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戦争をしないことはいいことだと思う。多くの国が憎み合い殺し合いをする中で、戦争もなく憎むべき外敵のいない日本は幸せだ・・・

そんな話を聞いて素直に喜べないのはなぜだろう?

人を傷つけることを嫌い、人と関わることを恐れ、現状を変えようと思うよりも、そのまま受け入れる事を選ぶ。闘わないのではなく闘えなく成ってしまった日本人が幸せだといえるだろうか?

戦争がいいことだとは言わない。しかし、自然圧力→同類圧力と外圧をとらえその課題を共有し、互いに期待する中で生きることの喜びを共有してきた人類にとって、外圧をとらえることができず、闘うべき外圧がみつけられない現代を、やはり「幸せ」と言うことはできない。

人間にとっていちばんひどい病気はだれからも必要とされていないと感じることだと誰かが言っていた。

他人と関ることを恐れ、自分一人の中に期待を封じ、だから、だれからの期待も感じられず、自分が必要とされているかどうかも感じることができない。自閉していく日本人の病は、誰かれかまわず敵をつくることで外圧を作り出している欧米人の病と比べ、幸せだといえるだろうか?

よーくまわりを見てみたら、必要なことはたくさんあって、自分一人で生きてきたわけじゃないから、自分も誰かを必要として、誰かの期待を感じながら、他人を傷つけるでもなく、自分を傷つけるでもない闘いができればと、そう思うのです。

東努
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>いずれ、この社会統合という課題や期待や評価の共認を母胎として、その上に(その中から)規範共認や制度共認あるいはそれらの正否判断の基礎となる事実共認(現象事実から構造事実まで)が確立されてゆくことになるだろう。
そこで、今まず必要なのは、社会統合という課題・期待・評価の共認の場であり、従って何よりも重要なのは、まずもって皆の共認の場=新しいまつりの場を形成することである。

どんなにすごい認識も、場を形成できなければ「力」になりません。
逆に、場があっても、認識がなければ「統合」はできません。

「共認の場」を形成するということは、「統合力」を形成することなのだと思います。個⇒集団⇒社会を貫徹したとき、「認識」は最強の統合力となり、同時に「活力源」となります。

だからこそ、「共認の場」の形成に関わることで、こんなにも活力が湧くのでしょう。

田中直人
>∴支配観念を全否定することが最初の関門=突破口となり、支配観念からの脱却度と実現回路の発達度が、戦略ターゲットの選択基準となる。

A.まず、既成観念を全否定していない中途半端な社会派・理論派は、無用である。むしろ彼らこそ社会を混迷させ閉塞させている元凶であり、例え新理論が与えられても(何であれ)批判するしか能のない旧人種である。支配観念を明確に全否定できれば彼らも変われるが、そうでない限り可能性はない。

B.同様に、既成観念を全否定していない運動派も、無用である。むしろ、既成観念に立脚した彼らの運動は体制の補完物にすぎず、社会をますます閉塞させてゆくと共に、変革のエネルギーを掴み取ってゆくガンである。そもそも答えもないのに主張し運動していること自体、偽者の証とも云える。社会を変えるには、新しい構造観念が必要な事を認め、既成観念を全否定しない限り、全く可能性はない。

C.多数派(欠損型)は、規範観念に収束しており、支配観念にも支配されている。しかし、観念捨象の下地があり、本源規範に移行してゆく流れの中にあるので、まず支配観念を全否定させることが肝要で、それが出来れば規範観念も薄まり、潜在思念による実践思考(⇒実現回路)の可能性が増大する。

D.我々の主対象は、否定意識や近代観念から脱却して、潜在思念で実践思考する実現回路の発達したタイプである。(云わば、本源志向の実現派という辺り)<

A~Dのタイプにどんな人が当てはまるのか考えた時に、AとBが具体的にイメージできなかったので、みんなに聞いて考えてみました。

A:今の世の中はこのままではまずいと思いながらも、既成観念に基づいて社会変革を進めようとしている人たち。新理論など認めようとせず、あくまで自分たちの理想を実現したい。左翼とか右翼とかはこのタイプ。

B:社会の役に立ちたいと思いながらも、その活動が実際にどのように社会とつながっていて、どのように役に立っているのかという答えがないままに、活動そのものに没頭して充足してしまう。ボランティアやデモを行う人たち、NPO、地域活動など。実際にそこから世の中を変えられると思っているが、どうやって変えていくのかという方法論や、どういう風に変えるのかという目的がはっきりしていない。

Aは現実を捨象して、理想を実現したいだけだから、どうしようもないかなぁと思いました。現実に目を向けることができれば、変われるかもしれないとも思います。

Bは、なんだか報われない苦労という感じがして、頑張ってるのに空回りなんだなぁと思いました。実際、ボランティアの人が来てくれて助かる人もいるので、その個人(あるいは地域などの集団)の役には立っていて、それ自体はいいことだと思いますが、生産性がないというか、それだけで終わってしまい、社会の役に立っているというところまで到達できない。だけど、自分たちの手で社会を変えられるとしたら、そういうところからしかないと思い込んでいる。それで、ずっと同じことを繰り返して、関わった人たちからは感謝されても、社会の現状は何1つ変わらない。その結果、そういった活動に見切りをつけるか、あるいは、喜んでくれる人がいるのだから・・・と、目的を劣化させて、個人からの感謝に充足することで続けていくか。
せっかく、「役に立ちたい」という気持ちで活動しているのに、現実には「役に立たない」のでは、もったいないと思います。だから、こういう人こそ、日々の活動で認識した問題点と、どうすれば改善されるかを、ネットで話し合えばいいと思います。そうすれば、そういった活動も個人の課題ではなくなり、対象も個人ではなくなります。ネットに開き出して考えれば、今までの活動の対象の狭さも分かるし、みんなで答えを作っていけるんだという可能性が明確になります。どんどん劣化させてきた活動の目的が、一気に社会とつながります。

