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社会統合機関(国家)の役割のひとつは、社会(みんな)が必要としているものを作り出す制度を構築し運営することにあると思う。

私権時代は、誰もが必要とするものが私権(お金、身分)であり、困っている人がいれば、それはお金がない(私権が獲得できない)ものだと決まっていた。だから、「福祉」という私権要求を満たす制度が作り出された。

しかし、貧困が消滅し、生存圧力から同類圧力への大転換期である現在、人々が必要とするものは「私権の獲得」から「社会的な役割・評価」へと変わった。それを作り出す制度が求められている。

その実現のためにしなければならないのは、これまでの制度を改革することでも、目先の新しい制度を求めることでもでもない。まず、「今、社会(みんな)が必要としているもの」を明確に捉えることであり、その答えをみんなが共認することではないかと思う。

人々の意識が変わり共認内容が変われば、もはや必要とされていない「福祉」に代わって、誰もが必要とする「社会的な役割・評価」を作り出す仕組みが制度化されていくのではないだろうか。


斎藤幸雄
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学校では、授業は黙って静かに聞くものであるという昔ながらの序列原理に基づいた指導がいまだに多い。生徒に発信の機会を与えるという発想など全くない教師がほとんどである。

一方塾の講師にとっての重要な社会的役割は、学力をつけたり、志望校に合格させることだけではない。生徒の発信の場を確保して、彼らの発信欠乏に応えるという未明課題がある。

生徒たちは、授業という教科学習の縛りを受けながら、同じクラスという閉鎖的な空間内での発信では物足りないのである。

彼らには家庭や学校、クラブ仲間や友人の枠を超えた広い範囲での発信欠乏がある。それに応えるのがるい塾ネットである。ここでは私権の獲得に替わる新しい勉強の意味を探索し、楽しく効果的な勉強の仕方を投稿にて発信し、同じ悩みをもつ広範囲の同世代の役に立つという課題がある。

ネット上では自分の投稿にレスがついたりという個人的な反応充足よりも、周囲の仲間に働きかけて、ネットの場に巻き込んで発信仲間を増やしていくという高度な課題が存在する。これは社会的役割欠乏に応える充足課題でもある。

また子供たちにとって、身近な大人である塾講師の発信の場作りという未明課題への取組みを、大いに手助けすることにも繋がるのである。

るい塾ネットを軌道に乗せるには、子供たちに、この発信仲間を増やす課題が最も充足でき、かつ社会的に最も期待されているという課題共認が不可欠になるのである。

足立晴彦
 最近、ある新聞社が自分の働く会社に取材をし、その内容を後日記事で読んだ時、こんな風に書くなんて信じられない!!!いったい何を聞いてたんだ!と、今まで感じたことのないような怒りを感じた。

 記事を読む前に、取材の対応をした方からどんな話を記者にしたかなどがオープンにされていたので、自分の中でこんな風な文章でまとめられてるんだろうなという予想・期待をしていた。
 でも、実際読んだら、なんでこんな展開になるんだ?と涙がでてきそうなくらい悔しかった。
 
 社内のネットやるいネットに投稿する時、どんな風に書けばそのままが伝わるだろうか、だとか細かいニュアンスが伝わるよう、読んでくれる人のことを思い浮かべながら書いている日常があるので、新聞社の記者ならなおさらそうだろうと思ってた。
 でも、違った。
 テレビの胡散臭さ・異常さは中学生くらいの頃から感じてて、今ではもうあきあきしてるんだけど、新聞はましだと思ってた。
 新聞は数社分読んで、ひとつのことでもここはどういう捉え方をしているか読み比べた方がいい。一社のものを、それが真実だと思うのは危険だとか聞いてたけど。

 相手の言葉だけでなく、相手の意識をキャッチして言葉を紡いでいくはずが、そんな思いのかけらもない、その機能すらもう機能してないように感じた。

 >いま、人々はマスコミ=共認形成の場を牛耳る特権階級によって、ゆがめられた情報ではなく、万人の本当の意識を知りたいと望んでいる。
(102586)

 本当に人々が求めていることに応えていくには、もうほんと自分たちでマスコミにかわる共認形成の場を作っていくしかない!!!悔しくて文句をゆうとかじゃ何も始まらない。
 今回の件は、そのことを心底気づかせてくれた。

白子佳世
媒体需要は'70年以前にもあった。新聞、ラジオ、テレビ、電話、郵便、etc。'70年以前と以降の媒体需要で何が変わったか。それは求めている中身。'70年以前は私権統合の時代であり、私権闘争でたまったストレスを発散する娯楽(解脱)が媒体需要の中心であった。

中には私権闘争に勝つために必要な情報を求める人もいたかもしれないが、そのような情報は、高級官僚と政治家、経営者が料亭でこっそりやり取りするものであり、一般の人が需要できるようなものではない。

したがって、マスコミもホームドラマや歌番組、お笑い番組が中心で、ニュースは少しでしかなかった。

'70年代以降は、私権闘争から共認充足に人々の意識は転換してきている。そうなると、みんなはどんな意識でいるのか、社会はどちらに進もうとしているのかと言うのが非常に気になりだす。

