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「認識形成の場(認識形成サイト)への参加」には、2つの新しさがある。
一つは、新しい概念で新しい認識を形成していく生産活動である、という新しさ。
もう一つは、参加者(万人)が自ら副業(もう一つの仕事)として「場」を構築していく生産活動である、という新しさ。
この2つの新しさと、参加者の協働エネルギーの大きさが、超国家、超市場を実現していく。
浅見昌良
一つは、新しい概念で新しい認識を形成していく生産活動である、という新しさ。
もう一つは、参加者(万人)が自ら副業(もう一つの仕事)として「場」を構築していく生産活動である、という新しさ。
この2つの新しさと、参加者の協働エネルギーの大きさが、超国家、超市場を実現していく。
浅見昌良
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「読者」と言うと、積極的に知識を吸収したり問題を追及していたり、といった印象を受けます。知識人の著作や難解な学術書の「読者」ほどそうした印象を強く受けました。
しかし、これだけでは観客化、そして結局は傍観者化してしまうという事に気付きました。
単なる共鳴・伝播の限界はそこにあると思います。
そして、その限界を超えて参加・協働という場を形成できるネット、そして認識形成サイトには、確かに現在の社会閉塞を打破する可能性があると思います。
山田孝治
しかし、これだけでは観客化、そして結局は傍観者化してしまうという事に気付きました。
単なる共鳴・伝播の限界はそこにあると思います。
そして、その限界を超えて参加・協働という場を形成できるネット、そして認識形成サイトには、確かに現在の社会閉塞を打破する可能性があると思います。
山田孝治
>作者→(出版)→観客読者という在り様(よう)から、認識仲間の(サイトでの定住読者になって貰う、更には投稿して貰う)協働という在り様への移行こそ、私権時代の認識形成と新時代(共認時代)の認識形成との決定的な違いである。
私権時代は大多数を観客読者として傍観者のままにしておくことで社会が安定(=統合)しました。なんと楽に認識形成ができたのでしょうか。大多数の人には考えさせない、 考える必要はなかったということです。
現代において認識形成を行うには全員が考えなければならないということです。なんと大きな競争(=認識闘争)で、世界大会にだれもが出場資格があるとも言えるし、参加のしがいのある面白い闘争なんだとも考えられます。子供のころ出場できれば良いなと夢のように思ったオリンピックに誰もが出れるようなものかもしれません。
また新時代は全員が認識闘争に参加しなければならず、傍観者のままでは人類が滅亡するということですね。
小澤紀夫
私権時代は大多数を観客読者として傍観者のままにしておくことで社会が安定(=統合)しました。なんと楽に認識形成ができたのでしょうか。大多数の人には考えさせない、 考える必要はなかったということです。
現代において認識形成を行うには全員が考えなければならないということです。なんと大きな競争(=認識闘争)で、世界大会にだれもが出場資格があるとも言えるし、参加のしがいのある面白い闘争なんだとも考えられます。子供のころ出場できれば良いなと夢のように思ったオリンピックに誰もが出れるようなものかもしれません。
また新時代は全員が認識闘争に参加しなければならず、傍観者のままでは人類が滅亡するということですね。
小澤紀夫
同類圧力や同類闘争と聞くと、どうしても戦争や傷つけあう争い。といった、私権時代の血なまぐさいイメージを思い浮かべてしまう場合が多い。
せっかく貧困(生存圧力)が消滅したのだから、いまさら、同類圧力や同類闘争なんて・・・。
ちょっと待ってほしい。本来の同類圧力とは、周り(or人々)の期待に応えようとする意識から生まれる。そして、人々の評価を羅針盤=圧力源=活力源として、より人々の期待に応えようとする人々の共認空間。それこそが、同類圧力の場であり、人類における同類闘争の姿に他ならない。
>集団であれ社会であれ、共認空間は常にその最先端に評価欠乏→評価闘争を生起させると共に、評価共認によって統合される。(評価共認こそ、共認空間の統合原理である。)
私たちが向かうべきは、闘争や圧力の無い社会ではない。私たちが自ら作り出す圧力によって、皆の役に立つ為に皆が闘争し、皆で評価し合う、活力ある=統合された社会なのだ。
笠原光
せっかく貧困(生存圧力)が消滅したのだから、いまさら、同類圧力や同類闘争なんて・・・。
ちょっと待ってほしい。本来の同類圧力とは、周り(or人々)の期待に応えようとする意識から生まれる。そして、人々の評価を羅針盤=圧力源=活力源として、より人々の期待に応えようとする人々の共認空間。それこそが、同類圧力の場であり、人類における同類闘争の姿に他ならない。
>集団であれ社会であれ、共認空間は常にその最先端に評価欠乏→評価闘争を生起させると共に、評価共認によって統合される。(評価共認こそ、共認空間の統合原理である。)
私たちが向かうべきは、闘争や圧力の無い社会ではない。私たちが自ら作り出す圧力によって、皆の役に立つ為に皆が闘争し、皆で評価し合う、活力ある=統合された社会なのだ。
笠原光
>私権の強制圧力の衰弱は、何よりもまず、私権圧力から抜け出た有閑層を激増させた。今や、子供、学生、主婦、老人など有閑層は優に人口の6割を超えている。かれら有閑層こそ、本源共認によって社会を統合し直してゆく(=社会統合という仕事を担ってゆく)中心勢力なのである。実現論9_6_02
60~70年の学生運動の余波が70年革新自治体を生み出し、今日に至る政治改革の下地をつくった。
70~90年代の女性運動→消費者運動が企業経営のあり様を効率一本槍から社会貢献や安全性・安心志向の研究開発へと転換させてきた。
そして今やネット言論が共認形成の中心を担うようになり、日本の政治状況ひいては世界的政治情勢に影響を与える時代になったが、ネットを動かしているその中心勢力こそ、自由な時間のある子供たちである。
70年以降、時代を動かしてきた主役は自由な時間を持つ、学生・女・子供たちだったのだ。
しかしいくら普通の人といえども答えがなければ、閑があっても発信しない。従って、有閑層の中でも社会領域における共認形成を主導してきたのは、否定意識→批判好きな人に偏ってきた。その結果、市民運動・NPOも、新しい共認形成の場であるネットも批判合戦のオンパレードで、普通の人々から離れていっている。
批判の為の議論ではなく、みなが社会統合に向けて可能性を感じる=充足する答えを追求し広げていかなくては、せっかくの自由時間がそれこそ’もったいない’!
山澤貴志
60~70年の学生運動の余波が70年革新自治体を生み出し、今日に至る政治改革の下地をつくった。
70~90年代の女性運動→消費者運動が企業経営のあり様を効率一本槍から社会貢献や安全性・安心志向の研究開発へと転換させてきた。
そして今やネット言論が共認形成の中心を担うようになり、日本の政治状況ひいては世界的政治情勢に影響を与える時代になったが、ネットを動かしているその中心勢力こそ、自由な時間のある子供たちである。
70年以降、時代を動かしてきた主役は自由な時間を持つ、学生・女・子供たちだったのだ。
しかしいくら普通の人といえども答えがなければ、閑があっても発信しない。従って、有閑層の中でも社会領域における共認形成を主導してきたのは、否定意識→批判好きな人に偏ってきた。その結果、市民運動・NPOも、新しい共認形成の場であるネットも批判合戦のオンパレードで、普通の人々から離れていっている。
批判の為の議論ではなく、みなが社会統合に向けて可能性を感じる=充足する答えを追求し広げていかなくては、せっかくの自由時間がそれこそ’もったいない’!
山澤貴志
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