり
「そもそも何が問題なの?」→開き直り
いつのまにか最初に感じた問題意識を捨象し、発信できない自分を正当化し始める。
それでも、やはり何か発信しなきゃいかんなあと思い、無難な自分の発信しやすい問題に劣化させてしまう。
こうなるとなんかかみ合わず、また本質からどんどんそれていく。
>全てを捨象しようとしても、完全には捨象できない。そんな、みんな抱えているであろう、この不全感が可能性だと思う。
「この不全感が可能性」なのはそれを発信していって共有していくからだと思う。
自分の頭でこねくり回して色つきにして発信することではなく、その不全や感じていることをそのまま発信することが「100㌫開き出す」ということなのではないか。
「いいかっこしよう」とか「いいこと発信しなきゃ」「答えまで出さなきゃ」と思うから問題を劣化させて結局流産させてしまう。
今、相手が期待しているのはそんなことではなく、「どう感じてるのか?」なのだ。
そしてそれを積上げていくことで可能性が実現基盤に近づく(=答えが見えてくる)のではないだろうか。
平川 要
確かに、それは自分にも当てはまる感じがするし、その問題はあると思う。
しかし、なんかまだもやもやしている。何か発信を返さなきゃとは思うのだが、発信できない。
すると不思議なことに、思考回路は発信できない原因を探し始める。
「なんか発信できる雰囲気じゃないなあ」→環境が悪い
「難しくてまとまらないなあ」→思考停止
「だれかが発信してくれるだろう」→ぶらさがり
「そもそも何が問題なの?」→開き直り
いつのまにか最初に感じた問題意識を捨象し、発信できない自分を正当化し始める。
それでも、やはり何か発信しなきゃいかんなあと思い、無難な自分の発信しやすい問題に劣化させてしまう。
こうなるとなんかかみ合わず、また本質からどんどんそれていく。
>全てを捨象しようとしても、完全には捨象できない。そんな、みんな抱えているであろう、この不全感が可能性だと思う。
「この不全感が可能性」なのはそれを発信していって共有していくからだと思う。
自分の頭でこねくり回して色つきにして発信することではなく、その不全や感じていることをそのまま発信することが「100㌫開き出す」ということなのではないか。
「いいかっこしよう」とか「いいこと発信しなきゃ」「答えまで出さなきゃ」と思うから問題を劣化させて結局流産させてしまう。
今、相手が期待しているのはそんなことではなく、「どう感じてるのか?」なのだ。
そしてそれを積上げていくことで可能性が実現基盤に近づく(=答えが見えてくる)のではないだろうか。
平川 要
現在は、「生存圧力の消滅」という生物史上初の「大転換期」を迎えており、至るところで、新局面に対する『判断不能』(根本問題は捨象⇒目先収束)が見られる。つまり、私たちの誰しもが、赤ん坊や入社一年目のような『無能』に舞い戻っているのである。
さらに、序列体制が堅持されながらも、「生存圧力の消滅」によって「序列圧力はすでに無効」となっており、至るところで、『無圧力』(自我放置)が見られる。つまり、成果圧力・評価圧力が不十分or歪んでしまっている。
無能なのに無圧力。
ゆえに、至るところで、課題と成果の『劣化収束』が発生している。
社会を好転させるには、その劣化収束を好転させることが不可欠であり、そのためには、旧い序列圧力に完全に見切りをつけ、『新たな共認圧力』の形成に全神経を集中させることが必要となるのである。
まずは、『新たな圧力形成の必要』をみんなで共認できるか否かが、社会を好転させる転換点になると思われる。
福田尚正
さらに、序列体制が堅持されながらも、「生存圧力の消滅」によって「序列圧力はすでに無効」となっており、至るところで、『無圧力』(自我放置)が見られる。つまり、成果圧力・評価圧力が不十分or歪んでしまっている。
無能なのに無圧力。
ゆえに、至るところで、課題と成果の『劣化収束』が発生している。
社会を好転させるには、その劣化収束を好転させることが不可欠であり、そのためには、旧い序列圧力に完全に見切りをつけ、『新たな共認圧力』の形成に全神経を集中させることが必要となるのである。
まずは、『新たな圧力形成の必要』をみんなで共認できるか否かが、社会を好転させる転換点になると思われる。
福田尚正
カウンター
カレンダー
最新記事
(01/24)
(01/24)
(12/11)
(12/10)
(12/08)
最新コメント
[04/03 神崎]
[11/18 埼玉新聞読者]
[11/18 所沢市の債務残高は1000億円]
[11/12 所沢市の債務残高は1000億円]
[11/12 所沢市の債務残高は1000億円]
ブログ内検索
最古記事
(09/02)
(09/11)
(09/12)
(09/13)
(09/14)
P R