マスコミでも、ニュース番組や、情報番組、科学番組などがどんどん増えてきている。バラエティー番組も、色んな人の意見や実感が聞きたいと言うのが視聴者のニーズであろう。

そうなってくると、マスコミの限界が見えてくる。スポンサーや許認可の限界。利益追求の単独集団(私権企業)の限界。膨大な資金を必要とするテレビや新聞などの装置産業的な限界。

大衆は、生のみんなの意識が知りたいと強く望んでいる。しかし、マスコミは自集団の利益が第一であり、世論を操れる特権的地位を捨てようとはしない。だから人々はマスコミの報道が胡散臭くなり、どんどんマスコミから離れていく。

その受け皿になりつつあるのがインターネットの世界。ここには、人々の生の意識が渦巻いている。さらに、従来のように情報を受け取るだけではなく、自分も発信することが出来、反応を得ることも出来る。

さらに、マスコミのように資金の問題や許認可の問題がなく、誰もが共認形成の場を創ることが出来る。共認形成の場をどのようなシステムで運営するかも様々な可能性がある。リナックスのようにシステムそのものをオープンにして、万人の参加で運営することも可能だ。

いま、人々はマスコミ=共認形成の場を牛耳る特権階級によって、ゆがめられた情報ではなく、万人の本当の意識を知りたいと望んでいる。インターネットの世界も、まだまだシステムとして未熟であり、万人の意識をダイレクトに感じられるサイトは残念ながらまだ無い。

しかし、可能性がどちらにあるのかは明らかだろう。いつでも、誰でも、どこでも参加できて、発信反応が得られるインターネットの世界。いずれ、誰かがみんなの意識をダイレクトに感じられるシステムを開発し、みんなの手で改良され進化していくことだろう。

今やマスコミは巨大化するだけ巨大化して、進化の袋小路に入った絶滅種であると言っても過言ではない。

野田雄二
>●マスコミは、バラバラに分解された大衆の解脱共認欠乏を土壌にして成長してきたが、同時にマスコミの成長はますます大衆を解脱個体化させ、更にはこの解脱箱なしには生きてゆけないブロイラーの如き存在にさせた。(6324)

ここまでマスコミに共認支配されてしまった理由は、やはりマスコミ以外の共認形成のメディアがなくなってしまったという理由が大きい。村落共同体という本源的な共認形成のメディアを失い、テレビという解脱箱だけが唯一社会と接点を持てるメディアになってしまた姿というのは異常である。「ブロイラーの如き解脱個体化された大衆」というのは、全く言いえて妙な表現だと思う。

ある宗教団体の洗脳の方法を読んだことがあるが、密室で一人テレビを見ている状態というのは、洗脳の構造そのものである。その団体の方法によれば、人間というのは、外界と遮断された密室空間の中に閉じ込めて、繰り返し繰り返し同じ情報を与え続ければ、簡単に洗脳されてしまうのだそうである。おそらく、人間は一時も共認充足なしには生きられない動物なので、それしか共認充足の可能性がないとなると、そこに収束してしまうという構造があるのだろう。通常だと、みんなの評価を羅針盤にして、それが事実なのか?いいか悪いか?などを判断してゆくのだが、外界と遮断された環境に置かれてしまうと、その羅針盤がなくなってしまい、判断能力そのものを失ってゆくのではないかと考えられる。そして判断能力を失った思考停止の状態にしておいて、耳障りのいい(解脱効果の高い)価値観念(教義)を刷り込むと、そこに共認収束して洗脳されてしまうという構造になっているのではないかと考えられる。

実際の生活では、宗教団体のような洗脳空間とまるっきり同じとまでは行かないにしろ、現代人の生活(情報)環境は、極めて似たような環境にあるのではないだろうか。村落共同体が解体されたばかりではなく、今や家族の団欒すらも死語になってしまい、多くの人が個室に篭って一人テレビに向き合っている環境というのは、洗脳空間そのものであると言っていい。(個室でなくても、一方的に流される情報を見ているだけで、家族や外部の人とほとんど会話がないという状態もかなり近い。)閉じられた籠の中で、餌(情報)が与えられることを待っている状態でしかないという点では、まさしくブロイラー状態であると思う。

多くの場合、洗脳されている人は自分が洗脳されていることに気付かないという。それに気付くのは、あくまで自分が信じている情報以外の情報に接した時である。宗教団体の例で言えば、その団体以外の共認充足の場が与えられて始めて、それまでの共認内容のオカシサに気付くのである。その意味では、マスコミに洗脳されていること自体になかなか気付かない人が多いのも、みんながブロイラー状態でマスコミの支配共認一色に染め上げられてしまっており、それに代わる共認形成の場や可能性を知らないからであるという問題はやはり大きいだろう。マスコミによる共認支配の怖さに気付くためには、マスコミに代わるメディアと共認内容が不可欠である。

雪竹恭一
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