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正論原理主義が通用するのは中学校までだと思います。自然現象として育ち方に差があって、早生が指導的な立場になります。早生の上には教育者がいてタッグを組むわけですから、庶民の子にはいかんともしがたい暗黙の序列原理が生じます。つまり、中学校までの正論原理とは今のところ自然的なものに身分的なものが加わった序列原理ということになります。

多くの人が経験しているように高校生ともなると、中学までの優等生が必ずしも高校で評価共認されるとは限らなくなってきます。庶民の子が早生に追いついてくるからです。大人になると10歳くらい違わないと誰が年上かさえも分からなくなりますし、仕事ぶりを見ていると誰が社内で上なのか分からない、正社員なのかバイトなのかさえ分からないことが多々あります。自分たちだけが、あるいは名札だけで分かるような序列原理は対外的には機能しなくなるし、外から判明しないのであれば内側も機能していないはずです。

外から判明するとすれば、お客さんの相談に答えられるかどうかを、お客さんが「さすが店長さん」と思ったときです。そうなるともう年齢、何年やっているのかなどということは関係ないわけです。

高校生は良く、「時と場合による」を言います。状況が課題を変えることを良く知っているのですね。時と場合を勘案した柔軟な思考力が最も欲しい能力なのではないかと察します。スポーツでもなんでも、ここは親和だ、ここは秩序だ、ここは一人ひとりの頑張りだ。などというように、切り替えてゆける柔軟性です。

だから「間」を良く活用しています。間が大きいほどいろいろな人の意見を取り込み整除することができます。すると一部の人の正論や対立する正論同士に幅を持たせた、融合論が出てきたり、正論が各論化してより大きな理論体系の中で最適に機能するようになることがあります。

また、一人ひとりの思考にとっても、外部の思考を取り込むことは最適化する営みなので、その人の置かれている状況において正論であれば飲み込んでも大丈夫です。使ってみて、以前より役立てば、気持ちよく物事に取り組めるようになれば、もっと良い理論が出るまで使い方を工夫し続ければ良いだけです。

インターネットでも正論を固持する人は場を転々とするしかないようです。安定が得られない。中にはやさしく手をさし伸ばして古巣にも顔を出してくださいという感じで、正論の背景にある知識や見識の部分に正しさがあることを認めてくれる人もいますし、課題追求に関して誠意があることを評価してくれる人もいます。

多少正論原理主義的なところがあっても、差し伸ばされた手に身を委ねることができれば、すぐにもとの羅針盤の大切さに気付き活力を再生することができる、それが共認機能だと想います。




佐藤英幸
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『「記者クラブ談合」の一角がついに崩れた』(JANJAN)リンクより転載します。
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小沢、鳩山の歴代代表の公約を反古にして官邸記者会見からインターネットメディアなどを締め出した民主党にも良心が残っていた。民主党幹事長時に党本部の記者会見をオープンにしてきた岡田克也外相は、9月29日から外務省の大臣記者会見を記者クラブ加盟社以外のジャーナリストにも開放した。

外務大臣記者会見開放をめぐる経緯はこうだ――。
岡田氏は外相に就任すると間もなく(18日付)、記者会見を記者クラブ加盟社以外にも開放すると発表した。この方針に待ったをかけたのが記者クラブだ。理由を示してほしいと岡田大臣側が記者クラブに申し入れていたが、今日に至るも記者クラブ側から明確な見解は示されなかった。

これを受けて岡田大臣は29日の定例記者会見で「(記者クラブのみ記者会見に出席できる)従来のやり方を続けると、それ以外の記者と国民の知る権利を奪うことになるので、本日から開放に踏み切ることにした」と“宣言”した。

 ~中略~

インターネットメディアやフリー記者からの質問は次のような内容だった――。
「記者会見は記者クラブ主催なのか、それとも岡田大臣の主催なのか?」「記者クラブ主催ということであれば記者クラブという任意団体がどうして国民の財産である外務省の施設を使えるのか、その法的根拠は?」(フリージャーナリスト上杉隆氏)

岡田大臣は記者会見の進行を務める、三上正裕報道課長に「どうなっているのか」尋ねた。三上報道課長は「霞クラブ(外務省記者クラブ)と話し合って進めているが、記者会見は基本的には外務省の主催」と答えた。