Bは活動の矛先をうまく誘導できれば、戦略ターゲットの範疇に入るのではないでしょうか。

川上真奈美
> この共認回路を、ひとつながりの性闘争本能と縄張り闘争本能の回路の内、目的とする縄張り闘争の回路に接続させれば、縄張り闘争の本能部分だけが生起します。(1613)

霊長類以降、新たに獲得された共認回路が、本来の本能回路の作動メカニズムに介入して、性闘争に立脚せずに縄張り闘争本能を生起させるという点が、「同類闘争」という猿・人類の闘争形態の最大の特徴だ。

これと同じ仕組みは人類の観念機能においても見られる。何らかの言葉を与えられてスッキリする=観念統合によって共認回路・本能回路が統合されるという状態や、「頭が体を痛めつけている」などの逆の例も、先端機能が旧機能を再統合する先端収束の論理に則っている。

そして、この真猿の縄張り闘争=同類闘争の構造はそのまま人類にも受け継がれている。かつ、この同類闘争は、生存圧力を克服した現在以降も、人類にとっては普遍的な活力源の一つになっていくと考えられる。

> 人類的課題に対する期待と応望を主活力源にして創造活動を営み、評価収束による創造競争=共認闘争(=同類闘争)によって圧力=活力を高め、その同類闘争を同じ評価収束⇒評価共認によって統合する社会、これは原始人には夢想だにできなかった社会である。にも拘わらず、同類圧力=共認圧力を生命源とする社会であるという根本パラダイムは、極限時代と同じである。(実現論4_2_08)

冒頭の構造とあわせて考えると、「人類的課題に対する期待と応望」という共認回路をスイッチにした創造競争=共認闘争も、その最前線の(共認域を巡る)縄張り闘争自体には本能回路の動力が使われると考えられる。言い換えると、期待・応望発の闘争共認という根元のスイッチさえ磐石なら、一見熾烈な縄張り闘争も、(特に男にとっては)共認~本能レベルまで満たす深い充足源になる、ということだろう。

田中素
先日社会保険労務士を目指す学生と出会った。
彼女は、過去のアルバイト先の労使関係が円滑でなかったのをきっかけに、みんなが安心して働いていける環境をつくりたいと思い、社会保険労務士を目指して勉強中であった。

彼女が現在もっとも関心があるのは年金制度ということだったので、「年金って何が問題?」について答えた。(以下に論点)
○国民を支える制度のはずが、制度を支えるために国民が苦労しているという現状
○出発点は工業化が進み、根無し草の都市労働者が増大したが故の救済措置(根無し草の増大防止ではなく、増えてもいいようにする補完制度)
○生存圧力が消滅した現在、充足感のある日々をすごすにはお金以上に人々の期待に応える役割を担うことが重要
∴お金を支給する制度ではなく、役割を与える制度や集団が必要

彼女は「今までは“制度は必要”という前提で考えていた。見えているつもりで見えていなかったことに気づいた。」と話していた。
また「実際、何がやりたいかって言うと明確じゃなかった。何か役に立ちたいという思いはあったけど、どうすれば役に立てるかはわからなかった。ただ、何かしなきゃ始まらないと思ったから、現在ある制度や資格の中から当てはまりそうなのを探した。」とも。


「社会において役に立つ仕事に就きたいけど、何をすればいいかはわからない」これは、彼女に限らず多くの若者に共通する思いだろう。
具体的に職業(会社)を選ぶという場合に、どうすればいいのだろうか?

現在はほとんどの職業(会社)において程度の差はあれ私権制度を前提にしている。だから、どんな職業に就いても共認原理に移行した社会とのズレはある。
ズレがあるから避けるというのではどこにも進む道はない。
ズレを捨象して職に就いても、先送りにしただけで実際に仕事をすれば直面する。(捨象し続ければ決して「役に立ちたい」という思いは充たされない)

現在、「社会において役に立つ仕事に就きたい」ならば、ズレを修正することから始める必要があるのだ。


彼女の場合、まず年金制度が支給する“お金”と社会(人々)が必要とする“役割”にはズレがあるということを認識することは不可欠だろう。
そして、既存制度に携わりながら問題点を抽出し、社会に発信することでズレを修正していくという意識で社会保険労務士を目指していくことが、「社会において役に立つ」一番の近道ではないだろうか。

また、彼女が別の職を志すとしても、いや、誰がどんな職を志すとしても、「社会において役に立つ仕事に就きたい」ならば、自らが当事者となって既存の場を変えていく意識が必要であることは変わらないだろう。

そして、既存の場を変えていくには個人や一企業の枠を越えて、社会に発信して共認圧力を形成していくことが必要となるが、その場としてるいネットは大いに活用できるだろう。


西村秀彦
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