「記者クラブの部屋は賃貸契約なのか?」(フリージャーナリスト畠山理仁氏)

これには岡田大臣も返答に窮したようだった。

記者クラブが公共施設に居候し、電気や水道まで無料で使っていることに関しては、住民が県庁などの行政を相手取って訴訟を起こしたりしている。行政施設の建設費や光熱費は税金で賄われている。納税者として訴訟を起こすのは理にかなうものだ。

フリージャーナリストの質問は世間の常識と照らし合わせれば極当たり前のことだ。にもかかわらず記者クラブの記者たちは「変なもの」でも見るような目つきでフリージャーナリストを見た。

政府の記者会見をめぐっては、情報公開の観点から開放する方針を掲げていた民主党側と既得権益を守りたい記者クラブ(大メディア)との間で応酬があった――。

ある民主党議員によれば、大メディアから平野博文官房長に「記者会見を開放すると内閣記者会としては協力できませんよ」と一種の脅しがあった。

平野官房長官としても発足したばかりの民主党政権のあげ足を取られたくない。鳩山総理の献金問題というウィークポイントもある。平野官房長官は「内閣記者会と全面戦争になることは今は避けたい」と本音を漏らした、という。9月16日、官邸で行われた総理記者会見にJanJanをはじめとするインターネットメディアやフリー記者が締め出しを喰ったのはこうした理由からだった。

筆者は上記のいきさつを説明したうえで「岡田大臣や大臣周辺に大メディアからの圧力はなかったのか?」と質問した。

岡田大臣は「私には圧力と感じませんでした」と含みを持たせて答えた。

政権交代で業界や官僚などの既得権益にメスが入ろうとしている。にもかかわらず、脅迫まがいの手口でそれを固守しようとしているのが、記者クラブという談合組織だ。

記者会見開始から30分近く経過すると司会役の三上報道課長(外務官僚)が「そろそろ時間ですのでここら辺で…」と締めにかかった。

だが岡田大臣は「いや、まだ時間があるから続けましょう」と報道課長を制し質疑応答を続けた。時間が長くなった分、多くのインターネットメディアやフリーの記者が質問できた。

2009年9月29日、記者クラブ談合の一角は崩れた。
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猛獣王S
■国連(CNN) リビアの最高指導者カダフィ大佐は23日、国連総会で初の一般討論演説を行った。大佐は15分の制限時間を無視して約1時間半壇上で話し続け、国連安全保障理事会をあからさまに批判した。

カダフィ大佐は、国連が1945年の発足以来阻止できなかった戦争が65あると指摘し、安保理が「テロ理事会」と呼ばれるべきだなどと発言した。

大佐はまた、国連憲章を引用しながら、国連加盟国間の「不平等」を指摘。自国の国益のために行使されているとして、常任理事国5カ国が持つ拒否権の廃止を求め、小国が「二流国として見下されている」と主張した。

カダフィ大佐はさらに、世界各地で感染者が増加している新型インフルエンザ(H1N1型)ウイルスが、研究所で開発された「兵器」だなどと述べたり、1963年のケネディ米大統領暗殺の黒幕がイスラエルだとする暴論を展開。また、イスラム強硬派タリバーンに、カトリックの総本山バチカン市国のような「イスラム首長国」の樹立が認められるべきだと発言した。
(CNNニュース)リンク
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上記内容を、TVニュースでリビアのカダフィ大佐の国連演説を見た感想

大多数の国の大使は「国連といっても、一部大国の利益を守る場である」と諦めていると感じていたが、このニュースの映像では、カダフィ大佐の規約破りの演説に、各国の大使の反応は、立ち見席まで人が溢れ真剣に聞いて居たように思う。そして演説の内容も「良くぞ言った」と思えた。
これまで、世界のマスコミでこの様な場面の報道はほとんどなかった様に思う。皆の不条理を公の場で述べる事が許され、かつ報道される時代に移り変わって来たと予感させられる事象である。世界的共認事項の一つの情報公開(共認社会への必須条件)から 事実認識に進んできていると思われる。



岸良造
「思想と運動」に代表される学生運動や労働運動が、現実に立脚しない思想では何も実現できないことを示した。

まさに生きている現実からしか何も変わらない。

人類は外圧適応態であり、外圧に適応するかたちで生産様式を変えそれに適応する規範や制度、意識を形成していく。現実に立脚しない思想は、現在でもはびこる近代思想のように皆の潜在意識の発露に蓋をする害でしかない。このことは、観念動物である人類の弱点として認識しておく必要がある。

>何よりもまず、社会の土台を成す新しい生産のあり方を提示することなしには、社会を変革することはできない。

ゆえに、現実に社会の生産を担う(外圧を真っ当に受ける)庶民の意識からしか社会が変わっていくことはない。インターネットの発達でサイトやブログにより皆の意識が見て取れることが、最大の可能性なのだと気付いた。これってスゴイことだ。




孫市
現行のブログランキング・サイトには不当な操作が加えられ、更に自己申告制に依るため過半のブログやブログ形式外の一般サイトが実はランキング評価対象から漏れているという欠陥がある。ならば、るいネットで“他者申告制”のブログランキング・サイトを展開してはどうか、というのが矢ヶ崎氏の提案かと思う。

確かに、数多あるブログサイトやネット配信記事から何らかの認識を得たいと思えば、やみくもに検索するよりもアクセス数=集客力といった評価軸に基づいた整理がなされている方が参考・目安にはなるのだろう。

けれども、ネットでのアクセス数とは純粋にブログ内で展開されている言説の論理性・納得性など内容評価だけで形成されているのではない。ネット外の現実社会で名を馳せている者(ベストセラー作家や人気ジャーナリスト、芸能人、特権階級等々)がいわばαブロガーとして幅を利かせる要素や、リンク形成やSEO(検索エンジン最適化)などネット上の仕掛けの巧拙などの影響も多分にある。
それは昔から出版人の間で「ベストセラーが良書であるとは限らない」と言われていたことと同質の事象とも思う。

ただ、物的生産から意識生産に移行しつつある現代に於いて真に力ある言説(=活力を与える内容)を希求するものが増えていることも、また確かであろう。
いみじくも、2009年9月26日の日経新聞朝刊に「批評の舞台、自前で作る」との見出しで、現代思想の言説とアニメのキャラクターの分析が混在するような、従来の批評とは装いの異なる批評活動・議論の場をネット上に構築する若者を取り上げた記事が掲載されていた。背景には出版不況による既存メディアの衰退と、ネット上の溢れる真偽の定かでない批評の氾濫に抗いたいとの思いがあるようだ。

その意味でも本当に求められるのは、単なるアクセス数の多寡ではなく多様なブログや掲示板に書かれている知識や認識を、歴史や生物学、存在論など事実の視座から評価した、メタとしての統合サイト(=るいネット)に於ける“見識”そのものではないだろうか。

勿論、現在に於いてもるいネットでは佳作や秀作、注目投稿などと投稿内容を評価することで1つの見識を示しているとはいえる。ただ、今後より求められるのはこれらの見識を言葉化することではないか、ということだ。
その際、全投稿作品や数限りないブログについて評価文を提示することは物理的に無理があり、例えば秀作以上のものについての評価だけでもよいのかもしれない。
或いは過去1週間に投稿された作品やブログ記事についての総合的な評価や、それらを踏まえての批評を示すという方法もあるかもしれない。そこで重複する論点や解明された課題、未明課題の整理を行い、更に未明課題に向けた仮説を提示するといった総括的批評を行うことで、次に思考すべき課題や方向性が共認されることにもなる。

いずれにせよ、レフェリーの評価プロセスや見識をより明らかにすれば、それ自体が評価対象として晒されることにもなるが、同時にそのプロセスが広く信認を得て共認されれば、当に統合サイトとしての共認形成力を向上させることが可能となる。

いわば、Linux開発プロセスに於いてLinuxファウンデーションが衆知を集め推進していくという役割と同じである。
それはまた、意識生産に於ける競争軸(=商品価値)とは、知識量や認識力を包含した“見識眼”の戦いにある、ということを示しているのかもしれない。


松岡隆
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